風が、唸り声をあげ、アノンとティスティーの体にぶつかってくる。 二人は、崖の上に立っていた。 眼下から吹き上げてくる風が、二人の髪を激しく揺らす。その風に瞳を細めながら、アノンとティスティーはじっと眼下に広がる光景を見つめていた。 そこには、奇妙なものがあった。 だだっ広い荒野に突如として現れたのは、大きなドーム状のもの。白い半透明の幕が半径2km程のドームを作り、大地を覆っていたのだ。 「アレは?」 荒野に突然現れた奇妙なものにアノンは訝しげに眉を寄せる。 「――結界よ」 同様に眉間に皺を寄せたティスティーが、彼の問いに答えた。 その答えに、アノンは弾かれたようにそのドームからティスティーへと視線を移した。 「もしかして、ルウが張ったもの!?」 その瞳の中にきらきらと光るのは希望の光だろう。その結界の中に、彼の唯一の家族であるルヴィウスがいるかもしれない。アノンはそう期待しているようだった。 そんな期待はティスティーの中にもある。何百年も生きてきて、初めて愛することができな男が、そこにいるかもしれないのだ。期待は膨らんでいく。だが、ティスティーはまだ眉間の皺を解かずにいた。 「もう少し近づきましょう」 近づいてみなければ、その結界が何なのか。結界の中に何があるのか分からない。それが、ティスティーをアノンのように手放しに喜ばせないでした。二人共が油断をしていては、何か起こったときに取り返しがつかない。せめて自分だけは警戒したままでいようとティスティーは心の内でむくむくと大きくなる期待に釘を刺した。 「いくわよ」 ティスティーは瞳を閉ざし、口中で小さく呪文を唱えた。その瞬間に現れた風は渦となり、その中心にティスティーとアノンとを飲み込んでしまった。そして、そのまま風は更に激しく渦を巻き、二人の体を持ち上げたかと思うと、ティスティーが命じるまま崖の下へと二人を運んだ。二人の足が地面に着くと同時に、役目を終えた風は忽然とその姿を消した。 あっという間に崖の下に運ばれていたアノンは驚いたように瞳を何度か瞬かせ、崖を見上げたが、すぐにその視線を目の前の結界に移した。 「静かだね」 「そうね・・」 半透明の膜は、その向こうに変わらず荒野を閉じこめているようだった。でこぼこと隆起した岩と、薄茶の大地。その中には風も吹かず、動くものの姿もない。静寂だけがその結界の中を支配しているようだった。 「・・もしかして、この中にいるのかな?」 徐に、アノンは言った。その声が僅かに上擦っていたのは、もう少しでルヴィウスに会えるかもしれない喜びのためだろう。その言葉に返すティスティーの声が険しかったのは、彼女だけが未だ期待に身を任せることを拒んでいたから。 「もしかしたら、ね」 そして、浮かれ気味のアノンに釘を刺す。 「ルヴィーか、魔物か・・・どちらかがいるわ」 「・・・・」 アノンは、ティスティーのその言葉に答えを返すことはしなかった。 ルヴィウスか、彼が戦っていた魔王か、どちらかがこの中にはいるかもしれない。もしかしたら、居ないかもしれない。 答えは、出さないことにしよう。 アノンの様子が僅かに緊張したことを確認してから、ティスティーは結界に触れた。彼も、事態がそう期待ばかりに満ちていないことを認識したらしい。そのことに安堵しながら、ティスティーは結界に手を触れさせたまま、口中で呪文のようなものを呟いていたが、しばらくして溜息と共に結界から手を離した。 「破らないと入れないみたいだわ」 「そっか」 「破るわよ」 ティスティーの即断に返すアノンの答えも、もう決まっていた。 「うん!」 中に、何が居るのかはわからない。何も居ないかも知れない。だが、もしかしたらずっとずっと捜していた人がそこで自分を…自分たちを待ってくれているかもしれないのだ。その可能性に、かけてみたい。そうしなければ、ここまでやって来た意味がなくなってしまう。 たとえこの結界の先に、何が待っていても、後悔はしない――。 「いくわよ」 強張った声でそうアノンに確認を取った後、ティスティーは再度結界に手を触れさせる。今度は片手だけでなく、両手をしっかりと結界に当て、ティスティーは長い呪文を唱え始めた。 そんなティスティーの横顔を、アノンは見つめていた。 期待と不安に高鳴る胸が、くすぐったい。 (ようやく、ルウに近づいたんだ・・・!) ここまでティスティーと共にではあったが、辿り着くことが出来たのだ。母親を捜せなかったあの頃の幼くて無力な自分はもういない。こんなに大きくなったのだ。大切な人を探し出せるほどに。そのことを、きっとルヴィウスも褒めてくれるはずだ。 そして、再会を喜んでくれるはず――。 「わっ」 それは、突然だった。バチバチッ! と、ティスティーの手元から光が放たれたのは。 咄嗟に手で目を庇ったアノンが、すぐさまその腕を退けてみると、 「――破れた!」 結界が、その姿を消していた。 歓喜の声を上げたアノンは、ティスティーに視線を遣ってみると、彼女は何故かその場にうずくまっていた。肩で息をし、ひどく苦しそうな様子のティスティーに、アノンは慌てて膝をつき、ティスティーを覗き込む。 「ティスティー!? 大丈――」 唐突にアノンの言葉を遮ったのは、吹き抜けていった一陣の風。 否。 「――!?」 「何よ、コレ――」 アノンの背を、冷たいものが駆け抜けていく。魔力を一気に消費しすぎた所為で、意識を手放しかけていたティスティーも、その風によって遠のく意識の存在すらも吹き飛ばされていた。 それは、ただの風ではなかった。ヒューディスの地を余す所なく撫でていくのではないかと考えてしまうほど、強い風を巻き起こしているのは凄まじい魔力。ヒューディスに居る魔物たちが皆、すくみ上がるほどの魔力が、その風に乗って駆け抜けていったのだ。 「あ!」 咄嗟に視線をぐるりと180度巡らせたアノンが、声を上げ動きを止める。 「アノン?」 いったいどうしたのかと彼に声をかけたのだが、反応はない。仕方なくティスティーもアノンが見つめている方向に視線を遣る。俯かせた顔を上げるのも辛かったが、それでも顔を上げ、視線を動かしたティスティーも、アノンと同様にその視線を凍り付かせた。 そこには、一人の男の姿があった。 「――・・ルウ」 アノンがルウと呼び、ティスティーがルヴィーと呼ぶ青年の姿が、そこにはあった。 太陽の光に輝くのは金色の髪。瞳は明青海と同じ、澄んだ美しい青色をしている。その青は、アノンやティスティーの記憶に刻まれ、思い描いていた色。間違いなく、あの日の青。 そして、彼の左胸には、第1級の証、金のバッジが光っていた。背中に括り付けてあるのは、彼の身の丈程もある太い剣。魔物との戦いの所為だろうか、所々破け血が滲んだ服を纏った、全国民から英雄と呼ばれる戦士が、そこにはいた。 彼こそが、アノンの捜していた人。ティスティーの捜していた人。 「ルウ!!」 懐かしいルヴィウスの姿に、たまらずアノンが駆け出す。 「――ルヴィー・・」 そんな彼の後ろ姿とルヴィウスとを見つめるティスティーは、安堵感の所為か、それともまだ魔力の消費が体に影響しているのか、立ち上がることすら出来ず、茫然とその場に座り込んでいた。 「ルウ、会いたかったよ! オレ、待ちきれなくて捜しに来たんだ」 ティスティーの見守る前で、アノンはルヴィウスに飛びついていった。その様子は、犬のようだった。もし尻尾があれば、激しく左右に揺られていそうな程、彼は喜々としてルヴィウスにじゃれついている。 そのアノンの嬉しそうな様子に目を細めつつ、ティスティーがルヴィウスに視線を遣ったその時だった。 「――なに? アレ・・」 見覚えのないものが、彼の額に何かが光っているのをティスティーは見つけ眉根を寄せる。 ルヴィウスの額には、魔法石か何かだろうか、黒い石が光り輝いていた。 だが、ルヴィウスに近づきすぎているアノンは、その石に気付かない。いや、気付いたとしても、今のアノンはそんなことを気にも止めなかっただろう。 そんな石のことよりも、話したいことがたくさんあるのだ。ここまで、どんな旅をしてきたのか。誰に会って、どんな冒険をしたのか。初めて乗った船のこと。美味しかった魚の味。有翼人の友達ができたこと。ティスティーと一緒にここまで来ることができたこと。そして、 「ホラ、見てよ、ルウ! オレも戦士になったんだ!! しかもルウと同じ、第一級だよ!」 ルヴィウスのように強くなりたくて戦士になったこと。しかも彼と同等の第一級の戦士に認定されたこと。 他にも、話したいことはたくさんある。たくさんありすぎて、どこから話せば良いのかが分からない。 「でね、オレさ――」 不意に、アノンは口を閉ざした。ルヴィウスがずっと無言であることに気付いたのだ。 「・・・ルウ?」 その名を呼んでみる。 数年の月日が経ってしまったものの、彼が自分の姿を忘れたはずはない。 ならば何故、何も言ってくれないのか。 アノンが戸惑いを隠せず瞳を瞬かせていると、ルヴィウスがようやく唇を開けた。 だが、そこから零れた言葉に、アノンはますます困惑することになるのだった。 「――お前は?」 「え?」 アノンとルヴィウスのやりとりがどこかおかしいことに、ティスティーもようやく気付いていた。 ルヴィウスのアノンを見る目がおかしいことにもその時になってようやく気付く。 彼は、驚くほどに無感情な瞳をしていたのだ。 その瞳に気付いた時、 「―――」 『彼は、傷口などから他人の体内に侵入し、その体に憑依するのです』 タタラのそんな言葉が、脳裏をよぎっていった。その言葉は、たちまちティスティーの中に悪い予感を巻き起こす。 ティスティーは眩暈をおして立ち上がり、アノンを必死で呼んでいた。 「アノン! 離れなさい!!」 「お前は、誰だ?」 唐突なティスティーの命令と、目の前にいるルヴィウスがそんな台詞を言ったのとはほぼ同時だった。 「ルウ? 何言って――」 驚愕に瞳を瞠るアノンがルヴィウスに向かって手を伸ばした、その時だった。 ヒュッ! と空を切る音がアノンの鼓膜を揺らす。そして、静かに襲いかかってきた殺気に、アノンは咄嗟に ルヴィウスの側から、地面を蹴って遠ざかっていた。だが、 「アノン!!」 ティスティーの悲鳴と同時に、左腕に走ったのは鋭い痛み。 腕から大量の血が溢れていた。次の瞬間、痛みは感じなくなった。 深く刻まれた傷は、アノンの腕から神経を攫っていってしまったのだろうか。 ふらつく体を支えながら、アノンは茫然とルヴィウスを見上げる。 彼は薄ら笑いを浮かべ、アノンを見下ろしていた。その手には、いつの間に背中の鞘 から抜きはなったのだろう。太い剣が握られており、そこには血がついていた。 あの剣が、自分の腕を切り裂いたのだ。 (――ルウが、オレを・・?) ルヴィウスが、自分を斬りつけたのだ。 「風!!」 茫然と立ち尽くしているアノンを、次の瞬間風が包み込んでいた。 それを命じるのはティスティーの声。 風が止んだ時には、アノン姿が消えていた。アノンを攫った風は、ティスティーの 隣の現れ、アノンを運んでいた。風によって腕を滴る血が辺りに飛び散り、 ティスティーの頬に降りかかる。その生暖かい感触に眉をひそめながら、 ティスティーは再度風を起こそうと呪文を唱えるべく口を開いた。だが、 「―――ッ」 唇から洩れたのは、苦痛を訴える呻き声だけだった。ティスティーとアノンを 包み、この場を離脱させるための風は、起こらなかった。代わりに ティスティーを襲ったのは、ひどい眩暈だけだった。 その眩暈に必死で抗っている間にも、剣を手に持った ルヴィウスが次第に近づいてくる。 否、それはルヴィウスの姿をしたもの。 (逃げなくちゃ・・!) 意識が急かすのに、体が言うことを聞かない。 今この場から逃げなければ、殺されてしまう。アノンは真実を知らぬまま、 ルヴィウスに殺されてしまう。 (そんなこと、させない!) その時だった、風が二人を守るように包みこんだのは。 「――え?」 風は、ティスティーが巻き起こしたものではなかった。 一体何が起こったのか理解する前に、ティスティーの鼓膜を揺らしたのは微かな声。 <逃げて!!> それは、精霊の声だった。 精霊が、自分たちを助けようとしている。そう気付いたときには、目の前からルヴィウスの姿が消えていた。 いや、消えたのは自分たちの方だったようだ。 アノンとティスティーは、崖の上にいた。精霊達が運んでくれたらしい。 風が消え、足が地に着くなりすぐさまティスティーは杖をかざした。 眩暈は消えている。 (お願い・・!) 心の中で強く念じながら、ティスティーは呪文を唱え、杖を天に向けて伸ばした。 願いは、届いたようだった。 杖から伸びた光は天に真っ直ぐ昇っていった。そして、次の瞬間、 天に昇った光はまるで雨のように光の小さな粒になって大地に降り注いでいく。光の雨は容赦なく 大地を叩く。そして、その雨が止んだ大地には、六芒星と それを囲う丸い円形が描かれていた。 それは、ルヴィウスを縛る結界だった。 結界を無事に張ることができたのを確認したティスティーは、すぐさま背後に立ち尽くしている アノンを振り返る。 「アノン! ・・・アノン!!」 アノンは、真っ直ぐ前を見つめたまま、茫然としていた。その腕からは、 未だ血が流れ出している。出血が多い。 すぐさまティスティーはアノンの傷に向けて両手を翳し、呪文を唱える。 自然治癒能力を急激に高めるための呪文。 唱えるとすぐに、アノンの傷からの出血は止まった。 ぱっくりと開いていた傷口も塞がる。だが、一本の赤い筋が彼の二の腕には残っている。 「――ティスティー・・」 ようやくアノンが口を開いた。 「良かった、アノン」 ルヴィウスが剣を振り上げたその瞬間、彼を失ってしまったかと、 心臓が凍るような思いをした。だが、失うことはなかった。 安堵感がティスティーを包み込んでいく。 だが、アノンは自分の傷が治ったことに気付いているのかいないのか。何の 反応もせず、ティスティーの名前を呼んだきり、何も言おうとはしなかった。 「アノン?」 彼はただ、まっすぐ前を見つめていた。そして、徐に開いた唇からこぼれ落ちたのは、 震える声。 「・・・どうして、オレを殺そうとしたんだろう・・・」 アノンは、小さな声でそう呟いた。 「オレのこと、忘れちゃったのかな」 言って、アノンは顔を覆ってしまっていた。 アノンは何も知らない。あのルヴィウスを、 自分が探し求めていたその人だと思っているのだ。育ててもらい、 愛してもらったその人に傷付けられたというその事実は、 何よりも彼の心に傷を刻んでしまったのだろう。 顔を覆ったアノンの指の隙間から、涙が溢れ出してくるのではないかと、ティスティーは慌てる。 「違うのよ、アノン。いい? よく聞いて」 顔を覆ったアノンの腕を無理矢理どかしてみると、彼は泣いてはいなかった。だが、その顔は今にも泣きそうに歪んでいる。そんなアノンの瞳をじっと見つめながら、ティスティーは徐に言った。 「アノン。魔王は、死んでいなかったのよ」 「――え?」 ティスティーの言葉に目を瞠り、どういうことか分からないとでも言うように、アノンは僅かに首を振る。そんなアノンのために、ティスティーは言葉を付け足す。 「魔王は死んでいなかった。ルヴィーの中で、生きていたのよ」 「――ルウの・・中?」 それは、衝撃的な言葉だった。 自分の唯一の家族の中で、魔王が生きている。魔王が、ルヴィウスの体を乗っ取っているのだと、ティスティーは言った。 「魔王には体がないの。だから他の生物に憑依している。おそらく、ルヴィーとの戦いで体を損傷した魔王は、彼の体に憑依した」 淡々と、努めて冷静にティスティーはアノンにそう説明して聞かせた。そして、自分たちが来たときに張ってあった結界は、魔王のそんな特殊な生態を知っていたルヴィウスが、もしもそうなった時、もしくは自分が魔物との戦いに敗れてしまった時のことを思い、張り巡らせていたものだろう。内側からでは決して破れない特殊な結界を張ることで、自分が死ぬことがあっても、自分の体が魔王に乗っ取られることがあっても、せめて魔王をこの空間に封じ込めるために。 ティスティーの説明を、アノンは黙ったまま聞いていた。だが、堪えきれなくなったのだろう。ティスティーの説明を遮って、アノンは泣きそうな顔で問うた。 「――ティスティー。ルウは? ルウは死んじゃったの!!?」 「・・アノン」 「ねえ、死んじゃったの!!?」 涙を必死で堪えているアノンの瞳を、ティスティーは真っ直ぐに見つめ返すことはできなかった。視線を逸らすと、それを許さないと言うかのように、彼の両腕がティスティーの腕を捉え、揺らす。それは、駄々をこねている子供の仕種に似ていた。 そんな彼に、「イエス」と答えられるはずなかった。 何より、彼女自身もまだ、ルヴィウスが死んでしまったとは、考えたくなかった。信じたくない。可能性は十分にある。一度は信じることに臆病になっていた。けれど今は、信じてみたい。 ティスティーはアノンの瞳を真っ直ぐに見つめ返し、口を開いた。 「――いいえ。生きてるわ」 その言葉は、自分の絶望をも遠ざけていった。 アノンも、その言葉に瞳を輝かせる。 「ホント!?」 「本当よ。ルヴィーは今、魔王の意識に組む伏せられてる。だから――」 「だからルウの中にいる魔王を追い出せばいいんだね!?」 アノンの言葉に、ティスティーは深く頷いてみせる。 アノンの中に生まれている希望は、同様にティスティーの中でも大きく育っている。口にする度に、期待は真実へとその姿を変えていく。 「そうよ。ルウの額に、黒い石のようなものがあったでしょ? あれがおそらく魔王の本体。あれを壊せば――」 ドオオ――――ン!! 突如、凄まじい爆音が辺りに響き渡る。激しく揺れる大地に、アノンとティスティーはバランスを崩し、横転することは何とか避けたが、地に膝をついていた。 「今のは何!?」 「――魔王が結界を壊そうとしているんだわ」 爆音は、ティスティーが張った結界の方から聞こえてきた。 ティスティーは唇を噛む。 魔力を消耗しきっている上、咄嗟に這ったその場しのぎの結界など何の役にも立たないことをティスティーは知っていた。ただの時間稼ぎにしかならない。しかも、中に居るのは、仮にも魔王と呼ばれるほどの魔物。余程の結界でなければ、簡単に破って出てくるkとが出来るだろう。先程放たれた魔力が、その事実を裏付ける。 (――私達に、勝てるの・・・?) そんな不安が、ティスティーの中に生まれる。希望は、驚くほどの早さでしぼんでいってしまった。 ルヴィウスを傷付けることなく、あの魔王の本体のみを壊し、彼を解放することなど可能なのだろうか。希望が消え去った後、そこに生まれるのは不安でしかない。どす黒い色をした不安の塊は、ティスティーの心に重くのしかかり、同時に彼女の体の自由すらも奪おうとしているのだろうか。ティスティーは、結界を茫然と見つめたまま、微動だに出来ないでいた。 「――行こう、ティスティー」 そんなティスティーに声をかけたのは、アノンだった。 「アノン・・?」 アノンは、驚くほどに明るい声をしていた。彼自身、魔王の魔力がどれほどなのかを目の当たりにした上、致命傷に近い傷を負わされたのだ。それでも、彼の瞳は強さを失っていない。 結界からティスティーの視線を自分へと奪い取ったアノンは、再度ティスティーに言った。 「行こう! ルウが待ってるよ。早く行ってルウを助けてあげないと。ね?」 言って、彼は笑った。その手には、いつの間に抜いたのか、細身の剣が握られていた。彼は、その身を戦いに投じる覚悟を決めているようだった。微笑む彼の瞳の中には、鋭い光がある。今まで彼が見せたことのなかった、戦士としての姿がそこにはある。 彼は、戦おうとしていた。大切な人を救うために。 誰もが臆し逃げ出そうと考えてしまう程の敵を前にしても強さを失わないアノンの姿は、ティスティーの中にあった不安の塊を溶かしていく。溶けきった不安は、その姿をまた希望へと変えていた。温かく体の中を流れはじめたその希望は、ティスティーに勇気を与えただけでなく、魔力を激しく消耗し、上手く動かない体にも元気を与えている。 (――大丈夫、行けるわ・・) ティスティーは徐に肩にかけた袋を開け、そこからオル・オーネに貰ったハーブを取り出すと、徐に口に含んだ。からだを駆け巡っていく希望の中に、オル・オーネの魔力がこめられる。 不安は、消え去った。 「――そうね。行きましょう!」 ティスティーのその答えに、アノンは頷く。 「うん、行こう!!」 二人は、駆け出す。大切な人を救うために――。 希望が頭をもたげる。不安が遠い所から手招きをしている。恐怖は既に希望の足下にある。 それでも、今はただ、戦いにその身を投じるしかない―― |