アノンとタタラがひとしきり再会を喜び尽くした後、 アノンとティスティーはそれぞれタタラとジェーイに抱えられ、空を飛んでいた。ずいぶん低い高さではあったが、魔物の攻撃から身を守るには十分な高さだった。 眼下に広がっていた荒野に、僅かながら緑が交じり始める。180度視線を巡らせると、遠くの方に、再び背の低い樹海が広がっているのが見て取れた。そこまでは背の低い草に覆われた大地が広がっているようだった。 ヒューディスの地は、他国との境から十数qと太陽の光を一切拒むような樹海が広がっている。そしてその樹海には、ヒューディスに棲む魔物の70%が暮らし、そのほとんどが本能のままに行動する低俗な魔物だった。 樹海を抜けると、薄茶色の大地と、そこから突き出した大岩とが顔を見せるだけの荒野が現れる。時折地面から顔を出す岩の他に、身を隠せる場所のない荒野には、樹海にいたように低俗な魔物はいない。その荒野は、そこには知能を持つ魔物の棲息地になっているのだ。縄張りにこだわるような低俗な魔物では生きていけない場所になっているのだという。そうした荒野がヒューディスのほとんどを占めている。時折、背丈はないが、草が広がり、幹の細い木が生えている場所、他にも、突然大地がせり上がり、崖を作っている場所もある。大地に、大きな穴が空いている場所も存在しているらしい。広大なヒューディスの地を把握しきることは容易ではないのだろうと、二人の有翼人は語った。 アノンとティスティーは、ジェーイとタタラからヒューディスの地について様々なことを学んでいた。二人と共にヒューディスを横断できるのならば心強いのだが、彼らは途中で別れなくてはならないと伝えられていた。その理由は、まだ知らない。 「ねえ、タタラたちはどこに住んでるの?」 ジェーイに抱えられ、空を飛んでいるアノンが、隣に並び、ティスティーを抱えているタタラに訊ねた。するとタタラは視線を自分たちの前方へと向けて答える。 「あそこです。あそこの巨大な木」 言われて、タタラが見つめている先に視線を遣ったアノンだったが、 「・・・・どこ?」 タタラの言う巨大な木が、アノンには一向に見えてこない。同様にティスティーにもその木は見えてこない。必死に目を凝らしている二人に気付き、タタラが慌てて謝った。 「あ、ごめんなさい! 二人には見えないかもしれない」 「見えないよ」 兄のジェーイが笑った。人間であるアノンたちと、姿は限りなく人間に近いが魔物と呼ばれる彼女らでは、視力に大きな差があるらしい。アノン達には全く見えないものが、彼女らには見えているのだろう。そして、タタラの言った有翼人の住処である巨木というのも、人間には見ることが出来ないほど遠い場所にあるらしい。 「木の近くに住んでるの?」 「いいえ。その木は、本当に大きいの。だから、その枝に家を造って暮らしているの」 「へ〜」 木の枝に家がいくつもあるのを想像したのだろう。アノンがキラキラと瞳を輝かせる。おそらく、赤や青、他にもパステル色の屋根をした小さな家が、緑の葉を茂らせた木の上に、まるで実のようにくっついているような、メルヘンチックな想像をしたのだろう。なんだか楽しそうだ。 そんなアノンを余所に、先程から周囲に視線を配っていたジェーイがタタラに声をかけた。 「タタラ。そろそろ家が見えてきた。おりよう」 「うん」 彼の言った家というのは、先程タタラが話してくれた巨木にある彼女らの家のことだろう。何故、家が見えてきたからおりるのかがアノン達には分からなかった。ジェーイとタタラは、おそらく先が高さはそれほどでもないが、頂に向かっているのだろう道の途中でアノン達を下ろす。あまり高い場所に行くと、空を飛ぶ魔物に見つかるおそれがあるからだろう。 そうした場所に降り立つなり、タタラは表情を曇らせて言った。 「・・ごめんなさい。私達がご一緒できるのはここまでです」 その言葉に「どうして?」と視線で問うたアノンに、ジェーイが答える。 「僕たちの仲間は、人間にあまりいい印象を持ってはいないからね」 苦笑交じりのその言葉に、アノンとティスティーは大体のことを察した。ジェーイとタタラは人間に助けられた経験を持っている。それ故にこうして自分たちを助け、運んできてくれたのだ。だが、その様子を仲間に見られては立場がないのだろう。先程知ったように、有翼人の視力は人間の比ではない。ジェーイたちに家が見えるのならば、家からアノンたちを運んでいるジェーイたちの姿も視認できるのだろう。だから、ここでお別れなのだ。 「ありがとう! ここまでで十分だよ」 申し訳なさそうにしているタタラとジェーイに、アノンは気にしないでとヒラヒラと手を振りながら言った。それに続くティスティーも、暗に彼らに気にするなと伝える。 「これは私達の旅だもの。ここからは私達の足で行かなくちゃね」 「もちろん♪」 自分たちを気遣ってくれるアノンとティスティーに、タタラは「ありがとう」と曇らせていた顔に笑みを浮かべた。 「君たち、ヒューディスを横断するんだよね?」 妹と同様に笑みを戻したジェーイが二人にそう問う。 「そうだよ」 アノンが頷いてみせると、ジェーイは「だったら」と口を開いた。 「ここからは南に向かって、海岸添いに行くといいよ。すぐに荒野を抜けてまた樹海に入る。魔物の数は多くなるけど、どれも低俗な魔物ばかりだから、君たちなら無事にヒューディスを抜けることができるだろうしね。海岸沿いなら海賊くらいしかいないし、ここを突っ切るよりも安全だよ。突っ切るより時間はかかるけど」 「真っ直ぐ行くと?」 「――やめた方がいいわ」 アノンの問いに、タタラが硬い声で答えた。その様子に驚いたアノンが首を捻る。 「・・どうして?」 その問いに答えたのはジェーイだった。 「ここを登っていくと、この先は崖になっているんだ。そして、そこから先には魔物がいない」 「いない? 何故?」 確かに荒野では魔物の数が減っていると言っていた。そのほとんどが樹海を住処としているからだというのは彼らの口から聞いた。だが、魔物が居なくなる場所があるなどということは聞いていない。訝しげに訊ねたティスティーに、タタラが答えた。 「この崖をこえるとそこは、魔王―ラーンが居た場所だからです」 ラーン。それは、ティスティーが明青海で、タタラから聞いた魔王の名前だった。魔王は体を持っておらず、他の魔物の体に憑依し生きているのだということも、あの日、船上で知らされた。そして、彼ら有翼人の若長―ラーンに憑依したのだということも。そして、その姿なき魔物が棲んでいた場所―― 「――魔王が・・」 視線を崖へと向けたアノンは、小さな声で呟いた。 数年前に討伐されたという魔王が、かつて棲んでいた場所が、今目の前にある。戦士ならば誰もが憧れる、あの年若き英雄が魔王と討ち取ったと言われる場所。アノンは胸が高鳴るのを感じていた。 「魔物たちは皆魔王を恐れ、近づこうとしないのです。魔王が動きを見せなくなった今でも」 言ってタタラは体を震わせた。そんな妹を宥めるように肩に手を回したジェーイが口を開く。 「魔王がいた場所には強力な結界が張ってあるけど、何があるか分からないからお勧めできない」 「結界――」 思わずそう呟いていたのは、アノンとティスティーだった。 結界が張ってあると、ジェーイは言った。その結界を張ったのが誰かは、容易に予想ができた。 (彼が結界を・・・!) おそらく、魔王討伐にやってきた英雄が戦いの際に、魔王が逃げないように。もしくは、もし自分が負けたときのことを考え、魔王を封じ込めるために強力な結界を張ったのだろう。 「分かったよ。ありがとう、ジェーイ!」 しばしの沈黙の後、アノンは頷いて見せた。 だが、ティスティーはというと、 「――・・」 未だ黙り込んだままった。何事かを考えているのだろう、眉間に深く皺を寄せている。 そんなティスティーを横目で見て、アノンは僅かに首を傾げる。何をそんなに考え込んでいるだろう。 けれど、ジェーイとタタラは、そんなティスティーの様子を気に止めることはなかった。 「アノン。もう行ってしまうのね」 仲間に見つかっては面倒なことになるからと、自分たちから案内役を打ち切っているわけなのだが、それでもアノンとの別れが淋しいことに変わりはない。タタラが小さな声で呟く。 だが、タタラとは対照的に、アノンは声を弾ませて言った。 「うん。行くよ! もしかしたらもうすぐ、ずっと捜してた人に会えるかもしれないんだ」 そう言って瞳を輝かせるアノンに、タタラは滲みそうになる涙を堪える。希望に満ち溢れている彼に、涙なんて見せてはいけないと思ったのだ。 「また、どこかで会いましょうね」 そう言ったタタラの顔には、笑顔があった。瞳に滲む涙は隠しきれなかったけれど、自分を笑顔で送り出そうとしてくれているタタラに、アノンは精一杯の笑みを返した。 「うん! 絶対ね!」 言って、タタラの手をきつく握った。 「さあ、行こう、タタラ」 名残惜しいのだろう。アノンの手をぎゅっと握ったままなかなか離そうとしないタタラに、ジェーイが徐に声をかけた。 「うん」 ようやくアノンの手を離したタタラは、兄に促されるままに翼を広げた。そのまま、フワリと舞い上がる。次第にその高度を上げていく二人を見上げ、アノンは大きく手を振る。 「ジェーイも、ありがとう!! またね!!」 「ああ。気を付けて!!」 「またね、アノン!」 「うん! またね―――――!!」 青空に、二人の翼が白く映える。その様を、アノンはずっと見送っていた。やがてその白が、雲の白と重なり見えなくなってしまったところで、アノンは先程から黙り込んでいるティスティーに視線を遣った。 「さて、ここからどうする? ティスティー」 と問うてみたものの、アノンには彼女が返すであろう答えが分かっていた。ジェーイはヒューディスの南へ向かえと言っていたが、おそらくティスティーは、 「決まってんでしょ。あそこに行くわよ」 言って、真っ直ぐ指差した先は、崖。決して、南ではない。 先程から何か考え込んでいるとは思っていたが、やはりこれからの進路のことを考えていたのだ。ジェーイが教えてくれた安全な道を行くか、それとも、魔王がいたその場所に行くか――。 「でも、魔王がもしかしたら生きているかもしれないよ?」 ティスティーが意見を曲げることはないだろうと思ってはいたが、一応アノンは忠告してみる。実際、アノンはティスティーの意見に反対しているわけではなかった。彼自身、魔王が棲んでいた場所には興味があった。そして、この先にはもしかしたらルウがいるかもしれなかったから。 「それでも私は行くわよ」 やはりティスティーは断固として譲らなかった。「やっぱり」と肩を竦めたアノンに、ティスティーは真剣な眼差しで言った。 「――あそこに、あの人がいるかもしれないもの・・」 そう言ってティスティーは視線を真っ直ぐ崖の上へと転じた。 「・・あの人って・・・」 ティスティーと同様に、アノンも崖へと視線を遣る。 目の前に続く道は崖を目指し、傾斜している。彼女が言うあそことは、崖の上ではないのだろう。そのもっと先。おそらく、魔王が棲んでいたその場所を指している。 「――ティスティーが捜してた人が? あそこに??」 ティスティーは北に用があるから、自分とパーティーを組んでくれた。だが、その用が何なのかは聞いたことがなかった。その目的は、北の地に人を捜すため、自分と同じ目的だったらしい。そのことを知ったアノンは驚く。と同時に、魔王が棲んでいたその場所にティスティーの尋ね人がいるかもしれないというその言葉に、アノンは更に驚く。もしかしたら、 「ティスティーが捜してる人って、もしかして――」 その言葉尻を奪ったのはティスティーだった。 「そうよ。私が捜してるのは、リダーゼ国王から魔王討伐を命じられた、戦士――」 負けじと、今度はアノンがティスティーの言葉を遮る。そう意識しているわけではなかったようだが。 「――ルヴィウス?」 「え? 知ってるの?」 視線をアノンへと戻したティスティーは、意外そうに目を瞠る。だが、すぐに彼も戦士だと言うことを思い出して言った。 「そっか。アンタもリダーゼの戦士だものね」 魔王討伐にやって来た戦士はリダーゼ出身の青年だった。彼の名は世界中に知れ渡っており、毎年彼を讃えリダーゼで英雄祭も開かれている。リダーゼに住む者ならば年に一度は耳にするものだ。アノンが知っていても何ら不思議はない。 勝手にティスティーが納得している間、アノンはというと、 「あれ? あれ??」 と、しきりに首を捻っている。よほど頭の中が混乱しているのだろう。終いには頭を抱え込んでしまった。そして、しばしの後、アノンは一つの結論を出した。 「―――・・じゃあ、ティスティーが捜してたのって、ルウ?」 「はァ??」 そう言ったアノンに、ティスティーは眉を寄せる。いつになくアノンが真剣に悩んでいるので、答えが出るまで待ってやろうと思っていたティスティーだったが、結局アノンが出した答えは、ティスティーとアノンが同じ人を捜していたのでは? というものだった。一体何を言っているんだとティスティーが大仰に溜息をつく。 「アノン。私が捜してたのはルヴィー。ルヴィウスよ。アンタの捜してるルウとは違う人でしょ?」 「え? だから、ルヴィウスでしょ?」 だが、アノンは譲らなかった。逆に、きょとんと訊ね返してきた。彼の方がティスティーに対し、「何を言ってるの?」と言いたそうだ。そこまで来てようやくティスティーは気付いた。いや、ある可能性に辿り着いた。 「・・・は? え。え!? もしかして、ルウって――・・?」 「ルヴィウス」 「――――・・」 ティスティーが思い出したのは、アノンが語った幼い頃の話。 母親を捜して森の中をさまよい歩いていたアノンに手を差し伸べてくれた人。その人に名前を聞いたアノンが、確か・・・ 『ル・・、ルー・・・?』 『ルウでいいよ』 『るう?』 『そ』 「―――・・普通ルヴィーでしょ!?」 「だって、ルウがそう言ったんだもん!」 「――あっそう・・」 確かにルヴィウス本人がそう呼べと言ったのならば、アノンがルウと呼ぶのも仕方ないだろう。だが、 (普通、ルヴィウスならルヴィーって略すでしょーが! 何で自分自身でややこしい略し方するのよ、アイツは) 思わず愚痴らずにはいられない。しばらくぶつぶつと、何やら文句らしきものを口から垂れ流していたティスティーだったが、再度溜息を洩らし、それを終わらせるとアノンに向かって言った。 「何よ、結局同じ人を捜してたんじゃない」 その顔に浮かぶのは、苦笑だった。 それを見て、アノンも笑い返す。だがその笑みは苦笑ではなかった。 「だね――。きっと神様がオレたちを巡り合わせてくれたんだね♪」 アノンの呑気な言葉に、ティスティーももう文句を言う気は消えたらしい。 「かもね」 言って、小さく笑った。だが、すぐに顔をしかめ面に変える。 「ま〜ったく、アイツは私だけじゃなく、アノンも待たせてたのね。これは絶対に見つけ出して叱ってやらないと!」 言って腕まくりをするティスティーに、アノンは笑う。 そんなアノンを見つめて、ティスティーは彼には気付かれないよう、安堵の溜息をついていた。 アノンと自分が捜している人が同じなのだという事実を知った今この瞬間に、ここ数日の間、自分の中にあった焦りが薄れていくのを感じる。ずっと、ティスティーを執拗に捕らえて放さなかった不安が、霧のように晴れていく。 最初は、戦力が欲しいがために、アノンと共に旅をしてきた。だが、アノンは戦力というだけでなく、いつのまにか自分の側になくてはならない存在へと変わっていったのだ。互いが目的を遂げ離ればなれになるくらいなら、目的などどうでもいい。ずっと二人で旅を続けていたいとそう望むまでに、アノンは大きな存在へと変わっていた。北の地を目前にして、もうすぐ終わりかもしれない二人の旅、もうすぐ近づいてくる二人の別れを思い 絶望しそうになっていたあの日。たった数日前の出来事なのに、随分遠いのことに感じるのは、あの不安が遠くに行ってしまったからだろう。その代わりにやって来るのは希望。もしかしたら、この旅が終わっても、アノンと一緒に居られるかもしれない。互いが望む人と共に、幸せに暮らすことができるかもしれない。 自然と、ティスティーは笑みを零す。そんなティスティーに、アノンも笑みを向ける。ティスティーが笑ったその理由は分からないけれど、彼女が笑っているというその事実だけが、アノンには嬉しい。 ティスティーの手を取ったアノンは、崖の向こうを指差すと言った。 「行こう ティスティー! ルウに会いに!!」 「ええ」 元気よく斜面を登っていくアノンの後についてティスティーも歩き始める。そして、気付かれないよう、袋の中からオル・オーネの持たせてくれたハーブを一つ取りだし、口に含む。その途端、体中に染み渡る温かさ。それは、オル・オーネがハーブに込めた魔力。魔力を消耗しすぎたティスティーには、何よりものプレゼントだった。 体中に染み渡る温もりに、ますます遠ざかる不安。ますます膨らむ希望。これからも愛する者たちと共にいられるかもしれない。 再び、ティスティーの口許に笑みが浮かんだ。 |