KINGDOM →→ ヒューディス

 PLACE →→ ―――


 昼過ぎにオル・オーネの住む建物を出発し、どれほどの時間が経ったのだろうか。
 アノンとティスティーは、延々と森の中を歩き続けていた。次第に森は深くなり、やがて樹海へと変わっていった。真っ直ぐ空を目指す針葉樹達は消えた。変わりにその数を増やしていったのは、奇妙な木々。ぐねぐねと奇妙に曲がった幹が、空を目指すわけでもなく、まるで地面へと光を届けなくしようとでもいうのだろうか。数メートル空に伸びたところで、そこからは横へと幹を伸ばしている。そこは太陽の光さえ届かない場所。
 夜が訪れた頃には、完全に二人は闇に包まれていた。数メートル先さえも見ることが出来ない闇に阻まれ、二人は歩みを止めざるを得なかった。魔物に襲われないよう、木に登り、二人は休養を取る。
 遠くの方から、獣の・・・否、魔物の咆哮が聞こえてくる。
 それを聞きながら、ティスティーが魔法で炎を灯し、地図に目を這わせている。それはとても古い地図で、今は魔物と、僅かに海賊が住んでいるだけのヒューディスの地に、まだヒューディス王国が存在していた頃の地図だった。その地図には村や都市の場所が記されているが、おそらくそれは樹海に呑まれているか瓦礫の山と化していることだろう。だが、それでもヒューディスの大体の地形を知ることが出来る。
「もう、ヒューディスに入ったの?」
 太い幹が空と平行に這っているおかげで、樹海の上は木の床が出来ているようになっている。そこに身を横たえ、眠ってしまっているのかと思っていたアノンが、不意に体を起こし、ティスティーが持っている地図を覗き込む。
「今、オレらどこら辺?」
 その問いに、ティスティーは地図を指差し答える。
「ここ。ようやくヒューディスに入った所ね」
 ずいぶん歩いたように思っていたが、まだヒューディスに入ったばかりだと知ったアノンは「えー」と不満の声を上げたあと、
「ねえ、ティスティー。ティスティーはヒューディスの何処に行きたいの?」
 と問うた。
 そう。ティスティーはヒューディスに行かなくてはならない用があった。だから、ヒューディスに行きたいと言っていたアノンとパーティーを組んで旅をしてきたのだ。
 訊ねたアノンに、ティスティーは僅かの沈黙の後、答えた。
「分からないわ」
「はいぃ〜?」
 思わず声をひっくり返したアノンに、ティスティーは「仕方ないでしょ!」と口を尖らせながら言った。
「本当に分からないのよ。ヒューディスに来たかっただけ! まあ、しいて言うなら、横断したいの」
「・・・は、はぁ」
 納得がいかないというように首を捻っているアノンに、今度はティスティーが問う。
「じゃあ、アンタはここから何処に行きたいの?」
「うーん。オレは・・・」
 やはりアノンもしばしの沈黙する。どうやら彼も、明確に「ここ!」と言える目的地を持ってはいないようだった。アノンの最終目標は、彼を育ててくれたルウという青年を捜すことだった。彼が今どこにいるのかは、分からない。ヒューディスの地に向かい、そして帰ってこなかったことしか分からないのだ。
「・・オレも、横断?」
 結局、ティスティーと同じ答えしか返せなかった。更には、疑問符も付いている。
 そんなアノンに、ティスティーは「やっぱりアンタもそうなんじゃない」と肩を竦めたあと、ごろんと木の上に寝転がった。
「もう寝ましょ。まだここはヒューディスに入ったばかりの所だし、そんなに魔物もいないでしょ」
 彼女の言う通り、魔物の咆哮はずいぶん遠くから聞こえてくる。
「明日からはもっと奥に行くから、おちおち寝てられないかもしれないわよ」
「うん。分かった」
 アノンが自分と同じように体を横たえたのを確認してから、ティスティーは空中にふわりと浮かべていた炎を、パチンと指を鳴らすことで消した。その瞬間に、辺りは闇に包まれる。しかし、木の上に登っているおかげで、月明かりが降り注いでいる。二人が完全に闇に呑まれることはなかった。これならば、魔物が襲ってきても、対応できるだろう。
 そんな安心感からか、アノンはすぐさま眠りに落ちていった。呑気なことに、ごつごつとしているものの、何処までも続いている木のベッドの上をごろごろごろごろ転がりながら眠っている。
 そんなアノンの様子に、ティスティーは大袈裟に溜息をつく。
「あの子には緊張感ってモノがないのかしら」
 だが、そんなティスティーもぐーすか眠りこんでいるアノンにつられたのだろうか。それからすぐ、眠りへと落ちていったのだった。



 翌朝、太陽が昇ってすぐに二人は目を覚ました。だが、すぐに歩き出すことはせず、木の上で朝食を取り、完全に太陽が昇ってから二人は樹海を歩き始めた。真上から、絡み合った木の枝の隙間を縫うようにして太陽の光が僅かながら差し込んでいる。それでも薄暗くはあるが、襲いかかってくる魔物を蹴散らすには十分な明かりだった。
 出発してから数時間経った今、二人は数分毎に現れる獣型の魔物を追い払うことに躍起になっていた。
「もう、数ばっかりね」
 犬を少し大きくしたような魔物で、それほど戦闘能力は高くない。動きは速いものの、戦い慣れしたティスティーならその動きをしっかりと目で追うことが出来たし、天性の才能か、アノンも難なく魔物を撃退していく。それでも、性懲りもなくまた現れるのだ。
 どうやら、この獣型の魔物の縄張りに入っているらしい。
「縄張りを抜けるまでの辛抱だよ」
 うんざりしているティスティーをそう励まし、アノンは魔物たちを追い払っていく。いつもはピアスに変わっている細身の剣を今は手に持っている。魔物の友達をいくつも持っており、その仲間を傷付けることには抵抗が伴うが、それでもこの地の魔物は生きるために自分たちを襲いかかってくるのだ。ならば、自分たちも生きるために応戦せねばならない。今自分たちは、弱肉強食の世界にいるのだ。その中にあっては、アノンも甘いことを言ってはいられないらしい。それは、アノンが捜す人、ルウがアノンに教えたことでもあった。その信念の元、時には魔物を切り、アノンは先へ先へと進んでいた。
 そうしてまた数時間後、先程自分が言ったティスティーへの慰めは、無駄なものになってしまったことをアノンは知ったところだった。
「・・・・ごめん、ティスティー」
 謝りつつ、アノンはまた剣を振るっていた。今相手にしているのは、自分たちの身の丈の2倍はあるだろうか。2本足で地面を踏みしめ、緩慢な動きではあるが、剛毛に覆われた硬い皮膚と、長く鋭い爪を持った、クマを更に巨大化させ凶暴化させたような魔物だった。この種類の魔物を相手にするのは既に3体目。
 獣型の魔物の縄張りを抜けたのだが、すぐにまたこの魔物の縄張りに入ってしまったらしい。
「いいわよ。別に」
 魔物が棲むヒューディスに入ったのだ。アノンの励ましの言葉を本気で信じていたわけでもない。だが、それでもうんざり気分は更に増す。
 不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら、ティスティーも魔物を追い払っていく。だが、その攻撃は小さなものばかりだった。
 魔力を温存しているのだろうか。ティスティーが先程からずっと、小さな炎の玉や、つむじ風で砂を巻き上げ相手の目を潰すような、地味な魔法しか使っていないのを横目で見遣り、アノンは首を傾げた。
 アノンはまだ、気づいていなかった。
 ようやく、縄張りを抜ける。すると二人の前に突如、光が降り注ぐ。そのことに気づいたアノンが頭上を仰ぐと、先程まで空を覆っていた木の幹が消えていた。いつの間にか、普通の木が空に向かって伸びている。しかも、高さもない。そのおかげで、太陽の光が燦々と降り注いできたのだ。
 久々に空を見る余裕が出来た。しかも、その見上げた先には、視界を遮る木の幹もない。安堵感が生まれたアノンは、剣を手から放す。するとすぐさま剣の姿は煙のように消え、代わりにアノンの耳朶にラピス・ラズリのピアスが現れた。ティスティーの魔法の効果だった。
「・・開けた?」
 背丈の低い木々の下を、数十分歩いた所で、ティスティーが驚きの交じった声で、そう告げる。
 彼女の視線の先には、更に陽の光を受けた、薄茶色の大地が広がっている様が現れていた。突如として木がなくなり、そこは、乾いた色の大地が広がっていた。地面が固すぎる所為で、樹海の木と言えど、根を張ることが出来なかったのだろう。
「木がないと開放感があるね♪」
 そう言って「うーん」とのびをして言ったアノンに、ティスティーは溜息をつく。
「やっぱアンタって呑気ね」
 ティスティーとしては木が姿を消した今、自分たちの姿を隠してくれるものがなくなったのだ。逆に落ち着かない。るんるんと鼻歌まで歌い出したアノンの代わりに、ティスティーは前方・後方・はたまた上空まで、警戒を強めていた。
 そうしてどれくらい歩いただろう。突然、アノンの鼻歌が消え、ティスティーがロッドを手に握った。
 突如、悲鳴が響き渡ったのだ。それが女のものだということに気づいたアノンは、すぐさま悲鳴が聞こえた方へと駆けだしていた。
「誰か居る!」
「待ちなさい、アノン!!」
 駆けだしたアノンを、慌ててティスティーが止める。だが、アノンは止まらなかった。見る間に遠ざかっていくアノンの後を、ティスティーが追う。しかし、
「アノン!?」
 ティスティーの足が止まる。突然、足を止めたティスティーは、ぐるりと周囲を見回した。その瞳が、忙しなく瞬かれる。
 荒涼としたこの大地に、視界を遮るものなど何もないというのに、
「―――ウソでしょ・・」
 ティスティーの黒い瞳は、先程まではっきりと見えていたアノンの背中を見つけられなかった。
 そう。
 忽然と、アノンが姿を消したのだった―――。





* * * 一言コメント * * *

いよいよヒューディスに入りました!!
いきなりアノンが迷子です! コラ!!
困った子です。ホントに。

そして、次回、懐かしいあの子の登場でvv