雑踏を背に感じながら、オル・オーネとクートは店からアノンが出てくるのを待つ。 やがて、たかたかと軽やかな足音が近づいてきたかと思うと、元気の良いアノンの声が二人に向けられた。 「お待たせっ!」 そんな彼の手には、可愛くラッピングされた袋がある。オーリデルの実の耳飾り。ティスティーへのお土産だ。それを大切そうに両手で抱えている姿に、クートは僅かに笑みを零す。目を離すと迷子になるわ、お土産と大切に抱えているわ、本当に小さな子供のような少年だ。 「ちゃんと買えたか?」 問うと、返ってきたのはやはり子供のように元気の良い声。 「勿論だよ♪」 ティスティーに早くお土産を渡したいのだろう。さっさとアノンはオル・オーネの家へと足を向けて歩き出す。 それについて歩くオル・オーネとクートも、彼の気持ちが分かっているのだろう。見合わせた顔に笑みを零し、アノンの後について歩いていった。 夕刻前。 日が沈む前に、アノンとオル・オーネ、そしてクートは樹海にほど近い森の中に到着していた。 深い緑の中、目が覚めるような白い壁が三人を出迎える。そして、 「ただいま―――――!」 アノンの元気な声と、 「ただいま帰りました」 家の主を出迎えたのは、ジストルだった。臭いや物音で、主の帰宅を感じていたのだろう。ジストルは玄関先で尻尾を振りながら座っていた。 続いて三人を出迎えたのはティスティーだった。 「お帰り・・・・って、誰?」 すぐさまティスティーは顔をしかめた。その質問は、クートに向けられている。 不躾な質問に、クートは驚いたようだった。だが、ティスティーのそんな態度には慣れっこのアノンがすぐさまクートの手を引き、ティスティーの前に連れて行ったかと思うと、紹介を始めた。 「この人はクートさん。オル・オーネさんの知り合いだってさ」 「で?」 かなり省略された問いだったが、アノンは「その知り合いが何故ここに来たの?」という言葉が後に続くことが分かっていたらしい。「何?」と問い返すことなく答えた。 「ほら、パーティーは大勢の方が楽しいでしょ♪」 言って無邪気に笑ったアノンに、ティスティーは、このクートという人を、アノンが誘ったのだと言うことを悟っていた。 「そうねー」 ティスティーの適当な返事にアノンが頬を膨らませる前に、オル・オーネが口を開く。 「さあ、料理を作りましょうか」 「僕も手伝います!」 その言葉に食いついたのは、クートだった。 「オレも手伝うよ」 その後にアノンが続く。すぐさまオル・オーネとクートの後を追ってキッチンへ消えていくかと思われていたアノンが、唐突にティスティーを振り返る。 「どうかしたの?」とティスティーが目で問うと、アノンは満面の笑みを浮かべて言った。 「約束のお土産」 すると、目の前に綺麗にラッピングが施された小包が差し出された。 確かに置き手紙に、お土産を買って帰ると書いてはあったが、まさかここまで律儀にラッピングまでした土産物を貰えるとは思っていなかったティスティーは驚く。そして、アノンからの初めてのプレゼントを手に取った。 「・・・・」 「・・・・え?」 受け取ったというのに、アノンはその場を去ろうとしない。 どうやら開けて欲しいらしい。そのことを悟ったティスティーは、彼の望み通り袋を破らぬよう、丁寧に開ける。その途端、フワリと甘い香りが辺りに広がった。バラの、むせ返るような甘い匂いとは違う。薄く香る甘さ。 ティスティーが驚いていると、アノンが得意げに言った。 「オーリデルの実の耳飾りだよ。いい匂いがするでしょ?」 「・・・ホントね」 アノンが言ったとおり、とてもいい香りだった。穏やかな気持ちになる。 その匂いを胸一杯に吸い込んだ後、ティスティーは袋の中から耳飾りを取りだした。匂いが、より一層ティスティーを包む。 「これ・・・私に?」 問うとアノンは、 「うん!」 ニコニコと満面の笑みで頷いた。首がもげてしまうのではないかと心配になるほど、勢いよく首を縦に振りながら。 「そう・・・。あ、ありがとう」 礼を言うティスティーの頬が僅かに赤い。嬉しいのだが、礼を素直に言うのが恥ずかしかったらしい。 その様子に、アノンは小さく笑い、今度こそキッチンへと向かっていった。 アノンを見送った後、ティスティーは掌に乗っている耳飾りに視線を落とした。 小さな耳飾りだった。けれど、精巧に作られている。銀色の細い細い糸に巻かれた、作りかけの繭のような形をしている。その銀糸の隙間から除く、赤く澄んだ石。そこからこの甘い香りは漂ってくる。手に持って揺らすたびに、甘い香りが辺りに漂う。 ティスティーはしばしその耳飾りを見つめた後、徐に自らの耳朶に、その耳飾りをつけた。 甘い香りが近づく。首を振るたびに、銀糸の繭の中で、リンリン・・と、鈴のように赤い石が転がった。決して耳障りではない棲んだ音。甘い香り。生まれるのは、くすぐったい気持ち。誰かからこんな風に物を贈られるのは本当に久しぶりだった。自然と、笑みが零れていった。 だが、その笑みもすぐに消えることになる。 「気に入られましたか?」 唐突に声がかかる。ティスティーは、自分が密かに喜んでいる様を見られてしまっていたのかと慌てたが、その声の主はオル・オーネだった。彼女は目が見えない。思わずホッとしていた。 だが、そんな様子はおくびにも見せず、ティスティーは彼女の問いに答えた。 「・・あの子にしては上出来ね」 嘘。本当は嬉しくて仕方がないのに、素直にそれを言葉にできない。 そのことを、オル・オーネは知っていた。彼女に気付かれないように小さく笑った後、今度は別の問いをティスティーに向ける。 「お体の具合はいかがですか?」 唐突な質問だったが、ティスティーはすぐにそれに答える。 「ええ、いいわ。貴方の処方してくれた薬草のおかげよ」 ティスティーには珍しく、素直に謝意を示す。それは、心を落ち着けてくれるオーリデルの香りのおかげだったのかもしれない。 今朝、オル・オーネが作ってくれていた朝食に入れてくれた薬草。それが自分をここまで癒してくれた。一時は、ちょっとした魔法を使うだけで眩暈が襲ってきていたこの体も、おかげさまでいつも通りと言っても差し支えがないまでになった。体にまとわりついていた疲れも消えた。 これでアノンに心配をかけることもないだろう。 それが、ティスティーに素直に礼を言わせた最たる要因だったかもしれない。 「いいえ」 彼女の言葉通り、昨日までのように、彼女から弱々しさは感じない。彼女が強がっているわけではなく、本当に回復していることを確認したあと、オル・オーネはどういたしましてと微笑む。 そんな彼女に、ティスティーは問う。 「あの薬草、なに?」 自分を元気にしてくれたあの薬草を持っていれば、これから行く魔物の地、ヒューディスの地でも今まで通り アノンと共に旅を続けることができるかもしれない。 期待を込めて訊ねたティスティーに返ってきたのは、思いがけない答えだった。 「あれは、ただのハーブです」 そんなはずはない。すぐさまティスティーはオル・オーネに言った。 「嘘よ。なんなの?」 あの薬草は、一瞬にしてティスティーの力を回復させた。何か、特別な薬草に違いない。 けれど、オル・オーネは繰り返した。そして、彼女の疑問を晴らすべく、付け加えた。 「本当です。本当にハーブなんです。・・・私の、魔力を込めた」 「・・・」 付け加えられたその言葉で、ティスティーは全てを悟った。 そして、黙る。 オル・オーネは、知っている。自分の体調がおかしい理由、それが疲れから来ることではないということを、彼女は知っていたのだ。 「ティスティーさんは、精霊を使役せず、ご自身の法力を使われる魔導師とお見受けします。具合が悪かったのは、魔力を消耗しすぎていた所為ではありませんか?」 一瞬、「違う」と答えようかと、ティスティーは思った。けれど、彼女はもう全てを知っている。どんなに違うと言っても、オル・オーネはもう信じないだろう。 「――・・へぇ、よく分かったわね」 ティスティーは頷いて見せた。 ティスティーの体には、もう力が残っていなかったのだ。 今はもう、ティスティーしかその血を継ぐ者はいないが、カナンテスタ一族は、精霊の力を借りず、自らの魔力で魔法を使う魔導師一族。 普通の魔法使いは、精霊の力を助けに魔法を使うものなのだ。そうしなければ、魔法を使う代償として、生命力を容赦なく削られ、すぐに死んでしまう。 しかし、カナンテスタ一族は神から、普通の人間よりもはるかに長い命を授かり、自らの命を削り魔法を使うことができるようになった。 ティスティーが魔法を使うたび、彼女の命は確実に削られていっていたのだ。 そして、今、限界を迎えていた。 「・・・ティスティーさん。余計なお世話かもしれませんが、精霊を使役することをお勧めします。精霊を喚び使役するための魔力はほんの僅かなものです。けれど、魔力を直接使うのは・・・体に大きな負担がかかります」 その言葉に、ティスティーは即答した。 「イヤよ」 強い拒絶。 「私は、私の力で戦うわ」 「でも――」 「これは私のプライドなの」 ティスティーははっきりと言った。 神から授かったと言われる長い長い寿命。そして、その命を削ることで魔法を使ってきたカナンテスタ一族。カナンテスタ一族は、神から授かった命を誇りに、魔力として大切に使い、何千年とその血を繋いできた。その血に受け継がれる命で魔法を使ってきた。守り続けてきたことだった。 最後の一人になってしまったが、それでも・・・否、だからこそ、カナンテスタの誇りだけはなくさぬよう、生きていこうと、そして死んでいこうと彼女は決めていた。 ティスティーの瞳には、何者にも屈しない強い意志があった。 「そうですか・・・」 オル・オーネは、ティスティーを改めさせることは無理だと悟った。けれど、せめて付け加える。 「くれぐれも無理はなさらないでください」 「分かってるわ」 「アノンくんのためにも」 「―――・・ええ」 最初はおざなりだった返事が、付け加えられた一言によって、重みを生む。 それは、ティスティーの誇りを唯一揺らがせるものだった。 ―――死にたくない。 アノンに会うまでは、死ぬことなど怖くはなかった。むしろ、早く長すぎる自らの命が燃え尽きてはくれないかとさえ思っていた。だから、躊躇いはなかった。どんな魔法も、使った。どんなに命を多く削られる魔法でさえ、躊躇わなかった。 それが、今は悔やまれて仕方がない。 今は、死にたくないから。 ―――離れたくないから・・・! 「わっ」 唐突にティスティーの思考を遮ったのは、キッチンの方から響いたクートの声。 どうしたと問う間もなく、続いて聞こえてきたのは、 ガッシャ――――ン!! 派手に皿が割れる音。 「あらあら」 オル・オーネが頬に手を当てて困ったように小首を傾げた。けれど、そのおっとりとした仕種から、彼女が大して困っているわけではないことをティスティーは知った。やがて徐にキッチンの方に足を向けたオル・オーネに、ティスティーは彼女の肩を叩いてその歩みを止めさせた。 「危ないわ。私が言ってくるわよ」 「ありがとうございます」 硝子が飛び散っているかもしれない。目が見えない彼女には危ない。 ティスティーの気遣いに、オル・オーネは素直に礼を言い、彼女に道を開けた。 「まぁったく、何やってんのよ!」 キッチンに入るなり、ティスティーは床に落ちている皿の欠片を拾っていたアノンを怒鳴りつけた。だが、それをクートが慌てて止めた。 「アノンじゃないんです! 僕が落としてしまって・・・。あっ、オル・オーネさん、すいません、お皿割っちゃって! あ、でも一枚だけです」 ティスティーの後ろにオル・オーネがいることに気付いたクートが慌てて謝る。 「いいですよ」 気にすることはないですよと、やはり穏やかにオル・オーネはクートに手を振ってみせる。そして、片づけを手伝おうと思ったのか、キッチンに入ろうとすると、 「あっ、こっち来ちゃ駄目ですよ!」 クートに即座に止められ、歩みを止める。 「分かりました。お怪我されないように気を付けて下さい」 一人で家にいるときには見られない、気遣い。ジストルも主思いで、よく自分を気遣ってくれるが、こんな風に色々な人に家の中で気を遣われるのは久しぶりだ。特にクートの気の使いようは、彼を思い出させる。自分の目を治すため、旅に出て行った恋人、リーファの姿を。 彼も、何かと目の見えない自分を気遣っていた。過保護だったと言っても過言ではない。 懐かしい思い出。 いつもは思い出すたびに、胸に冷たいものが走るのに、今は、それが訪れる気配は一向にない。それは、 「ちょっとアノン! 気を付けて拾いなさいよ!?」 「はーい♪ あ、ジストル、こっち来ちゃダメだよー」 「アノン、スープ! 落とすなよ!?」 「え?」 「立ち上がるな!!」 「鍋に引っかかるのよ!!」 「はーい」 賑やかなこの雰囲気が、オル・オーネに淋しさを運ばせないでいるのだろうか。 「今年は、とてもパーティーになりそうですね」 てんやわんやになっているキッチンの中では、誰一人彼女の呟きを聞いている者はいない。そのことに、彼女は小さく笑う。 そして、 「もしかしたら・・・」 今年こそは彼が返ってきてくれるかもしれない。そう思えるのはやはり一人じゃないから≠セったのかもしれない。 やがて騒ぎを終えたキッチンからは、スープのいい香りが漂い始めたのだった。 |