その後、 「何、オル・オーネさんを泣かせてるんだ!」 「え? あ、どうしたの!? オレ、何か悪いこと言った!?」 「この野郎、オル・オーネさんに謝れ!」 「えっ、あの・・・ごめんなさーいッ」 それぞれコップを片手に、じつに賑やかな休憩となった。 ・・・ギャーギャー騒いでいたクートとアノンにとっては、休憩とはほど遠いものになってしまったのだろうが。 二人のコップが空になったことに気付き、自分のを捨てるついでだと、二人のコップもゴミ箱に捨ててきてくれたク ートを待って、三人は帰途につくことにし、ベンチから腰を上げた。 「お花屋さんに寄って帰りましょう」 というオル・オーネの言葉に従って、クートは彼女の手を引いて、花屋に向かっていた。オル・オーネの足元、前方を気にしつつ・・・そして後ろにアノンの姿があることを確認しつつ、だ。疲れることこの上ない。 「あっ」 「どうかしましたかッ?」 突然、小さく声を上げたオル・オーネに、後ろを振り返っていたクートは彼女が何かにつまずき でもしたのだろうかと慌ててオル・オーネを振り返る。だが、彼女はつまずいたわけではないらしい。ただ、何かを探しているらしく、ゆっくりを首を巡らせている。 「オーリデルの実が、何処かにありませんか?」 オーリデルの実。先程アノンが、「何かね赤いヤツ。まん丸でちっちゃいの」と形容した、 小さな果物のことだ。勿論、ケーキに添えられたり、干して食べたりもするのだが、他の用途としてこの実は、香りを添える為にも使われる。その小さな実からほのかに香る、甘い匂い。それは香り玉としてもよく使われる。 「え? オーリデルの実、ですか? えっと・・・・」 きょろきょろと辺りを見渡したクートは、装飾品を売っている店の棚に目を止めた。木箱で作られた台の上に、オーリデルの香り玉をあしらった耳飾りがあった。これのことだろうか? 「香り玉の耳飾りならありますよ? あ、こっちです」 香ってくるオーリデルの匂いを頼りに歩き始めたオル・オーネの手を取って、クートが装飾品店に連れて行く。 「オーリデルって何?」と言いたげに、アノンも不思議そうに二人の後を着いていく。アノンがオーリデルに興味を持って良かった。でなければ、オル・オーネのことで精一杯だったクートは、またもアノンを探し回らなくてはならなかっただろうから・・・。 クートに連れられてやってきた台の上からは、確かにオーリデルの甘い香りがした。 「アノンくん」 突然オル・オーネに名前を呼ばれたアノンは、二人の後ろから、慌てて彼女の隣に移る。 「これ、先程貴方が不思議がっていた赤い果物、オーリデルの実で作られた香り玉ですよ」 クートに手伝われてその耳飾りを手に取ったオル・オーネはそれをアノンの方に向けて差し出す。 彼女の手からそれを受け取ったアノンの鼻孔に、何とも言えない甘い香りが迷い込んできた。銀色の細い細い糸に巻かれた、作りかけの繭のような耳飾り。銀の隙間から除くのは、赤く澄んだ石だった。銀に見え隠れする赤が、微かに燃える炎のようだ。この赤い石にオーリデルの香りがしみこませてあるのだろう。手に持って揺らすたびに、甘い香りが辺りに漂う。 「いい匂い」 むせかえるようなバラの匂いとは違う、優しい香り。心が安らぐような香り。 「オーリデルの香りには、気持ちをリラックスさせる効果があるんですよ。疲れている体にもいいと聞きます」 そんなオル・オーネの言葉に、アノンは少し考え込んでから、ポツリと呟く。 「・・・ティスティーのお土産にしようかなァ?」 その呟きを耳にしたオル・オーネは優しく笑って言った。 「ええ。きっと喜ばれますよ」 そう。だからアノンにこのオーリデルのことを教えたのだ。それにこれは耳飾り。女性であるティスティーならば喜ぶかもしれない。それに、アノンからのお土産なら、彼女は何だって喜ぶだろう。けれどきっと、本当に嬉しそうには振る舞わないのだ、恥ずかしがり屋な彼女は。 「お土産?」 不思議そうに繰り返すクートに、アノンはそうだよ、と頷いてみせる。 「ティスティーって人を待たせてるんだ」 「待たせてる?」 またも不思議そうに繰り返すクートに、今度はオル・オーネが口を開いた。 「もう一人、家にお泊めしているんです」 「何だ、そうだったんですか」 オル・オーネの言葉に、クートはホッとする。何にホッとしたのかと言えば、オル・オーネの家に、アノン一人が泊まっているわけではなかったのだということに、だ。男二人を泊めるいるのであれば、いくらオル・オーネが大丈夫だと言っても、自分は彼らを追い出しただろう。だが、その心配は不要なようだ。耳飾りを土産にするくらいだ。待たせているティスティーという人は女性だろうし、今目の前にいる少年は・・・・大丈夫だ。 と、一人で思考を巡らせていたクートに、アノンの元気の良い声が届く。 「じゃあ、オレ買ってくる」 「はい。行ってらっしゃい」 穏やかに見送るオル・オーネの声。 クートはと言うと、彼女のように笑顔でアノンを見送ることは出来なかった。 「一人で大丈夫か!?」 少し店の奥にはいるだけだ。そこに一体どんな危険があるというのだろうか。自分だって子供じゃないし、一人で物を買うことくらい出来る。必要以上に子供扱いされているような気分に苦笑したけれど、そんな気持ちもすぐ、『過保護なパパ』なクートに、くすぐったいような照れくさいような気持ちに変わっていった。こうして世話を焼かれるのも嫌いじゃない。そんな甘えた自分が居ることを知る。そしてアノンは、笑いながら「大丈夫だよ」と答え、店の奥の方に消えていった。 まさかこの小さな店の中でアノンが迷子になるとも思えなかったが、彼の姿が見えなくなったとたんに店の奥から、ガッシャーン! なんていう音が聞こえてきはしないかと、落ち着かない気持ちでアノンを待つ。そんなクートの唇から一つ溜息が零れた。 「退屈しない子ですね」 オル・オーネの耳に届いたのは、溜息とは違い、楽しそうな響きをたたえた言葉だった。 「そうでしょう? 昨日からとても楽しくて仕方がないんです。出来ることなら、ずっと居てほしいくらいに」 そんなこと無理ですよね。そう言って、笑ったオル・オーネの横顔を、クートは切ない瞳で見つめる。そして、少し迷った後に訊ねた。 「・・・リーファさんが、戻ってくるまで、ですか?」 「・・・・」 クートの言葉に、オル・オーネはすぐには答えなかった。どう答えていいのか、分からなかった。あの人が帰ってきたら、もうアノンは必要ない? ・・・。 すぐに、答えは返ってこなかった。 「アノンくんに言われました」 クートの問いに答えぬまま、オル・オーネは静かに言った。 「一人で待つのは、とても辛いことだ、と・・・」 だから誰かに側にいて欲しい、と。アノンに側にいて欲しいと、そう思ったのだろうか? でもきっと誰でもいいわけではないのだ。一人ではないことがどんなに自分に勇気を与えてくれるか。そのことを教えてくれたアノンだから、叶うことならば自分を支えて欲しいと、そう思ったのだろう。 「・・・・・」 俺が居ますよ! 思わず、そう言ってしまいそうになって、すぐに口を閉ざす。その言葉を、彼女が喜んでくれるだろうか? 彼女が側にいて欲しいと望んだのは、自分ではなくアノンで・・、そして誰よりも側にいて欲しいと望んでいるのはリーファで・・・。決して自分ではないのだ。これからも、きっと。 「でも・・・」 クートの中に渦巻く切ない思いに、彼女は気付いているのか、それともいないのか・・。クートの大好きな優しい笑みで彼を見つめて言った。 「私には街のみんながいます。そして、ジストルも・・・、貴方も」 「・・・」 「一人ではないのだと、教えられました」 オル・オーネの言葉の中に自分の名が出て来たことに、彼は思わず彼女を凝視する。そしてすぐに頷く。 「そうですよ! 一人じゃないです!」 何度も頷いている様子のクートに、オル・オーネは嬉しそうに笑い、ありがとうございます、と礼を言い、そして静かに、けれど強く囁いた。 「・・・これで、いつまででも待っていられます」 「――――そう、ですか・・」 ただ、クートはそう相槌を打っただけだった。 みんな貴女の側にいます。だから、いない人のことなんて、忘れてしまえばいいじゃないですか! 自分の口をついて出そうになる、そんな言葉を飲み込みながら。 |