オル・オーネの住むセリルという街は、イレース国王のいる街―コーネスから北へと行った所にあった。大きさも華やかさもコーネスまでとはいかないけれど、最もヒューディスに近い街であることを感じさせないほど活気に満ち溢れている。人々の表情も明るい。それは、北から来た魔物たちを、リダーゼ国王が派遣してくれる戦士たちが悉く追い払ってくれているからということも手伝っているのだろう。 店が立ち並ぶ大きな通りをオル・オーネの手を引いたアノンが歩いていた。 今日はオル・オーネの恋人の誕生日。帰ってくるかは分からないけれど、毎年のように彼の大好きな料理を、ケーキを作る為、そして彼へのプレゼントを買う為に、オル・オーネとアノンは買い物に来ていた。 ジストルの代わりにオル・オーネの目になっているアノンだったが、実際の所、あまり役に立っていない。初めての街だから仕方がないのだが、肉屋さん一つ見つけるのでも、目の見えないオル・オーネの方が早い。しかも周りの何もかもが珍しいらしく、アノンはただキョロキョロとし、「こんな食べ物・・・、あ、何かね赤いヤツ。まん丸でちっちゃいの。オレ初めて見た!」や、「うわっ! スゴイおじいさんがいるよ。何かね、すっごく長いキセルくわえてるー」なんていう、どうでもいい報告ばかりしてくれるのだ。 そんなアノンの様子にオル・オーネが浮かべたのは、苦笑ではなく、微笑だった。こんな風に楽しく街を歩いたのはいつぶりだろうか? 「ああ、彼が言っているのはオーリデルの実のことね。では、ここが果物屋さんかしら。長いキセル? 靴屋のレッセルさんのことね」などと、しばらく忘れていた街の風景を蘇らせてみたり。 楽しそうに笑うオル・オーネと、彼女の手を引いて歩く知らない人の姿を見つめている者がいた。黒い髪に、淡青色の瞳。修道服に身を包んでいる、二十歳をいくらも過ぎていない青年だった。 「・・・誰だ? アイツ」 誰にともなく訊ねる。いつもはジストルがいる位置に、今日は見知らぬ者がいた。オル・オーネの手を引いて楽しそうに街を歩く茶金髪に、澄んだ青い瞳の未だ少し幼さを残す少女・・・いや、少年? 「誰だよ、アイツ」 もう一度そう呟いて、青年は一度は通り過ぎて行ってしまったオル・オーネたちを足早に追っていった。 「こんにちは、オル・オーネさん」 驚かせないように、青年はそっと声をかけた。 背後から声をかけられたオル・オーネたちは歩みを止めた。不思議そうにアノンが振り返ったのが分かった。けれど、振り返るまでもなくオル・オーネには分かった。若い男の声。目の見えない自分に、突然声をかけて驚かせないように静かにかけられた声。自分に声をかけてきたのが、森の中に住んでいる自分が、何か不憫をしてないかと心配し、時折家に訊ねてくる青年。孤児院で働く若い修道士だということに。 「こんにちは、クートさん」 微笑みを浮かべて、挨拶を返す。 「誰?」 小さな声で訊ねてきたアノンの何だか不安そうな様子に、オル・オーネはどうしたのだろうかと不思議に思いながら彼を紹介する。 「この方はクートさん。この街の孤児院で働いている修道士さんよ」 そう紹介されたクートは、オル・オーネより少し年下だろう。だが、そんなことはどうでもいいのだ。アノンが気になっているのは、何故か睨め付けるような視線を自分に向けている彼の真意だ。わけが分からない。何故、たった今会ったばかりのこの青年から、睨まれなくてはいけないのだろうか? 自分が何か悪いことをしただろうかと考えてみる。思い当たる節はない。 「オル・オーネさん、その子は?」 先に口を開いたのはクートの方だった。 「この子はアノンくん。今、私の家にいる子ですよ」 まるで怪しい人物に誰何の声をかけているかのような彼の口調に、オル・オーネはそんな風に疑うことはないのですよと断ってから、そう答えた。 だが、クートは更に表情を険しくした。オル・オーネの隣にいるのが少年だと判明した瞬間に。 「家に?」 更に訝しげな顔をして自分を見つめてくる、クートにアノンはますます困惑してオル・オーネの後ろに隠れる。 それに気付いたオル・オーネは、少し困ったように笑ってからクートに言った。 「私が頼んだんです。少し泊まっていきませんか? と。怪しい人ではありませんよ」 「でも、女性一人の家に、男を泊めるなんて・・・」 「あら、何を心配されているのです?」 「いえ・・、だって、その・・・・」 クスクスと笑うオル・オーネと、頬を赤らめるクートとを、よく分からないといった表情でアノンは見つめている。 きょとんとした瞳で見られていることに気付いたクートは、自分の心配が杞憂であったことを悟る。彼女の言ったとおり、このアノンという少年は怪しい人物ではないらしい。だが、それが分かっても気にくわない。彼がオル・オーネの側にいるということが、だ。 そう。彼はオル・オーネにホの字なのだ。 「えっと・・・、今日はお買い物ですか?」 ただ彼女の隣にいる人物の正体が知りたかっただけで、他に特に用もなかったクートだったが、このままオル・オーネにさよならを言うのは、何だかもったいないような気がして、そう訊ねた。店の建ち並ぶ場所で、買い物以外に他に何をすることがあるってんだよ。思わず自分にそうツッコミつつ。 「はい。今日はご馳走を作ろうと思って」 「ご馳走? ・・・ああ、今日はリーファさんの誕生日でしたね」 クートはオル・オーネとその恋人―リーファのことを知っているようだ。 「ええ」 クートの言葉に、オル・オーネは頷いて見せた。 「オル・オーネさんの好きな人って、リーファさんって言うんだ?」 「はい。そうです」 初めて聞いたオル・オーネの恋人の名を、アノンは何度か口の中で繰り返す。 「よし、覚えた。オレ、いろんな所で聞いてみるね。見つけたら言っておいてあげるよ。オル・オーネさんが待ってるから、早く帰ってきてください、って」 アノンの言葉に、ありがとうございますと言って、オル・オーネは優しい微笑を浮かべた。 「さぁ、行きましょうか、アノンくん。では、また・・・」 ゆっくりをした買い物をしていた為、目的の物はほとんど買えていない。その上こんな所で道草をくっていては、日が沈んでしまう。そう考えたオル・オーネは、早々にクートに別れを告げた。 「え、ああ。また・・」 もう行ってしまうのかと、クートは表情を曇らせたが、オル・オーネを引き留め、困らせるようなまねはしなかった。ただ、歩き出したオル・オーネの背を、切ない眼差しで見送っていた。 一度はクートに会釈をし別れを告げたアノンだったが、じっとオル・オーネに注がれている視線に気付き、クートの方を振り返る。その場に佇んだまま、オル・オーネの背を見つめているクートの姿が、そこにはあった。 「・・・・クートさん!」 思わず、アノンは彼を呼んでいた。 「アノンくん?」 どうかしましたか? とオル・オーネが不思議そうに名を呼んできた。クートの方も、不思議そうにアノンを見る。 「えっと、あの・・・」 一瞬、口ごもってしまう。オル・オーネを見つめていたクートの瞳がとても淋しげだった。何が淋しい? きっとオル・オーネと離れるのが、だ。それが何を意味するのか、アノンには分からなかったけど、でも何か出来ることがあるのではと思ったのだ。オル・オーネと離れたくないのなら、一緒にいればいい。一緒に・・・。 「あのッ、買い物、付き合ってもらえませんか」 「え?」 そう訊ね返した声は二つ。無論、買い物に付き合ってくれないか問われたクートと、今買い物をしているオル・オーネの声だ。 「オレ、この街のこと全然分からないし、とてもオル・オーネさんの目になってあげられそうにないから・・・。クートさんならこの街のこと知ってるんでしょ? オレの代わりに、オル・オーネさんの目になってくれませんか?」 オレじゃ全然役に立たなくて。そう言って笑ったアノンに、クートは少し驚いたような顔をした後、笑顔を零した。 「勿論、喜んで引き受けるよ」 そう言って駆けてきたクートの手をアノンは取る。そして今まで自分が握っていたオル・オーネの手を、彼に預けた。 「オル・オーネさん。いい?」 「はい。お心遣い、ありがとうございます」 アノンの言葉に、オル・オーネはいつものあの穏やかな笑みを浮かべた。 こうすることでクートは喜んでくれるだろうと思っていた。でも、オル・オーネのことは何も考えていなかった。もしかしたら、自分の軽はずみなこの行動で、オル・オーネに嫌な思いをさせてしまうかもしれない。一瞬そんなことを思ったアノンはオル・オーネが微笑んでくれたことにホッとする。 「クートさん、お願いできますか?」 そう言って自分に向けられたオル・オーネの微笑みに、クートは満面の笑みで返した。 「はいッ! 任せてください」 オル・オーネの手を取って歩き出したクートの後について、アノンも歩き始めたのだった。 |