KINGDOM →→ イレース

 PLACE →→ セリル


 風邪を引いてはいけないから、家に入ろうとオル・オー ネに促されたあと、アノンの強い勧めで粥を貰い、結局ティスティーが眠りについたのは深夜。その所為で彼女が目覚めたのは昼近くになってからだった。
 ゆっくりと体を起こす。
 昨日より、幾分体調がましになったような気がする。昨夜眠りにつくのが遅くなったのだが、それを差し引いても十分すぎるほど睡眠を取った。そして何よりも、あの粥が良かったのだと言う事を、ティスティーは知っていた。オル・オーネが作ってくれた粥からは、何か薬草の匂いがしていた。疲れているのだと言ったティスティーの為に、オル・オーネが何か薬草を混ぜた粥を作ってくれたのだろう。薬草の匂いがすぐ鼻についたけれど、それは決して不快なものではなかった。むしろ食欲をそそる、いい香りだった。
「・・・」
 ベッドの上に体を起こしたティスティーは、ついと指を振る。その指先から、風が舞う。小さな小さな風だった。特に何か目的があって風を起こしたわけではなかったのか、ティスティーはそのまま風を消した。
「大丈夫・・・」
 ティスティーは呟く。もう、魔法を使っても大丈夫だ、と。昨日は木から落ちたアノンを助ける為に風を起こし、その後に倒れそうになってしまったが、今はもう大丈夫だと確認したのだ。本当に、疲れていただけだったのかもしれない。長旅と、常に見ていないと何をしでかすか分からないやんちゃ坊主の世話を焼いていた所為で、疲労が溜まっていただけだったのかもしれない。いや、そうに違いない。
 熱心に、そう言い聞かせる。
 それでもどうしても不安は拭いきれない。再び風を起こしてみようかと考えた、その時だった。ギィ・・っと扉が軋んだかと思うと、僅かに開かれた扉から灰色の獣が顔を覗かせたのだ。
「・・・・何?」
 じっと自分を見つめているジストルに、思わず訊ねてみる。
 何をしに来たのか問われていることに気付いたのだろう。ジストルはそれに答える。扉を体で大きく開け放ったあと、ティスティーの服を軽くくわえ、ベッドをおりろと催促する。そして自分について来いと言わんばかりに、ティスティーを振り返りながらゆっくりと部屋を出ていき始めた。
 何だろう? と思いつつも、ティスティーは仕方なくジストルの促すままにベッドをおり、部屋を出る。ジストルの後に付いていくと、彼はテーブルの前で止まった。そして役目を終えたのだろう。いつもオル・オーネが座っているいすの側に座った。
 ジストルの案内で辿り着いたテーブルの上には、一人分の朝食が用意されてあった。
「・・・・食べろって?」
 そう訊ねてきたティスティーに、ジストルはそうだと答えるように鳴いた。
 ジストルの視線に促されて、ティスティーはいすに腰掛ける。そして朝食の乗った皿の下に、何やら紙が置かれていることに気づき、それを手に取った。そこには・・・
『おはよう。買い物に行ってきます。お土産買ってくるから、いい子にしててね。
p.s. ご飯、ちゃんと食べてね。』
 という、「アンタねー、私を一体いくつだと思ってるのよ!?」とツッコミたくなるようなメッセージが書かれていた。明らかにアノンが書いたものだ。
 小さく溜息をつく。
「はいはい」
 あきれたように言う。けれどもそのティスティーの口元には、薄い微笑があった。
 少し不安だったのだ。昨晩、オル・オーネにはとても失礼な事を言った。そして、アノンにも、少なからず嫌な思いをさせてしまっただろう。だから、ジストルに自分を起こしに来させたのではないだろうか? ここに二人の姿がないのではないだろうか? と。だが、それは思い過ごしだったようだ。
 思った以上にオル・オーネは寛大だったようだ。そのことが、朝食を口に運ぼうとした時によく分かった。鼻先を薬草の香りがかすめていったのだ。オル・オーネは頼んでもいないのに、ティスティーの為を思って朝食にも、昨夜の粥に入れたのと同じ薬草を入れてくれたらしい。
「・・・いただきます」
 一度口に運び欠けたスプーンを戻し、改めていただきますを言う。何の薬草なのか不思議だったが、口の中に運んだ料理に混ぜられた薬草は、一口一口、ティスティーの体を癒していくようだった。
 オル・オーネの優しさを感じながら、ティスティーは思い出していた。そんな優しいオル・オーネに向けて自分が吐き出した言葉を。
・・信じて何になるって言うのよ! 何にもならないじゃない!!
「・・・私だって、信じてたわ」
 小さな声で漏らした言葉を聞いていたのは、ジストルだけだった。
 そう。信じていたのだ。オル・オーネと同じように、信じていた時だってあったのだ。けれど、もうやめてしまった。信じ続けることが、辛くて仕方がなかった。諦めてしまう方が、信じ続けていることよりも、ずっとずっと楽だったから・・・。
 最初に諦めてしまったのは、兄との約束だった。
 もう二百年も前に兄が自分に誓った約束。
かならず、迎えに行くよ
 魔物との戦いに出向いていく兄が、あの優しい笑顔と共に言ったその言葉は、幼い自分に向けられた、ただの気休めの約束だったのかもしれない。それでも、信じていた。故郷の町が無惨にも滅び、母を殺され、人を殺し・・・、その血に汚れ、深く傷ついた心を抱えてでも、歩いて来れたのは、あの兄の言葉があったからだった。生きていれば、兄が来てくれる。迎えに来てくれるのだと、そう信じることが、生きる為の糧となった。でも、なかなか兄は来てくれなかった。信じているのに、来てくれない。いつしか、信じることに疲れてしまった。期待することに疲れてしまった。兄はあの時に死んでしまっていたのだ。そう思い、諦めてしまうことの方が楽だった。
 でも、もう一度信じてみようと思った。兄は生きている。それを信じてみようと思ったのは、初めて自分が愛した人を、信じることができたからだ。彼ならばきっと約束を守ってくれる。兄だって、約束を破ってしまうような人じゃない。そう思うことが出来たのは、
必ず、また逢おう
 そんな言葉を残した、彼の存在だった。
 愛していた。今でも、愛している。
 だから、彼が突然いなくなってしまって、本当に怖かったけれど、それでも彼が好きだったから、信じていようと思った。愛する彼が言ったのだ。必ず、また逢おう≠ニ。だから、信じていようと思った。信じ続けていられると思ったのだ。かつて、兄の言葉を信じ続けられると、そう思ったように。でも今は・・・・。
「・・・信じてたわ」
信じてる≠ニは、言えそうになかった。