KINGDOM →→ イレース

 PLACE →→ セリル


 少し冷たい風が、アノンの茶金の髪の毛をサラサラと鳴らす。その風に乗って運ばれてきた緑の、少 し濃い匂いが鼻をつく。けれど決して不快な香りではない。大地の力強さを感じさせる香りだ。 木々の間から垣間見える夜空には、無数の星たちが散らばっている。それぞれ思い思いに囁く星た ちの瞬きは、さながら美しく磨かれた宝石のような輝きを放っている。
 空を仰いだまま瞳を閉じると、あの星たちの一つになったような気がして、すぐ に瞼をあげる。 嫌なわけではない。夜空に抱かれて、柔らかな光を放つ月に添われて、地上の 人たちを暗闇から救ってあげることができる。そう。それは決して嫌なことではない。でも、星にはなりたくない。
 だって、星は動かない。動けないから。
 淋しくても、誰かの元へ駆けて行くことができないから。 そんなこと、耐えられない。
 もしも、星になるならば、流れ星がいい。 何処に流れて行くのか分からなくても、それでもいい。もしかしたら、誰かの側に流れ着くことができるか もしれないのなら、流れ星がいい。独りぼっちのまま、誰かがきてくれるのを待っていることなんて 、できない。きっと自分なら、誰かを捜しに行くだろう。そうしなければ耐 えられない。いつまで続くのかわからない孤独を抱えて、ただ待っていることなんてできない。オ ル・オーネのように、ただ待っている強さなどない。
 だから、駆けて行くのだ。 母親がいなくなったときだってそうだった。ルウが旅に出て行ってからもそうだった。
 今だって、ティスティーを捜しに行くのだ。
 そうして、きっと、いつだって・・・。
「・・っと。ティスティーを捜すんだった」
 ふと我に返り、アノンは駆け出す。
 一人でいると、考えなくて良いことを考えてしまうらしい。
 ティスティーも自分と同じことを考えているかもしれない。・・・考えていて、あまり楽しいことではない。 だから、行こう。ティスティーを捜しに。




 オル・オーネの家からほんの二・三分ほど歩いたところで、ティスティーは歩みを止めていた。
 自然と零れ落ちる溜息が、いやに重い。
 木に背をもたせ、天を仰ぐ。
 木々の間に広がる空には、美しい輝きを放つ星たちがいた。 どの星も皆、楽しそうに見えて、自分の中にわだかまっている焦燥感が、更にその色を濃くする。
 交錯する様々な思い。不安、焦り、希望、絶望。
 自分が目指していた北の地、ヒューディスはもう目前だ。 そこに、今まで自分が捜していた人がいるはずだ。いるはずなのだ。きっと・・・・。
 ―――もし、いなかったら?
 不意に自分の中で、誰かがそんなことを囁きかけてきた。
 今まで、ずっと頭の片隅にあったこと。ずっと、考えないようにしてきたこと。
「・・・・」
 不安に駆られたティスティーは、その不安を消し去ろうと、瞳を閉じてみる。
 れど、消えてはくれない。
 一度ティスティーに絡み付いた不安は、執拗に彼女を捕らえて放さない。 さらなる不安。そして、絶望へ、彼女を引き込まんとするかのように。
 今まで、たった一人で旅をしてきた。きっと、ずっと一人で旅を続けるのだろうと思っていた。 ただ、ヒューディスの地にいるあの人に会うためだけに。
 それが今はアノンという少年と二人で旅をしている。それはやはり、それぞれの目的・・、 北の地に行くために、戦力がほしかった。ただそれだけだった。 もしもこの旅が終わったら・・・、目的を果たしたら、自分たちはどうなる? もう二人でいる必要もなくなるではないか。
 彼もヒューディスの地にいる、ルウという青年を捜しているのだと言った。この旅で、 きっとそのルウという人は見つかるのだろう。そうすれば彼は、ルウと共に国に戻り、 かつてそうであったように、彼との暮らしに戻るのだろう。
 その中に、自分という存在はいない。いてはいけない。自分も、捜していた人を見つけて、かつてそうであったように、その人と旅をするのだろう。 でも、もし・・、もしも自分の捜している人が見つからなかったら? アノンだけ、目的を果たして自分の元を去っていったら?  また一人で、この広い世界を旅するのだろうか? たった一人で・・・?
 だったら、もういっそのことやめてしまおうか。
 一人でも旅はできる。アノンと会うまでは、一人だったのだから。 でも、きっとその旅を楽しむことはできない。きっと、彼がいたから楽しかったのだ。
 そう。楽しかった。
 アノンには、いろいろと・・・、本当にいろいろと世話を焼かされたけれど、嫌 ではなかった。いつだって、退屈はしなかった。チョロチョロと危なっかしく動 き回る彼から目を離さないようにし、腕を引っ張り、叱って・・・。誰かのために何かをして あげるということができるなんて忘れていた。人間に対する憎しみなんて、とうの昔に消え 失せてしまった。拍子抜けするくらいに、あっさりと。アノンに砕かれてしまったようだ。
 そう。全て彼がいたから。
 大袈裟かもしれないけれど、今の自分にとって彼は、全てなのかもしれない。 もし、この先のヒューディスであの人が見つからなくても、彼がいれば希望を持ち続けていられるような気がする。 でも、もしアノンがいなくなったら。自分の全てが、崩れ去ってしまうのなら、もう、やめてしまった方がいい。
 全て、全て―――・・。
 どうせ自分には、もう―――。  不意にティスティーの思考を遮断したのは、ひどい目眩の所為だった。
 一瞬にして目の前の景色が歪み、消えかける。
 地面に倒れ込む前になんとか手をついたティスティーの、今にも途切れそうになっていた意識を現実にとど めさせたのは、闇に沈んだ大地を目覚めさせるのではないかと思われるほどに明るいアノンの声だった。
「ティスティー見ーっけ♪」
 隠れん坊でもしてたわけ? そう訪ねたくなるような台詞だったが、あ いにく今のティスティーにそんな元気はない。
 確かに、アノンにとっては隠れん坊のようなものだったのかもしれない。あ まり家から離れてはいなかったとはいえ、この森の何処かにいるティスティーを探し出すために、駆 け回ったのだから。そんな彼の頬は、僅かに上気している。
 宵闇の所為で、ティスティーの様子がおかしいことに、アノンはまだ気付いていないようだ。
 ティスティーから言わせると、それが幸いだった。 額から流れる嫌な汗をササッと拭い、立ち上がる。咄嗟にきつく握りしめた拳の所為で掌に軽く刺さった爪が、 まだ続いている目眩に再び飛びかけた意識を呼び戻してくれた。
「何よ?」
「何? じゃないよ。けっこう寒いし、ずっと外にいちゃ風邪ひいちゃうゾ。帰ろ」
 言うだけ言って、返事も聞かず自分の手を取って歩き始めたアノンに、ティスティーは密かにほっとしていた。 今が夜で良かった。もしも昼間であったなら、アノンに自分が疲れているだけでなく 、体調もおかしいのだということを勘づかれてしまっていたかもしれないから。
 気付かれてはいけない。いつかは分かってしまうことだとしても。隠し通さなければいけない。
 せめて、彼がルウという青年と再会を果たすまでは。
「――――」
 それを望む自分と、拒む自分とがいた。