タタラが船から飛び立って数時間後。すっかり日は暮れ、辺りが宵闇に包まれた頃、順調に 航海を進めてきた船は、イレース王国の港、シリル港に到着した。 ここでもデリソン同様、黄金郷で捕った魚を売るらしい。 この船が明青海を一周し終え、フェレスタの港に戻るのは、 明日になるようだ。 だが、ここからの帰路に、アノンたちの姿はない。アノンたちはここでお別れなのだから。 アノンとティスティーはこれからヒューディスへ。レラとラドは二人に連れられ、孤児院へ、だ。 「本当に、お世話になりました」 アノンに至っては、魔物に遭遇、海に落ちて死にかけた上に、海賊にまで攫われ、 多大なる迷惑と心労を船の人たちにはかけてしまっているのだ。丁 寧に丁寧にお礼を言った後、アノンとティスティーは船を下りる。 「さ、行こっか」 船長、オウドにとても良く懐いていたラドは、泣きじゃくりながらアノンに手を引かれ、 船を下りていく。同様にレラも、この船と別れがたいらしく、弟のように泣いたりはしなかったが、 しきりに船の方を振り返っている。 そんな姉弟を見送っているオウドの瞳も、とても淋しそうだった。 「それじゃ、本当にありがとうございました」 再度頭を下げて歩き出したアノンを不意に止めたのは、オウドだった。 「アノン、待ってくれ」 彼はゆっくりと船から下りてくると、レラとラドの前に膝を付いて、彼らの琥珀色の瞳を覗き込む 。少し迷うように視線をおとした後、オウドは遠慮がちに口を開いた。 「・・・レラ、ラド。・・わしと、来んかね?」 「え?」 思わず訊ね返したのは、問われた姉弟ではなく、アノンだった。自分と来ないか? と いうことは、もしかしてレラとラドを・・・。 「じゃあ、船長さん・・・」 「・・この子らを引き取りたいんだよ」 自分と一緒に来ないか? という言葉の意味がようやく分かったらしいレラとラドが、驚いたように船長を見上げる。 クリンとした大きな瞳に、オウドは再び問うた。 「どうだい? わしと一緒に来てはくれんかね?」 幼い姉弟は顔を見合わせた後、どうして良いのか分からずに、アノンを見上げた。 「君たちで決めて良いんだよ」 意見を請われたアノンは、優しく微笑んでみせる。 そう。自分で決めて良いのだ。二人の人生は、二人のものなのだ。 その、長く長く続いていく人生の中で、最終的に自分の意志を決めるのはい つだって自分自身なのだから。 「お姉ちゃん・・」 甘えるようにレラの服の袖を掴んだラドの、その次の言葉は、もう決まっているようだっ た。そして同じく、レラも。 「・・・おじちゃん。いいの?」 遠慮がちに、レラはそう訊ねた。 本当は、おじちゃんと行きたい。と、言いたかったに違いない。 そんな問いに答えたのは、船長ではなく、様子を見守っていた船員たちだった。 「いいに決まってるさ。な? 船長」 「そうさ。子供が出来たみたいだって、船長まんざらでもなさそうだったもんな」 「女将さんも喜ぶよ」 船員たちの言葉を聞いた後、レラは再びオウドに視線を戻す。 「おじちゃん・・・。え?」 不意に、レラとラドは船長の両腕に抱き上げられていた。強くて大きくて、優しい腕に。 「さあ、帰ろう。わしらの家へ」 船長の家。そこがこれからは、自分たちの家になるのだ。 「・・・うん!」 アノンの言っていた、家族が出来たのだ。血の繋がりなんて関係ない。 ただ、一緒にいたいと自分たちが願った人。その人が、これからは自分たちの家族になるのだ。 レラとラドの幸せそうな表情に、アノンはそっと背を向けた。 「アノン?」 不思議そうにしているティスティーの手を引いて、アノンはその場を去っていく。 そんなアノンの行動の意味が分からなかったティスティーだったが、自分の腕を引いていくアノンの満たされた表情 に、その行動の意味を悟る。彼は、もう見たくなかったのだ。今のあの姉弟の穏やかな笑 みが、自分たちの所為で曇ってしまうのが。自惚れでなく、アノンは知っていたのだろう 。きっとこの姉弟たちは、自分たちとの別れに淋しい顔をするだろうと。そして何よりも・・ 「・・・・」 小さく溜息をついたティスティーは、仕方なくアノンに従って歩き出した。 「別れを告げるのが淋しいのは、あの子たちじゃなくて、アンタの方じゃないの?」 と、言うのはやめた。その言葉はきっと、核心をついていただろうから。 そのまま船から離れていくはずだった二人は、すぐに歩みを止めざるを得なくなる。 「アノンッ」 船長の腕から下ろしてもらったレラが、密かにその場から去ろうとしていたアノンを引き止め、駆け寄って来たのだ。 「レラ・・・・」 駆け寄ってきたレラに、アノンはすぐにいつもの笑みを浮かべる。 悲しい顔をしちゃいけない。だから。 「・・・良かったね。新しい家族が出来て」 幼いレラと視線を合わせるため、しゃがみ込んだアノンは、そう言ってレラに微笑んで見せた。 けれどレラは何も答えようとはしなかった。何だか怒ったような顔をして・・・。もしかしたら、 自分が何も言わずに去ろうとしていたことを怒っているのかもしれない。 そう不安に思ったアノンは次の瞬間、小さな腕に抱きつかれていた。 「レラ?」 突然抱きついてきたレラに、どうしたの? と問いかける。 しばらくして返ってきたのは、少し震えた声で、 「・・もう、会えないの?」 という言葉だった。 (ああ、だから・・・) だから怒ったような顔をして、泣くのを我慢していたのだ。意地っ張りなレラらしかった。 自分の首に必死にしがみついているレラの、震える小さな腕をポンポンと叩いて、アノンは優しく言う。 「この旅が終わったら、会いに行くね」 だから泣かないで。と付け加えたアノンに、レラはごしごしと涙を拭うと、い つものように気丈な瞳でアノンを見つめてくる。 「約束よ」 ズイッと突き出された指切りげんまん≠フ小指が、何だか子供らしくて可愛らしい。 「うん。約束」 小さく笑って、小指を絡めたアノンに、レラは不意に笑みを零した。 (あ・・) それは、初めてレラがアノンに向けてくれた笑顔。もしかしたら、無意識 かもしれないけれど、やはり嬉しかった。 「あーっ、ぼくもッ」 仲間に入れてー、と駆けてきたラドが、指切りしている二人の手をぎゅっと握ると、満足そうに笑う。 自分の手に重ねられたラドの手のぬくもりと、小指を伝うレラのぬくもりとが、いつになく温かく感じられて・ ・・。その二人のぬくもりは、いつまでもアノンの手に残っていた。 |