船は何の問題もなく、風を受けて波の上を走っていた。願わくば、もうこのまま何事もなく無事に航 行を終えて欲しいものだと、誰もが祈るばかりだ。 心地良い波の音と、揺れ。少し遠くで聞こえる話し声に目を覚ましたのは、タタラだった。 その茶色の瞳に写る見知らぬ光景に、何度か目を瞬く。 自分が寝かされていたのは冷たい床の上ではなく、ベッドの上だった。きちんと毛布も掛けられてある。 檻の中でも、あの店の中でもない。ならば、一体ここは・・・? 記憶がはっきりしない。あの店で、男たちに取り囲まれて、ガスで眠りかけて・・・。 それから? それから一体何が起こったのだろうか? 混乱した意識のまま、ゆっくりと体を起こしたタタラは、ベッドを降りる。 「・・・アノン?」 アノンは? レラとラドは? この小さな部屋に、三人の姿はない。自分一人きりだ。見知らぬ場所に、たった一人きり・・。 もしかしてもう、自分もアノンたちもオークションにかけられて売られてしまったのだろうか。 そんな不安にかられたタタラは、いても立ってもいられず、ドアを押し開け部屋を出る。 「────・・海?」 ドアを開けた途端に流れてきたのは潮の香りだった。その香りに誘われるようにして、 タタラは甲板へと向かって行く。そんな彼女の瞳に広がったのは、明青海。 一体どんな過程を経て、海に出たのだろう。ますます意味が分からない。 「あら、目が覚めたのね」 不意にかけられた声に、タタラはビクッと肩を揺らす。 そんな自分の方へ寄ってきたのは、黒髪を風になびかせている、アノンの友達だという魔法使いだった。 彼女がいるということは、少なくとも自分は売られてしまったわけではないらしい。 「体調は?」 「え? あ、はい。大丈夫です」 短く問うた彼女の言葉を、考え事をしていた所為で危うく聞き流しそうになったタタラは、 慌てて頷いた。 そんなタタラに、ティスティーは「そう」と返事を返しただけで、すぐに船の端により、海を眺め始めてしまった。 少し素っ気ないティスティーの態度に戸惑いつつ、タタラも彼女が見つめている方に視線を遣ってみた。 見渡す限り、美しいコバルトブルーが広がっている。 空の青とも違う、眩しいくらいに澄んだ青だ。 そう、それはまるであの、笑顔のよく似合う少年─アノンの瞳と同じくらい? ・・いや、彼の瞳の方が何倍も何倍も澄んでいて、綺麗。 アノンの眩しい笑顔を思いだしたタタラは不意に彼がどうなったのか、自分は知らないことを思い出す。 「そう言えば、アノンは!? 無事ですか? レラとラドも・・・」 ティスティーが無愛想である事なんて関係ない。とにかく彼らのことを聞かなければ・・。 思わず縋り付くようにして訊ねてきたタタラに、ティスティーは何も言わずに歩き出した。 「あ・・・」 突然縋り付いたりして、怒ってしまったのかもしれない。 次第に離れていく彼女の後ろ姿を、タタラは不安そうに見つめる。 追いかけることもできず、その場に佇んでいたタタラに、不意に苛ついたような声がかけられた。 「何してるのよ。行くわよ」 振り返りもせず、ティスティーはそうタタラを促す。 「・・・え?」 聞こえなかったのか、意味が分からなかったのか、ぼんやりと訊ね返してきたタタラに、 ティスティーはようやく振り返って手招いた。 「アノンの所に行きたいんでしょ? こっちよ」 ぶっきらぼうではあったが、どうやらティスティーはアノンの元へと案内してくれるつもりらしい。 先程歩き出したのも、怒ってしまったからではないようだ。 「・・・はいっ」 ホッと安堵したタタラは、すぐに表情を輝かせて、彼女の後を追って駆け出した。その翼の白が、眩しく輝いていた。 |