KINGDOM →→ デリソン

 TOWN →→ ?


 タタラとレラのいる部屋の外を見張っているのは、一人の中年の男だった。 中年ではあるが、がっちりとしたたくましい体付きをしている。 おそらく何か武術をたしなんでいるのだろう。更に、シャワーを浴びているのは年頃の少女だと言うことで、 男である自分は、部屋の外で見張っていようと言う心がけは、なかなか天晴れなものだ。 ・・・が、彼も気が長い方ではないらしく、まだバスルームから出てくる様子のない少女二人に、少々苛立ち始めていた。
 ついに男は部屋のドアを開け、中に入ると、バスルームの扉の前に立つ。中からはまだ、シャワーの水音が聞こえてくる。
「おい、まだか?」
 その呼びかけに返ってきたのは、とてもとても甘ったる〜い声で・・・。
「ねぇ、お兄さん。綺麗にしたいんですけど、背中まで手が届かないの。手伝ってくださると、嬉しいな
 なーんていう、ハートマーク付きの台詞だった。
 やはり彼も男だ。この台詞には、武士道精神を持っている男もノックダウン☆ このお誘いを断るわけがなかった。
「し、仕方ないな」
 などと、文句を言いつつも、バスルームの扉を押し開ける彼の動作は素早い。
 湯煙の向こうには、濡れた髪をしどけなく肩に垂らした、茶金髪の少女がいた。 湯煙と、濡れた髪の所為で顔を見ることはできなかったが、僅かに窺える横顔から見るに、かなりの美少女だ。そ んな少女の背中を流す機会なんて、滅多に・・・いや、もう一生ないことかもしれない。 この少女たちの見張りに付けたことを、神に感謝せねば・・・!
 彼はもう既に、その場にいるはずの幼い少女の姿が見えないことや、更には彼女が有翼人であるはずなのに、 その細い背に翼がないことにまで頭が回らなくなってしまったいた。足早に少女の方へ寄った男は、 そこで初めて一つの疑問を覚える。背中を流してくれと頼んだ少女が、何故かもう服を着ていたのだ。
 しきりに男が首を捻っていると、今まで自分に背を向けていた少女が、不意に振り返った。 そして、花が咲きこぼれんばかりの愛らしい笑みを浮かべて男の方に寄ってきたのだ。それだけでもう、 男の中にあった疑問は全て吹っ飛んでしまっていた。 そうして、思わずデレーンと鼻の下を伸ばしてしまった男の負けだった。
「お休みなさい
 え? と問い返す間もなく、男は水が流れていくタイルの上に倒れ込んでいた。 目にも止まらぬ早さで繰り出された少女─だと、男が思い込んだ少年─の手刀が男の首筋にヒットしたのだ。
「よっし!」
 今の今まで女の子でも真似のできないような、しおらしさを装っていたアノンが、 男が倒れると同時にガッツポーズを作る。その豹変ぶりはなかなか見事なものだった。
 すごーい。と、きっとこの場合、そうして誉めるべきことではないのだろうが、 レラとラドは尊敬のまなざし─尊敬すべきではないのだが─でアノンに拍手を送っている。
「うまくいきましたわね」
 バスルームの隅の方に身を潜めていたタタラが、可笑しそうに笑いながら、 アノンの方に寄ってきて、そう声をかける。男は、本当にアノンしか眼中になかったのだろう。 気を付けて見れば気付いただろうタタラたちの存在なんて全く気付かなかった上に、アノンが男だ と言うことも知らずに鼻の下を伸ばして・・・。それを見ていたタタラは、笑いを堪えるのに必死だった。
 思い出してクスッと、笑ったタタラは、ふと思い出す。
「それにしてもアノン。先程の声、一体何処から出ていたんですの?」
 そう。先程男に受け答えしたあの可愛らしい声は、タタラが吹き替えでやって いたのではなく、アノン自身の声だ。
「秘密ぅー」
 えー。っと声を上げる姉弟に、アノンは笑ってから、気持ちも新たにする。
「さ、早いとこ逃げよう」
 もう、お遊びでは切り抜けていけないだろう。真剣にならなくてはいけなかった。
「・・はい」
 タタラはラドを、アノンはレラを片手に抱き、急いで部屋を出る。部屋の外の見張りは、 先程アノンにしてやられた男一人だったらしく、容易に部屋を出ることができた。
 ホッと安堵し、とにかく出口を求めて歩き出した四人に、いやな声が聞こえてきた。
「しまった! 逃げられた! 大変だ、奴らが逃げたぞ─────!!」
 その声は、アノンとラドのバスルームを見張っていた男のものだった。 しびれをきらせて、バスルームに入ったのだろう。
「もう、あのおじさんもせっかちだなー」
 呑気なことを言っていられたのも、そこまでだった。すぐに後ろの方からダカダカと騒がしい足音が迫ってきたのだ。
「アノン! 数が多すぎます」
「・・・タタラ、二人を連れて飛んで。オレも走るから」
「はいっ」
 レラとラドを両手に抱いたタタラは、アノンに言われたとおり 、翼を羽ばたかせ、宙に舞い上がった。そして、足音の少ない方へと飛んでいく。
 すると、不意に広間のような所に出たタタラは、先に行きますとアノンに告げ、その中央に降り立つ。
「これ、ちょっと持っていてね」
 二人をおろしたタタラは先程アノンから渡された魔法石を彼女らの手に握らせると、 その上に自分の手を重ね、瞳を閉じた。そして探る。魔法石の中に込められた小さな魔力と、 同じ匂いを持つ大きな力、あの魔法使いの場所を。
(・・・・あった)
 不意に、二人の掌中の魔法石が緑の光を発したかと思うと、次の瞬間。
「きゃっ」
 カッと閃光がひらめき、幼い姉弟を包んだ光は、すぐに静まった。 だが、先程までこの場にいてはずの姉弟の姿はない。忽然と消えてしまったのである。
 後から広間に駆け込んできたアノンは、タタラの側に二人の姿がないことに気付く。
「あれ? 二人は?」
「今、ティスティー さんの元へ転送しましたわ」
「転送?」
「魔法石を無理矢理私の魔力で、転送の特性に変えたんです。 って、呑気に説明している場合ではありませんでしたね」
 広間に男たちが駆け込んでくる。彼らの手には、ライフルや銃など、物騒な物が握られている。
 先に進むことも、引き返すこともできない状態になってしまった。レラとラドを転送しておいて正解だった。
「・・・タタラ、魔法石は?」
 剣を構え、男たちを威嚇しつつ、アノンはもう一度転送は行えないの かと問ったが、タタラは申し訳なさそうに首を横に振る。
「すみません。もう魔法石に、魔力が残っていないんです」
 元々は守りの特性だった魔法石を、魔力を多く必要とする転送の特性に変えて、 転送を行ったものだから、もうとっくに魔法石の中に込められた、ティスティーの魔力は使い果たしてしまっていた。 自分の魔力を使えば、何とか転送を行うことができたかもしれないが、 魔法石の特性を変えるために、かなりの魔力を消耗してしまっていた。
「・・・・」
 突然二人を囲っていた男たちが後退し始めたのは、アノンが攻撃に出ようと決心したそのときだった。
「?」
 広間から男たちの姿が消えたかと思うと、今度は何やらマスクを付けた男たちが広間に駆け込み、 持っていた丸い筒の栓を抜き、自分たちの方に投げてきたのだ。
「!? これは・・・」
 一瞬、爆発物だろうかとギョッとしたアノンだったが、幸いなことにその予想は外れた。
 いや、幸いと言うにはまだ早すぎた。あっという間に、辺りが白い霧に包まれていく。 その途端、アノンは目の前がグニャリと歪むのを感じていた。
「アノン! 吸ってはいけません!」
 タタラの声が、何故か遠くで響いている。
 その声に従わなければ・・・!
 そうは思うものの、体が重くて思うように動くことができない。 終いには、自分の体を支えることすらできなくなったアノンの膝から、力が抜ける。
「アノンッ!」
 がくりとくずおれるアノンの体を、タタラは咄嗟に抱き留めようと試みたが、 少女の細い腕では、それも適わなかった。アノンの体を腕に抱き留めたまま、タタラも冷たい床の上にペタリと座り込む。
 この霧は、おそらく催眠ガスだろう。売り物に傷を付けぬよう、眠らせて捕らえるつもりなのだ。
 霧は薄れ始めていたが、逆にタタラの意識は、次第に引いていくその霧に連れ去られていくかのように、薄れていく。
「んっ!」
 何とか逃げなくてはいけない。
 タタラは精一杯、翼を羽ばたかせてみるけれど、自分とアノンの体を浮き上がらせるには至らない。 その間にも、タタラの意識は重く濁っていく。
 アノンの意識はと言うと、もう既に闇の中に落ちてしまっているのだろう、彼の体はピクリとも動かない。
「そろそろ良い頃じゃないか?」
「まだ女の方が動いています」
「ヤツは魔物だ。ガスが効かないのかもしれないな。仕方ない。女の方は翼さえ無事ならそれで良い」
 何処か遠くで聞こえる低い囁きが、何だか心地良く感じる。だが、決してその囁きが自分達にとって、 好ましいものでないことを、タタラは本能的に悟っていた。次第に近付いてくる足音に、タタラは懸命に翼を羽 ばたかせ、何とかこの場を逃れようとする。けれど、どんなに足掻いても、二人 の体が浮くことはないし、着実に眠りへと誘われていく意識を引き戻すことすらできない。
「・・触らないでッ!」
 不意に伸ばされた男の手が、アノンに触れようとした瞬間、タタラはその手を咄嗟に振り払っていた。
 自分達を囲う男たちを、脅えた瞳で見上げているタタラの手は、強くアノンを胸に抱き締めて放そうとしない。 そして、その背にある両の翼は美しく広げられ、己に向けられた刃も、黒光りする拳銃をもはねのけてしまいそうな、 強い光を纏っているようで・・・。そんな少女の姿は、まるで天から舞い降りてきた神の御使い─ 天使であるかのように美しく、気高い。金糸を混じらせた茶金髪の少年を、体を張って必死で守ろうとする、 か弱くも気高い天使の姿は、その腕の中 で眠る少年の美しさも手伝ってか、まさに幻想的ですらあった。見る者を魅了する。
イラスト:寿
 それは、男たちも例外ではなかった。彼女を捕らえようと伸ばされた腕が、一瞬止まった。 そして、男たちが瞬くことすらも忘れたその刹那、それは起こった。
「な・・・っ!?」
「何だ!?」
 そう。それはまるで、天上の神が、地上に落ちた天使を照らし、導くかの如く・・・。
 淡く優しい光の洪水が、タタラとアノンとを優しく包み込んだのだ。
 そして。


────ヒュ・・・ッ。


 次に起こったのは疾風。一瞬にして当たりに立ちこめていた白い霧を晴らしていく。
「─────」
 その風が消え去ったとき、男たちの口から、再び驚きの声が洩れた。 突然の疾風が消え去ったその場所から、あの少女と少年の姿がなくなっていたのだから。 まるであの疾風に、連れ去られてしまったかのように。
 ・・・全て、幻だったのか・・・・?
 そんな男たちの思いを裏切るのは、床の上に落ちた、いくつかの羽根。
 白く、白く、ただ白い、忘れ物。
 あの天使たちが決して幻などではなかったのだという、それが証だった。