KINGDOM →→ フェレスタ

 PLACE →→ フェレスタ海沖


「ん───、朝ね。って、あら?」
 朝日が顔を出し始めた頃、ようやくティスティーは目を覚まし、 すぐに首を傾げた。寝起きの良い彼女は、何やら船の中の様子がおかしいことに気付いたのだ。 まず目に付いたのは、何故か壊れている船室のドアだ。甲板の方からは、どことなく 落ち着きのない騒がしい空気が漂ってきているし・・・。
「・・・何だか、イヤな予感」
 布団に残ったぬくもりを楽しむこともせず、すぐさまベッドをおりたティスティーは、 ささっと身支度を整え、甲板に顔を出す。
 すると突然。
「あ───────ッッ!!!!」
「ティスティーさん!?」
 自分を見つけた船員たちが次々に大声を上げていくのを見て、ティスティーはギョッとする。 一体自分が何をしたというのだ。自分がここにいてはいけないわけ? と、色々な思いが頭の中を駆け巡っていく中でも、 やはりイヤな予感はいつまでも消えないでいる。そんな彼女の方に駆け寄ってきたのは、 こころなしか青い顔をした船長、オウドだった。そして彼の反応も他の船員たちと同じく、 ティスティーからしてみればいったい何なんだ? という、奇妙なものでしかなかった。
 彼はティスティーを見るなり安堵の溜息をついたのだ。そして彼の洩らした言葉に、ティスティーは仰天することになる。
「良かった。嬢ちゃんまで攫われたのかと────」
「え!? ど、どういうことよ、それ!?」
 ティスティーの中にあった嫌な予感が、どんどん大きくなっていく。 いや、予感から確信へと変化していくと言った方が良いかもしれない。
「そ、それがね・・・」
 ポツポツとオウドが語るにつれ、ティスティーの口許はどんどん引きつっていく。
 ・・・・・海賊に襲われ、アノンが攫われた。
 短く言うとこうだ。
(───魔物の次は海賊ですってェ? ふざけんじゃないわよ)
 俯いたティスティーの肩が、小刻みにフルフル─ワナワナと表した方が良いかもしれない─と震えだし、 引きつった口許から、うふふ、うふふふふふ。という、不気味な笑いが洩れ出す。 脅え、一斉に自分から遠ざかった男たちの視線なんて何のその。不気味な笑いを止めようともせず、 ティスティーは心の中でアノンに向かって毒づく。
(フフ・・・。そうね。アイツはそーゆー奴よ)
 アノンは一度熟睡モードにはいると、何があっても起きないのだと言うことを、 ティスティーはよくよく知っていた。だけど、ティスティーの言い分としては・・・。
(こういうときくらい起きろっての)
 だそうだ。
 漫画で言えば、ティスティーのこめかみに交差点のような青筋が一つどころか、二つ三つは描かれているだろう。
「・・・・・・アノンの」
 ようやく笑いもおさまった─尽きた─ティスティーは、 スゥッと息を吸い込むと、大海原にその怒声を響かせたのだった。
「バカ───────────ッッ!!! 」
 ・・・・この際、自分が魔法で隠れて、悠々と寝ていたことはすっかり棚に上げてしまっているティスティーだった。


 とうの昔に漁船をまいて、大海原をデリソン王国に向けて順調に航海中の海賊船にまでは、 勿論ティスティーの怒声が届くことはなかった。が、何十q離れていてもティスティーの怒りは衰えていなかったのか、 突然背中を駆け抜けていった悪寒に、アノンはパチッと目を覚ました。
 日は昇っているはずなのに、薄暗い。その上、何だか昨夜眠りについた場所と、 景色が明らかに変わっている。最初は自分がベッドから落ちたからだろうかとも思ったのだが、 肝心のそのベッドが見あたらない。まず、何だか天上が異様に近いし・・・。
「ありゃー? ここは・・・」
「おはようございます。ここ、海賊船の中ですよ」
 ボ───ッと天上を見上げていたアノンの目の前に、突然見知らぬ少女の顔が現れ、澄んだ ソプラノの声が彼の問いに答えを返す。
 見知らぬ少女の姿に驚いたアノンは、ガバッと体を起こした。 目の前にはどうやらアノンが冷たく固い床の上を枕にしなくて良いように、 膝枕をしてくれていたらしい少女がニコニコと微笑んでいる。腰の辺りにまで達し、 軽くウェーブのかかった髪は静かなブラウン。優しく細められた瞳も、髪の毛と同じ茶色をしている。 座っている所為ではっきりとは言いきれないが、背はそう高くはない。 そのことに加え、線の細い印象がある所為か、ひどく華奢に見える。
 そして、その背中からは、美しく白い翼が広がっていた。
 ・・・そう。翼だ。人間にはあるはずのないモノ。それなのに、 気持ち悪いといった印象は全くない。その翼があまりにも綺麗で、 純真な光で包まれているかのように見えたからかもしれない。
「・・・君は?」
 まるで天使を彷彿とさせる少女に、アノンは目を丸くして訊ねる。
 じっと翼を凝視されているにも関わらず、少女は何ら気にした風もなく、アノンに柔らかく微笑みかける。
「私はタタラ。・・・有翼人ゆうよくじんのタタラです」
 有翼人だとそう答えた少女タタラに、アノンは更に目を丸くする。
「有翼人? ホントに!?」
 驚いて問い返したアノンに、彼女はコクンと頷いて見せた。
「うっわ───。オレ、有翼人に会ったのって初めてッ」
 有翼人。
 見ての通り、背に一対の翼を有する者のことだ。
 有翼人と呼ばれてはいるが、彼らは人間ではなく、上級位ハイクラスの魔 物としてランク付けされていた。 確かに魔物とされているだけあって、強い魔力を持つ者も多くいるらしいが、 好戦的な面は全くない。彼ら有翼人のほとんどはヒューディスから出ることはなく、 勿論人間に攻撃を加えてくるくることもない。とても温厚な種族だ。
 近年、その美しい姿と翼のため、人間たちの手によって捕らえられ、 国に悟られぬよう秘密裏に売買され、大きな問題となりつつある。 それと並行して、彼らは魔物より人間に属すのではないだろうか、と言う意見も唱えられ始め、 近い将来有翼人は魔物というランクから人間へと移されるかもしれない。 彼らがそれを望んでいるのかどうかは別として・・・。
「あ、っと。名前名前」
 有翼人に初めて会って舞い上がっていたアノンは、自分がまだ名乗っていないことを思い出したらしい。
「オレはアノン。よろしく・・・・・」
 そこまで言って、握手を求めて差し出そうとした手が、急遽止まる。 不意に思い出したのだ。・・・先程彼女は何と言っただろうか? ここは何処だと問うた自分に、 彼女はいったい何と答えただろうか? 聞き間違いでなければ・・・・。
 いや、きっと自分は寝惚けていたんだ。と自分に言い聞かせたアノンは、 すぐさま周りを見回す。その瞳にまず飛び込んできたのは、檻。しかもかなり大きなものだ。 アノンが十人くらいは入れるだろうか・・・。
(何が入ってるんだろ・・・・?)
 そして、その檻の格子の向こうを見たアノンは、あることに気付く。 格子の向こうには何も入っていなかったのだ。いや、正確に言えば、格子の向こうこそが檻の外で、 今自分達がいるところこそが・・・。
(えっ!? って、オレ、檻の中!!?)
そう。檻の中に入れられていたのは他の何でもなく、自分たちだったのだ。 最初、自分が外から檻を見ているのだと思っていたアノンは、それが間違いであったことと、 更にその檻に入っているのが自分たちであることを知って閉口する。
 その檻の向こうには、大小さまざまな箱が、無造作に積んである。 僅かに蓋が開いている箱の中から覗いているのは、輝かんばかりの豪華絢爛な宝石、ネックレス、王冠、金貨・・・。 一体これは・・・? お金持ちの船だろうか? ・・・・・いや。違う。 お金持ちが何故自分達を檻に入れなければいけないのだ。
「ね、タタラ・・・」
「はい。何でしょうか?」
「・・今さっきさ、タタラ、オレが何処にいるって言ったんだっけ?」
「海賊船ですわ
「────・・」
 即答。
 聞き間違えようもない。
「カイゾクセン・・・って、海賊船、だよね?」
「他に何があるって言うのよ。言ってごらん?」と、ティスティーならば嫌味ったらしくそう答えただろうが、 タタラはニコニコしたまま・・・。
「はい。紛れもなく海賊船ですわ
「・・・・・・」
 タタラの答えに対してリアクションを返すまで、かなりの時間を要し、そしてようやく一声。
「・・・・え──────!! な、何で───!?」
 今度はタタラの方が驚いたらしく、キョトンとした顔をして答える。
「何で、って、乗せられたからじゃないでしょうか・・・」
「だーから、何で? いつのまに海賊船に──────!?」
 再びアノンの声が、船の倉庫らしい部屋に響き渡ったとき、ギギギ・・ミシミシと床を鳴らしながら 檻の方に近付いてきたのは、赤黒い肌とド派手な衣装+悪趣味な服&装飾品を纏ったごっつい男だった。
「・・・この人が海賊船のキャプテンみたいです」
 男を見た途端、脅えたようにアノンの背後で身を硬くしたタタラは、小声で彼にそう耳打ちした。
 タタラがキャプテンだと言った男は、確かにいかにも海賊と言った雰囲気を醸し出していたし、 その堂々とした態度からして彼がキャプテンであることに間違いはないだろう。 キャプテン、と言うことはこの船で一番偉い人=自分達を檻の中に閉じこめている人。 そう言った構図がアノンの中で確定した途端、アノンはすぐに彼に話しかけていた。
「ねぇねぇ、船長さん」
 自分の口から、彼がこの海賊船のキャプテンだと言うことを聞かせたばかりだというのに、 全く臆することなく彼に話しかけたアノンに、タタラはギョッとする。
「一体全体何でオレたちが檻の中に入れられてるのサ」
 海賊、しかもキャプテンである自分に向かって噛みつくように訊ねてくるアノンに、 ダグルは気を悪くするどころか可笑しそうにアノンを見遣って答える。
「何故か、だって? お前みたいな若い女、は・・・・・・・」
 と、そこまで言って、ダグルは何かに気付いたらしい。
「ん?」
「あれ?」
 首を捻ったダグルに続いて、アノンも彼がおかしな事を言ったことに気付いて首を傾げる。 数秒間見つめ合ってしまった二人は、すぐさま訝しげに眉をひそめる。
「・・・・・・・お前」
 先に口を開いたのは、キャプテン・ダグルの方だった。
「もしかして、男か?」
「もしかしなくても男だ──────ァッ!!」
 すかさずアノンが怒鳴るように返事を返す。そしてもう一言。
「気付くの遅すぎッ! もっと早く気付いてよ」
 どうやら自分は、女性と間違われて連れてこられたらしい。
 確かに昔っから、“女の子みたいねー”なんてしょっちゅう言われてきた。 母親似の女顔も、華奢な体付きも変わってはいない上に、今は髪だって長い。 それに加えて、短パンにTシャツという、男女区別の付かない格好をしていたし・・・。 薄暗い中で、そんなアノンを少女と見間違えてしまったのも、まあ頷ける 。が、見間違われた本人から言わせると、
「もー、冗談じゃないってー」
 だそうだ。
「人攫うときはもっとちゃんと見てからにして欲しいよー」
 ブチブチ文句を言いたい気持ちはよく分かる。だが、もっとちゃんと見たからと言って、 人を攫っても良いわけがない。それにアノンの場合、もっとちゃんと見られていても、 キャプテンのお眼鏡に適って、結局は攫われていたかもしれない。
 アノンの文句など完っ全に無視しているキャプテン・ダグルは、 少し驚いたよう顔で、じぃっとアノンを観察する。
 ・・・・言われてみれば確かに少年に見えなくもない。白い肌に、明るい茶金の髪。 頬の上に埋め込まれた青い瞳は、明青海コバルトブルーと同じ色ではあるが、 その輝きは海の比ではないくらいに眩しい。優しい顔立ちと、細くしなやかなその体は、やはり女性的だった。
 そんな彼の姿に、ダグルはいつだったか、デリソン国の街で見たある一枚の絵を思い出していた。
 その絵の題は確か・・・・『精霊』。
 その名の通り、キャンパスに描かれていたのは、藍色の瞳と、輝かんばかりの金髪を持った、 精霊の姿だった。名の売れていない画家が、己に少しながら備わっていた魔力を生かし ─先にも述べたが、精霊はある程度の魔力を持った者にしか見ることはできないのだ─ 精霊を見て描いたもののようだった。そこに描かれた精霊は、優しい微笑を見る者に─ いや、きっと自分を描いている画家に─向けている。そしてその精霊には、性別がないように見えた。
 その絵の中の精霊だけではない。
 長い人生の中で、何度か目にしてきた精霊たちにも、 男女の区別を付けることは難しかった。いや、できなかった。
 そう。今目の前にいる少年のように、精霊たちは皆、中性的な、美しい姿をしていた。
「??? おじさ───ん、どうしたの?」
 突然黙り込んでしまった男に、アノンが訝しげに眉を寄せ、 ぼーっと宙を漂っている彼の瞳の前で、ヒラヒラと手を振る。
 アノンに声をかけられてハッと我に返ったダグルは、改めて目の前の少年を観察する。
「ふーむ、男ねー・・・」
 どちらかと言えば女の方がよく売れるのだが・・。 まあ、少ないながらも女の客もいるだろうし、何より、この容姿ならば問題ない。
 と、勝手に決めつけると一言。
「まぁ、いいか」
「オっ、オレはよくな──────い!!」
 もしかして「男はいらんっ」とか何とかで、ここから出してもらえる!? と、 かなり期待していたアノンは、男の言葉に猛然と反発する。が、捕らえられたアノンが何を言おうとも無駄なのだ。
「まぁ、そう言うな。もう少しでデリソンだ。それまでおとなしくしてな」
 まだ何か喚いているアノンの言葉など右耳から入れてすぐ左耳から出したキャプテン・ダグルは、 そう言って二人の前から颯爽と姿を消してしまった。
「ちょっと待てよォ────ッッ!!」
 空しくも、アノンの声にキャプテンからの返事は返ってこなかった。
「行っちゃったみたいですね」
「だね・・・」
 落ち込むアノンとは反対に、ずっとアノンの後ろで小さくなっていたタタラは、 大男の姿が見えなくなって嬉しそうだ。
「はぁー・・・。どうしよっかなァ。ティスティーに怒られるよ」
 がっくりと項垂れてしまったアノンに、タタラが首を傾げる。
「ティスティー?」
「あ、うん」
 不思議そうに繰り返したタタラに 、当たり前だが彼女がティスティーのことを知らないのだということを思い出す。
「オレと一緒に旅をしてる仲間。魔法使いなんだ」
「────」
「? タタラ?」
 突然表情を硬くしたタタラに、アノンは自分が何かおかしな事を言ってしまったのだろうか、 と考えてみたけれど、思い当たるものは何もなかった。
 しきりに首を捻っているアノンを余所に、タタラは厳しい顔つきのまま、ボソリと呟くように言った。
「私、人間は嫌いですわ」
 今の今までさんざん自分とニコニコ話をしていたタタラの口から 出た意外な言葉に、アノンはキョトンとしてしまった。
 何で? と思い切り顔に書いてあるアノンに気付き、タタラはしかめっ面のまま口を開く。
「だって人間たちはこうして私たちを捕まえて売り飛ばしたり・・・・。 いいえ。売り飛ばされるだけならまだマシですわ」
 タタラは形の良い眉をキュッと寄せて、震える声で言葉を紡いだ。
「私の仲間の中には、殺されて剥製にされた子や、翼だけもぎ取られて死んだ子もいましたもの。 ・・・・大嫌い。賞金のために私たちを襲う戦士や魔法使いも」
 淡々と感情なく語るタタラに、アノンは複雑な顔をして彼女を見つめていた。
 魔物を殺せば殺すほど、国から報酬として金がもらえる賞金制度。 他者の命を奪ってまで金を得ようとする人の気持ちなんて、アノンには全く分からなかった。 どう考えてもおかしいことだと思っているのは、アノンだけではないのだろうが、 金のためだけに見境なく魔物の命を奪う愚かな戦士や魔法使いが数多くいることは紛れもない事実だった。 だからいつまでたっても、賞金制度が廃止されずにいるのだ。
「・・・んーと、その・・・。ごめんね」
「え?」
 視線を落としたアノンは、小さな声で言った。
「何を言えばいいのか分かんなくてさ。・・・・ごめん」
 仲間を無惨にも殺されてきたタタラに、たとえ自分が彼女の仲間を傷付けたわけではないのだが、 同じ人間としてアノンは謝る以外、他に何をして良いのか、何を言えばいいのか分からなかった。
 まるで、自分の方が深く傷付けられたかのような顔をして俯いてしまったアノ ンに、タタラが慌てて声をかける。
「そんな顔なさらないで下さい、アノン。貴方が気にすることではありませんわ」
 気にしないでくれ、とそう言ったタタラに、アノンはそんな気にせずにはいられない、と首を横に振って言った。
「君たちがひどい目に遭ってるって言うのに、気にせずになんていられないよ。 しかも、オレたち人間の所為で、なんてさ・・・」
「え!!?」
「え? な、何?」
 突然大きな声を出したタタラに、アノンは驚いて、思わずそう訊ね返してしまった。
 タタラはタタラで、驚いたような顔をしている。
「・・・・貴方、人間ですの?」
 そんな彼女の質問に、アノンは一瞬唖然とする。
「───・・な、何に見えてたの?」
 自分としては、何処をどう見ても人間だと思うのだが・・・。
 キョトンとして訊ね返してきたアノンに、タタラの方も少し首を傾げながら答えた。
「どうしてでしょうか・・。貴方はどちらかというと、私たちに近いような気がしますの」
 私たち≠ニ、いうと・・・。
「・・・・魔物に?」
「・・あ、ごめんなさい。気にしないでください」
 訝しげな顔をしているアノンに気が付いたタタラは、 ニッコリと柔らかな微笑を浮かべて、この話題をうち切った。
 ・・・・彼は人間じゃない?
 本能的、直感的にそう思ったのだ。もしかしたら、彼の親か、祖父母、 もしくはもっと時をさかのぼった祖先の中に、人間ではない者がいるのかもしれない。 何の根拠もないのだけれど、・・・何故だろうか。彼が隣にいると、とても心地良い。 海賊船の中、しかも檻の中に入れられているというのに、まるで仲間といるときのように心が安まる。
 不思議な人・・・。
 彼が側にいるだけで、心の中でわだかまっていた憎しみ、怒り・・・、そんなどす黒い感情に、 明るく白い光が射し込むような気さえするのだ。それはまるで魔法のように、目に見えないものではあったけれど・・・。
「あ、そうだ。一つだけ言わせてよ」
「何ですか?」
 突然、何か思いだしたらしく手を叩いて自分の方にクルッと向き直ったアノンに、 タタラは不思議そうに首を傾げて問う。
「ティスティーは人間で魔法使いだけど、でも、いいヤツだよ。それだけは言っておきたかったんだ」
「・・・」
 そう言って笑ったアノンは、すぐに今度は檻をつつき始めたのだった。 本当に、それが言いたかっただけらしい。
 一瞬、彼が何故そんなことを言うのだろうかと、不思議に思ったけれど、思い当たる節はあった。 先程自分が、人間は嫌い。魔法使いは特に、と言ったからだろう。だから彼は、そのティスティーという人は嫌わないで。 と、そう言いたかったのだろう。はっきり言って、魔法使いなんて誰も皆同じだと思っていたタタラは、 少し自分が恥ずかしくなる。彼の言ったとおり、魔法使いの中にも優しい人はいるだろう。 自分の嫌いだった人間の中に、アノンのような人がいたのだから・・・。
「ふ───、駄目だー」
 気にしないで下さいと言ったタタラの言葉に従い、もう彼女の言った事への疑問は置いておくことにしたらしいアノンは、 何度か檻を蹴ったり叩いたり押してみたりした後、どう頑張っても素手ではこの檻を破ることはでき そうにないことを悟ったらしい。溜息をついて、檻の中に座り直す。
「ちぇー、剣さえあれば何とかなるかも、なのになー」
 勿論、剣は持っていない。オウドの船の中か、もしくは剣も海賊に盗られてこの船の中にあるのか・・・。 どちらにしろ、アノンは全くの丸腰だ。
「私も何度か力を使って壊そうとしてみたんですけど、どうやら耐魔性らしくて・・・」
「そっか・・・」
 魔法も駄目。ということは、この檻が開けられるまで、二人に脱出のチャンスは訪れないらしい。 この檻が開けられるとき・・・。先程、キャプテンらしき大男はデリソン国に行くと言っていた。 もしかしたらそこで檻が開けられるかもしれない。
(デリソンか・・・)
 デリソン王国。くしくもそこは、ちょうどアノンとティスティーが向かっていた国。 きっとティスティーもこの国に来るはずだ。
(・・・捜しに来て、くれるよね)
 大丈夫。
 不意に浮かんだ疑問に、アノンはすかさずそう言い聞かせた。
 だって、彼女は言ったではないか。迷子になんてなったりしたら、私が見つけだして、ぶん殴ってやるからね≠ニ。 だから、大丈夫。また独りぼっちになるかもしれない。なんていう不安を抱く必要はないのだ。
(あー。でも、殴られるのはイヤかも)
 ティスティーは、言ったことは必ず実行に移す。あの、カーノの家を発ったときは、 照れ隠しで殴ってやるから≠ニ言ったのだろうが、やはり彼女は実行に移すだろう。ティスティーはそんな人なのだ。
(妙なトコ、真面目なんだよナー)
 思わずクスッと笑いを洩らしたアノンに、タタラが不思議そうに首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「あ、ううん。何でもない」
 そう言って微笑んだアノンに、タタラはそれ以上の追求はせず、そうですかと返した。
「アノン・・・」
「ん? 何?」
 遠慮がちに口を開いたタタラに、アノンがどうしたの? と首を傾げて先を促す。
 けれどタタラは視線を俯けたまま、なかなか口を開こうとはしない。
 そんな彼女の様子に、アノンは少し困ったようにポリポリと頬をかいた後、俯いた彼女の顔を覗き込んで訊ねる。
「どうしたの?」
 何でも言っていいんだよ。そんな風に優しく微笑んでいるアノンを見たタタラの瞳は、 不安そうに細められていた。そして、その唇から零れた声も、こころなしか震えているようだった。
「私たち、どうなるんでしょうか・・・・」
「・・・え?」
 ポツリと小さな声で呟いたタタラの言葉がよく聞き取れなくて訊ね返したアノンは、 突然彼女に腕を掴まれてギョッとする。
 そんなアノンを余所に、タタラは彼の腕に縋り付くようにして言った。
「私たちどうなるの? 売られちゃうの? それとも殺されるの!?」
「タタラ・・・」
「アノンッ。ねぇっ、私たちどうなるの!?」
 今までずっと、タタラは海賊船の中、しかも檻の中に入れられているというのに、 そのことに何も感じていないかの如く、穏やかだった。そんなタタラの、あまりにも突然の激情に、 アノンは今までの彼女の不思議なまでの穏やかさが、こうした不安の裏返しであったことを知った。
 不安、恐怖。そして、絶望・・。そんな身も凍るような感情には、アノンにも覚えがあって・・・。
 それは、辛い辛い記憶。
 ・・・・でも、大丈夫。大丈夫。
「大丈夫! タタラは一人じゃないから」
 そう。自分も一人じゃない。だから、大丈夫。頑張れる。
「────アノン・・・」
 力強いアノンの言葉に、タタラは少し落ち着きを取り戻したのか、 ギュッと握っていたアノンの腕を放した。ブラウンの瞳にも、いつも通りの穏やかな光が戻ってきつつある。
「大丈夫だよ。二人でここから逃げよう。オレは売られたくないし、殺されたくもない。だから、逃げようね。 絶対、チャンスはあるからサ。ね?」
 もう駄目だと諦めかけていた自分に、光が投げかけられるのを、 タタラは感じていた。それは、目の前にいる少年の、優しい笑みと、力強い言葉。
 自然と、心が安まっていく・・・。
「・・・はい」
 いつの間にか、タタラは頷いていた。
「・・・・そうですわね」
大丈夫
 アノンの言葉が、ずっと頭の中で響いていた。