そんなこんなで完全に夜も更け、船に当たり砕ける波の音が辺りに心地良く響いている。 昼間の漁。数時間ほど前には魔物と、精霊との遭遇。 心身共に疲れ果ててしまい、船室では誰もが皆、深い夢の中にいた。 そんな船員達の耳に届くのは規則正しい波の音の中。 だが、いつしかその心地よい波の音の中に、それとは異なったものがまざる。 穏やかな波を割く、不規則な音。それが次第に近付いきていることに気付いたのは、ティスティーだった。 「ん───、もう、何よォ・・・」 どうやら、船が近付いてきているようだ。難破船か幽霊船か、はたまた海賊船か・・・。い ずれにしろ、何かしら騒ぎが起こるに決まっている。せっかくよ───やくの眠りにありつけた というのに、その眠りを妨げられるのは、我慢がならない。 「隔離」 小さな声でそう唱えたティスティーの姿は次の瞬間、もう誰からも見えなくなっていた。 なみの魔力を持つ者でも見つけることも、触れることもできなくなったのだ。 つまりは魔法で、厄介事から逃げてしまったのだった。 次第に、アノンたちの乗る船に近付いてきたのは、彼らの船の三倍近くもある船だった。 まっすぐに向かってくると言うことは何かアクシデントに見舞われ、助けを求めている船でも、 おそらくは幽霊船でもないだろう。と、言うことは・・・。 穏やかな風にはためく黒い帆には、やはりお決まりのドクロと骨で描かれたマークが白く描かれてある。 ここ数日、商業船を次々に襲っては、貴重な品や珍品、金目のものを根こそぎ奪っていく卑劣な海賊船だ。 船首部にドンと置かれたうるさいくらいにド派手なイスに足を組んで、望遠鏡を覗いている男がいた。 がっちりとした筋肉質な体の上に、人並みよりゆうに高い背の所為で、ひどく周りに威圧感を与えている。 指や首元には「重いだろ、そりゃ」と、思わずツッコミをいれたくなるくらいに宝石を ─似合いもしないのに─ひっさげ、服もギンギラギンのピッカピカだ。赤黒い肌と髭面には似合わないことこの上ない。 望遠鏡から目を離した男、この船のキャプテン・ダグルはその口から酒の匂いと共に、溜息を落とした。 「ありゃ、ただの漁船だな。大したモンはないだろうが、一応金目の物は根こそぎ奪え」 漁船にぴったりと船体を付けて、海賊船は止まる。 短剣などを手にした海賊たちが、今から一暴れできる、と興奮した目で、じっとキャプテンを見ている。 彼が出す、GOサインを今か今かと待っているのだ。 「いいか。遠慮はするんじゃねーぞ。いいモノは奪え。若い女もだ。高く売れそうな、な。よし、行け!」 「おうっ!」 夜の静寂をぶち壊す無粋な雄叫びがこだまする。 漁船へと飛び移る海賊たちの足音と大声に、船員たちが飛び起き、何事かと船室から転がり出てくる。 「か・・、海賊だ────!!!」 その一声に、船上はたちまちパニックに陥ってしまった。 「落ち着け! 騒ぐんじゃない!」 意味もなく甲板を駆け回る船員たちを鋭く叱責したのは、 いつもの優しい顔を一変させた船長のオウドだった。 「逆らうんじゃない」 低い声で、彼は船員たちにそう命じた。 何の武術の心得もない自分達が、戦いの中で生きる海賊たちに適うわけもない。 この船には、幼いながらも第一級の戦士と魔法使いを乗せているわけなのだが、 彼らを起こすことはしないつもりだった。別に、彼らの腕を疑っているわけではない。 ただ、初めての船旅を楽しんでいるアノンを、少しでも危険な目に遭わせたくなかったのだ。 ─既に魔物との遭遇はあったが─できることならば、いい船旅にしてやりたい。 幸い、この船には盗られて困るような高価な物は乗せていないし、 逆らわず彼らの気が済むのを待つ方が賢明だと判断したのだ。 「ほう。利口じゃないか」 最後に船に乗り込んできたキャプテン・ダグルが、船長の行動にそう評価を下す。 見るからに海賊船のキャプテン、といった風格を漂わせている大男に、船員たちは皆、一歩後退る。 だが、果敢にもオウドは頭一つ半は上にあるキャプテン・ダグルの目をじっと見据えて言った。 「あいにくだが海賊さん。この船に大したモンはないぞ」 オウドの言葉に周囲を見回したキャプテン・ダグルは大袈裟に肩を竦めて見せた。 「そのようだな」 そう答えた大男に、このまま引き下がってくれるのかという希望を抱いたのは間違いだった。 「よし、お前ら。船室の方も見てこい」 何が何でも、何か戦利品を持って帰りたいらしいキャプテンは、海賊たちにそう命じる。 大きく歓声を上げた海賊たちは、鍵などかかっていないのだから普通に開けて入ればいいものを、 わざわざご丁寧に目の前に立ちはだかる木製の扉を全て蹴破っていく。 古くなっていた扉は、男たちの足によって悲鳴のような、乾いた音をさせて壊れていった。 バラバラになった木片が散らばる。 「やめろ! そっちには坊やたちが・・・!」 何も知らずに─こんな状況下でも─船室では二人がまだ眠っている。 オウドの必死な言葉も、彼らには届かなかった。 「キャプテーン!」 不意に奥の船室の方から、ダグルを呼ぶ声が上がったことに気付き、 彼は何かいいモノでも見つけたのかと笑みを浮かべ、声のした方へと向かって行く。 「キャプテン、コレコレッ。どうです?」 ある一室に入ったキャプテン・ダグルは、嬉々とした声で赤毛の男が指差したモノを覗き込んむと 、感嘆の溜息を零した。 「これはこれは・・・」 そこには、首まで毛布をかぶり顔を半分枕に埋め、無邪気な顔で眠っている少女がいた。 その部屋を照らすのは小さな窓から入る淡い月光だけで、はっきりと窺うことはできなかったが、 整った顔立ちと、月光の所為で銀糸かとも思える明るい髪を持つ少女。 彼女が美しい娘であろうことは、彼らの想像に難くない。想像だけにとどめておかず、 ちゃんと明かりを持ってきて確かめておけば気付くことができたかもしれない。 そこで眠っているのが、確かに少女と間違えても仕方がない容姿をしてはいるのだが、 正真正銘の少年だということに・・・。 改めて言わずともお分かりだろうが、十六歳、職業戦士、のアノンである。 「・・・連れて行け。船長の奴め、何処に坊やがいるって?」 そっちには坊やが、とそう言ってのは船長の咄嗟の嘘だったのだと勝手に─間違った─ 解釈をしたキャプテン・ダグルは、可笑しそうに喉の奥で笑ってからそう呟いた。 「よし、十分だ。引くぞっ」 美少女だと思い込まれている哀れな少年アノンをGETして満 足したらしいキャプテンは、海賊たちを引かせる。 「アノンをどうする気だ?」 海賊に担がれていくアノンを見つけて、オウドが青ざめた様子で叫ぶ。 そんな状況下でも起きないアノンを恨めしく思う余裕もない。 そんな船長を後目に、アノンを担いだ海賊は海賊船へと戻っていく。 「待ってくれ!!」 「退け」 アノンを返してくれと縋り付いてくる船長をキャプテン・ダグルは突き飛ばし、悠々と船に乗り込んでいく。 「船長っ!」 「大丈夫ですか!?」 キャプテン・ダグルとしては軽く振り払っただけだったのだが、 小柄なオウドの体は大きく傾き、そのまま派手に甲板にしりもちをついていた。 「船を出せ」 キャプテンの無情な声が響き、アノンを乗せた海賊船が、徐々に遠ざかっていく。 なす術もなく茫然と海賊船を見送っていたオウドは、しばらくしてようやく掠れた声ながら、船員たちに命じた。 「・・・・は、早く嬢ちゃんを呼んでこい」 アノンのことを、保護者の如くかいがいしく世話をしていた魔法使いの少女 のことを思いだしたのだ。とにかく彼女にこの事態をしらせねば・・・。 「そ、それが、さっきから捜してるんですけど、何処にもいなくて・・・」 船の隅から隅まで走り回ったらしく、息を切らせながら船員の一人が答えた。 「まさか嬢ちゃんも海賊に・・・!?」 何てことだ。と頭を抱える船長に、船員たちは彼を励ますように側による。 何もできなかったのは自分達も同じ事。船長一人が自分を責めるのは間違いなのだから。 そして、若い船員たちが何事か小さな声で囁き合い、 突然碇を海底から引き上げると、徐に船を動かし始めた。 「とにかく、こっそりあの海賊船を追いましょう」 追ったからと言って何ができるわけはないのだが、このまま引き下がれるはずもない。 盗られたものが金品ならばいたしかたない、と諦めもつくが、何と言っても人が盗まれたのだ。 仕方ないか。では勿論すまされない。 未だパニックを引きずったまま、夜明けに向かう夜の海を、小さな船は滑り出したのだった。 |