早朝。 ようやく太陽が地上に顔を見せ始めた頃、 アノンとティスティーの二人はもう既に船に乗り込んでいた。 朝方の、まだ少し冷たい風が海面を撫で、僅かに波を立てさせていた。 そんな穏やかな海へと、ゆっくり船が進み始める。 「おばちゃん、いろいろありがと! ご飯、美味しかったよ」 わざわざ港まで二人を見送りに来てくれたおばさんに、アノンは大きく手を振る。 アノンの言葉に、おばさんは嬉しそうに笑って、手を振り返す。 「また来ておくれよ!」 「うん! バイバーイ!」 おばさんの姿が見えなくなるまで、アノンはじっと港の方を見つめていた。 潮の香りが一層強くなってようやくアノンは港の方から視線を転じ、キョロキョロと辺りを見回し始める。 肌を撫でる風が心地良い。船を追いかけるようにして飛び回るカモメの白色が、 まだ薄暗い空によく映えている。絶えず耳に届く波の音が、心の奥にまで染み渡っていくようだ。 「────・・・」 体で感じ、目で見るもの全てが、アノンにとっては初めてのものばかりだった。 言葉では言い表せない感動に浸りつつ、船首部に向かっていたアノンだったが、 次第に感動よりも初めて船に乗ってのだという喜びがわき上がってきたらしい。 「わ────い、船だ船だ♪」 ついさっきまではおとなしくしていたアノンが、突然叫びだし、ピョンピョン跳ね始めたのを見て、 ティスティーが大きく溜息をつく。コイツは目を離さずに見ておかなければ船から落ちて海の藻屑と消えるだろう。 きっと。・・いや、必ず!
イラスト:寿
「アノン。あんまりはしゃいでると───」 あまりはしゃいでいると海に落ちるわよ。と釘を差そうとしたティスティーは、ギョッとする。 何故ならアノンの体が、下半身しか見えなかったからだ。上半身は何処かというと、 勿論船から乗り出して下を覗き込んでいるわけだ。 「ちょっ、バカ! 本当に落ちるわよ!?」 船から半身を乗り出して下を覗き込んでいるアノンの襟首を引っ張って船に戻したティスティーだったが、 アノンはティスティーに分かったと返事をするなり、またすぐに船の端によってはしゃぎ始める。 ・・・一体何が分かったというのだろうか。溜息を零したティスティーは、仕方なくアノンの側によって、 船からアノンが落ちないように彼の服の袖を掴んでいた。 そんなアノンとティスティーの様子をずっと優しい目で見守っていた、この船の船長─オウドが、 ゆっくりと二人の方へ寄って来る。年の所為か背はそれほど高くはないが、 黒く焼けた肌と無駄なく引き締まった体。そして口周りにたくわえられた白い髭とが、 彼の船長としての貫禄を漂わせていた。 「坊や、船は初めてかい?」 オウドが話しかけてきてくれたおかげで、アノンが下を覗き込むのをやめ、 ティスティーはホッと安堵の溜息をついた後、掴んでいた彼の服をはなした。 「うん。初めて。船っていいね。風がすっごく気持ちいい」 アノンの言葉に、オウドはまるで自分のことを誉められたかのように、嬉しそうに笑って言った。 「そうだろう? 今日は波も穏やかだし、良い船旅になるぞ」 「ホント!? やったぁー」 初めての船旅だ。嵐に遭えば、それはそれで良い思い出になるかもしれないが、やっぱり安全で快適だったなァ。 という思い出の方が良いに決まっている。嘘偽りでなく本当に嬉しそうなアノンの様子に、 オウドだけでなく、それぞれの仕事に徹していた船員たちまでもが、彼の笑顔に、思わず微笑を零していた。 だが、そんな中で一人、喜びの声を上げたアノンを冷たい瞳でチラリと一瞥したティスティーは、 小さな溜息をついて冷静な一言。 「・・・・・・ガキね、やっぱ」 無事に黄金郷に着いた船は、そのまま碇を降ろし、 黄金郷の近くで一夜を過ごすこととなった。黄金郷の周りの海は、まさにコバルトブルーだった。 明るい青色の海。そしてその海に浮かぶ、周囲二・三ほどqの小さな島は、黄金郷と呼ばれるに相応しい所だった。 白い砂浜と、青々と繁る緑。枝から零れ落ちそうになるくらいに実った果実と、それを食べるために集まってきた美しい鳥や、 愛らしい動物たち。そこはまさに理想郷とも言うべき場所だった。 おばさんに言ったとおり、船でイリスを捕る手伝いをするとアノンは言ったのだが、 心優しいオウドをはじめ船員たちは、小さなボートを出して、二人で黄金郷にでも遊びに行っておいでと言 ってくれたのだった。ただで乗せてもらっている身のアノンとしては、素直に頷くわけに もいかなかったのだが、その内誘惑に負け、お言葉に甘えることにしたのだった。 勿論ティスティーも一緒に、だ。ティスティーの場合は、遊びに行くというよりは、 アノンのお守りだったのだけれど・・。 イリスも捕り終え、辺りが闇に包まれ始めた頃、船長がたった今捕ったイリスをさばき、 船員たちとアノンたちとの賑やかな晩餐が始まった。十数人ほどいる船員たちのほとんどは船長と同 年代くらいの初老の男たちだったが、彼らの子や、孫だろうか、二十代くらいの若い船員も数人混じっていた。 今宵は満月。 いよいよ迫ってきた夜の闇に、漁で疲れた船員たちは皆、明日に疲れを残さないように、 早目の床についた。はしゃぎ疲れたアノンと、そんな彼のお守りに疲れ果てたティスティーも、 見事な満月の光に照らされた船の中で、ぐっすりと眠り込んでいた。 そんな時。 「!?」 突然、ぐらりと大きく揺れた船体に、船長をはじめ船員たちが慌てて跳ね起き甲板に走る。 誰もが感じていた。その揺れは決して波の所為ではない。何かが船を押しているのだ。 でも、一体何が・・・・? いち早く甲板に出た船員の叫び声が、満月に包まれた静寂を引き裂く。 「魔物だ!!」 次々と船室から飛び出してきた船員たちをじっと、不気味な金の瞳が見つめていた。 龍のように長い体の先には、針のように鋭い尾があり、大きく開いた口からは、月光を浴びてギラギラと輝く牙が覗いている。 二つの金の瞳にじっと見られて、身動き一つできずにいる船員たちを余所に、 部屋から飛び出してきたティスティーが、杖を構え、 彼女の後ろについて部屋から出てきたアノンは、剣を持ってはいたが、抜きはしなかった。 「先に言っておくわよ、アノン」 じっと魔物を見つめたまま、鞘に手をかけようともしないアノンに、ティスティーは言った。 「コイツの目を見てみなさい。分かるでしょ? コイツは私たちを喰らいに来たのよ」 杖を構えたまま、ティスティーはそうアノンに諭して聞かせる。 今までのアノンの行動からして、必ず彼は「魔物を傷付けないで」と言うに決まっている。 そう考えたが故のティスティーの忠告だったのだ。 だが、そんなティスティーの忠告にアノンが答えを返す間を与えず、 冷たい目をしたままの魔物が鋭い咆哮を上げ、水中から覗かせた尾を、船目がけて振り下ろした。 「うわあっ」 悲鳴を上げ、船にしがみついた船員たちが、海に投げ出されることはなかった。 ただ船体がぐらついただけだったのは、ティスティーが船の周囲に張り巡らせた障壁のおかげだった。 「ティスティー、シールドを解いて」 横に立つアノンの言葉に、まだ彼は魔物の味方をするつもりなのかと、 驚き呆れてアノンに視線を遣ったティスティーは、今度は違う驚きを覚えずにはいられなかった。 いつの間にか彼が剣を抜いていたのだ。何があっても魔物に剣を向けようとはせず 、更には自分が手を下したわけでもないのに、魔物が傷付いたことに心を痛める。 そんなアノンが、自分が少し忠告したくらいで剣を抜こうとは思っていなかったのだ。 「この子が、生きるためにオレ達を食べようとしてるんだったら、オレも生きるために戦う。みんなを守るために戦う」 魔物が人間に牙を剥く理由は様々だ。自分の身を守るため。親、子供、兄弟を守るため。 そして、命を繋げるための糧として人間を食すために。 前者二つは、彼らにのみ非があるわけではないし、わざわざ殺さずとも、 こちらが引けばいいのだ。だが、もし彼らが生きるために人を食べようと牙を剥くのならば、 引くわけにはいかない。こちらも生きるために戦わなくてはいけないのだ。何のために剣を抜くのかが大切なのだ。 「そう教えてくれたんだ」 誰が、とは言わなかったけれど、アノンにそう教えた人がルウという青年なのだと言うこと がティスティーには分かった。アノンに剣を教えてくれた彼の言葉が、アノンに剣を持つべき時を教えてくれるようだった。 「ティスティー、シールドを」 「・・・ええ」 もう一度繰り返したアノンに、今の彼ならば甘んじて魔物の攻撃を受け、 傷付くようなこともないだろう。そう判断したティスティーは、彼の言葉に従って障壁を消した。 船を覆っていた障壁が消えたことに気付いた魔物は、再び咆哮を上げ、額にある二本の触手の内、 一本を鞭のように振り上げる。 ヒュッ、と空を切り、更には船のマストを叩き折ろうと向かってくる触手目がけて、 アノンは身軽に飛び上がると、細いけれど自分の身長の半分以上もある剣を易々と振り下ろす。 アノンの剣に切られた触手は、マストに届く前に、派手な水飛沫を上げ夜の海の中に飲み込まれていった。 そして、その触手を追うように、鋭い咆哮を上げて、魔物の姿も海の中へと消えた。 そのことを確かめたアノンだったが、ホッと息をつく間もない。魔物の触手目がけて船から飛んだものだから、 彼の下に甲板はない。どうやらひとまず、この暗い夜の海に落ちなくてはいけないらしい。 よし、落ちるか。と、アノンが妙な覚悟を決めたときだった。 「FLY!」 ティスティーの声が聞こえ、何だ? と思う間もなく、突然体の落下が止まった。 ティスティーが魔法で召喚した小さな翼が、アノン靴に左右二つずつくっついている。 その翼が、アノンの体を浮かせてくれていたのだ。 海を見たことさえ初めてだったアノンには、勿論海で泳いだ経験がない。 村の近くにあった、そう深くない川でならよく遊んでいたが、やはり、川と海とではその大きさも深さも全 く違うように見えた。はっきり言って海に落ちることにかなりの不安を抱いていたアノン は、ホッと安堵した後、これはティスティーに礼を言わねば、と船の方を振り返る。 「サンキュー、ティス───」 と、口を開いたと同時に、頭上を何か黒いものが、驚くべきスピードで横切っていった。 「ティスティー!」 その黒い物体が、魔物の尾であることをアノンが悟ったのと同様に、 ティスティーもすぐさま障壁を巡らせ、船への直撃を防ぐ。もう逃げて行ったとばかり思っていた魔物が、 大きな波を立てて、再び海面に姿を現す。「戻ってきやがった」という船員たちの叫びが響いた。 「アノン! さっさと追っ払って!」 障壁に阻まれ、はね返された尾をなおも振り上げ、船に向けてくる魔物に、 いつまでも障壁を巡らせているのは疲れるのよ! と言いたげに、ティスティーがアノンに訴える。 「うん」 そんなティスティーの様子に、アノンは慌てて剣を握りなおし、 靴の翼を使って魔物の頭上まで飛び上がる。船に攻撃を加えることに夢中で、 自分に近付いてくる存在には全く気づいていないらしい魔物の頭部に降り立ったアノンは、 すかさず触手を根本から切り落とした。 突然の攻撃に、夜の静まりかえった海がざわめくほどの叫びを上げた魔物は、水飛沫を上げ、暴れ回る。 「うっ、わッ!」 魔物の頭部から振り落とされたアノンだったが、またもや翼のおかげで海に投げ出されることはなかった。 ・・が。 「アノン!」 「え? わっ」 ティスティーの切羽詰まった声に、何事かと視線を巡らせたアノンは、 ギョッとした直後、激しく海面に叩き付けられていた。先程アノンが切り落とした魔物の触手が、 まるで切れたトカゲのしっぽのように、尚も水を跳ねさせのたうち回り、 偶然にも空中に留まっていたアノンをたたき落としたのだ。 「アノン!!」 「防やっ」 派手な水音と共に暗い海に叩き付けられ、そのまま海に沈んでいったアノンに、 船上のティスティーや男たちが慌てて海面を覗き込む。 一際大きな波を作った魔物は、逃げるようにして海の中へと沈んでいった。 明るい月の下でかなり視界は利くのだが、そのざわめく海面にアノンの姿は見えない。 「アノン! アノン!?」 すぐさま障壁を消して波立つ海に飛び込もうとしたティスティーの行動に、 男たちは驚き、慌ててティスティーを止める。 「ティスティーさんっ、危ないですよォ!」 「お、落ち着け」 「うるさいわね! 邪魔する奴は燃やすわよ!」 ティスティーの全くもって冗談ではない脅しに、一瞬ティスティーを 引き止めようとする船員たちの力が弱まった、その時だった。 「プハァッ」 「おお、坊や!」 ザバァッ、と勢いよく海面に顔を出したアノンに気付いたオウドが、 嬉々とした声を上げる。 それに気付いたティスティーは、ホッと安堵の溜息をついてから、 海に飛び込もうと船から乗り出していた体を戻した。 海面に叩き付けられた際に、彼が気を失い、沈んでしまっているのではないか。 泳げなくて溺れているのではないか。と一瞬自分を見失いそうになるほど心配していたティスティーだったが、 そんな様子はおくびにも出さず、怒ったように言う。 「全く、心臓に悪いったらないわ」 「ごめんごめん。・・・・・って、あ───────ッッッ!!!」 すいすいと泳いで船までやって来たアノンは、いつもの笑顔でティスティーに謝りつつ、 船に手をかけた。とその瞬間、アノンは絶叫した。 「ど、どうかしたのか!?」 アノンが船に上がるのを手伝ってやろうと、彼に手を差し伸べた中年の男性が驚いて目を丸くしたことにも構わず、 アノンはキョロキョロと周りを見回した後、ようやく男の「どうかしたのか」という質問に答える。 そのアノンの表情は、少し強張っていて、どんな大変なことが彼の身に起こったのだろう? とティスティーを含め皆が心配そうにアノンに注目していた。 「・・・剣、落とした」 その答えを聞いた瞬間、誰もが思わず力を入れてしまっていた肩から力を抜いて、ホッと安堵する。 「何だ。剣ね」 どこか怪我でもしているのかと思ったティスティーは、ただ剣をなくしただけだと言ったアノンに、 思わずそう洩らしていた。 だが、アノンにとっては、ただ剣をなくしただけだと言い切ってしまうことができないほど、 これは由々しき事態だった。何故なら、あの剣は・・・。 「オレ、取ってくる!」 船を掴んでいた手を放し、クルリと方向転換をしたアノンに、船員たちもティスティーも一様にギョッとする。 「や、やめなさいよ。まだ近くにさっきの魔物がいるかもしれないでしょ? 剣なら買ってあげるから」 けれど、ティスティーの言葉にアノンは頷きも、船に戻ることもしなかった。 何処にも、あの剣は売っていない。あの剣でなければ駄目なのだ。だって・・・・。 「あの剣は、この世にたった一つしかないんだ。オレがルウにもらった、たった一つの・・」 そう言ってアノンは、大きく息を吸い込むと、再び海中へと姿を消した。 「アノン!」 ルウという人にもらった剣。それはこの世に一つしかなくて。 お金では買えないものなのだと、アノンは言った。改めてティスティーは、アノンにとって、 ルウという人の存在がどれだけ大きいのかを知った。 「・・・ああ、もう。知らないわよ」 いつもは素直なのに、妙なところで彼は頑固なのだ。 「心配する私の身にもなってみなさいよ」という言葉と共に船を蹴ったティスティーを、 船員たちが必死に宥め始めるのだった。 一方、アノンはと言うと・・・。 (わあ・・・。すごいナァ) ゆっくりと海の底へと潜っていきながら、しきりに海面や周囲をキョロキョロと見回していた。 最初は海水が目にしみて、とても周りの景色を楽しむことはできなかったのだが、大分慣れてきたようだ。 船から見た夜の海は、月光がいくら明るいといえども、やはり底が見えずただただ暗い影を落としていただけだったのに、 そんな海面とは裏腹に、海の中は満月の光を浴び驚くほどに明るいのだ。 海面で屈折させられた月光に緩く照らされた海の中は、幻想的でさえある。 揺らめく海草と、眠らない魚たち。絶えず耳に届く、少しくぐもってはいるが、静かな波音。 少し水が濁って見えるのは、先程アノンが傷付けた魔物の体から流れた血の所為だろう。 そのことが少し、彼の胸をチクリと突いた。 海の中に潜っているのにも限界があるので、アノンは海中の景色を堪能するよりも、 ひとまず先に剣を見つけだすことの方が先決だと自分に言い聞かせ、注意深く海底に視線を這わせた。 (あ、あった!) 以外と海底が近かったことも手伝って、剣はすぐに見つけることができた。そのすぐ近くには、鞘も落ちている。 (良かった) 安堵してから、アノンは剣と鞘の元に潜っていくと、それらをいつものように腰に付ける。 ルウからもらった剣を取るために、後先考えず潜ってきてしまったわけだが、何のことはなかった。 どうやら泳げるようだし、何より、初めてみる海中の景色は、とても綺麗だったから・・。 もう少し、もう少しこのまま海底に佇んで、海の中を見ていたいという思いもあったが、 そろそろ海面を目指した方が良い。どんなに綺麗な所でも、人間にとってここは、長居をしていい場所ではないのだから。 そうして海面を目指し始めたアノンは、不意に首を傾げる。 (あれ?) 何故だろう。海面へ近付くにつれて、次第に周囲が暗くなっていくことに気づいたのだ。月光をより多く浴びている海面付近よりも、何故か海底の方が明るいのだ。思わず海面を目指して泳いでいた足を止め周囲を見回したアノンは、少し離れたところに、あるものを見つけた。 赤や青、黄色、紫・・・。色々な種類の魚たちに囲まれてそこにあったのは、 海中に花弁を広げた花だった。しかも、その花は一つではない。いくらか距離を置いたところに一つ、 また一つと、いくつもの花が海底で花開いていたのだ。月の光と同じ、淡く儚い光を放っているその花の名を、 アノンは知っていた。 ホロメリア。 物知りなルウが聞かせてくれた話の中に、この満月の夜にのみ花を咲かせるという海の花─ ホロメリアの話があったのを、良く覚えていた。 (これが、ルウの言ってた花・・・) 蝶が美しい花の蜜を求めて舞い行くように、アノンもその美しい花が漂わせる淡い光に誘われるようにして、 再び海底に舞い戻っていた。 そして、ふと気づく。 (あ、もしかしてあれも・・・・?) 先程、自分が剣と鞘を取りにおりたその場所にも、ホロメリアがあったのだ。 気付かなかったのも無理はない。そのホロメリアだけはまだ、蕾のままでいた。 花弁を開かず、光を発していないホロメリアは、岩によく似ていたから。 でも何故、このホロメリアだけが開花していないのだろうか? そんな疑問に首を捻りつつ、上下左右に視線を巡らせていたアノンは、海面を仰いだときに、その理由を知った。 (そっか。船が影を作ってるんだ) ちょうどそのホロメリアは、停泊している船が作った影の下になってしまっていたのだ。 その所為で月光が届かず、そのホロメリアは蕾のまま花を咲かせることができなかったのだ。 (船長さんに頼んで、船を動かしてもらわなくちゃ) 満月の夜にしか咲くことができないというのに、せっかくの開花を邪魔するのは可哀想だ。 少しでも早く、そのホロメリアも周りにいる仲間たちのように花を咲かせてあげたい。 そう思って海底を蹴り、海面へと向かおうとしたその瞬間、アノンはギクリと体を強張らせた。 水が大きく揺れたかと思うと、アノンの頭上に、突然影が落ちる。 月が雲間に入ったのであればいい。そう願いつつ、咄嗟に顔を上げると、 そこには怒りに満ちた、一対の金の瞳がアノンを見据えていた。 茫然とするアノンを余所に、魔物は水を震わせて鳴くと、額にある触手を振り上げた。 (───やば・・・ッ!) 殺られる・・・! そんな意識の中で、何故かアノンはホッとしていた。 自分の命が危険にさらされているというこの状況の中で、アノンは自分が剣で切り落としてしまった 魔物の触手が再生していたことに、だ。 (・・・・バッカでー) まったく、アンタはバカがつくほどお人好しね いつかティスティーの言った台詞が、アノンの脳裏をよぎっていく。 しかしそれも、一瞬のことだった。衝撃がアノンの中を駆け巡り、 次の瞬間には固い地面に強く体を叩き付けられていた。口の中に僅かに残っていた空気が、 勢いよく海面に向かっていくのを見届けてから、アノンはその瞳を閉ざした。 |