世界がすっかり夜に包まれた頃、二人は宿屋で夕食にありついていた。 港町セディアは、行商人が多く訪れる場所だ。故に、宿屋は何処もいっぱいになっているのではないかと 危惧していたティスティーだったが、二人は運良く海を間近に臨んだ宿屋に泊まることができた。 アノン曰く、「日頃の行いがいいからね♪」だそうだ。 その日頃の行いのおかげで泊まることとなった宿屋は、ティスティーが「ここは私達が明日の朝旅立つまで、大丈夫なのかしら?」 と思わず案じなければならないくらいに、年月を経たものだった。 が、中に入ってみれば、その不安が完全にとは言えないが、幾分消え去った。それは 本当に慰め程度でしかなかったが。 壁に走る亀裂からだろうか、すきま風と一緒に運び込まれてくる潮の香りが鼻をくすぐる。 だが、外で野宿をすることに比べれば、いやに香っている潮の香りも、「風流じゃないか!」 と受け入れることもできる。むしろ、なかなかに思えてくる。 そして何より、その宿屋は、料理が美味かった。 すきま風の事なんて、帳消しにしても良いくらいに。 皿の上にどん、と置かれた、掌に乗るか乗らないかといった大きさの魚を、 アノンはいつもの如く、幸せそーに食べている。 さすが港町。出された魚介類は、どれも新鮮そのものだった。 そして、料理の美味さや食材の新鮮さより、何よりも驚いたのは、 その魚の見た目だった。二人の前に置かれた魚は、そのきゅっとしまった白く透明な身を、 虹色に輝く鱗で覆っているのだ。そんな色鮮やかな鱗で覆われた身は、薄く切って並べてあり、 そのまま生でこの宿特製だというソースにつけて食べると、それは絶品だった。 「ん───、美味し──」 この料理がよほど気に入ったらしく、先程から「美味しい美味しい」を連発しているアノンと、 コイツはもっと静かに食べられないのかしら。と、半ば呆れ果てていたティスティーの皿に 、突然もう一匹、先程よりサイズは小さかったが、同じ魚の料理が乗せられる。 「あんまり美味しそうに食べてくれるからね。オマケだよ。お食べ」 そう言って、小皿にソースをつぎ足してくれたのは、ふっくらと体格の良い、宿屋のおばさんだった。 「わぁ───い、ありがとう」 パァッと、表情を輝かせ魚を食べ始めたアノンを、しばらく楽しそうに眺めていたおばさんは、 徐に二人に話しかけてきた。 「知ってるかい? この魚はね、イリスって言うんだよ」 「イリス?」 聞いたことのない名だと、アノンは小首を傾げた。 「虹って意味さ」 この綺麗な鱗にちなんで付けられたんだろうよ。と、おばさんは付け加えて言った。 「黄金郷の海底の岩に産み付けられたイリスの卵はね、春先に一斉に孵化して、 明青海を一年かけて一周するんだよ。その間に大人になって、また黄金郷に卵を産みに帰ってくる。 ちょうど今が、イリスの産卵の時期なのさ」 「へー」 好奇心旺盛なアノンは、おばさんの話に一心に耳を傾けていたが、イリスという魚を食べる手を止めることもしなかった。 おばさんはアノンの前にある皿が空になったのを見て、カウンター越しにそれを下げながら話を続けた。 「だからこの時期になると、うちも船を出して、わざわざ黄金郷まで行ってるんだよ。 お客さんにも好評だし、デリソンの街でもいい値で売れるしね」 「ふーん。そうなんだー」 しきりにフムフムと頷いているアノンの脇腹を、ティスティーがつつき、彼の耳元に口を寄せて命じる。 「アノン、あの人に船に乗せてもらえるように頼みなさい」 ティスティーの言葉に、アノンはキョトンとして考える。そして考えた結果。 「ティスティー、イリスがそんなに気に入ったの?」 ティスティーは咄嗟に悟った。どうやらアノンは、自分がイリスを自分の手でつかまえたいので、 その船に同行させてもらえるように頼めといっているのだと解釈したらしい。 なかなか突飛で素敵な発想だ。だが。・・・なわけない。かすりもしていない。 自分が北に行くという目的を後回しにしてでも、イリスを捕りに行きたいと思うだろうか。 いや、思うわけがない。そのことは、ティスティーの冷ややかな目が何よりも物語っていた。 「・・・・違うんだね」 そう、違うのだ。再び思考を巡らせたアノンは、おばさんの言葉をゆっくりと反芻する。 どうやらこの宿屋の船は、イリスを捕りに黄金郷まで行き、そしてデリソンに売りに行くらしい。 そう。デリソンに行くのだ。そこはまさに自分達の目的地ではないか。なるほど、と手を打ったアノンは、 さっそくおばさんに声をかけた。 「ねぇ、おばちゃん。次に船を出すのはいつ?」 「ん? 明日だけど?」 それがどうかしたのだろうかと不思議そうなおばさんに、アノンは少し言いにくそうにしながらも、 横にいるティスティーの視線に促されて、オズオズと口を開いた。 「あのさ、ちょっとお願いがあるんだけど・・・」 「何だい? 言ってごらんよ」 気前の良いおばさんは、快活な笑みでそうアノンを促してくれた。 たとえ彼女のように気前の良い人でなくても、アノンに少し困ったような顔をされて、 放っておけるような人はいないだろう。 「オレたちデリソン王国に行きたくて・・・。その、もし良かったら、乗っけてってくれないかなー? なんて・・」 「何だ、そんなことかい。おやすいご用さ」 だんだん声が小さくなっていくアノンに、おばさんはハハハと豪快に笑って快く頷いてくれた。だが。 「あ、でも・・・・」 「・・・でも?」 突然声の調子を変えたおばさんに、アノンは少し不安になってその言葉の先を促す。 「でもね、最近海賊がよく出るらしいんだよ。つい先日も商業船が襲われたらしいしね。 金のあるところは護衛でも雇うんだろうが、うちにゃそんな余裕はないからねー。 だから、坊ちゃんや、嬢ちゃんを危ない目に遭わせちまうかもしれないよ」 おばさんの言葉を聞きながら腕を組み、何か考えていたアノンだったが、しばらくしてポン、と手を叩いた。 「んじゃさ、こうしようよ。オレたち、船に乗せてもらう代わりに、護衛する」 自分達が船の護衛をすると、申し出たアノンに、おばさんは二人を見つめる。 どう見てもこんな細くか弱そうな少年少女に、海賊とやり合うだけの力があるとは到底思えない。 「・・・あんたたちがかい?」 思わず驚いたように訪ねたおばさんに、アノンは自信満々で胸にある戦士証を指さしてみせる。 「こう見えてもオレたち、第一級の戦士と魔法使いなんだ」 「おやまぁ」 おばさんままじまじと戦士証を見、それが本物であることを確認し、また驚いたように目を丸くした。 「こりゃ驚いたねー。うーん、でも・・・」 二人が第一級の戦士と魔法使いであることは分かった。 別に、護衛としての腕を疑っているわけではない。ただ、本当に彼らを危険な目に遭わせたくないだけなのだ。 まだ二人を船に乗せることに渋い顔をするおばさんに、アノンは両手を合わせる。 「オレ、ちゃんと護衛も他のお手伝いもするから・・・。だから、お願い!」 必死に懇願するアノンに、おばさんはさんざん迷ったあげく、小さな溜息をついて答えた。 「分かったよ。船長には、あたしの方から言っておくよ」 「本当に!? わーい。ありがとう」 満面の笑みを浮かべたアノンの頭を、少し照れくさそうに笑ったおばさんの手が撫でて、離れた。 「さ、船は明日の朝早くに出るよ。早めにお休み」 「うん。ごちそうさま。お休みなさい」 「ああ。お休み」 おばさんのおおらかな笑顔にアノンは手を振り、ティスティーは軽く会釈をして、ざわついた食堂を後にしたのだった。 |