ゆっくりと真実を語りながら瓦礫の山を抜ける。 草木のない土だらけの荒野を歩いて行き、そこで歩みを止めた。 ティスティーに合わせるように、アノンも歩みを止める。 「そのときにできたのが、このカナン荒野」 と、そこまで言って、ティスティーは「ああ」と、 何か思いだしたように付け加えて言った。 「・・できた、じゃないわね。私が作ったのよ。街も人も、何もかもを消して、ね・・・」 凄まじい魔力の爆発は、広場を跡形もなく消し去り、かろうじてティスティーの住んでいた街、 カナンの端の方だけが、かつての街の存在を誇示するように、 瓦礫となり果てながらも残っただけだった。 何の表情もなくそう語ったティスティーの視線が、不意に遠くの景色から、 自分の胸元にまでおりた。 その視線の先にあったものを見て、今まで黙って彼女の話を聞いていたアノンは、徐に口を開いた。 「・・・ねぇ。その首の石が、お兄さんにもらったの?」 最初に出会った時から、いつも首に提げていた黒い紐の先にある青い石。 それは、光り物の好きな魔物が、彼女から奪おうとしたネックレスだった。 彼女は銀の鎖だったと言ったが、切れてしまったのだろう、今は黒い紐にさげられてあった。 アノンに問われたティスティーは頷き、その石をそっと掌に包み込んだ。 「これはずっと私の心の支えだったわ。・・・私はこれを見るたびに、 兄がまだ生きているんじゃないかって思うの」 はい、ティス。お守りだよ。これで大丈夫 最後に見た兄の微笑みは、言葉は、今でも色褪せることなくティスティーの中に刻まれた ままになっている。 「兄はとても優しかった。花や鳥が大好きで、絶対に誰も傷付けたりはしなかった。 何にも代え難い、私の大切な人だったわ」 そう、兄を語るティスティーの表情は、とても穏やかで、優しかった。 けれど、その表情は突然一変する。 「それなのに、魔物や人間がそんな兄や私、みんなの運命をめちゃくちゃにしたわ・・・!」 「・・・ティスティー」 怒りのままに怒鳴って、がくりと膝を付いたティスティーの前には、今の今まで気付かなか ったけれど、小さな十字架が立っていた。その十字架に刻まれているのはファティー≠ニいう名。 ティスティーの母親の墓だ。 「・・・・」 十字架からティスティーに視線を遣ってみると、彼女も、 切ない瞳でその十字架を見つめていた。何もないだだっ広い荒野に、 ポツンと一つだけ立っている十字架は、何だか淋しそうだった。 一つだけ・・。そこにあるのは、母親の墓一つだけ。 何故彼女が母親の墓しか作らなかったのだろうかという疑問に辿り着いたアノンは、 すぐにその答えを見つけだすことが出来た。 ティスティーはまだ、父が、兄が生きていると信じているのだ。 この世界の何処かで、二人とも元気に生きているのかもしれない。 いや、生きているのだ。だから、彼らの分の十字架を立てない。立てる必要はないのだ。 たかぶった感情を落ち着けるためにだろうか、ティスティーはゆっくりと息を吐き出してから、 地面に座り直して言った。 「・・私たち一族の寿命は普通の人と比べてとても長いの」 「え? あ、うん。そうみたいだね」 唐突に喋り始めたティスティーに、アノンが慌てて返事を返す。 彼女の寿命のことは、ずっと訊ねようかどうしようかとアノンが考えていたことだった。 カナンテスタ一族が滅んだのは二百年も前のことだと彼女の口から聞いた。 そして、その時、彼女が一三歳だったのだという事も。 だが、誰が聞いても明らかにおかしい。素直に考えると、 彼女の年齢は─一族が滅んだのがちょうど二百年前のことだとして─ 二一三歳になってしまうではないか。 そんな究極の疑問については、彼女自身が答えてくれるらしい。 「私たちの命は、魔力そのものなのよ」 彼女ら、カナンテスタ一族は、精霊の力を借りず自らの魔力で魔法を使う魔導師一族だったのだ。 先にも述べたように、普通魔法使いは、精霊の力を助けに魔法を使うものなのだが・・。 そうしなければ、魔法を使う代償として、生命力を容赦なく削られ、すぐに死んでしまう。 故に彼らカナンテスタ族は、神から普通の人間よりもはるかに長い命を授かり、 自らの命を削り、魔法を使っても長く生きることができるようになったのだと、 ティスティーは曾祖母から聞かされていた。 彼女の第一声で、いきなりアノンは?マークを飛ばしてしまっていたが、 そんなことに気を利かせてくれるティスティーではない。 「強い魔力を持っている者ほど長生きできるし、逆に魔力を使い果たしてしまうと死ぬわ」 二百年前のあの戦いで、怪我ではなく魔力を・・・、命を使い果たしてしまった所為で 死んだ者も少なくはない。事切れた人形のように横たわっていた死体がそうだ。 「私はもう、三百年は生きてきたわ。その三百年の内、百年も私はたった一人で生きてきたのよ。 それがどんなに辛かったことか・・・・」 今までの人生の三分の一。たった三分の一なのに、 その百年は今まで生きてきた二百年よりもはるかに長く感じられた。 二百年間ずっと自分の側にいてくれた父母、一族の人たち、そして兄。 彼らのいないたった独りぼっちの百年間は、ティスティーに孤独を植えつけ、 笑顔を取り去ってしまった。そして、代わりに大きくなっていったのは醜い憎悪。 ただただ恨むことしかできなかったのだ。自分をこんな境遇に陥れた、魔物を、人間を・・・・。 自分達の運命をめちゃくちゃにした者たちへの怒りと、自分を取り巻く孤独感とで、 まるで泣き出しそうにしているティスティーの表情に、決して涙はなかった。 それなのに、アノンにはティスティーが泣いているように見えて仕方がなくて・・・・。 「・・・・じゃ、オレ、ずっとティスティーの側にいるよ」 そんな言葉を、アノンはティスティーに向けていた。 「ティスティーが、独りぼっちなのが嫌だって言うんなら、オレ、ティスティーの側にいる」 「アノン・・・」 自分を見つめてくる真っ直ぐな瞳を、ティスティーは少し驚いたように地面に座ったまま見つめ返す。 その美しい青は、 何処までも何処までも澄んでいる。汚れを知らない、優しい光。 「ティスティーが今まで味わってきた、百年間も独りぼっちだったっていう辛さは分かんないけど、 独りぼっちになったときの淋しさや不安は、オレもよく分かるからサ。 それにオレも、独りぼっちは嫌だし」 木の根本にうずくまって母親を待っていたとき・・、 森の中を一人で母親を捜して歩き回っていたときの淋しさや不安は、 ティスティーと時間の長さは違えども、きっと似たものに違いない。 あんな淋しい思いはしたくないし、誰にもさせたくない。 自分が側にいることで、そんな思いをしなくても済む人がいるのなら、 自分はいつまででもその人の側にいるだろう。だってそうすれば、 その人が悲しい思いをすることもないし、自分も独りぼっちにはならないのだから。 そして何より、自分だったら、そうして欲しいから・・・。 それが伝えたかっただけなのだろう。アノンはそれだけ言ってもう満足したらしく、 ティスティーの返事を待たなかった。 「暗くなってきたし、早いとこ宿捜そ♪」 山の向こうに消えた太陽の光が、完全な闇が訪れるのを拒んでいるかのように、 まだ空にオレンジ色を濃く残している。だが、辺りが闇に包まれるのも時間の問題だろう。 ティスティーの手を取り立ち上がらせたアノンは、彼女の母親が眠っていることを示す 十字架にペコリと頭を下げ、ティスティーの手を取ったまま歩き始めた。 アノンの手のぬくもりが温かくて、つい彼に引かれるがまま歩いていた ティスティーは母親の墓を振り返った。不思議と今まで自分の中にあったあの十字架への 辛く重たい気持ちは消えていた。今なら、 「行ってきます」と手を振ることもできそうだったが、それはやめておこう。 ティスティーは唇の端に、僅かに微笑みを乗せ、十字架を見つめた。 心の中で囁いた「行ってきます」は、きっと母親に届いたことだろう。 「ティスティー」 十字架から視線を転じたティスティーに、アノンはいつもの笑顔で声をかけてきた。 温かな微笑み。そして彼の口にする言葉はいつでも優しくて、真剣で。 「ティスティーはもう、一人じゃないからね」 「・・・一人じゃない?」 おとなしくアノンの後ろをついて行っていたティスティーは、 彼が口にした言葉を繰り返す。 「うん。一人じゃないよ。だってこれからは、オレがいるもんね?」 そう言って向けられた笑顔を、ティスティーはまじまじと凝視してしまった。 彼の笑みがとても眩しくて・・・。そう感じた途端、心の中にあった重りのようなものが ストンと音を立てて落ちていった。そんな感覚に、ティスティーは気付いた。 母が眠る十字架を見ても辛い気持ちにならなかった。 それも、彼の言葉と微笑みのおかげだったかもしれない。と。 「─── ・・そうね。そうよね」 一人じゃないからね その言葉と彼の微笑みが、ティスティーの心を深く抉ったまま、まだ血を流していた傷を、 優しく優しく包んでくれているのかもしれない。 自分の前を歩いていくアノンの背を見つめるティスティーの表情には、 どことなく安堵感が窺えた。今までピンと張りつめていた緊張の糸が、 良い意味で少し緩んだのかもしれない。 そんなティスティーの表情を窺い見たアノンは、嬉しそうに微笑んで言った。 「一人じゃないって、何か魔法みたいだよね」 「魔法?」 「うん」 真っ直ぐ前を見つめたまま、アノンは言った。 「だって、一人じゃないってだけで、強くも優しくもなれるじゃん」 強くも、優しくも。 「・・・・」 ティスティーが返したのは、沈黙だった。 今まで誰がこの事を教えてくれたのだろうか。 いや、誰も教えてはくれなかった。当たり前のことだった。 けれど、その当たり前なことに、ティスティーは気付かなかった。 ずっと人を憎み続けて、一人でいることが一番良いのだと思いこんでしまっていた。 ・・一人じゃないと、隣にいる誰かを守るために強くなれる。 ・・一人じゃないと、隣にいる誰かを愛するために優しくなれる。 ────一人じゃない。 たったそれだけのことで、人は変わることができるのだ。 穏やかな気持ちすら忘れかけていた自分が、こうして彼と共に旅をし、 かいがいしく彼のことを構い、いつしか彼の笑顔に救われていた。 それが、何よりの証拠ではないだろうか・・・? 「・・・・ええ、そうね」 ティスティーは薄い微笑を口許に浮かべた。 が、すぐにその笑みはツンとした表情の中に消えてしまった。 「たとえ私の隣にいる誰かさんが、頼りないお子さまでもね」 全く大変だわ。と、嫌味ったらしく言ったティスティー。 一人じゃなかったから・・、アノンが側にいてくれたから、 自分も少し変わることができたのだ。と、そう素直に認めるのは恥ずかしかったのだろう。 何百年も生きてきて、大人げないかもしれないけれど、いきなり素直になんてなれない。 でも、それでいいのだ。焦ることはない。少しずつでも、きっと変わっていける。 何故なら彼女は、一人じゃない≠フだから。 アノンの手を振り払い、彼を追い越して歩き始めたティスティーはもう、 いつも通りの彼女だった。決して後ろを振り返らない。 真っ直ぐ強い瞳で、ただ前だけを見つめている。過去に深い傷を負い、 縛り付けられたままだった心は、きっとあの、母や同胞の眠る場所に、置いてきたのだろう。 「・・・」 無意識だろうか。一度は消したはずの薄い微笑が再びティスティーの口 許に浮かんでいることに気付いたアノンは、そのことに笑顔を零した。こうしてきっとティスティーは、 だんだん笑顔を見せてくれるようになるのだろう。 嬉しい。 顔中にその感情を溢れさせてから、アノンはティスティーの後を追って駆け出す。 いつものように軽口を叩きながら。 「お子さまだなんて、ひどいなー」 「はいはい。さっさと行くわよ」 「はーい!」 アノンの足音がすぐ後ろにあるのを感じつつ、ティスティーは胸元の青い石をそっと握り締めた。 この石は、今でも変わらず、自分のお守りだ。 この石のおかげ─この石が光り物好きな魔物に盗まれそうになったおかげ─で、 アノンと出会うことができたのだ。そして、彼との出会いよりも少し時をさかのぼった頃、 彼女が人間を憎み始めてから初めて心を開くことのできた人がいた。 彼との出会いも、この石を落としてしまったことから始まったのだ。 (・・・ありがとう) 心の中で兄に礼を言う。 何処か、同じ空の下で、兄もこの薄紫色に染まった空を見つめていることを祈りつつ。 (ありがとう。お兄ちゃん・・・・・) |