KINGDOM →→ フェレスタ

   TOWN →→ カナン


 遠い遠い昔。
 もうその頃を語ることのできる人間は皆、とうの昔に天上へと召されて逝った。
 それは、人々の記憶から忘れ去られた、遠い遠い昔。


 ドタドタと、街の端にある大きな屋敷に街の長と、 数人の男たちが駆け込んできたのは早朝のことだった。
 この頃、フェレスタ国沖の海に、人間を好んで喰らう種の魔物たちが多く潜んでいた。 しかもその魔物たちは人と同じように言葉を話すことのできる、高い知能を持つ魔物だった。 そして彼らは海に近く─現在一番海に近い街セディアが作られたのは、 このときから数十年は経ってからである─人の多いこの街に、ある要求を出してきたのである。
[食料をよこせ。そして、子供を五十ほど贄として献上しろ]
 それが、彼らの要求だった。その見返りに、このフェレスタ国沖から出ていくというのだ。
 子供を五十。勿論、喰らうために、である。
「はい、どうぞ」と子供を差し出すわけにも、 彼らの要求を退け、街を滅ぼされるわけにもいかず、 困り果てた長たちが、世界最強と名高いカナンテスタ一族の元へ相談にやってきたのだ。
 そうして成された談議の末に出された結論は、要求の完全拒否。そして彼らへの宣戦布告。
 カナンテスタ一族総動員で、フェレスタ王国を脅かす魔物を打ち払う、というものだった。
 日が昇ると同時に、街の人々は最低限必要な家財道具、食料、衣類等を手に、 街の外れにある小高い山へと避難を始めた。それは、カナンテスタの家も同じだった。
「お父様、どうしたの?」
 起きたばかりで眠そうな目を擦りつつ、クルクルの黒髪を肩の辺りではねさせた少女─ 見た目は十二、三歳くらいだろうか─ティスティーが、 戦闘用のマントを羽織るカナンテスタ族長の父に訊ねる。 屋敷中、いや、街中が物々しい雰囲気に包まれていることが、この少女にも見て取れたのだ。
「ティスティー、今すぐに母と共に屋敷を出ろ」
「え?」
 有無を言わさぬ父─クレドの言葉に、全く持って事態を把握できていないティスティーは困惑する。
「海から魔物が向かってきている。屋敷の地下通路を使え。ファティー、皆を頼む」
「承知いたしましたわ」
 クレドの言葉に彼の妻であり、ティスティーの母でもあるファティーが 神妙な面持ちで頷き返すと、ティスティーの手を取った。
「行くわよ、ティス」
「待って! お兄ちゃんは!?」
 母に腕を引っ張られて、ティスティーは慌てて足を突っ張り、 父の隣にいる兄─ディオを見上げた。
 だが、彼もまた父や一族の男たちと同様に着慣れない戦闘用のマントを身につけている。 まだ成人もしていない兄も、魔物との戦いにかり出される。 それほど、魔物たちが手強いのだと言うことを、ティスティーは咄嗟に悟った。 そして、その戦いで、きっと多くの命が失われるであろう事も・・・。
「お兄ちゃんも一緒に───」
「ごめんね、ティス」
 母の手を払いのけて駆け寄ってきた妹に、ディオは申し訳なさそうな微笑みを浮かべ、 ティスティーの頭をそっと撫でて言う。
「僕は、父様と一緒に戦わなくちゃならないんだ」
「嫌よっ。お兄ちゃんも一緒でなくちゃ嫌!」
 ギュッとしがみついてくる妹に、ディオは少し困ったような顔をしつつ、 優しくティスティーを抱き締め返す。
「大丈夫。必ずティスティーを迎えに行ってあげるよ。 ほら、早く母様と行って。父様と母様を困らせちゃ駄目だよ? ネ?」
 ディオはティスティーをそっと離すと、母親に視線を遣る。
「ディオ・・・」
 ティスを連れて、早く・・・。
 そう語りかけてくる息子の瞳に、ファティーは涙が滲みそうになるのを必死 に堪えながら頷いてみせると、ティスティーの手を取った。
「ティス、行くわよ」
「嫌っ! お父様ッ、お兄ちゃん! お兄ちゃ───」
 ティスティーが口を閉ざしたのは、ディオがティスティーの首に銀の鎖の ネックレスをかけたからだった。それは、いつもディオが肌身離さず首にかけている、 澄んだ青い石のネックレス。
「はい、ティス。お守りだよ。これで大丈夫」
 優しい笑みを浮かべるディオを、ティスティーはじっと見つめる。
 自分とは違って、サラサラの黒髪も、同じ闇色なのに、決して冷たくない優しい瞳も、 微笑むときに少し首を傾げる仕種も、何もかもを、その瞳に焼き付けてはなさないよう。
 ────はなさないように・・・・。


 屋敷の地下通路を通り、向かった山の洞窟には、 一足先に来ていた一族の女子供、老人たちの姿があった。
 戦いに出ないカナンテスタ一族の民全てが洞窟に身を潜め程なくして、 突然大地を揺るがせたのは、凄まじい魔物の咆哮と、何度にも渡って響く爆発音。 脅える子供たちを抱き締め、女たちは体を寄せあうようにして、 ただ地を揺るがす咆哮と爆発音とがやむのを、待つしかなかった。
 どれくらいそうしていたのだろう。恐怖に脅え、男たちの無事をひたすら祈っていた女子供、 老人たちにとっては、とてつもなく長い時間が経過したように思えた。
「音が、やんだ・・・・」
 しわがれた声が、そう告げた。
 それを合図にしたかのように、カナンテスタ一族の女たちは、 子供を抱えたまま洞窟から飛び出ていく。
 魔物は? 街は?
 一族の男たちは・・・?
「────!!」
 街に一歩足を踏み入れた女たちは愕然とする。
 建物は全てと言っていいほど潰され、なぎ倒されており、 その上には、おびただしいまでの赤い血が塗りたくられていた。 そしてその血の海に転がっているのは、バラバラになった魔物の死骸と、 同じように無惨にも引き裂かれ、あるいは事切れた人形のように横たわっている魔導師達の死体。 逃げ遅れ、戦いに巻き込まれて死んでしまったのだろう、街の住人の姿もあった。
 動くものは何もない。ただ、風が吹くたびに冷たくなった人たちの纏う服がはためき、 時折瓦礫の山から、小さな石が転がり落ちていくだけだ。
「パパ! パパ─────ッ!」
 まだぬくもりを残したままの死体に縋り付き、 幼い子供が声を上げて泣き始めた。その泣き声は見る間に広がっていき、 子供たちの大きな泣き声と、女老人たちのすすり泣きとが、廃墟と化した街に響く。
 絶望の真っ只中にたたされたティスティーは、ただただ茫然としていた。
 状況が、うまく把握できない。勝ったのは? 人間? それとも魔物?
 ただ、分かるのは・・・。
 父親の名を叫ぶ子。夫の名を叫ぶ妻。恋人の名を叫ぶ若い女。弟の名を叫ぶ姉。
 兄の名を叫ぶ────。
「・・・・お兄ちゃん・・。お兄ちゃんは!?」
 突然ティスティーの意識は現実に引き戻されていた。 父親の姿がない。そして、兄の姿も。
「お兄ちゃん! 何処!? お兄ちゃんっ!」
迎えに行ってあげるから
 そう言ったディオの優しい微笑みが、いやに鮮明に思い出された。
「お兄ちゃんっ!!」
 ティスティーの悲鳴にも似た叫びに、今まで茫然と立ち尽くしていたファティーが、 ハッと我に返る。そうして改めて周りを見回してみるけれど、 やはり視界を埋めるのは瓦礫の山と、あちらこちらに横たわる死体。 辺りには、むせかえるバラの匂いにも似た死臭が漂っている。
「─────」
 絶望が深く胸に突き刺さり、その痛みは彼女から周囲の音を取り去っていく。 風の音も、死んだ者の名を叫び、姿の見えない者を捜す叫び声も・・・。 いや、遠くで何か音がする。耳鳴りにも似たそれは、死に神の歌声・・・・?
「いたぞ! カナンテスタ一族だ!」
 彼女らを悲しみの底から押し出したのは、数十以上の足音と鋭い男の声。 その声を筆頭に、たくさんの声が近付いてくる。
 怒り、憎悪。
 そんな不穏な光を宿した何対もの瞳が、カナンテスタの人々を睨め付ける。 そして投げかけられた言葉に、カナンテスタ一族の者たちは皆、驚愕に目を見開くほかなかった。
「どうしてくれるんだ!」
「お前たちの所為で街がめちゃくちゃになったんだぞ!」
「魔物は必ず倒す、街は守るというお前たちの言葉を信じた俺たちを、 お前らは裏切ったんだ!」
「────何てこと言うのよ!」
 真っ先に口を開いたのは、対先程まで恋人の死体に顔を伏せて泣いていた、 若い女だった。
「彼は・・・、みんなは街のために、私たちのために戦って、 命を懸けて私たちを守ってくれたのよ!?」
 女は、涙に濡れ掠れた声で叫んだ。
 ・・・確かに街を守ることができなかったのは事実だ。 だが、街は何度でも作り直すことはできるれど、人の命にやり直しはきかない。 それでも、命を懸けて、カナンテスタ族の魔導師たちがこの街の人々を守ってくれたのもまた事実。 己の命を懸けてまで戦った恋人や同胞を侮辱するような街の男たちに、 黙ってはいられなかったのだ。
 勿論それは、彼女だけではなかった。
「そうよ。確かに街はこんな事になってしまったけど、魔物たちはいなくなったわ」
「彼らのおかげで、被害も最小限に押さえることができたのよ」
「この有様の何処が最小限だって言うんだ!?」
 憎しみ。悲しみ。絶望。
 それら全てを叩き付けるような口調で、男は叫んだ。
「おとなしく奴らの要求通り、食い物を差し出していれば街もこんな事にはならなかったし、 戦いに巻き込まれて死ぬ奴もいなかったはずだ」
「・・・奴らの要求を呑んでいれば、だと?」
 男の怒声を、低い老人の声が遮った。
「贄に子供を差し出していれば良かったと、そう申すのか?」
 その声の調子はいたって冷静であったが、 それがよけいに老人の怒りを如実に表しているようだった。
「そ、それは・・・」
 老人に睨み付けられた男が、その鋭い眼光に口ごもる。
「・・・話し合いで子供を差し出せという要求を取り下げてもらえば───」
 口ごもってしまった男に代わって他の男が口にした言葉に、老人は冷たく言い放つ。
「相手は確かに人語を解す。だがその分奴らは知能が高く、残忍だ。 その話し合いとやらの間に、一体何人が喰われるか」
 老人の言葉はまさに核心をついていた。だからこそ男たちはカッとなり、 ムキになって怒鳴り始めた。
「うるさい!」
「お前たちの所為だ!」
「そうだ! お前たちの所為だ!!」
 男たちの、何度も何度も繰り返される呪いにも似た言葉に、 子供たちは母親の側に縋り付く。脅える子供たちを母親は強く抱き締めるのだった。
 突然、辺りに響いたのは、男たちの声をも掻き消すほどの足音。 ぴったりとそろっているが故に、無機質な大音量。
「あ、あれは・・・!」
 一頭の馬に乗った男を筆頭に、人々の方へと近付いてくる、鎧を身につけた黒い集団。
 あれは───。
「フェレスタ魔道師団・・・!」
 黒い布の四隅に白く魔法文字が入れられ、 その中央には紅蓮の炎をいただいた鳳が大きく翼を広げる模様の旗が、 いくつも風に吹かれてはためいている姿に、人々は息を呑む。 それは、フェレスタ国旗以外の何者でもない。
 兵士たちを止め、自分達の方へ馬を寄せてきた男に、街の民たちは一斉に地に伏す。
「・・・何用でございましょうか。フェレスタ魔道師団第一軍隊長殿」
 自分の前までやって来ると馬を止めた男に、ファティーは訊ねた。
 彼女はその男を知っていた。フェレスタ王国が誇る五軍隊の内、 最も重きを置かれている第一軍隊の隊長であり、 フェレスタ国王の側近でもある灰色の目の男─ラジル。
 昔から王家とは何度も顔を合わせ、意見を請われて、国王に仕えてきたかカナンテスタ族長 ─クレドの妻であるファティーも、何度か彼と顔を合わせたことがあったのだ。
 ラジルは彼女の問いには答えず、後ろに控える兵士たちにチラリと視線をやり、 ぼそりと、だが有無を言わせぬ口調で彼らに命じた。
「・・捕らえろ」
「え?」
 何が起こったのか理解する間もなく、辺りが殺伐とした雰囲気に包まれる。 兵士たちの足音の中に、断末魔の声が混ざる。
「族長の妻と子は生かして捕らえろ。後は殺せ」
 ラジルの淡々とした命令に、兵士が、混乱の中でただ茫然と立ち尽くしているティスティー の腕を乱暴に捕らえた。
「きゃあっ」
「ティス!!」
 娘の悲鳴で、ファティーはようやく我に返る。 ティスティーを連れていく兵士を追おうとするファティーの体に、 突然縄が巻き付く。魔法をもってしても切ることのできない、特殊素材の縄。
「お母様っ!」
「ティス! ティス!!」
 娘を助けようと必死で抗うファティーと、 母に助けを求めるティスティーとを、まるで感情を持ち合わせていない人形のような、 冷たい灰色の瞳で一瞥すると、馬を歩かせ始め、言った。
「牢に入れておけ」
 と。


「お前、聞いたか?」
「何をだ?」
 何処か遠くで響いている話し声で、ファティーは目を覚ました。
「ここは・・・・」
 冷たく、埃のたまった石の床に、何故自分が横たわっていたのか、 いまいちよく分からない。はっきりとしない意識のまま、 ファティーは自分の腕に触れた柔らかな少女の手の感触にようやく夢から 醒めたかのように体を起こした。
「お母様、大丈夫?」
 そこには、心配そうに自分を見つめている娘の姿があった。 そこでようやくファティーは、自分達が薄暗く湿っぽい牢に入れられていることに気付いた。 カナンテスタ族長の妻と、その娘を残し、他は殺せと命じた灰色の瞳の男─ラジル。 そして、その命令に従いカナンテスタ一族の女子供、 老人たちを次々と殺していった兵士たち。 残ったのは、自分と、娘だけ・・・。
 ギリッと唇を噛んで俯いた母を、 ティスティーは心配そうな瞳で見つめる。
 母の心配をしながらも、やはり彼女も今だに自分達がどうしてこんな目に遭 わねばならないのかを理解できないでいた。
 何故自分達、カナンテスタ一族が人々から恨まれ、 殺され、捕らえられねばならなかったのかが・・・・。
 理解できるわけがない。自分達は今まで、街のため、国のために今まで尽くしてきたというのに。
「・・・お母様。私たち、どうなるのかなー」
 母にそっと体を寄せて、ティスティーは小さな声で訊ねた。
 ファティーは何も言わなかった。ただ、ギュッと、強く強く ティスティーを抱き締めただけで・・・・。
 しんと静まりかえった牢の中に、ファティーを目覚めさせた話し声と、 だんだん近付いている足音とが響き始める。 その足音に体をビクつかせたティスティーを、ファティーは更に強く抱き締める。
「公開処刑だとよ」
「!」
 はっきりと聞こえてきたその言葉に、ファティーは驚きに目を瞠り、 ティスティーが体を硬くする。
「フェレスタ国王から、直々のお達しなんだとよ」
「王から? 何だってまた」
「あの魔法使いの一族は、昔っからこの国を守り、王を助けてきたからな。 だから奴らを支持する家臣も国民も多い」
「ああ、なるほど。王様は奴らが自分より権力を持つのを恐れてたってわけか」
「ああ。何とかして奴らを消したいと思っていたんだろうよ」
 男たちの話し声にじっと耳を傾けていたファティーは、 ティスティーを抱き締めたまま、きつく唇を噛み締めた。 フェレスタ建国の際にも、それからも常にこの国と、この国を治める
 王に力を貸してきたというのに・・・、その恩を仇で返そうというのか────
「お母様・・」
 自分を抱き締めている母の腕を解いたティスティーの声は心なしか震えていた。 それは自分達に迫ってきている死への恐怖か、 それともファティーと同じく、抑えきれないほどの激しい怒りの所為か・・・。
「魔物がお兄ちゃんたちを殺して、今度は人間が私たちを殺すのね」
 ティスティーは言った。人間が≠ニ。自分も同じ人間であるというのに、 まるで別の生き物を言っているかのような響きが、そこにはあった。 そして何より、その声音は静かで・・・、あまりにも静かで、 自分の中を駆け巡った悪寒を、無視することが、ファティーにはできなかった。
 それが何なのかは分からなかったけれど・・・。
「許せない。許せない・・・」
「ティス・・・」
 強く拳を握り締めて俯いたティスティーの肩をそっと抱き寄せ、ファティーは囁く。
「お願いよ、ティス。全てに絶望しないで。お父様も、 ディオもまだ死んだと決まったわけじゃないわ」
「・・・お父様も、お兄ちゃんも、生きてるのかな?」
「・・信じましょう」
 ファティーの言葉に、ティスティーは黙って頷く。 母の言葉が、ただの気休めであることは分かっていた。 それでも、自分を絶望させないために、そう言わざるを得ない母の立場もよく分かっている。 でも・・・、訊ねずにはいられない。
お父様たちが生きてるなら、どうして私たちを助けに来てくれないの?
 と。そんな言葉が零れないよう、ギュッと唇を噛み締めた。
 自分の肩を抱いていた母が、急に体を強張らせたことに気付いたティスティーが、 どうしたの? と問いかけるよりも先に、答えが返ってきた。
ギイイィ・・ッ。と、重く錆びた音をさせて牢の扉が開き、 二人の兵士らしき男が牢の中に入ってきたのだ。 おそらく先程の話し声は彼らのものだったのだろう。
「出ろ」
 短く命じられ、ファティーはティスティーの手を取り、 おとなしく前を歩いていく兵士たちの後について歩き始めた。
 このままだと殺されてしまう。ならばこの兵士たちを殺し、 逃げてしまおうか。女子供だからといって油断しているのか、 彼らは大した武器も持っていない。この程度の男たちならば難なく・・・。
 そこまで考えて、ファティーは小さく首を振った。
 自分は何て愚かしいことを考えているのだろうか。
 この魔力は人を傷付けるためのものではない。
 夫が子供たちにいつも言って聞かせていた言葉が蘇ってきた。 今、この言葉を娘に教えるのは自分だ。 それを自らが破るわけにはいかない。 そして、死んで逝った我が一族、カナンテスタ一族の名を汚すようなことはできない。
「お母様っ」
 ティスティーの声。
 暗い牢を抜け、連れて行かれた先は、 かろうじて建物としての原形をとどめている自分達の住んでいた街。 かつては涼やかに噴水が水を噴き上げていた広場が、今や人々の殺意に満ちた処刑場と化していた。
 刺し貫くような人々の視線の前に晒されて、彼女らはまったくもって身動きができなく なってしまった。自分達の死を望んでいる人々の中には、 昨日まで普通に言葉を交わしていた店の主人や女将さん、 共に勉強をしていた友達の姿があったのだから。
私たちが一体何をしたって言うの!?
 そう叫んでしまおうか? そうすればこの肌を刺すような視線が、 少しは和らぐかもしれない。
 それとも、お願い、助けて≠ニ命乞いをすれば、 惨めではあるけれども死ななくて済むかもしれない。
 ・・・・そんなことできるわけがない。
 それでは自分達が悪かったのだと認めることになってしまうのだ。 一族の皆が大切にしてきた誇りを、ずたずたに引き裂くことになってしまうのだ。 たとえ死んで逝った同胞が、そうなっても構わないと、自分たちにそうしろと言っても、 彼女らにはそれができなかった。無念の内に殺されていった一族の皆を、 これ以上貶められたくはなかったのだ。
 そして何よりも、彼女らの中にも、カナンテスタ族の人間としての誇りがあったのだから。
「これより、罪人共を処刑する」
 スラリと剣を抜いた兵士の言葉に、広場を囲う人々の口から、 歓声が上がる。地を揺るがすほどの歓声に、ファティーもティスティーも、もはや茫然と立ち尽くしているしかなかった。それほど、大切な人を、街を失った人々の怒りは凄まじいものだった。  カナンテスタ一族が悪いわけではない。
 そう分かってはいるけれど、この底知れぬ怒りを誰に向けて良いのかが分からなかった。
 そんなときに、国王が彼らを罪人としたのだ。
 カナンテスタ一族は罪人。
 罪人─そう。そうだ。奴らが全部悪いんだ。


 ────殺せ、殺せ。罪人を!


「やっ、やだ! お母様ッ」
「ティス!」
 母親の手をギュッと握っていたティスティーの手を兵士たちが容赦なく引き剥がす。 そして、ファティーを押さえつけると、後ろ手に縄で縛り付けた。


 ────殺せ。魔女を、殺せ。罪人を!


「やめて! もうやめて!」
 観衆の声に掻き消されながらも、母に剣を向ける兵士に向かって、 ティスティーは泣き叫ぶ。おかしくなってしまいそうだった。 母と、自分に迫り来る死の恐怖。浴びせかけられる呪いのような人々の歓声。
「やめろ!」
 それは、突然のことだった。観衆の中から一人の少年が飛び出してきたのだ。 目映い金の髪は、群衆の中、人をかき分けかき分けここまで来た所為でくしゃくしゃ になってはいたけれど、彼のその髪と淡青色の瞳には、 ファティーにもティスティーにも見覚えがあった。
 古来より続く魔導師一族。という肩書きの所為で同年代の子供たちから一歩 距離を置かれていたディオとティスティーに、臆することなく接してくれたディオの親友─アスト。 ディオと同い年で、よく屋敷にも遊びに来ていた。 ティスティーのことをティーちゃん、ティーちゃん、と呼び、可愛がってくれた。
「やめてくれよ! みんなどうかしてるって。この人たちが悪いんじゃねーよ! みんな分かってんだろ!?」
 大歓声の中に一つだけ、アストの必死な叫び声が空しく響いている。
 観衆の中を飛び出して剣を構える兵士に縋り付いたアストに、 ファティーもティスティーも正直驚いてしまった。 こんなことをしたら、彼の方がみんなから恨まれてしまうかもしれないのに。
 そして、何よりも驚いたのは、今まで自分達に好意的だった彼も、混乱した人々にのまれて、 きっと自分達の死を望んでいるのだろうと思い込んでいたのだから。
「黙れ!」
「この小僧をつまみ出せ」
 兵士たちに押さえつけられ、アストはそのまま親友の母と妹の側から引き離されていく。 どんなに足を突っ張って抗ってみても、二人がかりの兵士に、 少年の力はあまりにも非力すぎた。
「ちっくしょう! 放せ、放せよっ」
「アストお兄ちゃん!」
 次第に遠ざかっていくアストに呼びかけたティスティーの声が届いたのか、 彼はティスティーの方に視線を転じ、何事かを叫んだ。
「ティーちゃん、おばさん! 死なないでくれ! ディオは───」
「アストお兄ちゃん! 何? 聞こえないよ!」
 必死で何かを自分たちに伝えようとしているアストの声は、 人々の歓声に掻き消され、ティスティーたちに届くことはなかった。 そして、アストの姿も、すぐに二人からは見えなくなってしまった。
 もう観衆の中に、二人の救いを求める者は一人としていなくなったのだ。


 ────殺せ。殺せ。殺せ。


 まるで呪いのように繰り返す。
 耳を塞いでしまいたい。けれど、ティスティーの腕をを捕らえた兵士たちが、 それを許さなかった。いや、塞いだとしても、この恐ろしいまでに膨れあがった言葉からは、 逃れようがなかったかもしれないけれど。
 兵士が、手に持った剣を高々と掲げる。
「やめてぇ─────────!!!」
 突然、人々の声が止む。
 一瞬にしてしんと静まりかえった広場に、ティスティーも一瞬、呼吸を忘れてしまっていた。
 ・・いや、違った。人々は狂ったようにまだ叫び続けている。 それなのに、何故何も聞こえないのだろうか? もしかしたら、おかしくなってしまったのは、 自分の方かもしれない。あまりにも大きな音の所為で、 耳がおかしくなってしまったのかもしれない。
 静寂。静寂。
 それは永遠かとも思われるほどに静かで、恐ろしい間。
 ティスティーの思考は完全に停止していた。
「────ッ!」
 空を切った兵士の剣が、一瞬にして血に染まる。
「────」
 涙に濡れた瞳が、ティスティーに何か伝えたいことがあるのか、 彼女をじっと見つめていた。
 おびただしい血が飛び散ったその刹那、ぐらりと揺れた視界が、朱を、 そして地面を間近に映した。その拍子に零れた涙の冷たさも、 鼻を突く血の匂いも、もう彼女にとっては何でもない。 一瞬にして屍と化した、ファティーにとっては。
 ゴトリ、と母の首が地に落ちた瞬間に、ティスティーの中で抑えがたい感情が暴れ始める。
 瞳から頬を伝う涙が、ひどく熱い。
「お母様───────っっ!!!!」
「押さえろ」
 母の側へ寄ろうとするティスティーの腕を掴もうと兵士の伸ばした腕が、 彼女を捕らえる直前に、肘のあたりからブツリと切れ、地面に転がる。 そう。それはまるで、マネキンの腕がとれてしまったかの様に、あっさりと・・。
「う・・・うわぁぁあああ」
 男の絶叫に合わせて、観衆たちの中からもいくつもの悲鳴が迸った。
 血を吹き出す腕を押さえ、男が地に伏す。
 唖然とする兵士たちと、しんと静まりかえった観衆たちの見守る前で、 母の首を胸に抱いたティスティーの瞳から大粒の涙が零れる。 そして唇から零れたのは、掠れた声。言葉には、ならなかった。けれど、
「───・・さない」
 その声はゾッと人々の背筋を凍り付かせるほどに静かだった。
 一際ティスティーの中で牙を剥き、恐ろしい力で暴れ回る獣の存在が露わになる。 体を食い破って、外の世界に出てこようとしている。 そしてその獣の望むことは一つ。鋭い牙で、全てを食い尽くす。ただ、それだけ。
 止められない。
 いや。止めようとは思わない。何故止めてやる必要があるというのだ?  いいではないか。存分に暴れさせてやればいい。


 ────殺せ。殺してしまえ。


 さんざん自分達に吐きかけてきた言葉を、今度はこちらが吐き返してやろうではないか。 この耳にさんざん染み込んだ呪いの言葉を。
 今・・・!
「───・・許さない。許さない、許さない───────!!!!」
そしてティスティーの中から飛び出した殺意という名の獣は、一瞬にして人々を、 街を飲み込んでいく。
 一つの巨大な光が、天を貫く。
 それはまるで、自分たち一族に残酷な運命をかせた神を責めるよう、 真っ直ぐ真っ直ぐ天を貫いていた。
 全てを光が包み、食い尽くす。


 街の全てが、消えた──────・・。






************一言二言三言*
アストくん。いつか…番外で出そうと思っていたキャラ。
お兄ちゃんとアストくんと、アノンが出会う話。
いつか書けるといいなァ。