KINGDOM →→ フェレスタ

   TOWN →→ リスタ




 二人がリダーゼ王国とフェレスタ王国との境界となっている森を抜け、 フェレスタ王国の主要都市の一つであるリスタに着いたのは、 日が傾きかけてきた頃だった。
「大分、日が陰ってきたわね」
「そーだねー」
 ティスティーの言葉に、何処か上の空でアノンが応える。
 さすが魔法国家、といったところだろうか。一見しただけでも、 魔法使いらしき人の姿が多く目に付く。 真っ黒な服やマント、帽子までかぶっている人や、 それぞれの趣味の良く現れている杖を持っている人たちの姿が至るところにある。
 戦士の国であるリダーゼで育ち、今まで母国から出たことのなかったアノンにとって、 フェレスタの街並みも、至る所にいる魔法使いも、珍しい≠フ一言に尽きるらしい。
 キョロキョロとしきりに視線を彷徨わせているアノンに、ティスティーは、 おそらく自分が何を言っても、その内容の半分は馬耳東風、 聞き流されてしまうだろう。
「ねーねー、ティスティー。これから何処行くの?」
 裏を返せば。「もっと面白いところに行くの?」ってな感じのアノンに、 ティスティーは再び溜息をつく。が、自分から話しかけてきた今なら、 自分の話もアノンに届くだろうし、良い機会だ。 そう思い直して、ティスティーは口を開く。
「取りあえず日が暮れるまでに港町に行っておきましょ」
「港町? 船に乗るの?」
「そうよ」
 いやに嬉しそうなアノンに、ティスティーは彼が今まで、 船に乗ったことがないのだろうということを悟る。
「そっかぁ。船で直接ヒューディスに行くんだな」
「バカ」
 船に乗ると聞いて、そう結論づけたアノンの言葉を、 ティスティーは一蹴する。そして更に、アノンが文句を言ってくる前に、 ティスティーの方が口を開いた。
「アンタは何も知らないのねー。ヒューディスに直接船を付ける人なんて、 アンタみたいにおつむのよろしくない人以外いないのよッ。おバカさん」
「何だよォ───」
 おバカさん、だとかおつむがよろしくない、だとか、 容赦なくまくし立てられて、アノンが口を尖らせる。
「いーい?」
 ぷーっと頬を膨らませたアノンに、ティスティーはまるで先生が生徒に、 あるいは親が子供に何か教えるような口調で言って聞かせる。
「ヒューディス沖は波が荒くて所々渦を巻いてたりするの。その上、 ヒューディスの沿岸には海賊がうじゃうじゃいるしね。 だからヒューディスに船で行く人はいないのよ。分かった?」
 ティスティーの説明に、うんうんと頷きつつ聞き入っていたアノンだったが、 やはりまだ疑問な点があるらしく小首を傾げて訊ねる。
「じゃあさ、船で何処まで行くの?」
「・・・・・イレース国よ」
 まだ分かってないの? とでも言いたげなティスティーに、 それでもアノンは更に質問を重ねた。 分からないことは恥ずかしがらずに聞くことが大切だよ。 というルウの言葉を忠実に守っているらしい。
「えー、何で? デリソンの方が近いじゃん。 イレースだったらヒューディス通り過ぎちゃうよ?」
 何も考えていないらしいアノンの言葉に、 ティスティーは深い溜息を─嫌味ったらしく─ 一つ零した後、アノンに問うてみる。
「・・・・・・あのね、アノン。デリソンとヒューディスの境に、何があるか知ってる?」
「んーと・・・。ああ、アグノレスマウンテンがある!」
「そう。アグノレスマウンテン・・・・・。山よ、山があるのよ?」
 アグノレスマウンテンは世界一高い山であり、魔物の五分の二が、 この山には生息しているとの話もある。故に、この山に登り、 ましてやこの山を越え、わざわざヒューディスまで行こうという命知ら ずな輩はいない。
「そこを通りたい!? 通りたいのなら止めないわ。でも一人でどーぞ、一人で!」
「・・・ごめんなさい」
 デリソンからそのままヒューディスに行けばいいじゃん。 という考えでいたアノンは、自分が愚かでしたと素直に謝った。
「まったく・・・・。で、他に質問は?」
 この際だ。後でぽつぽつと訊ねられて、その度に説明してやるよりは、 今の内に全部言ってしまっておいた方が楽だ。 そんなティスティーの配慮はやはり適切だったらしく、すぐにアノンが手をあげた。
「はーい! 何でわざわざフェレスタの港まで来たんですか? リダーゼの港の方がイレースに近いのにさ」
「・・・・」
 アノンは疑問に思ったことを訊ねただけなのだが、 それはティスティーからしてみれば、愚問以外の何でもなかった。 怒る気力も失せたティスティーは、心の中で彼を育てたルウという 青年に「一般常識ぐらい教えておきなさいよね」と毒突いてから溜息をつく。
「はぁ───。・・アノン、明青海コバルトブルーの潮の流れのこと、知ってる?」
 ティスティーに逆に問い返されたアノンは、少し考え込んだ後、 どうやらしおについて思い出したことがあるらしく、ポンと手を叩く。
「あー、あのゆで卵にかけ───」
「アホか───────っ!!!」
 アノンは、決してボケたわけではない。だが、 ティスティーのツッコミは素晴らしいものだった。 勢いに任せて空を切ったティスティーの手は、 そのままアノンの頬を張り飛ばしていた。
 道のど真ん中で立ち止まり、あれやこれやと言っていた少年と少女の存在は、 彼らの容姿も手伝って、人目を引く。 その上、ギャーギャー騒いでいれば、いやでも目がいってしまう。 そんな人々の視線は優しいものであったり、 店の前で騒がれて迷惑がるものであったり。
「───!!」
 パンッ。  と小気味の良い音が響き、二人の少年少女に向けられていた視線が、 一瞬にして凍り付いた。皆、思わず足を止めてしまい、辺りはシン、と静まりかえる。
「いっっっ、てぇ─────」
 白い肌の所為で、よけいに赤くティスティーの手跡を残す左頬。 両手で押さえたアノンの声に、静まりかえってしまった人々は、 ハッと我に返り、慌てて再び動き出した。触らぬ神に祟りなし、とでも言いたげに。
「体罰は子供の教育上良くないんだぞー」
「うるさいわねっ。アンタに体罰以外、どんな教育法があるのよ」
「う─── 、でもさぁ───」
「いーい、よーっく聞きなさいよ」
 ティスティーの方針に異論を唱えようとするアノンの鼻先に指を突きつけ、 ティスティーはアノンを黙らせると言った。
「私が言いたいのは塩の事じゃなくて、波の流れの潮のこと!」
 ティスティーの言葉に、アノンはなぁーんだ、その潮かー。などと頷いている。
 本当に知ってたのかしら。と疑いの視線をアノンに向けつつ、言葉の続きを紡ぐ。
「明青海の潮は、黄金郷を中心として常に時計回りになってるのよ。 潮の流れに逆らうよりは潮の流れに乗っていった方が早く着くし、安全なの」
「だったら───」
「だったら、どうしてリダーゼの港から船に乗らなかったのか? って。 リダーゼとフェレスタの境にある樹海・・・、さっき通ったわね。 そこに大きな川があったでしょ? あの川はスレイオ川って言って、 深青海からの海水が明青海に流れ込んでいるのよ。 その流水の所為でスレイオ川の河口付近には複雑な潮の流れができてるの。 その潮の流れを横切るのは至難の業。 だから一度黄金郷まで行って、潮の流れを避けてからフェレスタに向かわなく ちゃいけないの。とぉっても時間がかかっちゃうってわけ。お分かりかしら?」
 ダカダカダカダカ喋りまくった後で、睨み付けるように 自分を覗き込んだティスティーに、アノンは小さくなる。
「・・・・は、はい。分かりました」
「そう。それは良かったわ。一つも二つも偉くなったわねー」
 よしよしと適当にアノンの頭を撫でたティスティーは、 くるりと方向転換すると、港町に向けて歩き出した。
 歩き出した賑やかな二人組に、密かに彼らの成り行きを見守っ ていた人たちの視線がようやく外される。
「それにしても、ティスティーって物知りなんだねー」
 これくらい知っていて常識なのだが、感心したようにアノンに言われて、 ティスティーは少し気分を良くする。そしてつい口を滑らせてしまっていた。
「当たり前でしょ。だてに三───あっ」
「だてに三・・・? 何? だてに何年生きてないって?」
 ついうっかり自分が何年生きてきたのか・・つまり自分の 歳をばらしてしまいそうになって、ティスティーは慌てて口を噤んだのだが、 アノンの方はそれを聞き逃さなかったらしい。
「三・・・。えー、ティスティーって三十歳だったんだ? ほとんどオレの二倍───」
 アノンもまた、自分が言ってはいけないことを言ってしまったのだ ということに気付いて、口を噤む。 ティスティーの、今にも自分を刺し殺さんばかりに鋭い視線の所為で。
「ご、ごめんっ。んなわけないよナ。三、三、三・・・・」
 じり、じりっとにじり寄ってくるティスティーに、 アノンは先程彼女に容赦なくひっぱたかれた頬を引きつらせて笑いながら、 慌てて失言にフォローを入れようと試みる。が。
「三・・・」
 考えてみるのだが、三の次の言葉が出てこない。 十ではないらしい。じゃぁ、百? 何て言ったらすぐさま 自分は血祭りに上げられることだろう。むろん、千でもない。と言うことは・・。
(三・・・・、三歳?)
 そんなはずはない。だったら・・・・?
 めまぐるしく思考を回転させ、やがてアノンは納得のいく答えにようやく辿り着いた。
「ああ、なーるほど。三歳って、ティスティーの精神年齢のことかぁ」
 勿論、彼は真剣にそう言ったのだ。決してボケたわけではない。 本当にそういう結論で、アノンの中では落ち着いたのだ。 だが、それはアノンだけであって、そう結論づけられた当の本人はというと。
「・・・・・・・・・・アノン。今、何て?」
 ひどくぬる〜い表情だった。
 その途端、アノンは自分がまたもや言ってはならぬ事 を言ってしまったのだということに気付く。だが、時既に遅し・・・。
 アノンがそう気付いた刹那、再び通りの人々は、ピタリと歩みを止めたのだった。