lily−white hamletに、今日も雪が降っている。 山の向こうから顔を覗かせた太陽が、橙を帯びる前の真っ直ぐな白い光で村を、そして雪をさし貫く。それは宵闇を完全に消し去ってしまおうとしているかのようだった。 その光の中を、一つ、また一つ、真っ白な雪がくるくると空中で円を描き遊びながら、地面までの旅を楽しんでいる。そして、村はまた今日も白く染められる。 純白の村 lily−white hamlet。 ひらり、またひらり。 舞う雪は軽やか。そして、朝日を浴び白銀の輝きを放つ。 雪、好きなんだ。 こうして、一つずつ降りてくる雪に囲まれてると、お前も一人なのか。オレだけが一人なんじゃないんだなって、思えるんだ。 綺麗だな。 雪に魅せられ、口癖のようにそう言って空を見上げていた少年がいた。だが、彼は今はその雪には目もくれず大地を駆けていた。何度も雪に足を掬われ膝を突きながら、必死で森の中を駆けていた。 誰もが望む空模様、晴。 誰もが愛する季節、春。 その名を持つ少年が、冬の森をコートも着ずに駆けていた。 「ハァ・・ハァ・・ハァ・・ハァ」 唇から零れ落ちる熱い吐息は、すぐさま冬の寒さによって凍り付き、地面へと落ちる。そんな寒さの中で、上気する頬は更に赤みを帯びる。少年にしては長く美しい濡れ羽色の髪が激しく揺れ、真っ白な雪がじゃれつくのを拒んでいる。ガチガチと鳴る歯は、寒さの所為だけではないようだった。森の中、忙しなく動いている瞳を埋め尽くす不安は恐怖へと変わり、彼を怯えさせている。 捜しモノが、見つからない。 雪が攫っていった大切なモノが、見つからない。 「 ッ!」 突然、眩いばかりの光に覆い尽くされ、少年は歩みを止めた。 「 ・・」 いつの間にか、Shamrock Squareに辿り着いていた。太陽の光を遮る長身の木々が唐突に消えたその広場は、朝の清純な光で満ち溢れていた。 そこは、春になると厚く積もった雪の下から、新緑の芽が力強く頭をもたげる誕生の広場。夏が来て雪が完全に溶けると、毎日のように妹や幼馴染みと訪れ遊んだ思い出の広場。秋になると毛を白く変え始めたうさぎが草を食べに訪れる動物たちの食堂。冬になると美しい花が咲く神秘的な広場。 そして、妹が精霊と逢瀬を重ねていた秘密の広場 「ハァ・・ハァ・・」 乱れた息を整えぬまま、ハルは広場をぐるりと見渡した。 「 ケイ!!」 静まりかえった森に、ハルの声が響き渡る。 「 」 かすかにこだまし消え去る己の声を、ハルは絶望と共に聞いていた。 Shamrock Square。そこに妹の姿が ない。 それでもハルは歩みを進め、広場の中央までやってくると、再び視線を巡らせる。何一つ見落とすまいと全神経を集中し、広場を見遣る。雪の上に残った足跡を期待して巡らせる視線は、すぐに天を仰いだ。 広場には、ケイの足跡すら残っていなかった。そこにあるのは、絶望の白だけ。 ひらり・・ひらり・・ひらり 「 」 ・・ひらり・・ひらり・・ひらり・・ 雪が舞う。瞳を見開き、愕然と立ち尽くしている哀れな少年を励ますように、雪がひらりひらりと少年の回りを舞っている。 髪に、頬に、唇に、肩に、優しく降り注ぐ雪。 「 」 絶望は、全てを奪っていく。ハルの全てを奪い、真っ白に染めていく。それは雪の白によく似ている。けれど、雪の白のようには愛せない冷たさをしている。全てを奪いさる残酷さを持っている。 絶望を追い払おうと、優しい雪がハルを撫でていく。しかし、 「 ・・」 ハルはその慰めを、首を激しく振ることで拒む。 そして、歩き始める。その足取りは重い。まるで枷をはめられたかのように、彼は足を上げることさえままならない様子だった。 その枷は 絶望。きっと、そんな名前をしているのだろう。 重く冷たい枷は、ハルの全てを奪っていく。全て、だ。何もかも、ハルは奪われる。 これ以上ない絶望の前では、涙さえ、流れない・・。 そして、ついにハルはその歩みさえ奪われ、広場に立ち尽くす。 「 ・・ッハア」 溜息という名を付けたのでは不適切だろう。何を吐き出そうとしたのだろう、それは判然とはしなかったが、ハルは口中から息を吐き出していた。もしかしたら、何か言葉を唇に乗せたかったのかもしれない。走っていた時の荒い呼吸は、もうおさまっていて当然であるにもかかわらず、再び上がってきた呼吸が邪魔をして、何も言えなかっただけなのかもしれない。 「 ハァ、ハァ、ハァ」 ハルは、ただただ、ただただ荒い息を吐き続けていた。呼吸だけは奪われてなるものかと、必死で抗っていたのかもしれない。震える唇で 、震える息を吐き出す。それだけで精一杯。彼は、動くことさえ出来なかった。 絶望という名の枷は、いつの間にか彼の足をShamrock Squareへと縫い止めてしまっていた。 ケイの姿が、家から消えていた。 朝目を覚ますと、そんな現実が待っていた。夢では、幼馴染みと妹と、春が訪れたShamrock Squareでピクニックをする夢を見ていた。それはとても幸せな夢だった。夢から醒め、冬が終わったらその夢の通り、ピクニックをしよう。モリには悪いが、ケイの恋人・シュウという精霊も招待してやろう。それは、とても楽しいピクニックになるだろう。否、なるはずだった。 どっちが夢で、どっちが現実 ・・? 朝のまどろみから、ハルは一瞬にして覚醒し、家の中をかけずり回って妹の姿を捜した。玄関にケイのブーツがないことを見て取ったハルは、すぐさま家を飛び出していた。 『もう! 外に出る時はマフラーと手袋しなくちゃ』 そう言って彼を諫める人が居ない。だからハルは、コートすら纏うことも忘れ、家を飛び出し美しい朝日が村を照らす中、冬の森へと飛び込んでいた。 目指したのは、Shamrock Square。 そして、そこに待っていた絶望という名の枷を、彼は今足に食い込ませ、佇んでいる 。 見る間に凍えていく体を守るためか、体は激しく震え、呼吸は荒くなっていく。 「 ッ。どうして・・ッ!」 問いは、続かない。だから、彼が何を問うとしているのかは分からない。 どうして、家を出て行ってしまったのか。 どうして、ケイを連れて行ってしまったのか。 どうして、ケイを守ってくれなかったのか。 どうして、ケイの足跡を消してしまったのか。 どうして、自分は独りぼっちになってしまったのか。 ケイへの問いか、シュウへの問いなのか、それとも天国の両親に、降り注ぐ雪に、天におわす神にか ? 判然としない。問う言葉は彼の口中で消えた。しかし、その悲鳴にも似た叫びは、おそらく彼の中には存在し続けている。今も、繰り返し叫ばれ、そしてこだましている。 それは、誰にも聞こえない叫び。 「 はぁ・・」 再び、呼吸だけが彼の唇から零れ落ちる。 ひらり・・ひらり・・ひらり・・ひらり・・ 森の清らかなる静寂が、ハルを包んでいる。 ひらり・・・ひらり・・・ひらり・・・ひらり・・・ 拒まれた雪が、それでもハルを包もうとしている。 ひらり・・・・ひらり・・・・ひらり・・・・ 雪が、次第にやんでいく。彼を慰めることを諦めたのだろうか。 ひらり・・・・・ひらり・・・・・ 「ハル!!!」 否。雪達は知っていたのだ。この哀れな少年を守る者が近づいていることを。 ・・・・・・ひらり・・・・・・ 雪が、やんでいく。 「ハル !!」 近づいてくるのが幼馴染みの声だということに気付いたハルは、僅かに視線を動かす。ハルから全てを奪っていた枷も、そんなハルの動作は許したようだった。 真っ白な広場に、真っ白なハルに、一つの色彩が飛び込んでくる。 「 ハル!!!」 コートも着ずに雪の中佇んでいる幼馴染みの姿に、モリは血の気をなくす。すぐさま腕に抱えていたハルのコートを広げ、彼の体をコートで包み込む。激しく震えている体を宥めるようにか、もしくは己の体温を少しでも分け与えようとするかのように、そのままモリはハルを腕の中に収める。 「お前、何バカなことしてるんだ!」 その声は、激しくハルを責める。 「死にたいのか!?」 叱咤の中で、ハルはぼんやり考えていた。 ああ。モリはまだ、知らない。 彼はまだケイが姿を消したことを知らないのだと悟る。 彼はただ、コートと手袋、マフラーを残し姿を消した自分を心配し、足跡を辿ってここまで来てくれたのだろう。ハルがどうしてこんなところまでやって来たのか、それは知らず。 「 モリ」 ハルは口を開いていた。しかし、閉ざす。 真実を告げるべきか否か。迷いは一瞬だった。 これは、抱えておくには重すぎる。今すぐ誰かに明け渡さなくては、枷の重さに耐えきれない。 幼馴染みを傷付けてしまうことは分かっていた。そしてそれは自分が最も忌むべき行為。それでも、もう、ハルには抱えておくことはできない。 ハルは、ついに口を開いた。 「ケイが いないんだ。どこにもいないんだ・・」 自分を抱き締めているモリの腕が強張るのが分かった。それは彼の体にもまた、枷がはめられた瞬間だった。 そして、彼に絶望を分け与えてしまったにもかかわらず、ハルを戒めている枷の重さは軽くならなかった。 絶望は、計り知れない。次から次へと溢れ出していく。 そして今、モリの体をも蝕んでいく 。 「ケイが・・?」 茫然と、モリは呟いていた。 ケイが、消えた・・・? その瞬間、彼の脳裏をよぎったのは、 『凍らされないとどうして分かるんだ!』 その台詞を彼女にぶつけたのは そう、モリ自身だった。
「 ケイ!!」
次の瞬間、モリは弾かれたようにハルを解放し、広場を見渡していた。 モリの腕が消えた瞬間、ハルは力無く雪深い地面に膝を落としていた。ついに、自身の体を支えることすら、できなくなってしまった。それほどに彼の足に食い込んだ枷は重くなってしまっている。それでも、幼馴染みの声がハルの意識だけは保たせているようだった。 「ケイ!! ケイ !!!」 モリは声の限り叫ぶ。 知っていた。そこに彼女の姿がないことなど、この広場に入った瞬間に分かったいた。それでも、視線を巡らせる。ハルがそうしたように、白い雪に覆われた地面に視線を這わせ、彼女の足跡を捜す。 足跡はない。 その瞬間、やはりモリも絶望に包まれていた。そして、絶望に全てを奪われるその直前、 「モリ!! そこか!?」 「モリ!! ハルちゃん!!」 それは、父母・カズとセーラの声だった。血相を変えてハルの家から飛び出した息子と、「ハルがいない!!」そんな言葉を残され、心配のあまりモリの後を追ってきてくれたようだった。 「 母さん。父さん・・」 広場に駆け込んできた両親の姿に、モリは絶望が僅かに薄らぐのを感じていた。幾つになっても自分を全身全霊で守り愛してくれる者の存在は、深淵の闇に似た絶望をも遠ざけてくれることをモリは知る。しかし、 「ハルちゃん!? どうしたの、ハルちゃん!!」 「ハルくん! 何があったんだい!?」 「 ・・ハル」 ハルから、その存在が消えたのだ。 コートを肩に引っかけただけの姿で顔を青ざめさせ、茫然と雪の上に座り込んでいるハルを、セーラが涙ながらに掻き抱き体をさすっている様をモリは目を見開き見つめていた。 ケイが、いなくなってしまった。 それは、ずっと恐れていたことだった。こんな日がいつか来ることは分かっていた。 けれどそれはこんな形ではなく、彼女が愛する男の元に嫁ぐために家を出る、幸せな旅立ちだと思っていた。それなのに、彼女は唐突に、兄にすら何も告げることなく冬の森に姿を消してしまったのだ。 「 そんな・・」 絶望が、唇からも零れ落ちる。 守れなかった・・・? 両親から守という名を与えられ、不運に見舞われた幼馴染み兄妹を守ろうと決めたというのに、果たすことができなかったのか。 守れなかった ケイも、ハルも。
「ケイ !!!」
モリの絶叫が、冬の森を震わせる。 それはハルの鼓膜をもビリビリと震わせる。そして、胸を強く揺さぶる悲痛なモリの叫びに、 「 ッ。ケイ・・っ! ケイ!」 涙が溢れ出してくるのを、ハルは止めることができなかった。 「ハルちゃん。ハルちゃん」 涙を拭おうと、嗚咽を止めようと、セーラが優しい腕で強く抱き締めてくれる。 けれど、涙は止まらない。 止まらない。 止まらない。 「・・ッ。ケイっ、ケイ・・っ!」 止まるはずもない。 モリの絶叫が、未だこだましている。 ハルの涙が、次第に雪を溶かしていく。 ・・ひらり・・ひらり・・ひらり・・ひらり・・ 雪が再び舞い始める。 朝の光はいつの間にか橙を帯び、温かな光で雪を包み輝かせている。 ひらりひらり・・はら、はら、はらり。 まるで、天が涙しているよう。 その天だけが知っている。 彼らと少女が再び出会う日が来ること。そして、その再会の日にも、こんな風にひらりひらりと、雪が静かに美しく舞っているのだということを 。 |