ひらりひらり・・はら、はら、はらり。 天の涙が、白い結晶へと姿を変え、大地へと降り注ぐ。雪の白で覆われた大地を、更に白く塗りつぶそうとしているのだろうか、激しさを増し、天から大地へと舞い降りてくる。風に舞い踊り、常緑の葉を白へと染めようとしている。 まるで全てを塗りつぶそうとしているかのように、止めどなく舞い降りてくる雪。少女の捜索に森へと踏み入れる村人達を、幼馴染みを捜し森の中をかけずり回る青年を、妹を失い絶望の淵に佇む兄の悲しみを塗りつぶそうとでもいうのだろうか。 それとも、全てを捨て愛する人の元へと行った少女を責めるためにか、愛しい人を掌中に収めた精霊を責めるためにか 判然とはしない。たとえそうであったとしても、彼らは気付かないだろう。 ケイとシュウは、降り注ぐ雪を逃れ、洞窟の中にいたのだから。シュウが住処とする洞窟、ぽっかりと開いた穴の中に二人の姿があった。 小さな入り口から頼りなく降り注ぐ光は、細い道の途中で消えてしまう。それでも洞窟の中は闇に支配されることなく光を灯していた。更に不思議なことに、仄かな明るさに満たされたその空間は、洞窟特有の湿っぽさも持たない。しかしながら、床を除くその岩肌にはびっしりと白い苔が生えている。否、それをただの苔と言ってしまっては間違えになるだろう。それは、ただの苔でなかった。その詳細を述べれば、苔が白く見えた理由と、ここが洞窟の中であるにもかかわらず仄かに明るかった理由とを説明することが出来るだろう。 その苔は、本当に白いわけではなかったのだ。苔の先にくっついている胞子のようなものが、ぼんやりと白い光を放っていたのだ。そして、そのぼんやりとした光が、この洞窟を完全なる闇から救っているようだった。 そんな光の中、シュウは佇んでいた。 白い肌と薄灰色をした髪の所為で、苔が仄かに発している淡い光の中に、彼は溶け込んでしまいそうだった。 そんな、淡い色彩ばかりが洞窟を埋め尽くそうという中で唯一鮮やかさを保っているのは、ケイの濡れ羽色の髪と睫毛、薄紅色をした頬と爪、赤く色づいた唇だけ。 「 ・・・」 愛しい少女が持つ美しい色彩をシュウは黙って見つめていた。洞窟の奥に佇み微笑むシュウの瞳は、優しげに細められている。 その視線の先で、ケイが眠っていた。 幸せそうな寝顔に、自然とシュウの顔から笑みが零れる。 閉ざされた瞼を縁取るまつげが、白い頬に黒い影を落とし、その長さを強調している。寒さの所為だろう、ふっくらと曲線を描いた頬はくっきりと薄紅色に染まっていた。赤く染まった唇は緩く弧を描いていた。 ケイは幸せそうに笑っていた。 「 ケイ・・」 シュウも笑っていた。 幸せそうなケイの寝顔に、つい手が伸びる。ふっくらと柔らかそうな頬に触れたくて、愛しい少女に触れてみたくて 手が伸びる。 僕たちは人間に触れると消えてしまうんだよ。 かつて、そう言ってケイの手から大きく逃げていた彼の姿は、もうどこにもない。今はただ触れてみたい、その思いだけ彼を突き動かす。彼をとどめる感情はその姿を消してしまっていた。 徐に伸ばされた腕が 触れた。 人間だけではない。生物の温もりに耐えきれず溶けてしまうシュウの腕は、確かに触れていた。その腕が撫でるのは、冷たい感触。柔らかで温かな少女の体にシュウが触れることは叶わなかった。 ケイは眠っていた。 氷の柩の中で、ケイは微笑みながら眠っていた。 四角く切りそろえられたかのような正確な直線によって作られた長方形の氷の柩。その中には、空気の泡一つ紛れ込ませることなく、ただ一つ、ケイの体だけを閉じこめていた。驚くほど透き通ったその透明のものが氷という名前をしているのかどうかは誰にも分からなかった。ただ、それは決して溶けることなく、氷に似た冷たさを持ちケイを包み込んでいた。 側にいたい。もう、離れたくない。 願いを叶えたケイは、氷の中で微笑んでいる。 そして、同じ願いを叶えたシュウも、幸せそうに笑っていた。 幸せ。 これで片時も離れることなく一緒にいられるのだ。冬の寒さがケイを村へと舞い戻らせてしまうこともない。熱すぎる温もりで、自らが溶けてしまうこともない。時の流れがケイだけを連れて逝ってしまうこともない。 焦がれていたケイとの永遠の時間を、手に入れることができたのだ。 もう、ケイを亡くす時を思い恐れることはない。ケイと離ればなれになり悲しむことはない。 「 綺麗だ・・・」 美しく微笑み続けるケイと、ここで永遠という時間を過ごすことが出来るのだ。 「もう、離さないよ」 彼女がそう望んだように。自分がそう望んだように、もうケイを離すことはない。ケイが離れようとすることもない ここには、誰もやってこない。もう誰も、自分たちを引き離すことは出来ない。 ディーレのように愛しい人を奪われてしまうこともない。ジアのように、人間の報復によって消されてしまうこともない。 悲しく切ない彼らの恋とは違う。 今、これこそが、自分たちの幸せの形だったのだ 「愛しているよ。ケイ 」 笑みは、絶えることなく零れ落ちる。零れ落ちた笑みは、ケイの元まで辿り着くことなく、氷の上に落ちる。分厚い氷はシュウの笑みをケイまで届けることを拒んだのだろう。いつもなら、自分が微笑みかければ微笑みを返してくれたケイの表情は全く動かなかった。うっすらと口許に笑みを浮かべたまま、笑い返してくれなかった。 何も、返ってこない。 「 」 その瞬間、シュウの胸に冷たいものが触れた。 唐突に襲いかかってきたその冷たさを、唇を噛むことでやり過ごしたシュウは、すぐさま自らに言い聞かせていた。 それは、きっと気の所為だ。 と。 何故ならば今まさに二人の願いが叶ったのだ。こんなにも幸せな今この時に、そんなものは必要がない。今はただ、胸一杯に満たされた幸せという温かなものだけを抱き締めていればいいのだから。それ以外の感情なんて、必要ないのだから。だから、シュウは気の所為だと繰り返す。 そして、忘れる。幸せだけを噛みしめ、小さな声で呟く。 「 ケイ。僕たち、幸せになれたね」 そう言って笑ったのはシュウ。 良かった。ボクたち、幸せになれたね。 そう言って笑ったのはうさぎ。 満月が叶えてくれた願い事は 一緒にいられますように ケイが離して聞かせてくれた童話と一緒。 月に唱えた願い事が、叶えられた瞬間、 『良かった。ボクたち、幸せになれたね』 ウサギさんは幸せそうに笑いました。 そしてシュウも、 「 ・・・おかしいな。何故か僕は、笑えないんだ」 シュウには、うさぎのように笑うことはできなかった。 胸の奥がチクチクしている。先程触れた冷たいものが、今度は胸を突いているのだろうか。痛みと言ってもいいのかもしれない。チクチクするのだ。笑えないほどに、胸がチクチクする。 痛みを抑えようと、シュウが自らの胸に手を当てた、その時だった。不意に蘇ってきたのは、 ・・・うさぎは、本当に笑ってたのかな? 「 」 ケイが自分に向けた問いだった。 あの時には答えられなかったその問い。 ウサギさんは幸せそうに笑いました。 ・・・うさぎは、本当に笑ってたのかな? 「僕がうさぎで、ケイが お花」 ウサギさんは幸せそうに笑いました。
ひらり、ひらり、ひらり・・・ 外では静かに雪が降っている。大地に落ちる、白い雪。 洞窟では、 コツ、コツ、コツン・・・ 小さな音を立て、降り注いでいるのは、涙の結晶。 「 」 シュウの瞳から、氷の上へと涙が零れ落ちる。頬を離れた涙は、その瞬間に透き通った結晶へと姿を変え、氷の上に転がり落ちる。その度に、コツンコツンと澄んだ音が洞窟内に響き渡った。 シュウは、泣いていた。 ・・・うさぎは、本当に笑ってたのかな? 幸せ、だったのかな・・? あの時答えられなかったケイの問いに、今なら答えることができる。 いや、これが答えなのかどうかは分からない。しかし、うさぎになった<Vュウは今、一つの答えを知った。他にも答えはあるかも知れないけれど、自分が見つけた答えは一つ。 シュウは徐に口を開いていた。あの日、答えられなかった問いの答えをケイに伝えるために。 「うさぎは・・・もしかしたら、泣いていたのかもしれないよ、ケイ ・・」 だって今、シュウは涙を零していたから。 ひらり、ひらり、ひらり・・・ コツ、コツ、コツン・・・ 「いや、やっぱり笑っていたのかな? それとも、泣いていたのかな? 僕みたいに」 雪は、津々と降り注ぐ。 涙は、止めどなく溢れ出す 。 ケイは応えない。待てども待てども、声は聞こえない。そもそもシュウの言葉が、厚い氷に包まれたケイに届いたのか否か、それすら分からない。 もう、何も分からない ただ一つ分かっていること。それは、ケイとシュウの幸せの形が、キラキラと光り輝く涙の結晶の形をしているということだけ 。 コツ、コツ、コツン・・・ ひらり、ひらり、ひらり、ひらり・・・ 雪が舞う空では、細く削られた下弦の月が、再び満月を目指し満ちていく。 「ねえ。ケイ?」 あの時、ケイとシュウの願いを聞き届けた半円形の月は、彼女らの願いを叶えたのか否か 「 ・・ねえ、ケイ。ケイ。ケイ・・・」 答える人は、眠ったまま もう目覚めることはない。
「良かった。ボクたち、幸せになれたね」 そう言って、ウサギさんは幸せそうに笑いました。 うさぎさん≠ヘ 幸せそうに笑いました。 ************************************************* fin **
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