lily−white hamletに、夜のとばりが下りる。
 宵闇が濃くなるにつれ、次第に村々の明かりが一つ、また一つと消えていく。深夜を過ぎた頃には街の街灯も一斉に落とされ、村は完全なる闇の中に落ちていた。
 年若い兄妹二人が暮らす家も、明かりは既に消されている。しかし、家の住民はまだ眠りについていないようだった。
 小さなランプを手に、家の奥の倉庫から暖炉にくべる為の薪を抱え廊下を歩いているのは、妹のケイだった。すでにロジェを弔うための喪服を脱いでおり、彼女の体が闇に溶け込むことはなかった。
 兄の部屋の前を、足音を立てぬように通り過ぎたケイは、どうやらハルが眠りについたことを察する。先程までドアの隙間から廊下に洩れていた明かりがいつの間にか消えていた。そのことにほっと安堵する。
 ハルの体調は次第に回復していた。熱も下がり始め、食欲も出てきたようだった。昨夜まではなかなか眠ることが出来なかったのだろう、朝方まで部屋に明かりが灯っていたが、今日はどうやら眠れたらしい。
 ケイはそのまま兄の部屋の前を通り過ぎ、リビングへと戻った。
 しかし、そこに明かりが灯されることはない。遅くまで明かりを付けたままでいると、向かいに住んでいる幼馴染みがどうしたのかと訊ねてくるのだ。彼ととりとめもなく話すのもいいだろう。しかし今は、一人きりのままがいい。
 暖炉に2、3薪をくべたケイは、残りを部屋の脇に置くと、ランプを持ったまま窓辺へと寄った。
 窓の外に広がっているのは闇。その他に見えるのは、ランプの明かりによって硝子に移った自分の顔だけだった。その顔は、暗い。村を飲み込んでいる闇よりもさらに黒いとケイは思う。そして、そんな己の顔など見ていたくなくて、ランプの火を消した。
 外と同様にこの部屋の中も闇に飲まれるかと思っていたケイだったが、それは間違いだった。
 パチ・・パチパチ・・
 暖炉の火が、リビングに明かりを残してくれていた。時折舞い上がる小さな火の粉と、橙色をした温かく優しい光に、ケイはふっと表情を和ませる。
 その時だった。
 突然、リビングが明るくなったのだ。電気を付けたわけでもない。その光が差し込んでくる窓に視線を戻したケイは、
綺麗・・」
 感嘆の溜息と共に、洩らしていた。
 先程まで闇に覆われていた村が、今は白銀色に輝いている。雲に隠れていた月が村を照らし始めたのだ。
 遮る物のなくなった月明かりは一斉に村を照らし始める。そして、村を覆っている白い雪にその光を反射させ、驚くほどに村中を明るく輝かせていた。その明かりは村だけでなく、家の中にも白銀の仄かな明るさを分け与えてくれていた。
 その仄かな光を浴びながら、ケイは視線を空へと向ける。
 そこには、村を包む月光よりも僅かに黄金を帯びた温かな光を纏う月がいた。満月を過ぎ大きく欠け始めた月だったが、ころりころりと転がってしまうことなく夜空に鎮座していた。
 夜だけその姿を誇示するその黄金を帯びた白銀の月は、ケイに彼を思い起こさせた。
シュウ・・」
 零れ落ちたのは、愛しい人の名前。その囁きに含まれるのは、切なさと彼への思いの熱さ。
 銀糸のような髪に、銀色の瞳。少しの間しか会うことが出来ない、銀を纏っている所為か冷たいように見えるが、とても優しい彼。
 Shamrock Squareに、冬にしか咲かない美しい花を見に行ったあの日だった、彼に出逢ったのは
 悪戯好きな風に攫われた帽子を拾ってくれた彼。しかし、彼は自己紹介を済ませた後、逃げるようにその姿を消してしまった。また、会いたいと思った。
 翌日、雪に残したメッセージ。兄は雪にすぐ消されてしまうと笑ったけれど、それを見て会いに来てくれた彼。人見知りをする彼の様は、自分たち人間と何ら変わりないものだった。そのことに驚かされたが、嬉しかった。そして、彼の方も人間のイメージが変わったと言って笑っていた。
 食べ物を口にしないことにも驚かされた。それから昼食を彼の前でとるようになり、凍り付けの花をたくさん貰った。
 愛しさは次第に募り、触れられないことに歯噛みしつつも、凍った花を介してキスをした。それは少し冷たかったけれど、何より嬉しかった。
 冬の森は危険だと、精霊は人間を凍らせるからとモリに窘められながらも、優しい兄に送り出され迎えられる日々は幸せだった。
 そして、祖母を凍らせた悲しい精霊の恋にピリオドを打ったあの日、幸せになろうと決めたのだ。ディーレのように悲しい恋の結末を迎えるのは嫌だと。二人で幸せになろうと決めたのだ。
幸せになりたい・・・」
 ぽつりと呟く。
 その呟きを聞くのは、欠けた月。
 満月は、過ぎてしまっていた。
「願い事が、あるの・・」
 どうしても叶えて欲しい願い事があるのだ。次の満月まで待っていられないくらい、どうしても今叶えて欲しい願い事がある。
「聞いてください。今なら
 今なら、あの日、満月が近づくあの夜に言えなかった願い事を言うことができそうだった。


『お月様、お月様。彼とずっと一緒にいられるように、私を


 あの日、瞼裏まなうらをちらつく兄と幼馴染みの顔、そして、ディーレと祖母の悲しい恋の結末が頭をよぎり、お花のようには言えなかった願い事。


『お月様、お月様。ウサギさんとずっと一緒にいられるように、私を石に変えて下さい』


 うさぎは何の躊躇いもなくそう言ったけれど、あの日のケイは言えなかった。
 しかし、今ならば躊躇うことなく最後まで言ってしまうことができそうだった。それほどに、愛が募りすぎている。本当に、どうしようもないほどに愛しているのだ。シュウのことを。
シュウ・・!」
 涙ににじんだ、切ない囁きがケイの唇から零れ落ちる。
 零れ落ちたものは、涙と囁きだけではなかった。
  愛してる・・!!
 零れ落ち、やがて止めどなく溢れだした熱い想いは、隠してしまう。 全てを隠してしまう。温かな優しさで労り接してくれた村人達の存在も、 自分を慈しみ育ててくれた人たちの存在も、世話焼きな幼馴染みの存在も、きっと天国で自分の幸せを願ってくれているであろう両親の存在も。
 そして、誰よりも何よりも大切であったはずの兄の存在までをも 隠してしまう。見えなくなる
 それを「なんて薄情な娘だ」と罵る者もいるだろう。否、皆が罵るに違いない。それでも、今のケイにはシュウしか見えないのだ。後ろめたさも、罪悪感さえも湧き上がったその瞬間に焼き尽くす程の、シュウへの熱い熱い想いしか彼女の中にはない。
 ただただ、シュウだけが愛しくて愛しくて愛しくて


お月様、私 ・・・」


 願いは、一つ。ケイの願いも、ケイが愛してやまない、ケイを愛してやまないシュウの願いも、一つ。
  欠けてしまった月に、それでも声の限り叫び届ける二人の願い事は一つ。


  側にいたい。もう、離れたくない・・・!!








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