森が夕闇に包まれ始めるのと同時に、雪がその姿を消した。風は相変わらず森の木々をゆらしてはいたが、頬にぶつかる雪がない分、はるかに歩くのは楽になっていた。その隙に村への帰路につき始めたケイの隣には、いつも通りシュウが並んでいた。
 たわいもない話の続きを交わしながら歩み、村の明かりがはっきりと視認できるところまで来ると、二人は名残惜しげに別れを告げる。
「また、明日ね」
「ああ。また明日」
 そうして愛しげな視線を交わした後、シュウは森の奥へと戻っていった。
 シュウの姿が完全に見えなくなってから、ケイは村への帰路の続きへ戻る。しかし、彼女がすぐさま村へと入ることはしなかった。若い娘が冬の森で行方不明になった今、それでもなお森へと出かけていることを知られれば、小一時間は説教をされることになるだろうから。ケイは村人の姿がないことを確認してから、身を隠していた木陰から飛び出した。
 そして、村の街灯がはっきりとケイの姿を捉えた、その瞬間だった。


 カ・・ン。
 カ・・ン。


鐘が・・」
 村中に響き渡る音で、鐘が鳴り始める。
 その鐘が何処にあるのか、ケイは知っていた。それは、lily−white hamletの中央にある、この村唯一の教会の鐘。
 その鐘が何故鳴っているのかも、ケイは知っていた。教会の鐘の音は、新しい命がこの村に訪れた時と、村から神の国へと旅立つ者が訪れた時。
「まさか
 ケイは表情を険しくし、止めた足を歩ませ始めていた。
 最近、村で子供を身籠もったという話は一切聞いていない。その逆に、村で行方不明になって見つからない少女の話ならば、よく知っている。
 きっとこの鐘の音は弔いの鐘。
ロジェが・・?」
 鼓動が早まる。それにつられるようにして足も早まる。
 ケイは人々に踏み固められた雪の上を滑りそうになりながらも、懸命に教会を目指す。
 鐘は、まだ鳴り響いている。それはまるで慟哭のように、重い音で空気を揺らす。
 そんな鐘の音が次第に大きくなる。そしてケイは、教会の前にいた。
「・・・・」
 そこにはやはり、喪服に身を包んだ村人達がいた。いやに大きな柩が教会から運び出されていくのを、村人達が哀切の眼差しで見送っている。
 そして、その柩にすがりつき、泣き叫んでいる女がいた。
カーヤおばさん・・」
 やはりその葬儀は、森に行ったきり消息がつかめなくなっていた少女ロジェのものだったのだ。
 ケイは、驚きに目を瞠り、じっとカーヤの姿を見つめていた。友人であるロジェが死んでしまったことよりも、今はカーヤの見たこともない乱れように驚かされていた。
 彼女は、あんなに弱い人だっただろうか。
 長く病を患っていた夫がついに天に召されたその時でも涙一つ見せず、凛とした表情で彼女は喪主を務めていた。自分の足に縋り付き泣きじゃくっている幼い娘の背を撫でながら、強い瞳で夫の柩と共に歩んでいたはずだ。
 それが今は、娘の柩に縋り付き、柩を何度も叩き、杭で打ち付けられた柩をこじ開けようともがき、答えない娘の名を嗄れた喉で延々と叫び続けている。
 その姿に、あの気丈な母親の面影はない。
 それはきっと、ロジェがいないから。
 ケイは知っていた。隣に泣きじゃくる幼い娘が居たから、彼女は強い母でいられたのだ。そして今、その娘さえもいなくなった彼女は、こんなにも弱い。
 娘をとても愛していたのだ。娘がいたから気丈に振る舞えていたのだ。娘がいたから笑顔を失わなかったのだ。娘が、支えだったのだ
 カーヤの悲痛な叫びと共に村郊外の墓地へ向かっていく柩と、その後に続く黒い葬列とを見つめていると、不意にケイの耳に入ったのは、
「可哀想にねぇ」
「どうもね、魔物らしいのよ」

 そんな村人の言葉だった。
 魔物それは、白い精霊の蔑称。
 こうして精霊に凍り付けにされた村人が出るたびに、村では精霊のことを魔物と呼び恐れ、憎む人間が現れる。
 妻を凍らされたケイの祖父も、その内の一人だった。
「本当かい?」
「主人が見たらしいんだけどね、凍り付けだったらしいよ」
「可哀想に。まだ若いのに」
「若いからなのかもしれないねェ」
 そんな女達のひそひそとした話し声から、ケイは遠ざかる。
 ロジェを氷らせた精霊へ怒る気持ちも理解できる。しかし今彼女が愛しているのはその精霊なのだ。決してシュウが氷らせたわけではないのだが、それでも同じ精霊に自分は恋をしている。女達がその事実を知っているはずがないことは分かっていた。それでも、その場にはいられなかった。ロジェを天へと送る葬列にも、参加することは出来そうになかった。
 視線を巡らせたケイは、葬列の中に見知った人を見つける。
 目元にハンカチを当てているセーラと、そんな彼女の肩を抱く夫カズの姿が葬列の中にあった。しかし、その側にも、葬列のどこにも幼馴染みのモリと、兄の姿はない。
お兄ちゃん・・」
 ケイは駆けだしていた。ロジェへの冥福を祈ることも忘れ、葬列に背を向け、家へと駆けだしていた。今は、ただ兄のことが心配だった。娘が唯一の支えであるカーヤに己の姿を重ね、ひどくロジェを心配し彼女の死を恐れていた兄のことが。
 寒さを防ぐため分厚く作られた玄関の扉を開け放ち、ケイはブーツを脱ぎ捨てる。外からリビングに明かりがついているのが窺えたため、リビングに兄がいることは察しがついていた。だが、玄関に兄のものと、もう一つブーツが並べられていることで、モリも来てくれていることを知る。
「お兄ちゃん!」
 コートについた雪を振り払うことも忘れ、ケイはリビングのドアを押し開ける。
 やはりそこには、喪服に身を包んだ兄と幼馴染みの姿がある。
 ソファに座り、片手で俯かせた顔を覆っているハルと、その傍らにはモリが沈痛な面持ちで立ちつくしていた。
 モリの方はすぐさまリビングに入ってきたケイに視線を向けたが、ハルは全く反応を示さなかった。
「お兄ちゃん・・」
 そっと声をかけてみるが、それでもハルは応えなかった。
 ハルの隣に立っているモリに「こっちに来い」と無言で手招きされ、ケイはハルの側により、再度声をかける。今度は、驚かせないようそっと兄の肩に触れながら。
「お兄ちゃん? 大丈夫?」
 するとハルは驚いたように顔を上げ、自分を覗き込んでいるケイの姿を見てまた驚いて目を瞠った。
「ケイ?」
 今になってようやく妹が帰ってきたことに気付いたらしい。
 そんな兄にかける言葉が見つからず、口を開いたケイはいつものように言った。
「・・・ただいま。お兄ちゃん」
 その言葉を聞いているのかいないのか、ハルはケイに答えることなく、彼女の体を抱き寄せていた。
「ケイ! ケイ!!」
 妹が帰ってきたことに安堵しているのか、それとも兄を置いて危険な冬の森に行く妹を責めているのか、ハルはケイの名前を何度も繰り返す。
 兄の背を抱き返しながら、彼の姿は、先程見てきたカーヤのようだと、ケイはぼんやり考えていた。
 そして、何度ケイの名を呼んだのだろうか。唐突にハルは別の言葉を口にした。
「オレは嫌だ・・ッ!」
 そんな兄の言葉の意味を、ケイは理解することが出来なかった。
・・お兄ちゃん?」
 穏やかに問い返すと、ハルは言った。その言葉に先程まで込められていた激しさは消えている。ただ、
一人になるのは、嫌だ・・・」
 それは、とても頼りない言葉だった。幼い無力な子供が、母親に縋りついているような、そんな頼りない言葉。
 そしてそれは、彼の心の底に常にある言葉だった。
 それを、ケイも分かっている。いつだって兄が決して口に出さないでいたその言葉を、ケイは知っていた。兄は必死で隠そうとしていたけれど、ケイは気付いていた。
「お兄ちゃん」
 ケイは、より一層ハルの体を強く抱き返しながら、彼の耳元で口を開く。自らの唇から零す言葉の一文字一文字で彼の不安を取り払おうとしているかのように、それはとても優しい声だった。
「私は、お兄ちゃんの側にいるわ。お父さんやお母さんや、ロジェみたいにいなくなったりしない。いつだって、ここに帰ってくるわ。ね?」
 優しくハルに語りかけ彼の背を撫でる彼女を、モリは黙って見つめていた。
 その姿が、記憶の中のハルの母、エレと重なる。ケイは母親のことをよく覚えていないと言っているが、それでもやはり彼女の中に流れる血がそうさせるのだろうか、年々物言いや仕種などがエレに似てきていると、母親のセーラが笑っていた。
 一方、ハルはと言うと、
「・・・ハル?」
 いきなり黙り込んでしまったハルに、モリが首を傾げる。泣いているのかとも思ったが、それにしてもピクリとも動かない。
 視線で「どうしたんだ?」とケイに問うと、
「・・寝ちゃったみたい」
 そう言ってケイは笑った。
 その言葉にモリは一気に体中の力が抜けたのだろう。床に座り込んで苦笑する。
「おいおいおい、何だよ、お前は」
 モリは眠ってしまったらしいハルの髪を引っ張る。しかしその指に引っ張ると言うほどの力が込められていないのは、怒りよりも安堵の方が大きかったからだろう。
 モリがハルの髪をいじっているのを見つめながら、ケイは小さく笑う。
「お兄ちゃん、子供みたい」
「まったくだな」
 モリも笑う。安堵と呆れとが交じった笑みだった。
 いつまでもハルを抱えているわけにもいかず、ケイはそっと彼の体を離す。まさか本当に子供ではないのだから腕を離れた途端にぐずり出す・・ということは、さすがにないだろうが、目を覚ましてしまうのではないかとドキドキしつつも、ケイはモリに手伝ってもらいながら、兄の体をソファへと横たえた。
 そうして改めて見た兄の顔は、少し白い。寒さの所為でもあるようだったが、恐怖が彼の血の気を連れ去ってしまっていたのだろう。
 部屋を暖める暖炉の火と体にかけられた毛布によって、次第に頬がいつもの薄紅を取り戻すのを、ケイは黙って見つめていた。
 そして、不意に口を開いて幼馴染みを呼んだ。
「・・・・ねえ、モリさん」
「何だ?」
「ロジェが凍らされたって本当?」
 静かな声で、ケイはそう訊ねた。
 その問いにモリは徐に頷くことで答え、しばしの後、口を開いた。
「・・・人形みたいだったよ」
「そう」
 言って視線を伏せたモリに、ケイは短く相槌を打つ。
 それを境に、リビングには沈黙が落ちた。
 パチパチと薪が爆ぜる音が嫌に耳に付く中で、モリは思い出していた。
 ロジェが見つかったと友人の一人が工場に駆け込んで来たのは、夕方のことだった。
 今日は昼から工場で仕事をしていたハルと共に、すぐさま工場近くのカーヤの家まで行くと、そこには四角く切りそろえられた巨大な氷があった。否、それが氷なのかどうかは誰にも分からなかった。その透明なものは、空気の泡を一つも含むことなく、あまりにも透き通っていた。そして、どんなにカーヤが撫でても、溶ける素振りを見せなかったから。
 そして、カーヤが必死で溶かそうとしているその氷の中には、ロジェがいた。
 温かな赤毛の髪は、水中でたゆたっているかのように氷の中で広がり、そのふわふわとした手触りを感じることはできなくなってしまっていた。それでもカーヤは必死で娘の髪を撫でようとしていた。
 ぼんやりと見開かれたままの瞳は優しいブラウン。その瞳が母の姿を映すことはできないでいるようだった。僅かに開かれた唇からは、吐息すら洩れ聞こえない。何を言おうと口を開いたのだろうか。カーヤが必死で氷に耳を当てているが、何も聞こえてこないようだった。
 まるで、人形。
 開いた唇は今にも言葉を紡ぎ出しそうなまま固まっており、僅かに伸ばされた腕は、何かを掴もうとしている。それは実に精巧に出来た人形のようだと、モリはぼんやりと考えていた。
 その時、ポツリと呟くように言葉を紡いだのは、隣に立ち尽くしているハルだった。
ばあちゃんと一緒だ・・」
「ハル・・」
 その一言で、彼が白い精霊に凍らされた祖母カエデの事を考えているのだろうとモリは察する。
「ばあちゃんもこんな風に何かを見つめてて・・・何を思ってたんだろう」
 僅かに開かれた瞳に、祖母やロジェは何を写し、何を思っていたのだろうか。氷に完全に包まれるその直前―死の直前、彼女らが見たものはいったい何だったのだろうか。何をするために、その細い腕を伸ばしたのだろうか。
 そして精霊たちは、彼女らを凍らせるその時、いったい何を思っていたのだろう。
 それは、精霊に愛する人を奪われた祖父に精霊の話を聞く度に、考えていたこと。そして、どんなに考えても分からなかったこと。
 精霊に凍らされた人を見るのは二度目だったが、やはり、答えは見つからなかった。
 代わりに思い出すのは、祖父の言葉。


『ねえ、じいちゃん。なんで精霊は、好きな人を凍らせちゃうの?』


『そうだね・・・何故だろうね。わしには分からんが・・・とても、好きで好きで仕方がないからなのかもしれないね』


 そんな台詞と、祖父が浮かべた悲しい笑み。祖父のその言葉を理解できなかった幼い頃の自分。今では理解できたのかと問われれば、首を左右に振ることしかできない。
 未だ、分からない。
「全然、何も分からないよ。オレには・・」
 考えても考えても、祖父の言葉に頷くことは出来ない。
 何故なら、
「・・・オレは、好きな人を凍らせたいとは思わない」


『好きだったら凍らせたいの? 変だよ。凍らせちゃったらもう話も出来ないんだよ?』


 幼い頃、悲しい顔をする祖父には言えなかったが、思わず母にぶつけた疑問だった。その疑問は、今も胸の中にある。そして今まさに、ロジェを凍らせた精霊へとぶつけたい言葉だった。
「だって・・」
 話せなければ好きだと伝えられないし、伝えてももらえない。氷に阻まれ触れられなければ、抱き締められない。抱き締めてももらえない。
 そんな悲しいだけの愛の形を望むのだろうか、精霊というものは
オレは、嫌だよ。そんなの」
 泣き叫ぶカーヤの姿を見るのに耐えられなくなったのか、ハルは視線を落とした。そして、更に言葉を紡ぐ。しかしそれは、吹き抜けていく風に攫われてしまうそうなほど小さな声だった。
・・怖いな」
 怖いと、ハルはそう言った。そして、押し黙る。
 モリはその呟きを聞かなかったことにした。聞き返さなくても、彼には分かっていたから。
 ハルが恐れていたのは、精霊と人間の違い。
 ケイが精霊に会っていることは知っている。それを許してもいる。
 それは、まさかケイが氷らされたりはしないだろうとそう思っているから。ケイが幸せそうな顔をして語ってくれるシュウという精霊ならば、ケイを凍らせたりはしないだろうと。
 しかし、精霊と人間の価値観はきっと違うのだと、改めて今日考えさせられた。だから、精霊の考えていることは分からない。
 ケイならばシュウという精霊に凍らされることはないと、信じている。それは、シュウが妹をとても愛してくれているから。
 しかし、


『とても、好きで好きで仕方がないからなのかもしれないね』


 思い出す祖父の言葉が、ハルを不安の中へと突き落とす。
 愛しているからこそ、精霊は凍らせるのかもしれない。そうであるとすれば、ハルには愛する者を凍らせる精霊の心理が分からない。精霊の考えることが、全く分からない。
 だから、怖いのだ。
 もしかしたら、ケイまで、凍らされるてしまうかもしれない。
「そんなの、オレは嫌だ・・・」
 再度、カーヤとロジェに視線を遣った後、ハルはきつく瞳を閉ざす。その眦から、一筋の涙が彼の頬を伝っていった。
 ハルが静かに流した涙を思い出しながら、モリは考えていた。ケイに言いたいことがあるのだ。しかし、言ってもいいものか否か迷うように、モリはしばしの沈黙の間、口を開いては閉じ開いては閉じていた。
 そして、数分の後、徐にモリは口を開いていた。
ケイ、頼みがある」
「・・・」
 モリの遠慮がちなその言葉に、ケイが問い返すことはなかった。彼の言葉の続きを拒むかのように、視線をハルに向けたまま、頑固としてモリを見ようとはしない。
 おそらく彼女が自分の言いたいことを察しているのだということにモリは気付く。再度、言うべきか否かの迷いが生じたが、モリはやはり口を開いて言った。
「ずっととは言わない。少しの間・・ハルが落ち着くまででいい。それまで
 その言葉を遮ったのは、ケイだった。しかしそれは、拒絶の言葉ではなく、
「分かった」
 という、短いながらも承諾の言葉だった。
「・・ケイ」
 おそらく拒絶されるだろうと思っていたモリは僅かに目を瞠る。
 そんなモリに、ケイは少しだけ苦みの加わった笑みを向けて言った。
「私だって、お兄ちゃんのこと心配だもん」
 今まで、不安ながらも嫌な顔一つせず自分を冬の森へと送り出してくれていた兄。そんな優しい人をこんな状態になってまで放っておくことはできなかった。
「ありがとう。ケイ」
 ハルに代わるように礼を言ってきたモリに、ケイは「いいのよ」と笑みを見せる。
 今度の笑みには、苦さはない。気にしないでと、嫌な役を買って出てくれたモリを労うような、優しく美しい笑みだった。
 その笑みに、モリは一瞬ドキリとする。
 このまま森に行かせなければ・・・
 そうすれば、彼女が恋している精霊のことを忘れてくれるかもしれない。そして
 そんなモリの思考を遮るかのように、ハルが唐突にくしゃみをした。

 そんなことは許さないと、ハルがそう言ったように、モリは感じていた。
 諦めたつもりでいた。自分が彼女を幸せに出来る男であればそれが何よりもの幸福だと思っていたが、それも叶わないと知らされた。彼女には別に彼女を幸せにしてくれる男が現れたのだと。ならば、幼馴染みという関係で、彼女の幸せを願おうと決めていたが、欲というものは消えない。ふとした瞬間に醜い顔を覗かせる。
「・・ハルを、運んでくる」
 これ以上自分の中に醜いものを覗かせないよう、その醜さをケイに知られないよう、モリは思考を遮り立ち上がった。そして、自分の愚かな妄想を断ち切ってくれた幼馴染みの体を抱き上げ、リビングを出る。
「ありがとう、モリさん」
 ケイの少女らしい澄んだ声が背中にかかる。
・・」
 再び、ケイへの熱い想いが醜い形でその姿を露わにしようとしたがモリはそれを制し、軽く頷いて見せた後、リビングから姿を消した。
 モリとハルとを見送り、リビングのドアを閉めたケイは、小さく溜息を洩らした。
 そして、暖炉の前を通り窓際に寄ったケイは、いつの間にか完全に宵闇に包まれている空を見上げた。
曇り、か・・・」
 空はどんよりと重そうな雲を、一面に敷き詰めてしまっていた。おそらくその向こうには、美しい黄金色をした満月が地上を照らすべく輝いているというのに、雲が切れる気配も薄れる気配もない。
 厚い雲があっても、願い事は届くだろうか・・・
 しかし、その問いに答えを出すことなく、ケイの視線はいつの間にか空から森へと移っていた。月よりもその姿を見たい人、とてもとても愛しい人がいる森へと、思いを馳せる。
シュウ・・・」
 ケイの唇から、再び溜息が零れた。それは、とても切ないものだった。







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