その日は、朝から雪が激しく降っていた。
 頬を叩く雪にも負けず、やはりケイはシュウに会うため、Shamrock squareに来ていた。しかし、いつもとは違い、二人は吹雪と言っても過言ではないような雪を避けるため、広場の外、木の下に腰を下ろしていた。そして、そんな二人の間の会話が弾むことはない。寒さのため、ケイは体を小さくして奥歯をならしているだけで、会話は続かなかった。
 体を小さくし寒さに耐えているケイを、シュウはじっと見つめていた。精霊である自分にとっては雪の寒さなど何でもない。しかし、彼女は人間だった。寒さを防ぐためにたくさんの衣類を着込み、それでも寒さに体を小さくしなくてはならない。おそらく常ならば温かな屋内で穏やかな時間を過ごしているはずなのに、彼女はこんな森の中で寒さにさらされている。それというのも、自分がこの森に棲んでいる所為なのだと、シュウの中で申し訳なさが込み上げてくる。
 そんなシュウの思いに気付いたのか、ケイはシュウの方に視線を遣り笑顔を見せた。体は小さく縮まったままだったが、その笑顔は「大丈夫よ」とシュウに語りかける。そして、ケイは震える唇にかまうことなく、明るい調子で口を開いた。
「ねえ、シュウ。今日、満月なのよ。知ってた?」
 自分が寒さに震えていることでシュウが罪悪感を抱いている事を知り、努めて明るく振る舞っているケイに、勿論シュウも気付いていた。つい謝罪の言葉が唇からこぼれ落ちそうになったが、シュウはそれを飲み込んでいた。
「そうなのかい?」
「そうなの。ねえ、シュウは何てお願いする?」
「僕は・・・」
 唐突な問いに、シュウが黙ってしまったのを見て、ケイは小さく笑う。
「迷っちゃうよね。私も迷ってるの」
 そう言うと、ケイは突然立ち上がった。
「動けばちょっとは温かくなるよね
 ケイは縮めていた体を思い切り伸ばし、ぶんぶんと腕を振り始める。走り回ることが出来ればそうしていたのだが、生憎と足下の雪がそれを許してくれない。仕方なくケイは腕をグルグルと回しながら、木陰から広場へと出る。
 いつの間にか、吹雪はやんでいた。しかし、雪は未だ降り続いている。
「わぁ、大きい雪!」
 大粒の雪が、ケイに乗っかるようにして、空から舞い降りてくる。それを一つ、また一つと掌で受け止めながら、ケイは広場を歩き回る。大粒で重たい雪は、ケイの掌を拒むことなく舞い降りてきた。すぐにケイの掌は真っ白な雪で覆われてしまっていた。
 雪を受け止めて遊んでいるケイの姿を、シュウは木陰から見つめていた。
願い、か・・・」
 満月の夜に願い事をすると、叶えてくれる。そう教えてくれたのは彼女だった。
『FLOWER and RABBIT』という絵本に書いてあった、言い伝えとも言えないジンクス。それを彼女は信じているようだった。
 彼女は、何を願うのだろうか。
 ケイは迷っていると言っていた。
 自分なら、何を願うだろう。
 満月が願いを叶えてくれるのなら、何を願おうか。
 そうして巡らせる思いの中、常にシュウの中心に位置しているのは、愛しいケイの存在。願うのならば、きっと彼女との幸せを願うだろう。
叶うのなら・・ケイと・・・」
 見つめる先にいるのはケイ。先程まで寒さで凍えていた姿はもうない。空から舞い降りてくる雪を、飽きることなく受け止めては放り投げて遊んでいる、無邪気な彼女の姿がそこにはある。
 自然と、シュウの口許に笑みが浮かぶ。
 だが、
「きゃ」
 唐突に、風が吹いた。
 静かに舞い降りてきていた雪が、突然暴れだし、ケイに吹き付ける。雪が、ケイの姿を白の中に隠してしまう。
 見えない。
 愛しいケイの姿が見えなくなるいなくなる。
やめろ!!!」
 気付けばシュウは、声を荒げ叫んでいた。
 途端に、雪がやむ。シュウの叫びを聞いたのだろうか。Shamrock squareだけ、雪がやんでいた。
・・シュウ?」
 突然大声を出したシュウに、ケイは驚き目を瞠る。あんな風に声を荒げたシュウの姿など、今まで目にしたことがなかった。
 ケイが目を瞬いていると、シュウが口を閉ざしたまま宙を駆けケイの側までやって来た。真っ直ぐケイに向けられたその瞳は、先程の荒げられた声からは想像も付かず、不安に細められた頼りないものだった。その理由をケイが問う前に、シュウが口を開いた。
君が、雪に連れ去られてしまうかと思った・・・」
「シュウ・・」
「僕は、こう願うよ」
 シュウは囁くような声で、願いを口にした。
「君の側に、ずっといられますように ・・」
 シュウの願いを、ケイは黙って聞いていた。そして、何度も何度も心の中で反芻はんすうを繰り返す。
「ねえ、シュウ」
 そうしてシュウにかけられたケイの声は、とても静かなものだった。
「私、シュウにお願いがあるの」
 今夜姿を見せるであろう満月に出はなく、シュウにお願いがあるのだと、ケイは口にした。
「・・・僕に?」
 何をとシュウが視線で問うと、ケイはしばしの逡巡の後、願い事を口にした。
「私を一人にしないで欲しいの」
 その言葉に、シュウは僅かに目を瞠る。
 その願いは自分の願いを叶えてくれるものであったが、何故か素直には喜べなかった。彼女の瞳が、悲しげに細められていたからかも知れない。
「何があっても、私を独りぼっちにしないで。側にいて」
 願い事を囁くと言うよりも、懇願していると言った方が正しいような縋り付く瞳で、ケイは囁き続ける。
「シュウがいなくなるくらいなら・・・私
 そこで、ケイは口を閉ざした。その先の言葉を言おうか否か迷っているのだろう。少し青ざめた唇が、何度か開いては閉じている。
「ケイ」
 そっとシュウが促すと、ケイは一度唇を閉ざした後、徐に口を開いた。
「いなくなるくらいなら・・・私を、ずっと側に置いておいて欲しいの」
ケイ・・?」
 彼女の願いの真意が分からない。抽象的な言葉に、シュウは僅かに眉を寄せる。自分の願いも、ケイの側にいることだと言っているのに、ケイは繰り返す。叶うというのに、また願いを唱えるのは、ケイがシュウの側に居続けるのは無理だから。冬の寒さは、人間を死へと追いやってしまうから。それを知っているケイには、互いが側にいることが無理であることを知っている。知っていても、なお願う。シュウに、村に来て欲しいとそう言っているのだろうか。それとも ・・・
 シュウには分からない。しかし、ケイがそれ以上、言葉を紡ぐことはなく、シュウは口を閉ざさざるを得なかった。
「・・・分かったよ」
 分からないけれど、そう彼女に告げ、頷くしかなかった。
 そうして口を閉ざしたシュウに、ケイは熱い視線を向ける。それは、恋する少女というよりは、激しい恋に身を委ねる大人の女の瞳。そこでは、彼女の激しい想いが燃えていた。
「愛してるの、シュウ。誰よりも。だから、私、シュウのためだったら全て、投げ出しても構わないと、そう思えるの」
 その台詞に、シュウは僅かに目を瞠る。彼女の口から、そんな台詞が出てくるとは思っていなかったのだ。彼女には自分と同じくらい・・・もしかしたら、自分よりも大切な人が村にいるのだ。それでも、自分のためなら全て投げ出せると、彼女はそう言ったのだ。それほどまでに、彼女が自分を思ってくれている。
 抱き締めたい。
 そんな欲望が生まれる。しかし、それを止めるのは消滅という事実。触れて伝えることができないシュウは、口でその激しい想いを伝えるしか術はない。喋ることが苦手て、ありきたりの言葉しか出てこないが、少しでもケイに愛を伝えるために、シュウは思いを込めて、一言一言ケイに伝える。
「僕もだよ、ケイ。僕も、誰よりも・・誰よりも、君を愛してるんだ。ずっと。ずっと」
 たどたどしいけれど、思いのつまったその言葉を、ケイは黙って聞いていた。シュウの口が台詞を紡ぎ終わっても尚、ケイは黙っていた。黙って、シュウが自分に向けてくれた言葉を胸に刻み込むかのように何度も何度も反芻する。
ありがとう、シュウ」
 そしてケイは、雪の白ささえも霞むほど、誰よりも綺麗に笑った。






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