朝方、セーラのパン屋で働いた後、ケイはセーラから昼食にと貰ったパンを持ち、シュウの待つShamrock squareへと向かう。セーラは、ケイが好きな人に会いに行くのだということに気付いているらしく、「上手くやるのよ」と笑いながらケイを送り出してくれた。
 と、そんな話をしながら、ケイとシュウは穏やかな時間を過ごす。雪が降り注ぎ、風も容赦なく二人を撫でていく。そんな冬の寒さはケイを凍えさせるけれど、シュウとこうして過ごすことが出来るのならば、そんなものはケイにとって障害でも何でもない。しかし一つだけ、ケイが憎んでいるものがあった。それは、冬の太陽。
 冬の日の入りは早く、ケイとシュウが再会を果たすとすぐに暗くなり始めてしまう。ただでさえ、二人きりの楽しい時間は常よりも早く過ぎていってしまうというのに、太陽までもが村へとケイを追い返そうとする。
 そうして太陽に急かされるまま村へと歩いているケイの横顔は、先程までShamrock squareで見せていた笑顔とはうってかわって、不機嫌なものだった。
「・・・どうかしたかい?」
 ケイの隣に並んで村までの道を歩いているシュウが、そっとケイに問う。するとケイは、小さな声で言った。
「もっと長く一緒にいられたらいいのに」
 唇を尖らせるケイを見て、シュウは笑う。ずっと一緒にいることは、どうしても無理なのだ。そのことを彼女も分かっているはずなのに、それでも文句を言う。そんな子供のようなケイの様子に、愛らしさを感じずにはいられないようだった。
 微笑みながら自分を見つめているシュウに視線を遣った後、ケイは急に足を止めて口を開いた。少しでも長く、彼と一緒にいるために。
「私ね、冬って好きだったの、今までは」
「うん」
 ケイと同様にその場にフワリと浮いて止まったシュウは、彼女の言葉に耳を傾ける。
「でも、冬の寒さは私たちを引き離すから、今はちょっと嫌い」
 言って、ケイは再び不満そうに唇を尖らせた。そんな彼女にシュウは優しく微笑みかける。
「春になればもっと一緒にいられるよ」
「え!?」
 突然目を瞠ったケイに、シュウの方が驚いて目を瞬かせる。そうして、一体どうしたのかとケイを見つめていると、ケイはしばしの逡巡の後、問うた。
「・・じゃあ、夏は?」
「夏になったら、もっと長くいられるね」
「・・・・・」
 そう答えるとケイは黙ってしまった。
 急に黙り込むケイに、自分が何か悪いことでも言ってしまったのかとシュウは心配になり、慌てて自分の言葉を反芻してみる。けれど、原因は分からない。
「ケイ?」
 僅かに俯いているケイの顔を覗き込むと、彼女は「ごめん」と小さく謝ってから口を開いた。
「私、精霊は冬にしか外に出られないものとばかり思ってたの。夏は、溶けちゃうのかなって」
 白い精霊と呼ばれている所為だろうか、精霊は雪が降る白い季節にしかいないとケイは思い込んでいた。それは、ケイに限らず人間が皆持っている偏見に過ぎなかったらしい。
 シュウは笑いながら言った。
「溶けないよ。まあ、確かに雪が消えると、僕たちは森に出るのを避けるけど」
「どうして?」
「雪の白が消えてしまったら、僕たちは目立ってしまうから」
 真っ白な肌に真っ白な服。それは雪に覆われた森の中では雪と同化して人間からは見えにくいが、青々と茂った草木の中では、精霊の体は目立ってしまい、人間に見つけられやすくなってしまう。それを恐れて精霊たちは森の奥深くに潜んでいた。
「でも僕は、ケイに会いに来るよ」
 言ってシュウは微笑んでみせる。
 例年、冬以外の季節に外に出ることのないシュウだったが、彼女のためならいつでもShamrock squareに通うだろう。いや、彼女のためではない。彼自身が、彼女に会いたいと願っているから。
「ありがとう、シュウ!」
 ケイは、満面の笑みを返した。


 夏の熱さに耐えられるのなら、何故・・・


 そんな神様への愚痴は、胸の中にしまっておこう。今はこの胸の中を埋め尽くす幸せに浸っていたかった。
 そして、愚痴の代わりに祈りの言葉を囁く。
 早く春が来ますように・・・
「早く春が来ないかなぁ」
 祈りの言葉を、ケイは唇からも零し、シュウを真っ直ぐに見つめ言った。
「私ね、冬も好きだけど、春も好きなの」
「どうしてだい?」
 先程の不機嫌な様子とはうってかわって、ケイは楽しそうにお喋りを始める。自然と、止まっていた歩みも再び村へと向けられていた。その様子を微笑ましく見つめながら、シュウも彼女の後に続き、フワリと空中を移動する。
「春は、お兄ちゃんの名前と同じ季節なの。だから、好き」
「ハルっていうのかい? 君のお兄さん」
「そうよ。springのハル。晴れるのハル」
「・・仲がいいんだね」
 兄のことを語るケイの表情の明るさに、シュウはそう感じる。兄なのだから仕方がないと自らに言い聞かる。僅かに胸を焦がすのは嫉妬という名の炎だということを感じたからだ。
 しかし、ケイにはそんな炎は見えないらしい。笑顔のまま話を続けた。
「うん。だって、たった一人の家族なんだもの」
 それは、初めてきく話だった。ケイは今まで自分の家族について、何一つ口にしたことはなかった。ただひとり、兄のこと以外は。
「雪崩で一気にお父さんとお母さんを亡くしちゃって、お兄ちゃんだけなの、私」
 そう言ったケイの表情は、その台詞とは逆に明るいものだった。
「お父さんとお母さんが死んでからは、幼馴染みの家で育ったの。だから、何の不自由もなかった。お父さんやお母さんはいなかったけど、セーラおばさんやカズおじさんがいたし、モリさんもお兄ちゃんもいたから、私幸せだったわ」
 己の人生を思い返しているのだろう、ケイは視線を遠くに遣ってそう言ったあと、シュウを見て微笑む。
 その笑みは言葉の通り幸せそうなもので、シュウはそれに驚いてしまっていた。
「僕には、家族っていうものはいないけど・・親を亡くすっていう感覚は、とても辛いことなんじゃないのかい?」
 ケイがどんな風に育てられてきたのかは知らない。けれど、人間にとって父母という存在はとても大きなものだという認識をシュウは持っていた。自分には家族というものはいないけれど、それでも仲間が消えたと聞けばひどく悲しい気持ちにもなった。それなのに、ケイは笑っている。それが不思議でならない。彼女には不躾な質問で失礼かとも思ったが、シュウは思いきってそう訊ねてみる。
 するとケイはしばし考え込んだ後、口を開いた。
「・・・私ね、悲しくなかったの」
 言ってケイは、申し訳なさそうに笑った。
「まだ小さくて、よく分からなかったのよ。お母さん達が雪崩に巻き込まれた、なんて聞いても」
 幼かったケイには、雪崩が何であるかもよく分からなかったし、幼い彼女に配慮してか、周りの大人達はみな「お父さんとお母さんは神様の所に行っただけなんだよ」としか言ってくれなかった。もう会えないとは教えてくれなかったのだ。だから、神様の所に行っただけなのならば、いつか帰って来るではないかと幼心にそう思った。それまで兄と一緒に待っていればいいのだと。それなのに、周りの大人達が泣いているのか不思議で仕方がなかった。隣で自分の手を握ってくれている兄を見ると、彼は泣いていなかった。だから、やはり泣くようなことなど何一つないのだと、ケイはそう思ったのだ。
 しかし、
「お母さん達のお葬式が終わった日、お兄ちゃんが家を飛び出して行っちゃったことがあったの。私を置いて。私は、その時初めて泣いたの。私にとっては・・・薄情なようだけど、お母さん達と死に別れたことよりも、お兄ちゃんが一瞬いないことの方が怖かったの、あの時は」
 そう言ってケイは、また申し訳なさそうに笑った。父母が嫌いだったわけでもない。優しくされなかったわけでもない。とても素敵な両親だったと思う。けれど、覚えていないのが現実だった。そうして、ケイの中の父母はとてもぼんやりとした存在でしかなく、父母の死もまた同様に現実味のないものとなってしまっていた。
「私にとって両親の死はただの過去だけど、お兄ちゃんの心には深い傷を残したの」
「・・傷?」
「急にお母さん達に置いていかれて・・・そのショックで、お兄ちゃんは今も一人で置いていかれることをとても怖がってるの。私だってモリさんだって、おばさん達だっているのに、いつも怯えてる。今だってそう」
 今は、特にそうだと言った方が正しかったかもしれない。
 ロジェがいなくなってから、彼は自分もカーヤのように一人きりで取り残されるのではないかと怯えている。決して妹には見せまいとしているが、それでも兄がずっと怯えているのだということを、ケイは知っていた。彼の不安を和らげるためにも、なるべく側にいようとも心に決めていた。今まで守ってきてもらったのだ。これからは、兄を支えられたらと思う。
 そして何より、兄と同じ苦しみを・・いや、兄よりもさらに辛い現実に立たされているカーヤが救われることを、強く祈っている。見つかればいいと。
 そうして祈りの言葉を唱えたあと、ケイはふと思い立って口を開いた。
「あ。ねえ、シュウ。女の子を見なかった?」
 もしかしたらこの森に住むシュウやその仲間ならば、ロジェを見かけた者がいるかもしれない。そう思い立ったケイはシュウに訊ねる。
「女の子?」
 シュウにとってそれは唐突な問いだったのだとケイは気付き、すぐに情報を付け加える。
「森で最近行方不明になった子なの。私と同じくらいの年の女の子」
 しかし、シュウはすぐさま首を左右に振って言った。
「ごめん。見かけないな」
「そう・・」
「ごめん」
 表情を曇らせるケイに、シュウは再度謝る。そんなシュウに「シュウが悪いわけじゃないでしょ」と、ケイは笑いかけた。しかし、そうして浮かべた薄弱な笑みは、すぐに消えてしまう。視線を落としたケイは、沈んだ口調で言った。
「ロジェがいなくなってから、お兄ちゃんは敏感になってるの。いつか私までいなくならないかって」
 淡々とケイは語った。それは、シュウに聞かせるためではなかったのかもしれない。ケイは、シュウを一度も見つめることなく、ただただ言葉を唇から零すばかりだったから。
 もしかしたら、ただ口にしたかっただけなのかもしれない。
 兄の前では、気付いていないふりをしていた。それが一番いいとも思っていた。けれど、逆に「私は全部分かっているから」と言って、優しく彼を抱き締めてあげた方がいいのではないかとも考えるのだ。そうすることが合っているのかどうかは分からない。そうする決心も付かない。だからケイは黙ったまま、知らない振りを今まで続けてきた。誰にも言わなかった。きっと、シュウだから全て吐き出している。
 シュウ自身もそんなケイの心情を悟ったのだろう。何も言わず、彼女の言葉に耳を傾けていた。
「お兄ちゃんにとって、私は心の支えなの。あの日、お兄ちゃんがいなくなって泣いてた私を見て、お兄ちゃんは私を守らないとって思ったの。多分。そういう責任を負うことで、精神を保っていたんじゃないかと思うの。そして、きっと今も。だから、私は
「重荷じゃないかい?」
え?」
 自分の言葉を遠慮がちにではあったが、はっきりと遮ったシュウのその台詞に、ケイは弾かれたように視線を彼へと遣る。兄を責めるための台詞かと、そう思ったのだ。けれど、彼の顔を見てそうではないのだということにケイは気付いた。
 シュウは、とても心配そうな顔でケイを見つめていた。
「お兄さんを守るために、君は守られているんだろう? そんな自分を演じるのは、重荷になっていないかい?」
 シュウは真剣にケイを心配してくれていた。
 そんなシュウの問いに、ケイは即座に首を左右に振った。肩の辺りで切りそろえられた髪が、激しく首を振った所為で乱れる。たが、彼女がそれを気にすることはなかった。
「全然! 理由はどうであれ、お兄ちゃんは今までずっと私を守ってきてくれたんだもの。そんなお兄ちゃんを今は私が支えてあげられるようになったのよ? 嬉しいに決まってるわ」
 そう言ったケイは「心配しないで」と付け加え、満面の笑みをシュウに浮かべて見せた。
 そんなケイに、シュウは感心する。なんて素敵な子なんだろうと、改めて思う。安っぽい言葉ではあるが、惚れ直した、と言うのが一番正しいのかも知れない。
「大好きなんだね、お兄さんのこと」
「モチロン!」
 シュウの予想通り、ケイは大きく頷いて見せてくれた。彼女の、真っ直ぐに兄を思う気持ちは、とても綺麗だと、シュウは思う。
「いつか、会って欲しいな。きっとシュウも好きになるから!」
 そう言ってケイはまた笑った。
 よほど兄のことが自慢なのだろう。ケイの一心に兄を慕うその様子に、シュウは胸を焦がす炎が大きくなるのではと心配する。けれど、それは杞憂に終わった。先程まで胸を焦がしていた嫉妬の炎が、いつの間にか消えてしまっていることに気付いたのだ。敵わないと、そう思ったのだろうか。いや、それは違う。ケイがこんなにも愛している人なのだ。その人に対して、こんな醜い炎を燃やし続け、次第に嫌いになっていくのは悲しいことだったから。ケイの言った通り、彼女の兄のことを好きになることができればいいと、シュウは真剣に願った。
「君のお兄さんは、僕を迎えてくれるかな?」
 照れくさそうに、シュウはケイにそう訊ねた。それは、自分も会いたいという言葉の代わりだった。
 そのことを察したケイは表情を輝かせる。そして、微笑みながら言った。
「大丈夫よ! お兄ちゃんも精霊に会いたいって言ってたもの。きっと物珍しげに小一時間は眺められちゃうよ、きっと」
 その言葉に、シュウは笑う。ケイも、同様に笑った。







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