昼下がり。 今日も、Shamrock Squareにはケイとシュウの姿があった。 それを見守っているのは、曇天から零れてくる白い白い雪。その大粒の雪たちは、二人に遠慮するかのように彼女らを避け、地面へと舞い降りていく。 降り積もった雪の上、腰を下ろしたケイはいつものごとく持参した昼食を食べていた。それを微笑みながら見つめているのはシュウだ。 それが二人の日課。 そして、もう一つ、 「ケイ」 昼食を食べ終えると、ケイの目の前に差し出されるシュウの手。そして、その上に乗っているのは、凍り付けの花。 いったい何処に咲いているのだろう。シュウは毎日のように花弁を広げた花を凍り付けにして持ってくるようになった。 シュウは、口許に穏やかな笑みを刻み、凍り付けの花を差し出す。ケイは、凍り付けの花を笑顔で受け取る。 それが彼らの、もう一つの日課。 最初は生きている花を摘み取り、凍り付けにするその行為に、多少、躊躇いを感じていたケイだった。だが、ただただ自分を喜ばせようと、毎日少しずつ花を運んでくるシュウの単純で、けれど純粋な思い。それがケイの躊躇いを取り払った。多少の憂いは、この降り注ぐ雪の中に、そっと落としてしまおう。そう、思うようになった。 「ありがとう、シュウ」 微笑んで、シュウから花を受け取る。 その瞬間、 「───・・」 また、だ。 最初は分からなかった。けれど、回数を重ねるごとに、ケイは気付き始めていた。 ケイに花を手渡すその瞬間、シュウはいつも彼女の手から逃げるように、己の手を引くことに。 シュウは、ケイに決して触れようとはしなかった。 それが、ケイには悲しい。まだ、彼は自分に心を開いてくれていないのだろうか。 今日こそそれを確かめるべく、ケイは手を伸ばす。シュウの腕に、触れてみようと思った。 そして、ケイの腕がその白い雪のような肌に触れようとした、その瞬間、 「!!」 シュウが、驚くべき早さでそれを避けた。体を大きく引き、ケイから逃げるように、その体を宙高くに浮かせる。そんな彼の表情は強張っている。 「───あ、ごめんなさい!!」 あまりにも過剰なその反応に、ケイは思わず謝ってしまっていた。何が起こったのかは分からない。だが、シュウを怯えさせてしまったことは分かった。 「いや、僕こそごめん」 自分の反応を恥じたのだろうか。僅かに頬を染めたシュウが、ケイの隣に戻ってくる。だがそこは、彼が先程までいた場所とは違った。 少し、自分から距離を置いた場所に腰を下ろしたシュウに、ケイは後悔する。 シュウが触られることを避けているのは分かっていた。それなのに触ろうとした自分を腹立たしくさえ感じる。 ケイは己の浅はかさを恥じ俯いていた。 だが、気になる。 「・・触っちゃ、ダメなの?」 何故、彼はそこまで自分との接触を拒むのだろうか。いつも会いに来てくれる。わざわざ採りに行ったのだろう、花を届けてもくれる。決して、嫌われているわけではないと思っていた。 だったら、何故・・・? 口の中にとどめておくことができず、唇から零れた問いに、シュウは申し訳なさそうに、彼も視線をケイから落としながら答えた。 「ごめん。駄目なんだよ」 どうしてとケイが視線でそう問うと、シュウは黙ってしまった。 言うべきか、否か。せわしなく視線は地面を滑っている。時折、開いてはすぐに閉じてしまうその唇は、なかなか言葉を生み出さない。いくらかの逡巡の後、シュウは重い口を開いた。 「僕たちに死はないと言ったけど・・・あるんだ。死という名前をつけていいのか分からないけど・・・」 唐突なその台詞は、まだケイの問いに対する答えにはなっていない。だが、ケイが先を急かすことなく待っていると、シュウはまた僅かに沈黙を挟んだあと、一気に言った。 「僕たちは人間に触れると消えてしまうんだよ」 「───・・え?」 「人間だけじゃない。動物も、駄目なんだ。生物の温もりは、僕たちを溶かしてしまうんだよ」 それは、衝撃的な告白だった。 ───人間と精霊は、触れ合うことができない。 今まで、人間と精霊の違いをいくつも目の当たりにしてきた。たくさんの驚きを、シュウから貰ってきた。 姿は全く同じだというのに、精霊は空を飛ぶことが出来る。雪と会話することが出来る。どんな寒さの中でも生きていくことが出来る。不思議な力で花を凍り付かせることが出来る。何も食べなくても生きていくことが出来る。 そして、精霊は人間に触れることが出来ない。命の温かさに触れることが出来ない。 それは、悲しさを伴った驚きだった。 「──・・触れられないのね、私たち」 「・・うん」 沈んだケイの声。それに答えるシュウの声も、静か。 二人の視線は、白い地面を見つめている。互いの悲しい瞳を見たくないとでも言うのだろうか。視線は、決して交わろうとはしなかった。 ケイは、ぎゅっと唇を噛み締める。 人間同士では当然であるコミュニケーションが、精霊とは許されていない。その事実が、どうしてこんなにも胸を締め付けるのだろうか。 自問自答。 答えは、すぐさま湧いて出てくる。 ───触れたいと、思っていたからだ。 シュウに触れたい。シュウと触れ合いたいと思っていたから。 ───だって、私は・・・・ その言葉の先を、ケイは言わなかった。 代わりに、呟く。 「少し・・淋しいね」 その言葉に、シュウがケイに視線を遣った。 じっと地面を見つめているケイの横顔。いつも彼女の顔にあった笑みは、いったい何処に行ってしまったのだろうか、見えない。それを悲しく思うのと同時に、彼女が自分と触れ合えないことに、これほどまでに悲しんでいるのだという事実は、密かにシュウの胸を温かくする。 その温もりを抱えたまま、シュウはケイに告げる。溢れてくる言葉を、素直に伝える。 「・・・でも僕は、ケイに会えるだけでいい。話せるだけでいい。笑いかけてくれるだけでいい」 「シュウ・・」 真っ直ぐ自分に向けられたその言葉に、ケイは雪の上に落としていた視線をシュウに移した。すると、自分を見つめる、言葉と同様に真っ直ぐな瞳にぶつかった。真剣で・・けれど、優しい。自分を愛しんでくれている瞳。 ───それだけでいい。 ケイも、そう思えた。だから、彼がそうしてくれたように、真っ直ぐシュウを見つめ、偽ることなく答える。 「私もよ、シュウ。こうして居られるだけで、幸せよ」 瞳と瞳が、ぶつかる。 想いを、伝え合う。 互いの胸にある温もりが、その温度を増していく。 その温もりを冷まさぬよう、雪は二人に触れぬよう、降り注いでいた。 やがて口を開いたのは、シュウの方だった。視線はケイの瞳から外さないまま。 「───ケイ・・・好きだよ」 ケイの答えを待つこともなく、シュウは動いた。体をかがめ、ケイの掌に乗っている凍り付けの花に、そっと口づける。 そしてケイに戻った視線は、優しい。 僅かに赤いシュウの頬に笑みを零した後、今度はケイが口を開いた。優しい瞳に微笑みを返し、紡ぐ。 「───私も、大好きよ、シュウ」 そして、シュウが口づけを落とした花に、ケイも口づける。 冷たいはずの氷が、何故か温かく感じる。氷の冷たささえ感じないほどに、自分の体温が上がっていたからかもしれない。手を頬にやると、やはり熱い。シュウと同じように、どうやら自分の頬も赤くなっているらしい。 「──ケイ・・」 頬を赤くして俯いているケイの愛らしい姿に微笑みを零しつつ、シュウは手を伸ばす。その手は、ケイの掌にある凍り付けの花に、そっと添えられた。 温もりを感じることは出来ないが、それでも、幸せを感じることは出来た。 凍り付けの花越しに触れ合った手。その周りを、そして、二人の周りを雪が舞っている。くるくるくるくると、祝っているのか、からかっているのか、二人の周りを軽やかに雪が舞う。 それはまるで、儀式のよう。 ──花に誓う・・。 ──雪に誓う・・。 神聖な、儀式。 互いに頬を染め、ケイとシュウは小さく笑った。 触れられなくてもいい。傍に居ることができるのなら、それだけで── 「───幸せ・・」 それだけで、幸せを感じることができるのだから──・・。 |