夕方。 時刻は午後6六時を過ぎた頃だろうか。辺りはすでに闇に飲まれつつある。しかし月明かりが雪を照らし、純白の村と呼ばれるlily−white hamletは夜中でも月さえあれば仄かに銀色の明かりを放っている。完全に闇に飲まれることは滅多にない。その様は、非常に美しく、近隣でも有名な村となっている。 その純白の村を、早足で歩く少女が居た。 寒さの所為か、帰路を急いでいるためか、おそらくはそのどちらも原因となっているのだろう赤く頬を染め歩くのは、ケイだ。 白い肌と、赤い頬。 白い雪と、濡れ羽色の髪。 愛らしく美しいケイと、彼女とそっくりな兄のハルは、この村では誰もが気にかける兄妹だった。その整った容姿と気だての良い性格、それも要因の一つではあったが、全てではない。おそらく先に述べた要因よりも、もっと大きな割合を占めているのは、彼ら兄妹の不憫さであっただろう。 ここは狭い村。そして田舎だ。大した楽しみもないこの村では、良い知らせ、噂、人の不幸、何もかもが、すぐさま村中に伝わっていく。 ハルとケイが、祖母を精霊に凍らされた上、両親を雪崩で亡くした可哀想な兄妹として知らぬ者は一人もいないだろう。物心のつかない、小さな子供は別として。 雪に呪われた家 彼らの家が、そう呼ばれることもある。そうして気味悪がられたり、逆に心配してくれたりと、村の人たちは兄妹を何かしら構う。 同情、と言ってしまえばそれまでかもしれない。そして時にそれは、おせっかいにもなる。 けれど、兄妹は村の人々からの同情を笑って受け入れた。そして言った。 「違う。この家は雪に呪われてるんじゃない。雪に愛された家なんだ」 その言葉に、誰もが兄妹の前向きさ、健気さに涙した。 当の兄妹は、同情を誘うために言ったわけではなかった。彼らは、雪が好きだった。だから、呪われていると考えるよりも、愛されていると考える方が楽だった。それだけだった。 そして彼らは、村の人たちが心配するのもきかず、よく冬の森へと入っていく。 ケイに至っては、最近では毎日のように森に通っていた。 美しい花を見るため。そして今は、白い精霊―シュウに会うために。 冬の夕暮れは驚くほど早い。 シュウと過ごす穏やかな時間は、あっという間に過ぎていってしまった。明日はもっと早い時間に会いに行こう。そして、もっと長い時間、シュウとお喋りをしよう。 ケイはそう心に決める。 そして、兄の待つ家にたどり着く。 窓からは橙の色をした暖かな光が漏れ、煙突からは僅かな煙が空を目指している。 ドアの前で体についた雪を払ってから、ケイは寒さを防ぐため重厚に作られたドアを押し開いた。 「ただいまー」 「お帰りー」 迎えた声は一つ。奥の部屋からやって来たのは、その声の主、兄のハルだった。彼に続く人の姿はない。 そのことにケイはほっと安堵の溜息を零していた。 どうやら、モリは来ていないらしい。 「こんなに遅くまでどこに行っていたんだ?」 モリがいれば、白状するまでそう問いつめられただろうから。 モリは、両親がいなくなってから、まるで親のように世話を焼くようになった。それは、幼かった自分たちが彼を兄のように頼っていたから。だが、それはもう昔の話で、最近では彼に頼ることはなくなった。構われなくても大丈夫。大人になったのだ。だが、モリは昔のまま、自分たちの世話を焼く。 それはありがたくもあったが、時には鬱陶しくもある。特に、年頃の少女になったケイとしては、いちいち詮索されることは好きではない。 面と向かって言うほど、兄(?)不孝者ではないが。 では、本物の兄はと言うと、 「どうだ? 会えたのか?」 固く結ばれたブーツの紐を妹がといているのを手伝ってやりながら、うきうきと訊ねてくる。 この兄は、妹が冬の森に、祖母を凍らせた白い精霊と会っていることを知っているのだ。だが、止めない。妹への信頼が強固であるとも言えるし、彼が楽天家であるとも言える。おそらくは、前者が大きいのだろう。 妹はいなくならない。 両親のように突然雪に攫われたりはしない。 そう、思っているのだろう。 そう思っていないと、まともではいられないのだろう。 その危うい精神の均衡を、ケイは知っていた。知っていてなお、冬の森に一人で行く。兄に気を遣っていることを悟らせてはならないと思っていたから。兄の脆さに気付いていることを兄自身にしらせまいとしていたから。 「へへへ〜」 会えたのかという問いに答える代わりに、ケイは笑ってみせる。 それは肯定。 するとすぐにハルが口を尖らせた。 「いいなー。今度、オレにも会わせてくれよ」 「だーめ」 「何でだよ」 すぐさま返されたNOの返事に、ますますハルは口を尖らせる。 そんな兄の子供っぽい仕種にケイは笑う。そしてよしよしと兄の頭を撫でて言った。 「シュウは人見知りするの。だから、また今度、お兄ちゃんのこと話してから、ネ」 良い子良い子、と頭を撫で、まるっきり子供扱いしてくるケイの手を、ハルは首を振っておとす。このしっかりした妹は、こうして時たま兄を子供扱いしては面白がる。 ここで「子供扱いするなよ」とムキになればケイがさらに面白がることを知っているハルは、頭を撫でられたことは忘れることにし、会話を紡いだ。 「…シュウって言うのか?」 「そうよ」 リビングに移動しながら、「普通の名前なんだな」とハルは感想を洩らした。そのままハルはソファに腰をおろし、ケイは冷えた体を温めるため、暖炉の前のイスに座った。 「なあ、どうだ?」 「…何が?」 パチパチと火の粉を飛ばす薪を見つめていると、ソファからハルが問うてきた。視線を薪から外さないまま問い返すと、ハルがソファから立ち上がり、隣までやって来て問い直した。その表情は、少し真剣なものだった。 「どうだ? 怖かったか?」 幼い頃から、祖父に、 『白い精霊はね、大好きな人を凍らせてしまうんだよ。だから、精霊と仲良くなってはいけないんだ。分かるね?』 何度も何度もそう言い聞かされて育った。その所為だろうか。精霊への興味は強く育ったが、恐怖もそれなりにはある。 精霊の本当の姿を知っているケイに、ハルは祖父の言っていた話が本当かを訊ねた。幼い頃からの問いだったから。 「怖いのか?」 ドキドキしながら自分の答えを待っているハルに、ケイは首を振って見せた。 「ううん、全然怖くないわ。むしろ怖がられてるんじゃないかしら」 精霊が怖くない生き物なのだと知らされたハルは「良かった」と洩らした後、ケイが付け加えた一言に笑った。 「ははは。お前だからなー」 「どういう意味よ」 「何でもありませ――――ん」 冗談めかし肩を竦めたハルに、ケイは眉を吊り上げ、兄の頬をつまむ。 「もう!」 勿論本気で怒っているわけではない。兄妹のじゃれ合い。 「イテテテテ。ほら、怖い怖ーい」 「もーう!!」 ばしばしと肩を叩いてやると、ハルは笑いながら逃げる。それをケイが追う。彼女の吊り上がっていた眉は、もう笑みに変わっていた。 二人の追いかけっこにピリオドを打ったのは、家の外から聞こえてきた声だった。 「ハルく―――――ん! ケイちゃ―――――ん!」 分厚い壁、窓越しにでも届く大きな声。それは、お向かいのモリのおばさん。 「お。行くぞ、ケイ。今日はおばさんが用意してくれてるから」 「やった」 夕食をご馳走になるために、暖かな家を出て、ハルとケイはモリの家に向かう。 そこでも、暖かな暖炉の火と、温かな笑顔が待っていてくれる。 過去の境遇はどうであれ、今、彼らは幸せだった―――。 |