さくさくと雪を踏み、ケイは森の中を進んでいく。 目的は、Shamrock Squareシロツメクサの広場。 一昨日出会った精霊――シュウに会うために、だ。
 昨日は兄のハルを連れて向かっていた道を、今日は一人で歩いている。兄はというと、幼馴染みの家に狩り出されてしまった。
 父母を亡くしてから、モリの家で兄妹は育った。今も、モリの家にお世話になっている。
 モリの家は、この村の中でも三本の指に入る裕福な家だった。 モリ家は、この地方でしか採れない花―シアールを栽培し、その花の茎から採れる染料で布を染め ている。シアールで染めた薄紅の布は、街中で高値で売られているのだ。
 更にモリ家は、パン屋も営んでいる。それは、モリ家が、というより、 モリの母―セーラが趣味のパン作りの延長線上で営んでいるものだった。
 ハルとケイの兄妹は、そのパン屋を手伝い、生計を立てていた。
 モリの父母は、ハルとケイを引き取ろうと何度も声をかけ、そして、 彼らが無事成人するまでの養育費等々の費用は一切心配しなくていいとまで言ってくれた。 昔はその言葉に甘んじていたのだが、さすがに成人を数年後に控えた今となっては、 申し訳ないの一言に尽きる。だから、ハルとケイは、セーラが断るのも聞かず、彼女のパン屋や、時には布染めも手伝っていた。
 今ハルはおそらくセーラの手伝いをしていることだろう。
 本当ならばケイと共にShamrock Squareに行く予定だったのだが、 出掛けにセーラに会ってしまったのだ。ハルとケイはセーラのお気に入り。ケイ はハルをエサにまんまと自分一人森に逃げおおせ、今に至る。
 真っ直ぐ、森の広場に向かったケイは、広場に着くなり溜息をついた。
「・・・居ない、か」
 見回したその広場に、求めていたシュウの姿はなかった。
 やはり兄の言ったとおり、昨日雪に書いたメッセージは消えてしまったのだろう。
「ちぇー」
 ケイは僅かに唇を尖らせると、シュウを捜すのは諦め、広場の隅の方に咲いている花に足を向けた。
「あれ?」
 花の傍に腰を下ろし、ケイは首を傾げた。
 花を雪から庇うためケイが作った屋根。その上に、 雪が乗っていなかったのだ。昨夜も雪は降っていた筈なのに、 重しとして乗せた以上の雪は 、そこにはなかった。変わりにあるのは、屋根が潰れないように誰かが雪を払ってくれた跡。
「もしかして・・・」
 ケイは期待を込めてその跡を見つめる。
 そんなケイの後ろ姿を、木の上で見つめている者が居た。
 シュウだ。
 シュウは昨日自らが決めたように、彼女を寒い中待たせないため、 ずっと前から広場に居た。彼女が大切にしているらしい花を眺め。 厚く積もっていた雪を払い、彼女 を、待っていた。あのメッセージの通り、 今日も彼女がやってきてくれることを信じて。
 そして、サクサクと雪を踏む音が聞こえ、ケイがやって来た事を知った瞬間、 シュウは思わず体をフワリと浮かせ、木の上にその身を隠してしまっていた。
 恥ずかしかったのだ。
 そして、彼女はどう思うだろうかと、 不安に思ったのだ。メッセージを見て、意気揚々と広場にやって来た自分を、 調子のいい奴だと彼女は不快に思いはしないだろうか、と。
 だが、しばしの逡巡の後、
「降りよう」
 シュウは、自らにそう提案した。
 せっかく早くから来ていたのにだ。彼女を待たせないために。 それなのに今、自分は己の葛藤のために彼女を待たせている。 そちらの方が余程、彼女に不快な思いをさせてしまうと思ったのだ。
 勇気を出して、シュウは木の枝から降りた。
 音もなく雪の上に降り立ったシュウに、背を向ける格好で花を見ているケイは気付かない。
 僅かに息を吸ったあと、シュウは思い切って自ら彼女に声をかけた。
「・・・こ、こんにちは」
 すると、彼女は弾かれたように振り返り、シュウを見た。その顔に、パッと、花が咲きこぼれたのではないかと思うほど、鮮やかな笑みが浮かぶ。
「//////」
 ケイの笑みに、シュウは目を見開く。
 ―――なんて・・・綺麗・・・。
「来てくれたのね! 嬉しいっ!」
 綺麗な笑みのまま、ケイは立ち上がりシュウの方に向き直った。そして、言葉の通り、本当に嬉しそうに笑って言った。
 そんなケイに、シュウも答える。
「ぼ・・僕も、また会えて嬉しいよ」
 言葉を出すことにまた多少の勇気が必要ではあったけれど、何とか口にする。
 僅かにどもったセリフを気にすることなく、ケイはシュウの言葉にまた「嬉しいわ」 と返した。そのあと、シュウに訊ねる。
「メッセージ、残ってた?」
「・・うん」
 シュウの答えに、心の中で「ほらみろ、お兄ちゃん!」と勝利の味を噛みしめたあと、ケイはまた笑みを浮かべた。
「良かった。それを見て来てくれたの?」
「・・・うん」
 シュウは、迷った末頷いて見せた。
 本当は、メッセージなんてなくても、自分はこの広場に毎日でも通っただろう。彼女にもう一度会いたいが為に。
 そんな気の利いたセリフは、この恥ずかしがり屋の精霊からは出なかった。
「ありがとう。優しいのね、シュウは」
「・・・//////」
 黙ってしまったシュウに、ケイはその原因に思い当たったのだろう、慌てて謝り始めた。
「あ、ごめんなさい! シュウ、だなんて、馴れ馴れしかった?」
 いきなり呼び捨てたことに対して、シュウが気分を悪くして黙り込 んでしまったのだと、ケイは思ったようだった。
「ごめんなさい」
「い、いや、いいよ!」
 両手を合わせて謝っているケイに、シュウは慌ててポカンと開けていた口を動かす。
 驚いただけだったのだ。
 人間である彼女が、こんなにも優しく、綺麗に笑いかけてくれることに。親しく、シュウと自分を呼んでくれることに。
「・・シュウで、構わないよ」
 小さな声でそう付け加えると、ケイは「良かった」と安堵の溜息を洩らした。
「そう、良かった。じゃあ、ケイ、ね」
「え?」
 シュウは訊ね返す。聞こえなかったわけではなく、意味をはかりかねて、だ。
 するとケイは、笑顔と共に言った。
「じゃあ、私のことは、ケイって呼んでね」
 しばし笑顔に見とれたあと、シュウは小さく頷いたのだった。
 そんなシュウを、ケイは「もっと近くで話しましょう」と手招いた。 その言葉に従って、シュウはケイの傍に寄り雪の上に腰を下ろす。 けれど、ケイが望んだ程、二人の距離は縮まらなかった。シュウは1、2メートルほど、 ケイから離れた場所に座ったのだ。その理由をケイは、シュウが恥ずかしがっているのだろうかと考えた。
 けれど、訊ねることはしない。徐々に、打ち解け、この距離を縮めていけばいいのだと自分に言い聞かせ、 ケイはこの思考を打ち切ることにした。
 彼が僅かに離れた位置に座ったその理由を、ケイは何日かの後に知ることになるのだが。
 ケイの望むまま、彼女の傍に寄り腰を下ろしたシュウは、先程から自分に注がれる視線が気になって仕方がない。
「な、何だい?」
 自分を凝視しているケイに思い切って訊ねてみると、予想もしていなかった言葉が返ってきた。
「真っ白な肌ね。キレイ」
 綺麗な彼女に、綺麗だと誉められた。
 不思議な感覚に思わず眉根を寄せ、訊ね返す。
「・・そう、かな?」
「うん」
 ケイは何のてらいもなく頷いた。視線はずっとシュウに注がれたままでいる。
 その視線に、居心地の悪さを感じつつ、シュウは口を開いた。その言葉を口にするには勇気が必要だった。
「・・君の方が・・」
「え?」
「・・・君の方が、綺麗だ」
 ようやく、シュウはそう告げる。彼にとっては一世一代の口説き文句だったのだが、ケイは頬を赤らめることもなく、
「そう?」
 と首を傾げ、自分の頬を撫でる。
 シュウは、ケイの全てが綺麗だと誉めたのだが、どうやらケイは自分の肌の色のことだと思ったらしい。 今の今まで、シュウの白い肌が綺麗だと言っていたのだから、それも仕方のないことだろう。
 シュウは彼女の勘違いを訂正することはなく、ケイに合わせて口を開いた。
「う、うん。僕みたいに冷たい白じゃなくて・・温かな、白い肌で、綺麗だよ」
「ふふ。ありがとう」
 シュウの純粋な賛辞に、ケイは嬉しそうに笑って礼を言った。
「どういたしまして//////」
 そう返したシュウの頬が僅かに赤くなったことにケイは気付く。やはり、シュウは自分と話すことが恥ずかしいのだといういうことをケイは知る。それはおそらく、
「・・人間、初めてなの?」
 人間が初めてだからだと思いそう問う。
「・・・うん」
 シュウは、僅かの間をおいたあと、頷いて見せた。
 本当は、初めての人間だから恥ずかしいのではなく、とても綺麗に微笑むケイだから、恥ずかしいのだとは言えなかった。
「そうなんだ。初めて同士ね」
 言って、ケイは笑った。
 その無邪気な笑みに、シュウは素直に可愛いと思った。
「どう? 初めての人間は」
「・・・・ビックリしたよ」
「よく喋る女で?」
 冗談めかして言ったケイに、シュウは真面目な調子でそれを否定した。
「違うよ。こんなに優しくて・・・綺麗だなんて・・・」
「//////」
 今度はケイが赤面する番だった。
 頬を赤らめたケイを見て、自分がどんなセリフを言ったのか反芻したシュウは、自らも頬を僅かに染めながら言葉を続けた。
「あ、あの、僕は・・人間はとても僕たちを嫌っていると思ってたのに君は――」
 と、そこでシュウの言葉を遮ったのはケイだった。
「ケイ」
「え?」
「君じゃなくて、ケイって呼んでよ」
 そんなケイの言葉に、シュウはぎこちなく頷いて見せた。
「・・・ケイは、僕に笑いかけてくれた。それに、花をあんな風に大切にしているなんて・・・ そんな人、僕は知らなかったから」
 雪が積もり、寒さが次第に厳しくなっていくこの季節にわざわざ森の中に入り、花の為に雪よけの屋根を作っていたケイ。 そして、頑張ってよね、と花を励まし、微笑みかけていたケイ。
 それは、シュウの持っていた人間像を粉々に打ち砕いてしまった。
 人間は見にくい者だと仲間の誰かが言っていたが、彼女のどこが醜いだろうか。


 ―――こんなに綺麗な人を、僕は知らない。



「ふふ。良かった。いい印象で」
 ケイは、ほっとしたわ、と安堵の溜息をついて見せる。
 すると今度はシュウが彼女に訊ねた。
「君・・いや、ケイは? 初めて会った精霊が僕で・・」
 その問いに対する答えを口にする前に、ケイは「あのね」と話し始めた。
「私ね、よくおじいちゃんから精霊のことを聞いていたの。おじいちゃんはね、精霊のことを――」
 そこで、いったんケイの言葉が途切れる。
 その先に続く言葉は、シュウに向けるには相応しくないと思ったのだ。なぜなら続く言葉は、"嫌っていた"だったから。
 祖父は、精霊を嫌っていた。憎んですらいた。彼も、精霊を魔物と呼ぶ人間の内の一人だった。
 その理由は一つ。
 最愛の人を凍り付けにされてしまったから。
 しばしの逡巡の後、ケイは別の言葉を続けた。
「精霊のこと、怖がっていたわ。だから、仲良くなっちゃ駄目だってよく言ってたの」
 シュウはその言葉に目を丸くした。
「怖い? 僕たちがかい?」
「・・・おばあちゃんが・・・精霊と仲良しだったから」
 ケイは、そう答えた。
 凍らされたから、とは言えなかった。
 仲良しならば何故怖がるんだい? そんな疑問がシュウの口をついて出る前に、ケイは口を開く。
「でも私はね、精霊はおじいちゃんが言うように怖いものだとは思えなかったの。きっと、とても綺麗 で優しい人なんだろうと思ってた。だって、精霊なんだもの。妖精よ? だから、会いたいとずっと思ってたの」
 童話などに出てくる精霊や妖精は、どれも綺麗な人ばかり。見た目だったそうだ。心だって綺麗な人ばかりだった。 子供心にケイは、いつかは精霊に会いたいとそう切望していた。どんなに祖父から怖いものだと言われようとも、逆に興味は募った。怖いわけないじゃない。精霊が怖ろしいものだという祖父へのちょっとした反発から生まれた願いだったのかも知れない。それが今、叶った。
「会えて良かったわ。だって、精霊のイメージがずいぶん変わったもの」
「え?」
 不安そうに問い返してきたシュウに、ケイは彼を安心させるように微笑んで見せる。 どうやら彼は、精霊のイメージが違っていた所為で、ケイがガッカリしてしまったのではないかと危惧したようだった。
 その反応に、ケイは笑う。笑いながら言う。
「勿論、良い意味でよ? 精霊なんて呼んでるものだから、 すごく神聖で・・私たちとはかけ離れた存在かな? って思ってたの」
 優しくて、綺麗で、神聖で。
 それが精霊だと思っていた。けれど。
「でも、違った。シュウは、少し恥ずかしがり屋で、 私の反応を気にしてくれたり・・・私たち人間と何も変わらなかった。 だから嬉しいの。友達になれると思って嬉しかったの」
 ケイはまた、花が咲きこぼれんばかりの笑みをシュウに向けた。
 それを茫然と見つめ返し、シュウはポツリと洩らす。
「友達・・」
「あ、ごめんなさい。イヤだった?」
 また馴れ馴れしかったかな? と詫びようとしたケイを、 シュウは慌てて止めた。そして彼女の誤解を訂正する。
「そんなことないよ!」
 彼女が自分と友達になりたいと、そう思ってくれていたことに驚いただけなのだ。
「ホント?」
「本当だよ」
 真剣な眼差しで頷くシュウに、ケイはほっと溜息をつき、微笑んだ。
「良かった」
 そんなケイを見つめ返すシュウの表情は、少しさえない。
 ケイが自分と友達になりたいと望んでくれていたことは嬉しい。 けれど、友達以上の家計を望む自分がいることに、シュウは気付いていた。そんな欲深い自分をたしなめ、言い聞かせる。
 ―――今はそれで良いじゃないか。
 と。
 今は、彼女の隣で、こうして彼女の笑顔を見ていられたら何だっていい、と。












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