日が暮れ、村に夜が訪れる。


「いただきまーす」
 Shamrock squareから帰った兄妹は、隣人のモリという少年を加えての晩餐を始めていた。
 未だ成人したとは言い難い3人の食卓。そこには、当然あるべきはずの、両親の姿はない。 この、ハルとケイの家に、大人は居ない。
 居なくなってしまって、もう何年が経つだろうか。
 ハルとケイの両親は、村の背後にそびえ立つ山に、氷を切り出しにいく仕事をしていた。 その所為で、死んだ。
 春。村人達が待ちに待ったその季節、彼らが息子に付けた名と同じ響きを持つその季節に、 山で雪崩に遭い、その命を落としたのだ。あの日から、この家に住むのはハルとケイの二人だけになってしまった。
 その時、ハルとケイは6つと4つ。未だ幼かった兄妹を、我が子同然に育てあげたのが、このモリの両親だった。
 昔からモリの両親は、ハルの両親と仲が良かった。年の近い子供が居たこともその理由だが、両親同士の年齢が少し離 れていたことも、その理由の内の一つだった。
 モリの母親は、若くして母親になったハルの親を、まるで娘のように構い世話を焼いていた。 それを言うと、ハルとケイからしてみれば、 モリの母親は少し年の若いおばあちゃんのような存在だった。
 そんなモリの両親に面倒を見てもらい、彼らは今年で16と14になった。 今ではモリの家ではなく、自分たちの家で過ごすことが多くなってきた。
 幼い頃は、ただ広いだけの自分の家は淋しくて、おばさんやモリの居るお隣に入り浸っていたが、 今では我が家に懐かしさを感じることができるようになっていた。 時折、両親が居ないその事実が冷たく胸を打つ時もあるが、それに涙する年でもなくなった。
 ようやく自立できる年になったのだが、今でもモリ家に世話になっていることは事実だ。 きっとこれからも、モリ家には助けられるのだろう。モリ家はもう、家族のような存在になっていた。
 3人の声と、暖炉のパチパチと薪をはぜる音とが、穏やかな家の空気を作っている。
 窓の外には、ひらりひらりと雪。
「そろそろ本格的に冬がくるな」
 溜息交じりに言ったのは、モリ。 その言葉に賛同し、けれどモリのように溜息交じりにではなく、 満面の笑みでそれに応えたのは、ケイの兄――ハルだった。
「だなー。やった♪」
 ハル−春。
 それは、村の人たちが待ち望み、愛してやまない季節の名。
 ハル−晴。
 それは、彼の浮かべる笑顔によく似た空の名。
 彼がそうあるようにと名付けた両親も、満足だろう。 彼は、まさに晴れやかな笑みのよく似合う少年に育っていた。
 だが、その笑みも、ハルの兄貴的存在のモリには通用しない。
「お前は本当に変わり者だな」
 呆れたように一蹴される。だが、それにめげるハルではない。笑顔を絶やすことなく続けた。
「だって綺麗だろ? 雪」
 これは、ハルの口癖だった。
 ケイは、このハルの台詞を聞いて育った。雪が降ってくるたびに、 兄は「綺麗だなー」と呟くのだ。自分が、冬の森を恐れない少女に育ったのは、この兄の影響が多分にあるのだろう。
 村の人たちはやはりモリのように、「変わった子ね」と困ったように笑うけれど、ケイはそれを全く気にしていない。
 だって、綺麗なものは綺麗なんだもの。
「はいはい」
 呆れたように、けれど穏やかな微笑みを口許に浮かべ、モリは肩を竦めた。
 しばし、ぱちぱちと薪をはぜる音が家の中を満たす。スプーンが皿を撫でる音。少し古くなったイスが軋む音。
 穏やかな時間。
 それに介入したのはモリだった。ふと思い出したのだろう。口に運んでいたスプーンを止め、ハルとケイに視線を遣った。
「あ、そうだ。お前ら、夕方どこに行ってたんだ?」
 問われた兄妹はチラリと視線を交わす。答えたのはケイの方だった。
「Shamrock Squareよ」
「何だってまたそんな所に行ったんだ?」
 モリの問いに、二人は再度視線を交わす。
 モリは自分たちとは違う。彼は村の人と同じように雪を厭い、精霊を恐れている人間だった。 精霊に会うために行ったのだと言えば、明日から外出禁止をくらうかもしれない。
 モリは、ハルとケイの両親が亡くなってから、彼ら兄妹を実の弟、妹のように守って来た。 自分を彼らの保護者だと思っているようだった。そんな彼ならば、それくらいのことはやってのけるだろう。
 モリの問いには正直には答えない方が良さそうだと判断し、ハルが口を開いた。
「…ほら、毎年、花が咲くだろ?」
 幸いにもモリは、僅かな沈黙には触れなかった。
「ああ、あの花か」
 普通の反応が返されたことにほっとしながら、ケイが付け加えた。
「赤い花。それを見に行ったのよ」
 するとモリはこれ見よがしに溜息をつき、肩を竦めた。
「冬の森に行くなんて、物好きだな」
「だって好きなんだもん。ねー」
「なー」
「はいはい」
 顔を見合わせて明るく笑うハルとケイに、モリは再度溜息を洩らした。
 モリには分からない。雪は確かに綺麗だが、時として人を襲う。雪を降らせる寒さは人を凍えさせ、 食べ物を奪い。待ち望んだ春がやって来ても、雪は未だにその脅威でもって、 人を脅かす。雪を綺麗だから好きだと言うこの兄妹の父母も、雪によって奪われたのだ。 それなのに、彼らは雪が綺麗だという。冬の森が好きだという。
「分からないな、お前らは」
 思わず洩れたモリの言葉に、ケイは唇を尖らせる。
「もう。どうしてモリさんは森嫌いなの? モリって名前なのに」
 モリだから森が好き。
 ケイの安易な発想に、モリは小さく笑みを浮かべた。 本当は声を上げて笑いたかったのだが、そうするとますますケイは頬を膨らませるだろうから。
「あのな、ケイ。俺のモリは、森じゃない。守るのモリ、だ」
 大切な者を守れるように、と。両親がそう名付けたのだと付け加えたモリに、ケイが答えた。
「へー。カッコイイ
「・・・どーも」
 モリはケイの真っ直ぐにそそがれる視線から逃れるように顔を伏せて答えた。 純粋な賛辞とも言えない。少しからかい気味な感想ではあったのだが、 モリはケイの言葉に頬が赤くなるのを感じていた。それを見られたくなくて、顔を伏せ食事に興じているフリをする。
 その行動の意味を知っているハルは、それを見て小さく笑った。
 この幼馴染みは、妹に恋をしている。
 その事を、ハルは知っていた。自分たちを事ある毎に構うのも、 両親を失って不憫に思っているという理由だけではない。きっと、ケイを構いたいのだ。彼は。
「と、とにかく!」
 ハルが小さく笑いを洩らした事に気付いたモリは、それをケイが問いただす前に慌てて口を開く。
「もう、あんまり行くんじゃないぞ。危ない。迷ったらどうする」
 未だに赤みの残った頬を指摘するものはいない。ケイは幼馴染みが自分に恋愛感情を持っている などということにはてんで気付いていないし、ハルもモリをからかうことはしない。ただ、おもしろそうに見ているだけだ。
 そんなハルの視線に、モリは居心地悪そうに視線を泳がせながら台詞を続ける。
「それに、精霊に出くわしたら大変だ」
 付け加えられたその台詞に、ハルとケイは顔を見合わせる。 まさにケイは出くわしたのだし、ハルはハルで、ケイと共にその精霊に会いに行こうとしたのだ。 というか、会うためだけに森に行ったのだ。一瞬、ギクリとする。
「どうした?」
 突然黙った二人にモリが訝る。
「いや、何でもない」
 モリに追求される前にハルがかぶりをふり、ケイがすぐさまモリに口を開いた。
「大丈夫よ、モリさん。精霊だって、会った人みんなを凍らせるわけじゃないわ」
「気に入られたらどうするんだ」
 言うモリの表情は険しい。
 モリは、精霊に凍らされた人間を知っている。直に見たことだってある。
 この兄妹の祖母、氷の中で瞳を閉じているその人は、彼らの祖母にはとても見えなかった。 氷の中の彼女は、若いままだったから。
 そして、ケイとよく似た面立ちをしていた。
 だから、モリは心配なのだ。
 彼らの祖母を凍らせた精霊が、ケイを見つけたら・・・。祖母によく似ているケイまで凍らせてしまうのではないかと。
 険しい表情をしているモリに、ケイは「そんなに心配する事はないわ」と明るく笑ってみせる。
「大丈夫よ。怖い精霊が居たら全速力で逃げるわ」
 手を振って走っているジェスチャーをするケイに、モリの表情も和らぐ。
「その前に森に行かなきゃいいだろ」
 咎めの声に、先ほどのような真剣さはなかった。だからケイも笑って返す。
「それは勘弁してください!」
 パチパチと、途切れることなく薪がはぜる。
 暖炉の温もりが部屋の中を、三人の笑顔を、穏やかな空気を覆っている。冬の寒さから守るように。
 窓の外の雪は、いつの間にか大粒なものへと変わっていた。






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