しんしんと降り注ぐ雪に覆われ、全てが白へとその衣を替える季節。 冬。 白一色に染まる、山と、森と、村。 雪が降っている。 静かに、雪が降っている。 村に、森に、大地に。 全てが白に染まる。白い静寂。 森の中の静寂を、村に住む人達は恐れていた。 いったい、何が恐ろしいというのだろうか。 こんなに清らかな静寂はないではないか。 こんなに美しい静寂はないではないか。 「静か…」 瞳を閉ざし、森の中の静寂に身を置く少女がいた。 名を、ケイという。 雪の白を映したかのように白い肌と、対照的に赤く色づいた形の良い唇。 寒さの所為か仄かにピンク色に染まった頬はゆるい曲線を描いている。 そんな頬を覆う髪は、艶やかな黒。冷たい風にサラサラと揺れる濡れ羽色の髪。 長い睫毛をゆらして空を映すその瞳は、黒。夜空のように凛と澄んだ黒曜石の瞳が、 空を見上げていた。 ゆっくりと、止めていた歩を進める。 きゅっきゅっと雪を踏みしめる音で静寂が壊れてしまわないように、 静かに…けれど躊躇うことなく森の中を彼女は歩いていく。 人々が恐れる冬の静寂が、ケイは好きだった。 総てを白に染める雪が好きだった。 精霊達の踊り場と呼ばれる広場を訪れるのが好きだった。 両手に何やら木材を抱え、彼女は急ぎ足で森の中を進んでいく。 「あ、あった!」 冬の森を進み、やがて目指していた広場に辿り着いたケイは、そこに目的の物を見つけると、顔を綻ばせる。 春。緑と、シロツメクサの白に覆われるその広場は、今は雪の白で覆われている。その白の中に、鮮やかな色彩が落ちていた。 動物たちがその姿を隠し、同様に植物たちも雪の下に埋もれるこの季節に、何を思ったか花弁を広げる花が、そこにはあった。 赤い花。白い雪の上、鮮やかな赤をたたえた花たちが、広場の隅にではあるけれど、凛と咲き誇っていた。 この花を見つけたのはいつのことだったろうか。 もうよくは覚えていないけれど、毎年ケイは冬になるとこの花を見に来ていた。 雪の白と、強く咲き誇る花の赤。どちらも、ケイの好きな色だったから。 「良かった。まだ散ってない」 昨夜、少し風が出ていたので、花が散ってはいないかと心配になり見に来たのだ。 毎年、いつの間にかこの花は散っていった。春を待つことなく、花弁をハラハラと雪 の上に散らし消えていくその花の姿は、悲しくもあり、けれど何処か、 美しくもあった。散ってもなお、鮮やかな赤をたたえ…雪の上に居続ける。 その姿は、とても美しかった。けれどやはり、凍てつくような雪の寒さにも負けず、 咲き誇るその姿の方が何倍も何倍もケイは好きだった。一日でも長く咲いていてくれたらと思う。 「頑張ってよね」 花にそう声をかけると、ケイは小脇に抱えていた木材を足下におろした。 四つの角材と、一枚の板だ。それらで何をするのかと思いきや、 彼女は手袋をはめたままの手で、花の周りに積もった雪を掻き始めた。 しばらくすると彼女の目に地面の茶色が映る。それを認めると、ケイは角材をその地面に突き立てた。 同様に、残りの三本も地面に突き立てていく。花を囲って、四つの木材を地面に突き 立てたケイは、次に板を手に取り、四つの木材の上にそれをかぶせた。 また一段と寒さが厳しくなり、今夜あたり、かなりの積雪が予想されている。 それを知ったケイは、花が完全に雪に埋まってしまわないように、屋根を作りに来たのだ。 「う〜ん。何か、重りないかな〜」 板を乗せただけでは心許ない。風が吹けば、この薄い板など、 簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。大きすぎず、小さすぎず。石でも転が ってはいないだろうかと辺りを見回しす。石など、そこら辺に腐るほど転がってはいるの だろうが、なにぶんこの雪だ。雪の下にうずもれた石を捜し出すのは困難だ った。僅かの逡巡の後、ケイは両手で雪を掬い上げた。 「これでも、ないよりはマシよね」 自分に言い聞かせ、掬った雪を板の上にのせる。何度かその作業を繰り返した後、ケイは満足げに微笑んだ。 「よし」 彼女の足下には、小さな小さな白い屋根が出来上がっていた。 これで、僅かでも花が長く咲いていてくれればいい。腰を屈め、花を見つめたケイは、再び微笑んだ。 「頑張って咲いててね」 それに答えるかのように、風に吹かれた花がゆっくりとその花弁を揺らした。 「あっ」 と、花弁を揺らし過ぎ去った優しい風の直後、唐突に強い風が凪ぐ。 空気を唸らせたその風は、ケイの被っていた帽子を攫っていった。 「やだッ。ちょっと待って!」 風に攫われた帽子を追って駆けだしたケイだったが、 数歩も行かぬうちに雪に足を取られて転ぶ。そんなケイを嘲笑うかのよう に風は唸り声を上げ、帽子を攫ったまま過ぎ去っていく。 不意に帽子が止まったのはその時だった。 「え?」 風がやんだ…? 否。風に逆らって、帽子がその動きを止めたのだ。風から帽子を救ったのは、真っ白な手だった。 ケイはその光景を、瞬きもせずに見つめていた。 彼女の目に映るその光景は、雪の白に飾られた一枚の絵のように…。 「…精霊…」 真っ白な服に身を包んだ一人の男が、そこにはいた。雪の白を映した白い肌。 黒い髪を風に揺らし、彼はその身を宙に浮かせていた。白い長袖の服一枚だけを身に纏い、 その手は凍てつくような外気に晒されているにもかかわらず、赤らんでもいない。 真っ白なその手には、風に攫われたケイの帽子がしっかりと握られてあった。 雪の上に転げた時のまま腰を下ろし、 ケイは突然目の前に現れた精霊を茫然と見つめていた。 そんな彼女を見つめ返す精霊の瞳は、何処か不安そうに瞬いている。 どちらとも言葉を発することなく、僅かな沈黙を経た後、不意に精霊 は真っ直ぐに見つめてくるケイの視線から逃げるように面を伏せた。 「待って!」 恥ずかしそうに面を伏せた彼が消えてしまうのではないかと思ったケイは、咄嗟に声をかけて いた。けれど、何を話しかけていいのか分からない。 「えっと…あの…私、ケイ!」 求められてもいないのに自己紹介をしてしまった。 一度は視線を逸らした彼だったが、唐突に自己紹介を始めたケイに驚いたらしく 、再びケイに視線を戻した。彼がこちらを向いてくれたのは嬉しいのだが、自分のおかしな 行動に思わず恥ずかしくなって、今度は自分の方から視線を逸らしてしまった。 「…シュウ」 再び訪れた沈黙を破ったのは、彼だった。 「え?」 「…僕の名前、シュウ」 勝手に自己紹介を始めた自分に、よもや彼が応えてくれようとは思っ ていなかった。一瞬、驚いたように目を瞠ったケイだったが、すぐにその表情を綻ばせた。 「シュウ…。シュウね。よろしく、シュウ」 「………あ…、う、うん。よろしく…」 ケイに微笑みかけられたシュウは、慌ただしく視線を漂わせた後、小さな小 さな声で答えた。その答えに、ますます嬉しそうに表情を明るくするケイとは対照的に、シュウはますます顔を伏せる。 「…どうかした??」 俯いている所為で、彼の頬が僅かに赤く染まっていることに、ケイは気づかない。 「もしかして、私、馴れ馴れしかった? 」 「あ、いや…」 「ごめんね。精霊に会ったのって初めてで…。ずっと会ってみたかったの! だから舞い上がっちゃって…」 「別に…謝ることは…」 「ううん。びっくりしたでしょ? ごめんね、騒がしい女で…」 「あ、あのッ、コレ…」 申し訳なさそうに続けるケイの言葉を遮って、シュウは手にしていた帽子を彼女の視線の先に掲げる。 「帽子…」 「ありがとう」 雪の上にぺたんと座り込んだままでいるケイの元まで宙を駆けてやってきたシュウは、 持っていた帽子をそっと彼女の頭に乗せた。 少し大きめの帽子がすっぽりとケイの頭を覆い、ついでとばかりにその視界も塞ぐ。 「わっ」 慌てて帽子を取る。と、 「アレ??」 今の今まで目の前にいたはずの精霊の姿が、消えていた。 「え? 嘘ッ!?」 せっかく精霊に会えたのだ。もっともっと、色々なことを話してみたかったのに。 「シュウ? シュウ!?」 名前を呼んでみる。 けれど、帰ってくるのは静寂ばかりだった。 |