乱暴に診療所の扉を足で蹴り開けて訪れた珍客に、デスクに腰掛けコーヒーを啜っていたウォンが目を丸くする。視線を遣れば、そこには悲愴な顔をしたシャオが立っていた。 彼が足で扉を開けた理由は、すぐに知れた。彼の腕がふさがっていた所為だ。何を抱えているのかとずれかけた眼鏡を上げて見れば、そこには意識を失っているレヴィの姿があった。 「・・・・・」 しばしシャオとレヴィの姿を眺めた後、ウォンはシャオに問うた。 「 つ、ついに殺っちゃったの?」 愛しいリコからの愛を一身に受ける弟分に、ついに殺意を抑えきれなくなってしまったのだろうかと問うと、 「違う」 据わった目で否定された。 彼が殺ったのでなければ、 「じゃあ、ついに殺られちゃったの!?」 誰に、とは言わずもがな。 その問いに、溜息混じりにシャオから返された答えに、またしてもウォンは僅かの間、沈黙することとなった。 「未遂だ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・着手はしちゃったんだ、リコちゃん」 アハハ、と乾いた笑いを洩らすウォンに、再度シャオは溜息を零すと、ドカッと乱暴にレヴィの体を診療台の上に転がした。 それでもレヴィは目を覚まさない。 「ウォン、しばらくコイツ頼む」 「分かったよ」 レヴィに対する扱いの乱雑さに苦笑しながらも、ウォンはそれにつっこむことはせず、ニッコリと請け負ってみせる。 「うん。ただの脳震盪みたいだね」 おそらく頭から何処かに突っ込んだのだろう。埃だらけになった服と、乱れた髪。 「あーあ、可哀相に」 服についた砂を払ってやり、乱れた金糸を手櫛で優しく整えてやる。 こうして黙って瞳を閉ざしていれば、その美貌も相まって憐れさを感じずにはいられない。たとえ彼の本性を知っていても、だ。 彼に一体何があったのかをウォンが問う前に、シャオが口を開いた。だが、そこから零れ落ちたのは言葉ではなく、 「はぁ」 深ーい溜息。 それを聞いたウォンは、疑問を晴らすべく開いていた口を一旦閉ざした。 「・・・・大変そうだね、シャオくん」 労いの言葉を向けてきたウォンに、シャオはジロリと鋭い視線を向けただけだった。 その視線にめげることなく、ウォンはシャオに問う。 「リコちゃん、相当キテる?」 返ってくる答えがYESであることは分かりきっていたが、一応、問う。案の定シャオから返ってきたのは、ただの首肯だけでなく、 「キテるなんてもんじゃない!! 手に入らないならいっそのこと私の手で、ってな心意気だ!」 「わァ。男前だねー」 「んでもって、私も後からいくわ、ときた」 「おお、ドラマチックに盛り上がってるね ♪」 「」 思わず手を叩いたウォンに、再びシャオの鋭い視線が向けられる。 「ごめんごめん」 つい、と手を合わせて見せると、シャオは珍しくあっさり怒りを解いた。どうやら怒りを持続させておく気力が今の彼にはないらしい。 疲労困憊、と顔に書いてある。 その額を片手で押さえ、シャオが呻く。 「はぁ、頭痛ェ 」 どうやら本当に参っているらしいシャオの姿にさすがに憐れになったのか、何も言わず立ち上がったウォンが、痛み止めの錠剤と水とを彼に差し出した。 「はい。痛み止めだよ」 「・・・助かる」 自分が差し出した薬を迷うことなく引っ掴み、ぐいっと喉に流し込んだシャオに、ウォンは目を瞠る。 普段の彼ならば、自分から差し出された薬など、手に取ることもせず、 「どんなクスリだ! 怖すぎる!! 俺は実験台になるつもりはないからな!!!」 と全身全霊で拒否しただろう。だが、今ばかりは本当に参ってしまっているらしく、そこまでの考えには至らなかったようだ。 (僕からの薬を飲むなんて、よほど参ってるんだなァ) シャオの衰弱ぶりに、ウォンはシャオに気付かれないようにほくそ笑む。が、シャオに気付かれる前にその笑みを消す。そして、顔面に貼り付けたのは、シャオを労る表情。 「そろそろ、限界かな?」 ウォンからの問いに、シャオは眉をひそめながら、水の入っていたグラスを彼へと返す。 「それは、俺のことか? リコのことか?」 「・・・君はもうとっくに限界みたいだね」 「何だと」 「いやいや。心配してるのに」 にっこりと微笑みながら答えると、シャオはこれでもかと眉根に皺を刻んだ。 「お前が言うと楽しんでるようにしか聞こえないんだよ」 「どうして? 今までシャオ君を弟のように可愛がってきたのに」 またもやにっこりと返された言葉に、シャオの渋面はますます濃くなる。 「お前の可愛がりは世間一般で言えば蛮行としか言えないんだよ」 「おいたって言ってよ」 くすっと笑って言ったウォンに、シャオの視線の冷たさが一層増す。 「死ね」 「もう、冗談だよー」 ヒラヒラと手を振るウォンに、シャオは僅かに声を荒げる。 「お前が俺にしてきたことに一つも冗談はなかったろ!」 「うん。いつも100%楽しませてもらったよ♪」 ウォンは大きく頷いて見せた。 小さい頃から真面目でほとんど表情を崩すことのなかった弟分シャオにイタズラをかましては影でほくそ笑み、それを自分の趣味としてきたと言っても過言ではない。 その後、EDENにやって来た新たな弟分レヴィは素直すぎて、ドッキリを仕掛けても最早面白くないくらいあっけなく見事に引っかかってくれるし、 普段からリアクションの大きなレヴィが今更驚きおののいたところで何も面白くない。なので、彼はコマとして利用することにした。 彼は面白いくらい自分の思ったように動いてくれた。 また、レヴィの兄貴分を自負しているシャオは、なんだかんだ言いつつ彼を放っておけない真面目な性分だったから、上手いことレヴィを使った作戦に引っかかってくれたものだ。 そうやって全力で持ってシャオで遊んできたウォンの満面の笑みに、ついにシャオは頭を抱えて懇願する。 「頼むから死んでくれないか・・・!!」 その懇願に、ウォンは再び微笑を口元に刻んだ。 「今僕が死んだら、もうどうしようもなくなっちゃうよ?」 「あ?」 ウォンの言葉に、シャオが訝って眉根に皺を刻む。 そんなシャオに、ウォンは己の胸を叩いて見せた。 「そろそろ、大人な僕の出番だからね。僕に任せておいてよ♪」 胸を張るウォンに、シャオは、 「・・・・・」 嫌そうな顔全開だ。 それにめげることなく、ウォンは胸を張ったままだ。実に楽しそうな笑みを浮かべた、ウォンは言い放った。 「僕には秘策があるんだよ♪」 そんなウォンの言葉に、シャオは眉をひそめる。 「秘策って、お前リコに何する気だ」 よからぬコトに違いないと決めてかかっているシャオに、ウォンはニッコリ笑って診療台の上を指さして見せた。 「大丈夫。リコちゃんには何もしないよ。こっちだよ、こっち」 そこに居るのは、レヴィ。 「・・・・なら良いか」 おい。 その秘策を施されるのがリコでないのなら───更にレヴィであるのならば、別に構ったことではない。この激ニブ男は、ちょっとくらい痛い目を見てちょうどいい。いや、まだまだ足りないか。 兎にも角にも、レヴィにだったらどんなイタズラをされようと、痛くもかゆくもない。と、兄貴分失格なことを考えつつ、シャオは踵を返した。 「しばらく頼んだ。俺は店に戻る」 「ご苦労様 ♪」 ヒラヒラと手を振って見送るウォンに答えることなく、シャオは診療所の扉に手を開く。そして扉を閉ざす直前に、シャオは一度だけ診療台へと視線を遣った。 レヴィは、目を閉ざしたままだ。 「・・・・」 秘策があると、ウォンは言っていた。 それが一体何なのか、気になる。けれど、聞くのが怖い。 何にせよ、これからウォンがレヴィにしようとしていること、それは、自分には出来ないことなのだろう。 (俺には、出来ないこと・・・) それは、一つだけ。 「・・・・」 黙したまま、シャオは後ろ手に診療所の扉を閉めた。そして、ウォンには向けることの出来なかった問いを、ポツリと唇から零した。 「・・・・・言うのか?」 もしかして、ウォンはレヴィに告げるのだろうか。 リコが、レヴィに恋をしているのだということを。レヴィと仲良くしているサヤに嫉妬しているのだ、と。そうして嫉妬で己を失ってしまうくらい、レヴィのことが好きなのだと、何も知らないレヴィに伝えるのだろうか。 「・・・・・」 その時、レヴィはどうするのだろうか。 自分が拾ってきた少女が、自分に対して恋愛感情を持っているのだと知らされたその時、レヴィは───? きっと、彼は正直に言うのだろう。 そうすることで、リコがひどく傷付くことは、あの激ニブ男のレヴィにもさすがに分かるだろう。分かって、迷いながらも、後悔しないためにレヴィは正直に言うのだろう。 「ごめんな」 と。 自分が、自分に想いを寄せてくれた少女─ロナに返したのと同じ答えを、彼もまたリコに返すのだろう。 どう考えても、レヴィが選ぶのはリコではない。 サヤだ。 「 」 頭痛は止んだ。けれど、ツキン、と胸が痛む。 シャオの瞼裏に、リコの泣き顔が浮かんで、消えなかった。 |