cityを銀色に照らしていた月が消え、代わりに空に浮かぶのはオレンジの太陽。 空が青から赤へ、そして白へと姿を変える頃、CafeEDENの扉は未だ固く閉ざされたまま。 しかし、中では既に住民たちが朝食の準備に取りかかっていた。 そして、また一人、夢から覚め、1階のフロアへと降り立った人物が居た。 CafeEDENの若き経営者─シャオだった。 トントントンと、落ち着いた足取りで階段を下り、フロアへと降り立つ。そして、厨房へと足を踏み入れたシャオは、 「─────」 ピタリと足を止め、固まった。 厨房には、先客が居た。 先日、EDENに大騒動をもたらしたことの詫びとして、しばらく朝食係を引き受けたレヴィと、そして、パティシエ・サヤがそこには居た。 珍しくサボることなく朝食係を続けているレヴィと、それを手伝ってやっている心優しいサヤ。別段、そのシチュエーションにおかしな所はない。かく言う自分も、そろそろ許してやっても良いだろうと、レヴィの朝食作りを手伝ってやろうと思っていたところだった。 が、 (な、何だ・・・・・・この空気) シャオが思わず固まってしまったのは、厨房の中を満たしている空気の異様さだった。 厨房ではレヴィとサヤが他愛のないお喋りをしながら朝食の準備をしていた。が、そこを満たしているのは、一言で言うならば、 (ちょ、おい。新婚かっ!!!) というツッコミを禁じ得ない程に、甘〜い空気。 交わし合う視線の熱が、微笑みの穏やかさが、尋常でない。甘すぎる。熱すぎる。足を踏み入れてしまうことに、 莫大な罪悪感を抱かずにはいられないほど、今、厨房の中は二人だけの空間と化していた。 厨房へと踏み入れようと持ち上げていた足を、体ごと180度回転させ、シャオはフロアへと戻る。そして、思わずしゃがみ込んで頭を抱えた。 「な、な、な、何故!!?」 何故、こんな空気を醸し出している!!? 確かにサヤはレヴィに好意を寄せているようだったし、レヴィの方もサヤを意識し始めていたのは知っている。 しかし、昨日までは─リコの妨害工作の所為もあるが─サヤもあんなに熱い瞳でレヴィを見つめていなかったはずだ。それが、今はどうだ。誰がどう見たって、恋する乙女全開な瞳でレヴィを見つめるサヤ。その視線を受け止めて微笑むレヴィ。 「何があった、何が・・・!!」 告白したのか!? しちゃったのか!!? 自分の知らない所でそんな大きな展開が繰り広げれていたのだろうかと狼狽えながら、再度厨房を覗き込み、シャオは溜息を洩らす。 「けど、お似合いなんだよな・・・」 思わず、ポツリ。 レヴィに惚れているリコには悪いが、誰の目から見ても、あの二人はお似合いだ。 年齢よりも大人びて見えるサヤの楚々とした、けれど凛とした瞳が印象的な、まるでジャパニーズドールのような美しさと、 瞳に目映い金糸の髪と甘く澄んだアメジストを持つ─見た目だけは─王子様なレヴィ。どちらも別の印象でもって人目を引く美貌。 相反する美しさではあったが、それが反発しあうことはない。どちらもが互いに対等であることを感じさせるのは、 そのあまりにも対照的な美しさと、何より互いを認め合っている空気が醸し出すもの。 他の介在を許さない空気がそこにはできあがってしまっていた。 「リコには絶対に見せられないな・・・」 こんな光景をリコが見れば、嫉妬に狂い、レヴィを刺し殺しかねない。 リコが下に下りてくるまでに、何とかこの美しいシーンをぶち壊しておかなければならない。どんなにそのことに罪悪感を感じようとも、レヴィの命と、リコの綺麗な手と、そして何より自分の精神の均衡を保つためには必要である。 さて、どうやって乱入しようかとシャオが考え始めた、その時だった。 「シャオ?」 「─── !」 背にかかったのは、誰でもなくリコの声。 ナイスタイミン──────グ♪ 大仰に肩を揺らして振り返れば、やはりそこにはリコの姿。厨房の入口で頭を抱えしゃがみ込んでいるシャオの姿に、不思議そうに首を傾げている。 「どしたの? そんな所に立って」 可愛らしく小首を傾げて訊ねるリコに、シャオは猛然と立ち上がった。 この可愛らしい笑顔を鬼の形相に変えるわけにはいかない。兎にも角にも、厨房内のあの光景を壊さなければと覚悟を決める。 「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」 「え? 何を??」 「頼むから待て!!!」 「う、うん・・?」 リコの両肩を掴み、懇願と言うよりは最早命令と言った方が良い鬼気迫った形相でリコをその場に止めることに成功したシャオは、先程までの躊躇は何処へやら。猛ダッシュをかまし、厨房に突入した。 突然の闖入者と、その闖入者の必死な形相に、 「え? シャオさん??」 「ど、どうしたんだ、その顔・・・?」 サヤとレヴィがぽかんと口を開けて自分を迎えたことにも構わず、シャオはレヴィへと手を伸ばす。そして、 「え? な、何・・?」 レヴィの襟首をむんずと引っ掴むと、あまりにもいきなりのことに抵抗を忘れているレヴィをずるずると引きずり、 「どりゃ!!」 裏口から、レヴィを放り出した。 ぽいっと、まるで店内に迷い込んだ猫を放り出すかのような扱いに、ようやくレヴィは憤慨する。が、 「何す 」 バタン!! 抗議の声を無視して、裏口のドアが閉ざされた。そして、その向こうから、きっとまだあの必死すぎる形相をしたままなのだろうことがありありと窺える絶叫にも似た命令が飛んできた。 「黙れ!! お前は何も言わず、何も考えず猫とでも遊んでろ! 命が惜しいならな! 俺に感謝しろ!! アホ!!!」 「はぁ !?」 自体を全く把握できていないレヴィが、抗議の声を上げるのをさっくりと無視し、シャオは呆然としているサヤの前をスタスタと通り過ぎ、厨房の入口でやはり呆然と立ち尽くしているリコの前へと戻った。 そして、息を吐き出し、改めてリコに向き直った。 「よし。じゃあ。おはよう、リコ」 「 ちょっと、一人で勝手に何もなかったコトにしないでくださいよ」 朝のご挨拶から仕切り直したシャオに、リコがうろんげな視線を向け、つっこむ。 「頼むからそれ以上つっこむな。もう気にしないでくれ」 言って、逃げるようにフロアの奥、いつも自分たちが朝食を取る机のセッティングへと向かってしまったシャオに、 「もう、何? 変なのー」 不満げに口を尖らせながらも、仕方なくその背を見送る。 そして、覗き込んだ厨房の中。そこには、朝食の準備をしているらしいサヤの姿があった。 バツッと、二人の目が合う。 「あ。おはよう」 「・・・・おはよ」 気まずい空気の中、先に口を開いたのはサヤだった。 返されたリコの声は、固い。 その視線が、サヤの隣で止まる。そして、小さな唇を、リコはぎゅっと噛みしめた。 「 」 サヤの隣に、パンナイフが置き去りにされているのを見つけてしまった。 サヤの手には、果物とそれを切っているナイフがある。 彼女の隣に、誰かが居た痕跡。 それが誰なのかなんて、聞かなくても分かる。 そして同時に、シャオが厨房の入口で自分を待たせていた意味も分かってしまった。 立ち尽くしてしまったリコに気付き、慌ててシャオがやって来る。覗き込んだリコの表情を一目見たシャオは、自分の証拠隠滅の甘さを呪う。 自分が朝食の準備をサヤとやっていたのだと言えば、誤魔化せるだろうか。彼女の眉根の皺を解くことが出来るだろうか。 そう考えて、やめた。 今、これ以上自分が何を言っても、リコは納得しないだろう。きっと、庇われたと思い、傷付くだけだ。 「・・食べましょうか」 口を開いたのは、サヤ。その言葉に助けられて、シャオがリコの肩を叩いた。 「あ、ああ。そうだな。ほら、リコ、運んでくれ」 「・・・・うん」 何も言わず、ただ小さく頷き、朝食を手に厨房を後にしたリコの小さな背中に、シャオが大きな溜息を洩らす。 嫉妬にかられて喚かれるよりも、こうして黙り込んでしまわれる方が、何だか胸が痛い。 再度溜息を洩らしながら、シャオは裏口の戸を開ける。 自分が放り出したレヴィを回収するためだ。 「おい、レヴィ───」 戸を押し開いたそこに広がっていた光景に、シャオは口を閉ざし、ついでに瞳も閉ざし、天を仰いだ。 開かれた扉を見上げるレヴィの手には、子猫。 シャオに言われた通り、本当に何も考えず、猫と遊んでいたらしい。ふわふわまん丸な愛らしい子猫と、その子猫をくすぐって遊んでいるレヴィ。EDEN内の凍り付くような空気とはかけ離れた和やか な風景に、一気にシャオの力が抜けた。そして、何だか悲しくなる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで俺が頭を痛めなくちゃならないんだ」 本当ならば放っておけばいいのだ。 この脳天気なレヴィがどうなろうと知ったこっちゃない、リコに勝手に刺されてしまえ。と、放っておけばいいのにそれが出来ないのは、なんだかんだ言ってこの少年は自分の弟も同然な存在であり、レヴィを刺しかねないほどに愛してしまっているのは、自分が想いを寄せているリコ。 だから放っておけないのだが、当事者であるレヴィがにゃーにゃーと猫と遊んでいるその最中、自分はリコの悲しい背中を見つめて胸を痛めているこの状況 の理不尽さは、どうだ。 しかし、レヴィにそんなシャオの葛藤は伝わるはずもない。 「お。飯??」 自分を見上げ、待ってましたとばかりに瞳を輝かせるレヴィに、シャオは力なく頷いて見せた。 最早、殺気も湧いてこない。 「ああ、来い」 言葉少なにフロアを顎で示すと、 「やった ♪」 これまた脳天気に喜ぶレヴィが、シャオを置き去りにしてEDENの中に姿を消していった。 立ち尽くすシャオの前には、もう一匹、レヴィに置き去りにされた子猫の姿。 「にゃー」 自分を見上げて鳴く子猫の頭を、一度だけ撫でてやる。 愛らしい瞳と、ふわふわと柔らかな体は、一瞬シャオの心を癒してくれたが、 「・・・・はあ」 思わず零れ落ちる溜息を止めることは出来なかった。 「朝っぱらなのに、もう最高潮に疲れた・・・」 疲れすぎて、僅かに頭痛すら感じる。 こめかみを抑え、最後にもう一度子猫の頭を撫でると、シャオはEDENへと足を向けた。 ジーザス。 憐れ、シャオは知らなかった。 自分の疲労のピークが今ではなく、夕刻に訪れるのだということを。 |