46 ☆HARAKIRI

 大絶叫とともにEDENを飛び出したシャオが向かった先は、もちろん、
「ウォン!!!」
お隣のDr.ウォンの診療所。
 客? そんなのいようがいまいが関係ナッシング!! な勢いで診療所のドアを押し開けたシャオを迎えたのは、
「いらっしゃ〜い♪」
 シャオの剣幕に激しくそぐわない、にっこり笑顔のウォン。
 幸いにも客はそこにはいなかった。
 が、そんなことはもうシャオには関係ない。たとえそこに客が居たとしても、その鬼のような形相を納めることは最早できなかっただろう。怒りの沸点はすでにぶっちぎりでオーバー☆
 乗り込んできた勢いのまま、シャオは手にしていた、例のブツをウォンの眼前にずずいっと突きつけた。
「おい、答えろ! 何なんだ! 何なんだコレはあああああぁぁぁぁあぁあああ!!!??」
 シャオの手によって目の前に差し出されたそれを見遣り、ウォンは不思議顔。
 それはどう見たって、
「・・・何って、ナイフ?」
 そう。ギラリと太陽の光を浴びて不穏なきらめきをばらまいているそれは、果物ナイフ。本来ならば果物を切ることに使用するが、時には凶器になることもある、それだ。

 なんでそんな当たり前のことを? と、きょとんとした顔で答えを返されたシャオのこめかみに、また一本、青い筋が浮く。
「お前、これをリコに渡したそうだな!? レヴィを殺す気か!? あァん!!?」
 思わず手にしたナイフでウォンを小突きそうになったが、危ういところでそれをこらえる。が、それでは自分の中の怒りを抑えきれないらしいシャオは、ナイフを持っていない方の手でぐいっと彼の胸ぐらを掴み、これでもかと巻き舌ですごむ。
「クールなところがス・テ・キ★」と、密かに熱い視線を送っているマダム、マドモアゼルには決して見せることができないヤーサンぶり。
 完全にぶちギレているらしいシャオに、ウォンは下手な言い訳をすることを諦め、素直に頷いて見せた。
「うん。リコちゃんにコレを貸してあげたのは、僕♪ でも、僕がレヴィを殺す気なんてあるわけがないじゃないか!!」
 レヴィは面白いオモ──否、可愛い弟分。そんな彼を傷つけるためにナイフを渡すはずがない。ただ、ちょ〜っと自体が面白い方向に向いてくれるかな〜という期待ゆえ。
 心外だと口を尖らせるウォンに、けれどシャオの怒りはまだ解けなかった。
「お前にその気がなくてもなァ、リコが思いあまって刺してたらどうするんだ!!」
 掴まれた胸ぐらを前後にグラグラと揺すられ、ウォンはついに白旗を挙げた。
「わわ、分かった! 分かったよ! 悪かったって
 ようやくウォンの口から出た謝罪の言葉に、ようやくシャオは僅かながら冷静さを取り戻したらしい。むんずと掴んでいた彼の胸ぐらを解放した。
 怒りのあまり心拍数が上がりすぎたのだろう、赤い顔と荒い呼吸を鎮めようと肩で息をしているシャオの手から、ウォンは自分がリコに渡した果物ナイフを回収する。
 どうやらリコはこのブツを実に有効に使ってくれたらしい。
 もちろん、正規の使用法でなく、あらあら、それはダメよ、困ったちゃん♪ な使用法で、だ。それを見たシャオがどれだけ驚き、そして気を揉んだのか想像するだけで、もう、十分に楽しい。が、それを顔に出してしまっては再びシャオはぶちギレるだろう。
 案の定、ナイフを見つめて妄想に耽っているウォンを、じと〜っとシャオが正面から見据えている。顔には出してしていないつもりだが、付き合いの長い彼には自分の考えていることが分かるらしい。ただそれは、「コイツ、まだ何か良からぬコトを考えてるんじゃないだろうな」という疑心程度のものだろう。もしも本当に心中を見抜かれているのだとしたら、今まだ自分は彼の手から解放されていないはずなのだから。
(ふふ。まだまだ甘いなァ、シャオくんは♪)
 心の中でほくそ笑みながら、ウォンはシャオから回収したナイフを手にしたまま言った。
「そんな怖い顔しない。この通り、反省してま す」
 しまりのない語尾に加え、その顔にはへらっとした笑み。
 シャオの頬が一気に引きつる。
「───1ミクロンもしてないだろ
「そんなコトないよ。じゃあ、証拠を見せようか」
「は?」
 心外だなァ、と唇を尖らせたウォンに、シャオが眉を寄せる。
「証拠って、何す──」
 どうせまたろくでもないコトをしでかすのではと顔をしかめたシャオの目の前で、
「えいっ♪」
軽〜いかけ声と共に、
っっ!!」
やはりとんでもないコトを、しでかした。
 ウォンはシャオの見守る前で、手にしていた果物ナイフを躊躇なく自らのみぞおちに突き立てたのだ。
「う゛っ!」
 盛大に顔を歪ませて診療所の床に倒れ伏したウォンにシャオは、

 驚きすぎて、声も出ない。
 しかし頭の中というのは、不思議なものでこんな時こそ冷静で、
(コイツ、マジで頭イってるんだなァ)
と、突然、反省心を見せるためにジャパニーズも真っ青な潔さっぷりでHARAKIRIを実演したウォンを可哀想に思ってしまう。
 が、今は悠長にウォンを哀れんでいる暇はない。
 今まで何度か本気で「頼むから死んでくれ」と思った相手だとしても、これはちょっとナイ。死んでくれたのならちょっとばかりせいせいする気もするが、自分が殺してしまったようで、後味の悪さが残るのはいただけない。
「お、おい。ウォン!? 大丈夫か!?」
 慌てて倒れているウォンの肩を揺する。
 ウォンは小さく呻いただけで、それ以上の反応はない。
(おいおいおい、医者ってこのヤブ以外にcityに居たか!? い、いっそ俺が縫うか? このヤブにできるなら俺にも出来るはず・・・! ってか、絆創膏でいいか。コイツだし)
 シャオが軽くパニックに陥った所で、突然、
「なーんちゃって♪」
 それまで呻き声を洩らしていた唇から、脳天気な声。そして、床に俯せに倒れていたウォンの体が、ガバッと勢いよく起き上がった。
「ヒィっ!」
 ゾンビも真っ青な勢いで蘇ったウォンに、シャオが盛大に引く。そんな彼に、ウォンは手にしていたナイフを差し出した。
「あれ?」
 先程ウォンの腹をブスリと刺したと思っていたナイフが、ウォンの手の中。その刀身に血はついていない。見れば、ナイフが刺さったはずの腹からも血が出た様子はない。
 ?マークを飛ばしまくっているシャオに、ウォンはにっこり笑って言った。
「僕がレヴィを危険な目に遭わせるわけないでしょ。オモチャだよ♪」
 言ってウォンはナイフの刀身を指でちょいと押す。すると、白銀の刃はしゅるっと音を立てて、柄の部分に飲み込まれていった。
「ほら、ね♪」
 これじゃあ刺さらないでしょ♪ そう言って楽しそうに笑うウォンにシャオは、

無言で踵を返した。
 ドカドカと大きな足音の後に、バタン!! 外れるのではと危惧したくなる程の音を立ててドアが閉じられた。
「もう。短気だな
 固く閉ざされたドアを眺めながら、ウォンはイスに座り直す。
「冗談なのに♪」
 クスクスと笑いながら、クルリと回転イスを回し、デスクに体を向けたところで、再びドアが押し開かれる音が背後から聞こえてきた。
「なに? 忘れ物?? ───って、リコちゃん?」
 シャオが戻ってきたのだろうかと振り返ったウォンの目に映ったのは、唇を真一文字に引き結んで立ち尽くしているリコの姿だった。
 いつもリコの訪問───否、突撃とは思えない程の静けさに、ウォンは訝しげに眉を寄せ、眼鏡を指で押し上げる。
「どうしたの? リコちゃん」
 するとリコはツカツカとウォンの前まで進むと、黙ったまま右手を差し出した。

「?」
 何かそこにあるのだろうかと見遣るが、彼女の小さな掌の上には、何もない。
 この掌がどうかしたのだろうかと首を捻っていると、ようやくリコが口を開いた。
「ちょーだい。アイテム」
 その台詞で、ウォンは思い当たる。
「アイテムって・・・」
 デスクの上に置いていたオモチャのナイフを手に取る。そう言えば、これを面白半分で「リコちゃんに、恋の必須アイテムをあげよう♪」と適当なことを言って渡したのがコレだった。
「・・・コレ?」
 取り戻しに来たのだろうかと、試しにオモチャのナイフを差し出してみたのだが、リコは首を左右に振って言った。
 ウォンを真っ直ぐに見つめた目は、完全に据わっていた。
「ううん。もういっそ、飛ぶ系の」

 さすがのウォンもナイフを差し出したその格好のままで固まる。
(・・・・・飛ぶ系って・・・・・・)
 どんなに考えてみても、アレしか浮かばない。今自分の手にあるものよりも、格段に危ないブツ。
 どうやらシャオがぶちギレたのも、このリコの真剣さのせいだということがそこで分かった。
 本当に、レヴィのことが好きすぎて好きすぎて、好きならいっそこの手で・・・! と、どうやら自分が思っている以上に劇的な展開に発展しているらしい。これではシャオが本気で心配し、本気で怒るのも頷ける。
 もしここで彼女に飛ぶ系のブツを渡したのなら、速攻でリコは引き金を引くだろう。躊躇いなくヤってのける目を今の彼女はしている。
「・・・・リコちゃん。さすがにそれは僕も引くなァ」
 頑張れと焚き付けたのは自分だが、さすがに刃傷沙汰になってはたまらない。レヴィは可愛い弟分。勿論、リコも可愛い妹分。目的はシャオの悶え苦しむ姿を見て楽しみたいだけなのだ。二人が傷付くのはいただけない。
 ・・・・・ウォンはいいのかよ。
 というツッコミはただいま受け付けておりません。
「ダメ?」
 ちょうだいと手を差し出したまま、可愛らしく小首を傾げて恐ろしいおねだりをするリコ。そんな彼女のおねだりを、ウォンは
「ダーメ!」
苦笑しながら一蹴する。
 するとリコは、まるでそれしか方法がなかったのに、とでも言うかのように、大きく肩を落とした。
 そんなリコの肩をウォンが慰めるようにそっと撫でてやる。
「リコちゃん。君が一生懸命なのは分かるよ。でも、やりすぎたらダメだ。こんな方法では、君の想いは伝わらないんだから。ね?」

 ごもっとも。
 ──────いや、待て。おい。何を言っている。ナイフを渡したのはドコのどいつだ。
 どうぞ。今ばかりは存分につっこんでやって欲しい。
 が、あいにくとリコにその気はないらしい。ウォンの言葉に、素直に首を縦に振った。
「うん。分かった」
 トボトボと診療所を後にするリコの小さな背中を、ウォンは溜息と共に見送る。
「一生懸命だね−、リコちゃん」
 一生懸命すぎる。
 リコにとって、これは初めての恋。自分を雨の中から拾ってくれた誰よりも大切で誰よりも大好きだった人。この人を失えば、自身を失ってしまうくらいに、大好きな人。
 その大好きが、突然、姿を変えてしまった。
 今までよりもずっと熱くて、ずっと苦しくて、ずっと切ない。
 その胸の熱に、もうどうしていいのか分からないのだろう。
 初恋は実らないのが常だとは言うけれども、彼女の場合、この恋が実らなければ───レヴィに拒まれれば、ここには居られないと思うほどに、彼女にとってレヴィの存在は大きいのだ。
「・・・他の人に取られてしまうくらいなら、いっそ、ねェ」
 そう考えてしまうのも頷けるほどに、リコはレヴィのことを愛しているのだろう。
 ウォンが知らぬ間に、彼女の仄かな想いは、ここまで熱いものに育ってしまっていたらしい。
「うーん」
 眼鏡の縁を指で押し上げながら、ウォンは盛大に唸る。
「困ったなー♪」
 その台詞の割に、彼の口元は楽しそうに弧を描いていた。







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