太陽がSilvery cityを真下に見下ろす頃。 「う ん」 フロアの中央で、レヴィが首を捻っていた。 「ど、どうしたの、レヴィくん」 お客様に、「無視するのは可哀相か!?」「き、きっとつっこんで欲しいに違いない」 と思わず口を開かせてしまうほど、フロアのど真ん中で盛大にレヴィが唸っていた。 が、堪えきれず声をかけて来たお姉さんに、 「何でもないです」 と消化不良感150%な回答を与え、そそくさとカウンター前に移動する。 そして、再度首を捻る。 手にしていたトレイをカウンターに置くと、レヴィは己の胸に手を当てた。 ドキ、ドキ、ドキ。 心臓が、順調に鼓動を刻んでいるのが分かった。が、いささかその鼓動が強いような気がする。 「う ん」 胸に手を当てたまま、そっと後ろを振り返る。 カウンターの奥、厨房へと目をやれば、 ドキ、ドキ、ドキ。 掌の下の鼓動が、更に大きくなった。このままの元気さで胸を叩かれては、壊れてしまいそう。 慌てて視線をフロアへと戻せば、僅かに鼓動はその音量を下げたように思われた。けれど、常よりもやはり早い。 「薬、飲んだんだけどなァ・・・」 ウォンから貰った薬は、言われたとおりに飲んだ。けれど、この鼓動はやんでくれない。 「しばらく飲まなくちゃダメなんだな、きっと」 薬1錠で治ってしまう病気なんてない。 そう思い直し、胸に当てていた手を下ろす。 (でも、何で・・・) どうして、この胸は高鳴るんだろう。 視線を落とし、考える。 高鳴る、胸。 どんな時に、高鳴っていたっけ? (・・・サヤ、だ) そう。サヤを見つめているとき。サヤと話しているとき。サヤを思っているとき、胸が、高鳴る。 (何で・・?) 知らず、再び視線が厨房へと向けられていた。 そして、ドキンと鳴る胸。 「ほら、やっぱ 」 しかし、その鼓動はまた別なる理由で跳ね上がることとなる。 「ボス!!!!」 「のわっっっ!!!」 突如、耳元でリコの大音声。 「な、な、な、何だよ! この至近距離でその声量はナシだろ!!?」 ドキドキドキドキ! 驚きの所為で早くなった胸を押さえながら、レヴィが自分の真横から遠慮なしの大音声で自分を呼んだリコに抗議する。 が、リコはというと。 「ごめんなさ〜い。ボリューム、間違えちゃった♪」 悪びれない顔で、ニコニコ笑っている。 その額に、ピクピクと青筋が浮いていることにレヴィは気付かなかった。 ひたすらニコニコと自分の顔を見上げてくるリコに、レヴィは僅かにたじろぐ。青筋には気付いていないが、何だか怖い。笑っているはずなのに、何故か、怖いものを感じる。 「で、な、何だよ」 自分を呼んだきり、なんの用件も口にせずただひたすら自分を見つめているリコに耐えきれず、レヴィの方が問う。 けれど、リコから返されたのは、 「うふ 呼んだだけで〜す」 「ああ?」 今度はレヴィの額に青筋を浮かばせる答えだった。 ただ呼ぶだけであのボリュームは必要ないはずだ。 無駄に大きく刻んだ鼓動の労力を返せ。 とレヴィがクレームを付ける前に、 「すいませ〜ん! 注文いいですか〜?」 「は〜い。ただいま〜!」 「あ、おい!」 ナイスタイミングな客の呼び声に、リコはさっさとレヴィの前から姿を消してしまっていた。 振り上げた拳を何処に下ろそうか。 「・・・何だよ、アイツ」 仕方なく、口を尖らせ呟くだけに止めておく。 お行儀悪くカウンターに背をもたせて佇んでいると、その背に声がかかった。 ドキン。 胸を高鳴らせるその声は、 「ねえ、レヴィ」 サヤの声。 弾かれたようにカウンターの奥、厨房の入口へと視線を遣れば、そこからケーキを差し出しているサヤの姿があった。上半身だけを入口から覗かせているサヤ。カウンターまで出てくれば良いのだが、汚れた姿で客前に出るのはポリシーに反するのだといつか言っていた。 いつもならばシャオがそれを受け取り、自分がリコかに渡すのに、とカウンターを見れば、シャオの姿がない。 「コレ、3番さんのケーキ。お願いね」 厨房から上半身だけを覗かせ、腕を伸ばしてケーキを差し出してきたサヤに、 「お、おう」 レヴィもカウンター越しに体を乗り出して手を伸ばす。 あと、少し。 「はい。ボス♪」 「え?」 もう少し、というそのタイミングで、不意に横から伸びてきた小さな手が、サヤの手からケーキ皿を奪い取り、レヴィの手に渡していた。 いつの間に戻ってきていたのか、カウンター内に、リコの姿があった。 先程と同じように、ニコニコと可愛らしい笑みを顔面に貼り付け、ケーキをレヴィの手にしっかりと握らせる。ついでにぎゅっと両手でレヴィの手を握った。 「ケーキリレー?? この距離だと、絶対お前いらないって」 「え〜? そうですかァ?? 遠いかな、って」 「あと握りすぎ。んな事しなくたって落とさないって」 「・・・ごめ ん」 「変なヤツ」 首を傾げながらも、受け取ったケーキを言われたとおり席まで運ぶ。 その背を、見つめる視線は二つ。 (阻止阻止そ し!!) レヴィとサヤとの接触を徹底的に阻止せんと目を光らせるリコと、 (・・・も、もしかして、ブロックされた??) まさかと思いながらも、心当たりのあるサヤ。 リコは、レヴィに恋している。 そのレヴィが自分と話すことを嫉妬しているに違いない。 その気持ちは、よく分かる。 分かるのだけれど。 サヤちゃんには渡さない! 誰にも渡さない! あの人はあたしのボスなんだから!! 不意に蘇ったリコの言葉。そして、頬を伝った涙。 分かっている。 リコがレヴィを誰にも渡したくないその気持ちは、恋をしたことのある自分にも、よく分かる。 けれど、分かるからと言って、それを受け入れ肯定できるのかと己自身に問えば、 「・・・・」 胸に、僅かながら、苦い物を感じる。 それが何なのか、何故なのかを考えることを、サヤはやめた。レヴィの背を追っていた視線を引きはがすと、踵を返して厨房へと戻る。 本当は、戻りたくない。 厨房とフロアとを遮る壁が、いつもより厚く感じるのは、何故だろうか。 これまでは暇があれば頻繁に厨房に遊びに来てくれていたレヴィが、昨日から姿をあまり見せてくれなくなった所為だろうか。 側に居られると、緊張してしまう。 けれど、離れていると、側に来て欲しくなる。 ないものねだり。 「これじゃあ、私・・・」 恋を、してしまっているみたい。 口に出せば本物になってしまいそうで、怖い。その言葉は、心の中だけにとどめておかなくてはならない。 そんなことを思ってしまうのはやはり、リコの涙の所為だろうか。 そして、それを追い払うかのようにして蘇る、もう一つの言葉。 サヤちゃんの幸せは? 好きな人に振り向いてもらえたら、幸せ? ウォンの問いかけ。 「好きな人・・・?」 このEDENにやって来て、物静かだけれど深い優しさで自分を気遣ってくれたシャオに、淡い恋心を抱いた。けれど、それが大きく育つ前に、捨てた。そうして今、自分の胸に抱いたのは ? シャオがダメだったら、次はボスなの? 厳しい問い。 「・・・・・はぁ」 思わず零れたのは、深い溜息。胸の中のもやもやを全てそれで吐き出してしまえたらいいのに。 だが、そうはいかない。 胸に残ったものを取り敢えずは忘れようと、サヤは己の頬を両の手でパチンと叩き、 「ダメ。仕事仕事!」 己を叱咤する。 けれど、やはり、思考はすぐに戻ってくる。 胸が、ザワザワする。 「・・・・」 毎日毎日繰り返しているスイーツ作り。思考は別の所にあっても、手は動く。 けれど、 「あっ」 お皿へと伸ばした手が、それを掴み損ねた。 しまったと思ったが、すでに遅い。 幸いにも皿は調理台の上に転がり、シンクの中へと落ちて、その落下を終えた。 「・・はぁ」 集中しなければと思うが、無理。 再度溜息を漏らしたあと、シンクへと手を伸ばしたが、 「あ」 目の前に、別の手。 慌てて視線を上げれば、調理台の向こうから手を伸ばしているレヴィと目が合った。思わず手を止めたのは、二人同時。 一瞬の沈黙の後、慌ててレヴィのアメジストから視線を外したサヤが、皿を拾うべく手を伸ばした。同時にレヴィも自分から視線を逸らしたことを、サヤは気付かなかった。 「あ。ありがとう、レヴィ。大丈夫だから」 「いいよ。手ェ汚れるだろ」 オレが取るからと、レヴィの手が皿へと伸びる。 「え。いいわよ、私が 」 二人同時に延ばした手が、もう少しで、触れる。 かと思われた、が、 「えい!!」 「いって!!」 気合いの入ったかけ声と、思わぬ悲鳴にサヤは驚く。 気付けばいつの間にか自分の隣にリコが立っていた。そして、 「はい。サヤちゃん」 シンクに落ちた皿を拾い上げると、ちゃちゃちゃっと洗い、リコが手渡してきた。 「あ、ありがとう」 何が起こったのかよく分からない。 それはレヴィも同様らしい。 ただ、皿を拾い上げようとしていた手に、思いっきりリコからビンタを食らわされたことだけはよく分かった。見れば手の甲にくっきりと赤い手形。 「な、な、な、何すんだ、お前!!」 どんだけ容赦なくぶってくれてんだよと愛おしげに赤くなった手を胸に抱え込みながら猛抗議を始めたレヴィに、リコはしれっと答えた。 「あ。虫がいたの」 「いないって!! 居たら自分で払うわ!!」 「いや。ボスの目には捕らえきれないスピードの虫がいたの」 「怖いよ、その虫。 ってか、もしホントならソレを捕らえているお前の目の方が怖いよ」 「あは☆ まあ、そういうコトだから、感謝こそすれ、ですよ、ボス」 「はァ!? おい、コラ! 待て、リコ!!」 まだ文句が言い足りねーんだよ! と喚くレヴィを尻目に、アディオ〜ス♪ と現れた時と同様の唐突さで厨房から姿を消したリコ。 厨房内に取り残される形になったレヴィとサヤ。 「な、何なんだよ、アイツ・・・」 全く意味が分からないとブツブツ言いつつ、レヴィも厨房を出て行った。 一人残されたサヤだけが、 「・・・・・」 唇を噛みしめて佇んでいた。 |