「はぁ 」
深〜い溜息をついてEDENの入口から外へと足を踏み出したのは、レヴィ。 リコとサヤのバトルの後、いつも通り夕食を4人で食べたのだが、やはり、その雰囲気はいつも通りと言うにはほど遠いものだった。本当に、視界の中には納めきれないほど、否、このcityを軽く飛び出してしまえるほどに遠かった。 一応気を遣って、シャオと二人、少しでもその場の雰囲気を和らげようといつもより会話のために口を動かし、頑張ってリコとサヤにも会話を振った。 が、リコからは「あー」「ですねー」「へー」という中身空っぽ いっそ真空!? な勢いの空返事しか返ってこなかった。サヤに至っても、どうしていいのか分からないオーラを体内にとどめる努力をしているようだったが、それでもダダ漏れで、顔面には「どうしよう。もう、最悪」とはっきり極太マジックで書いてあった。 それが見えたような気がしたのはきっと自分だけではなかっただろう。 そんな晩餐の中、 「もういっそ、別々にご飯食べちゃおうぜ!!!」 と提案してしまいそうになるのを何度も堪えた。本当にもう、必死で堪えた。 夕食の用意をしてくれたサヤには申し訳ないが、食事の味など全ッッッく覚えていない。何を食べたのかという記憶さえも危うい。 片付けは自分たちがやるから、と申し出たシャオに合わせてレヴィも頷いて「任せろ」と請け負った瞬間、「じゃ!!」とリコは速攻でフロアから姿を消し、2階の自分の部屋へと上がって行ってしまった。しばしの後、サヤも何も言わず2階へと姿を消してしまった。 その後、シャオと二人、これでもか!! と溜息を零しまくりながら後片付けをし、レヴィはEDENを出たのだった。 向かった先は、お隣のウォンの所。 「ウォン、オレ。今、いい?」 玄関の扉を上げればそこはすぐ診察室。診療時間は過ぎているが、念のため扉をノックし、中に呼びかける。 すると、 「どうぞ」 中から扉が開かれ、にっこりと笑みを浮かべているウォンが姿を現した。 「いらっしゃい♪」 どことなく自分を嬉しそうに招き入れるウォンに、 (何だ? ご機嫌だなァ) と不思議に思いつつ、ウォンが楽しそうに笑っているのはいつものことなので、それ以上深く考えることもなくレヴィは診察室へと入り、 いつもの彼の指定席、診察台にゴロンと寝転んだ。 デスクの回転イスに腰を下ろしたウォンは、眼鏡の縁を指で押し上げる。レヴィの様子がいつもとは違うことに気付いたようだった。 シャオに悪戯がバレて逃げこんで来た、といういつものパターンとは違いそうだ。 診察室の天井を見つめる紫の瞳が、珍しく曇っている。 「・・・・どうかした? 何だか浮かない顔だけど。風邪でも引いたのかい?」 診てあげようかと心配そうに声をかけてきたウォンに、レヴィは大丈夫だと手を振って見せる。そして、僅かに逡巡した後、徐に口を開いた。 「それがさ、リコとサヤが喧嘩中でさ。家の中、空気重いんだよなー」 レヴィの言葉に、ウォンは目を瞠る。 「リコちゃんとサヤちゃんが、喧嘩??」 「そうなんだよ」 ニブチン大魔王のレヴィがここまでばっちり気付いているということは、かなり深刻な状態らしい、とウォンは推察する、そして、 (十中八九、レヴィだな) 原因については断定する。 診察台に横になったまま、レヴィは再び溜息を漏らす。 「なんかさ、女同士の喧嘩って怖いよなー。後引くって言うか。いっそ殴り合って、その場限りで、すっきりやり合えばいいのに」 「 いや、女の子同士で殴り合う方が、なんか怖いよ」 「・・・それもそうだな」 リコとサヤが真剣に殴り合いをするシーンを思い浮かべたレヴィは、自分の言葉に猛省する。 そうして三度溜息を零したレヴィに、ウォンは苦笑する。 昨日までは仲良くしていたはずの二人の突然の喧嘩に、余程驚いたのだろう。その原因が彼には分からないのだから、いつ彼女らが仲直りをしてくれるのかの見通しも立てられず、彼なりに心配で仕方がないのだろう。けれど、どんなに心配でも、理由が分からない彼には、何も出来ない。そのことに焦れているようだった。 「恋する乙女のバトルだからね。もうレヴィやシャオに介入の余地はないよ」 どうすることもできないんだよと、レヴィを慰めるつもりのウォンの台詞だったのだが、彼は表情をさらに曇らせてしまった 「レヴィ?」 どうかしたのかと首を捻ると、レヴィはポツリと呟くように言った。 「・・・また恋、か」 「え?」 「最近、そればっか。恋だのなんだのって」 「レヴィくらいの年なら、そういうのがあってもおかしくないさ」 「・・・・・」 ウォンの言葉に、レヴィは硬い表情のまま、口を噤んだ。 そんなレヴィの様子に、ウォンは察する。 どうやらレヴィも、それなりに気にはしているらしい。シャオが、リコが、サヤが抱えている、誰かを特別に愛するという気持ちを、自分だけが持っていないのだということを。そのことに、疎外感を感じているのか、焦りを感じているのか。そこまでは彼の横顔からは読み取れなかったけれど。 「まあ、ムリにするもんじゃないさ」 そんなに気にしなくて良いよ、と寝転がったままのレヴィの頭を撫でてやる。 しかし、レヴィからは、 「・・・うん」 歯切れの悪い相槌。 「そうだよな♪」 という、ウォンが期待していたいつものように快活な返事は返ってこなかった。 「納得いかない?」 「・・・ん 。なんて言うか、オレだけが取り残されて、何も分かってない感じがイヤっつーか」 自分だけが、何も分からない。 きっと理解できないだろうからと、教えてももらえない。 特別に誰かを愛する気持ち。 自分を命をかけて守ってくれた兄に感じるような、一緒に暮らしているシャオやリコ、サヤ、そしていつだって自分の味方をしてくれたウォンに感じるような、特別な気持ちではなく、時に傷付き、冷たい涙を零し、胸を痛めて、それでも手に入れたいと願う、強い 強すぎる特別な気持ち。それが、レヴィには分からない。 「焦ってるのかい?」 ウォンの問いに、レヴィはしばし考える。 ・・・焦って、いるのだろうか。 よく、分からない。 焦らなければいけないのだろうか。シャオやリコ、サヤが感じている気持ちは、自分も感じていなければならない感情なのだろうか。 それを感じられない自分は、もしかしたら、 「・・・オレ、おかしい?」 ふと、そんな疑問が胸をよぎり、レヴィは体を起こし、ウォンに問うていた。 不安になった。 けれど、レヴィの視線を受け止めたウォンは、いつもどおりの優しい笑みを浮かべゆっくりと首を左右に振って答えた。 「大丈夫。そんなことないよ、レヴィ」 ウォンの答えに、レヴィはほっと安堵したようだった。医者であり、そして兄のような存在であるウォンの言葉は、彼に大きな安心感を与えてくれたらしい。 再びバタンと診察台の上に仰向けに寝転がったレヴィは、それでも横顔の憂いを完全には解いていなかった。 「 人を好きになって、泣いて、笑って、怒って・・・でも、温かい、なんて」 リコのことが好きで、けれど報われない恋に焦れていたシャオ。 恋をしているが故に、自分の言葉に傷付き、大泣きをしたリコ。 告げることさえできない想いに静かに泣き、それでも、人を愛することは温かいと。愛されることはもっと温かいのだと言って幸せそうに笑ったサヤ。 誰の気持ちも、分からない。 それはきっと、自分が恋を知らないから。 「 分っかんねーなー。オレも恋してみないと分かんないんだろうなァ」 ぽつりと呟くように言ったレヴィに、ウォンがガタンとイスを鳴らして立ち上がったかと思うと、寝転がったままでいるレヴィに覆い被さるように真上から彼の両肩を両手で掴んだ。 「ダメ!! レヴィはまだそんな俗的なモノに染まっちゃダメだよ!!」 「はァ?? 箱入りか、オレ」 過剰すぎるウォンの反応にドン引きしつつ、 「でも、じゃなきゃオレ、分かんないままじゃん」 表情を曇らせたままでいるレヴィに、ウォンは彼の上に覆い被さっていた体をどかし、再びイスに腰を落ち着けると、「仕方がないなァ」と呟く。 お兄ちゃんとしては、男前のくせに色恋沙汰と一切無縁を貫き、婦女子からの熱い視線に一切気付いていないニブチンなレヴィが面白く 否、可愛くて仕方がないところなのだが、そのレヴィがここまで言うのであれば、お兄ちゃんとして一肌脱がないわけにはいかないのだろう。 「ん 、分かった」 コロコロとイスを転がし、診察台の前までやってきたウォンは、天井を見つめていたレヴィの二つのアメジストを真上から見下ろし、問うた。 「じゃあ、誰がいいんだい?」 「・・・は?」 ウォンの問いの意味を計りかね、レヴィは眉を寄せる。 誰がいいって、どういう意味だ。 人を好きになる話をしていたのだから、「誰を好きになりたいか」という意味なのだろうか。だがしかし、これに答えたからといって、一体何だというのか。 答えた人を自分が好きになるとでもいうのだろうか。 口に出してみれば意識するようになり、そして、「え、もしかしてオレってマジでアイツのこと好きなんじゃねーの??」みたいな気持ちになることもあるかもしれない。が、それはどうにも勘違い感が否めないし、そもそも、 (・・・ってか、そこまで単純じゃないと思うんだけどな、オレ) しかし、じっと自分の瞳を見つめているウォンの瞳は真剣そのもの。 蛇に睨まれたカエルよろしく固まったまま、?マークを飛ばしまくっているレヴィに、ウォンはようやく彼を真上から覗き込むことをやめ、質問を変えた。 「だったら、レヴィが今一番好きなのは、誰だい?」 友情込みでいいよ、と付け加えられたウォンの問いに、レヴィは「う ん」とひとしきり唸ると、 「一番かァ」 「うん。一番は?」 何故かウキウキと自分の答えを待っているウォンに、「これ答えたからって何なんだ?」という疑問を払拭しきれないレヴィだったが、そんなウォンに視線を向け答える。 「ウォン?」 好きな人に順位をつけるのは難しい。 迷いに迷った末、さらには疑問系ではあったが、それでも自分の名を一番に告げたレヴィに、ウォンは思わずきゅん とする、が、 「ありがとう でも、却下」 さくっと却下した。 「何、却下って」 自分が好きだと言っているのだから、ウォンが許可をする権利も、ましてや却下する権利など一切与えられてはいないと思うのだが。 ウォンがウキウキと彼の答えを待っていたのは、「勿論、僕でしょ♪」という期待からではない。 これから彼が誰に恋をすればオモシロイことになるのか。いや、きっと誰に恋をしてもEDENの恋模様は120%オモシロイことになってしまうだろうのだろうと思うと、そのとんでもない事態を期待してウキウキせずにはいられなかったのだ。 ただ、その恋のお相手が自分では何にも面白くない。 リコとサヤは泣く泣くレヴィへの恋を諦めるだろうし、それを見てシャオはリコに心の中で詫びつつも、「よっしゃ!」と彼女の失恋を喜ぶのだろう。 そうして、万事元通り★ それでは面白くない。今が一番良い掻き回し時なのだ。事態を収束させてはならない。断じて!! とウォンが心の中で己の役目を再確認していると、 「何だよ。せっかく一番にしてやったのに」 不服そうに口を尖らせたレヴィが、診察台の上でくるりと寝返りを打ち、ウォンに背を向けてしまった。 「ありがとう、レヴィ。僕もレヴィが一番可愛いよ」 レヴィの肩に手をかけ、コロリと彼の体を仰向けに戻すと、 「じゃあ、二番目、いってみようか♪」 爽やかに提案する。 「次は?」 「次ィ?」 何だってこんな会話になったのだろうかと思いつつも、素直にお兄ちゃんの問いかけに答えを探そうと考え込む。 (こういうところが可愛いんだよね、レヴィは) 自分が拗ねていたことなどすでに忘れている。そんなおバカなところが可愛くてたまらない。自分を100%信じてくれているところも、そう。 が、その可愛いレヴィでさえ、オモシロイことのために必要であれば使っちゃう♪ むしろ、単純だから、使いやすい♪ だから、可愛い。 レヴィがウォンの脳内をのぞくことが出来たのなら、ウォンに対する信頼は一瞬にしてマイナスの値に変じるのだろうが。 今のところ、彼の本性を知っているのは彼の標的となり続けているシャオだけだった。 「う ん」 ひとしきり唸った末、レヴィがチョイスしたのは、 「じゃあ、シャオ」 EDENで一番付き合いの長い兄貴分だった。 「それも却下」 「だから、却下ってなに」 「 いや、アリか?」 「アリ? 蟻?? はァ?? オレ、蟻なんて別に好きじゃないけど???」 「いや、ちょっと待って、レヴィ! アリかもしれないよ」 「はああああ???」 思わず診察台に上半身を起こし、これでもかと?マークを飛ばしまくっているレヴィに構うことなく、ウォンはデスクの前にイスごと移動すると、何やら紙にペンを走らせ始めてしまった。 もしも、レヴィのお相手がシャオだったら リコはどうする? サヤはどうする? そして、シャオは?? 「もしかして、サイコーに面白いんじゃないかな!!!」 「え? な、何が?? 何なんだよウォン」 いきなりテンションが激上がりしたウォンに、レヴィは全く付いていけていない。 ウォンが何を言っているのか、全く理解できない。 「 ちょっと、考えさせてくれ」 「だから、何を??」 今、自分が好きな人は誰なのかを話していただけだと思うのだが、この会話のいったいどこにこれほどまで熟慮を必要とする部分があったのだろうか。 「ふーん。そっか★」 の相槌一つで終わる話だったような気がするのだが、そうではなかったのだろうか。 何やらガリガリとペンを走らせているウォンの背中を見つめ、待つこと数分。 「よし。君の力になろう!!!」 「へ?」 背を向けた時と同じく、突然くるりとイスを回転させて自分の方に向き直ったウォンに、レヴィがきょとんと目を瞠る。 やっぱり、言っている意味が分からない。 「レヴィ。とりあえず、こっちにおいで」 手招かれ、疑問が晴れないながらも、渋々診察台を降りたレヴィは、ウォンの言うとおり彼の前まで歩みを勧めると、ウォンが脇から引っ張ってきたイスに腰を下ろした。 「な、なに?」 信頼しているお兄ちゃんではあるが、今ウォンが何を考えているのか一切分からず、不安げな顔をして自分を見ているレヴィに、「怯えた顔も可愛いなァ」と、ドS本性満開なことを思いつつ、ウォンはニッコリととっておきの笑みを浮かべた。 病院が怖くて泣きじゃくるお子様には、速攻で涙を止める効果が抜群。さんざんオモチャにされてきたシャオには、全速力で退避を余儀なくさせる凄まじい効果の笑顔。 「さあ、レヴィ。全て僕に任せておいて♪」 「う、うん・・?」 レヴィにとっては、前者だったらしい。僅かに表情を和らげたレヴィに、笑みを絶やさぬまま、ウォンは言った。 「僕が恋とは何か、よォ く教えてあげるよ これでレヴィも、恋をしたくなるはずさ♪」 「は、はあ」 憐れ。ついにレヴィもウォンの魔の手におちることが決まった瞬間だった。 そうして、とっぷりと日も暮れた頃。 カランカランカラン。 EDEN入口の鐘が鳴り、カウンター内から時間外の珍客を見遣ったのは、明日の準備をしていたシャオだった。 誰だと視線を遣れば、そこにいたのは、レヴィだった。 それを確認したシャオは、再び手元に視線を戻し、 「ウォンのところか?」 準備をする手を動かしながら問う。が、 「・・・・・」 「レヴィ?」 答えが返ってこない。 どうかしたのだろうかと手を止め、彼へ視線を遣ると、レヴィは口を真一文字に引き結んだままだ。いつも真っ直ぐに前を見ている瞳は、自分の足下に視線を落としている。まるで落ち込んででもいるかのようなその様子に、シャオは目を瞠る。 悩みなし、ストレスなし! を自慢としているレヴィの、いつもの様子からは想像も出来ない静かさに、シャオは思わず心配になる。 「おい、レヴィ。どうかしたのか??」 だが、レヴィはシャオの言葉に答えることなく、フロアを横切り、 「お、おい。レヴィ!?」 再度声を掛けたシャオの前を通り過ぎ、2階へと上がって行ってしまった。 「 ・・・何だ?? 反抗期か??」 答えが返ってこないどころか、顔を上げることもなかった。 完全に無視、というよりは、まるで自分に気付いていないような様子だったが。 「・・・何なんだ??」 シャオはただ、首を捻ることしかできなかった。 |