CafeEDEN店内では穏やかな時間がゆっくりと過ぎていく。
午後3時を過ぎた店内は、女性の賑やかな話し声で華やいだ雰囲気。 カウンター内ではシャオが真っ白なカップからコーヒーや紅茶の香りを店内に振りまき、ホール内ではリコとレヴィがそれを笑顔で客へと差し出す。 穏やかな店の奥、所は変わって厨房の中では、サヤが慌ただしく歩き回っていた。 店の入口のショーケースからは瞬く間にケーキが消えていき、sold outの札が並ぶ。 それを阻止すべく、甘い香りの中に身を置き、奮闘するサヤの姿が厨房にはあった。 「よし。出来た♪」 紅茶葉を焼き込んだふわっふわのスポンジケーキを、これまた紅茶風味の生クリームでデコレート☆ 新たに準備の出来たケーキを、大きな皿の上に乗せる。 小さな花びらを広げた可憐な花が端々に描かれた綺麗な皿だった。それはサヤのお気に入りの皿だったし、その賛辞に見合う値の物だという話もシャオから聞いたことがある。 ケーキを乗せた皿を片手に、カウンターを目指す。 ショーケースからケーキを絶やすことのないようにと自然と速まる足。 そのとき、ナイスタイミング☆ 「あ。レヴィ」 厨房の入口から姿を見せたのはレヴィ。 ちょうど良い所に来たと、歩みを進めながら、サヤはレヴィを手招きする。自分でショーケースまで運ぶ手間が省けた。もうすぐで別のケーキが焼き上がるところだったのだ。 「レヴィ。コレ、お願いできる? 重いから気をつけて きゃっ!」 と、気をつけてと言った矢先、サヤ自身が不意に足を滑らせた。 驚いたのはレヴィだ。 「おい! サヤ!!」 足を滑らせ仰向けに倒れるサヤに、レヴィが慌てて手を差し伸べたが、その手をサヤが取ることはなかった。 彼女の両手は、しっかりと皿を握ったまま。 「サヤ!」 ケーキを手放そうしないサヤに、レヴィはぎょっとする。慌てて自分の体をサヤの後ろに滑り込ませると、彼女の腹部に手を回し彼女の体を抱き留める。 が、すでにかなりの傾斜のついていたサヤの体はレヴィにぶつかっても止まらず、そのままレヴィの体を下敷きにして仰向けに倒れこんでいた。それでも手に持った皿は手放さなかった。 そのおかげさまで、 「ぶっ!!」 レヴィの顔の上に、見事にケーキが降ってきた。 コントばりの顔面キャッチ☆ 厨房に紅茶の香りがふんわりと広がる。 「レ、レヴィ!! 大丈夫!?」 衝撃を覚悟してぎゅっと目を瞑っていたものの、それでも自分がレヴィの体を下敷きにしたのは感覚で分かった。サヤは慌ててレヴィの上から退く。それでもその手には、大事そうに大皿が握られたままでいたが。 「ホントにごめんなさい 重かったでしょ!? ああっ、ケーキが」 下敷きにしてしまったばかりか、ケーキを顔面で受け止めさせてしまい、慌てるサヤを尻目に、レヴィは別段慌てた様子もなく、尻餅を着いたまま顔面に乗っかったケーキを両手で拭うと、自由になった口に放り込む。 「ん。うまー」 レヴィは呑気に、顔中クリームだらけにしたまま、モゴモゴと口を動かしてケーキを味わっている。 「ホ、ホントにごめんね」 サヤは謝りながら、レヴィの顔をタオルでごしごしと拭う。 いいからいいから、とサヤの手からタオルを受け取ったレヴィは、顔に残ったクリームとスポンジとを拭い取る。 ようやく目が開けられるようになったレヴィは、サヤがオロオロとした顔で自分を見ていることを知る。と同時に、彼女が未だに皿を大事そうに抱えているのを見て、苦笑する。 「サヤ。お前、今、自分より皿庇っただろ」 「え? あ」 レヴィに言われて初めてサヤは自分が大事そうに皿を抱えたままでいることに気付く。 無意識のことだったのだが、お気に入りで、しかも高価なお皿を割りたくなくて、ずっと抱えていたようだ。 その結果が、こう。目の前にケーキまみれのレヴィ。 「だって、良いお皿だったから ごめんなさい。こんな目に遭わせて」 詫びの言葉を重ねるサヤに、レヴィは口を尖らせて言った。 「ダーメーだ! 次は皿より、自分の体を大事にしろ」 皿なんかのために自分の体を庇わないのは駄目だ、と。そう言って怒ったレヴィに、サヤは目を丸くする。 「う。うん」 どうやら彼が怒っているのは、体を下敷きにされたことでもケーキを顔面でキャッチさせられたことでもなく、サヤが自分の体よりも皿の無事を優先させたことの方だったらしい。 「大丈夫だったか?」 サヤとしては下敷きにしてしまった彼の体の方が心配だったのだが、真剣な眼差しで見つめられると、何も言えなくなる。 「////う、うん。ありがと」 頬を染めながら礼を言ったサヤに、レヴィは良かったと笑みを返す。どうやらサヤに怪我はないようだと安堵の溜息を漏らすと、彼はすっくと立ち上がった。 「サヤ。着替えてくるってシャオに言っといて」 「う、うん・・」 レヴィを見送るサヤの瞳は、ぽーっと熱に浮かされたように潤んでいる。 彼女自身、そのことには気付いていなかったに違いない。勿論、レヴィも。 ただ一人、サヤとレヴィのやりとりをこっそり見つめていた、リコ以外は。 バスルーム。 そこには、思いがけずケーキを顔面でキャッチする羽目になったレヴィの姿があった。 顔を洗い、ケーキのついたシャツを着替えるだけのつもりだったのだが、生クリームは顔だけにとどまらず、金糸の髪にまで絡みついていたので、結局シャワーを浴びることとなった。 だが、いつまでもフロアをリコ一人に任せておくわけにもいかない。 火照る体を持てあましながらも、レヴィはすでにEDENの制服を身につけている。ただ、常には後ろで一つにくくられている金糸の髪が、今ばかりは透明な雫をしたたらせ、白いシャツにシミを作っている。 真っ昼間から、予定外のバスタイム。 それはまあ、一向にかまわない。 レヴィは実に雑に、ガシガシとタオルで髪の毛を乾かし始める。と、同時に溜息を一つ。 「ふぅ」 金糸の髪に生クリームを絡ませる不運に見舞われたことよりも、せっかく完成していたホールケーキが台無しになってしまったことの方が心が痛む。 「美味かったのに」 もったいないなァ、と独り言を付け加える。 そうしてガシガシとタオルで頭をかき乱していたレヴィだったが、不意に、 「・・・ん?」 背後に人の気配を感じ、鏡越しに己の背後を確認し、 「おわっっっ!!!」 思わずレヴィは飛び上がる。 そこには、いつの間にか、リコが立っていた。 いつもギャーギャーと賑やかなリコが、野生動物もかくや、完璧に気配を消して忍び寄り、全く感情を宿さない幽鬼のような表情でぬぼ〜っと背後に立っていたのだ。 「び、び、びっくりした! 幽霊かと思ったじゃないか」 たたらを踏みながら振り返ったレヴィは、異様にドキドキしている胸を押さえている。 そんなレヴィにかまうことなく、リコは無表情なまま彼のアメジストの瞳をまっすぐに見上げた。 「ねえ、ボス」 「な、何だよ」 ようやく動悸が収まってきたレヴィは今度は無表情なリコに不気味なものを感じて眉根にしわを寄せる。 と、不意にリコが 「はい。あーん」 レヴィの口元にイチゴを突き出した。 「は?」 訝しみながらも、反射的に口を開いてイチゴを受け入れるレヴィ。 「何だ? 腐ったヤツじゃないだろうなァ」 「食べた後に聞いても遅いでしょ」 「まーな」 ゴクンと飲み込んでから、 (・・・何で、イチゴ??) いったい何だったんだとリコに視線をやれば、リコは再び無表情で黙り込んでしまっていた。 肩にかけていたタオルでわしわしと髪の毛を拭きながら、レヴィもリコにつられて立ち尽くす。 (な、何なんだ、コイツ) いったいどうしたんだと戸惑うレヴィの前で、次にリコは、 「とう!!」 突然、体をぐらりと前のめりに傾けたかと思うと、その場で顔面から床へダイブ!! 「わ っ!!」 あまりにも脈絡なくコケたリコに、レヴィが激しくビビる。 が、そのまま見守るわけにもいかず、反射的に手を差し伸べてリコが床に倒れる前にその小さな体を抱き留めてやっていた。 「おっ前!! な、何なんだよ急にっ」 あまりにも唐突すぎるリコの挙動に、 一時は収まっていた動悸が再びレヴィの胸を苛む。 とりあえずはリコが顔面血だらけになることを避けられたことにほっと安堵する。 リコはというと、 「・・・・・」 レヴィの腕の中で、口をつぐんでいた。 自分の小さな体を抱き込んでくれている、温かい腕。 大好きなボスの温もり。 (あたしだって、サヤちゃんに負けてないもん) レヴィは、サヤと同じように自分が差し出したイチゴを食べてくれた。 転んだら抱きとめてもくれた。 きっとサヤを抱き留めた彼の腕も、こんな風に温かかった 否、熱かったに違いない。 この熱を、サヤも感じたのだろうか。 自分と同じように、突き放したくなるほどに熱いのに、離れてほしくないほど心地いいこの温もりを感じたのだろうか。 自分と、サヤ、どちらの方がこの温もりを熱く感じたのかは、分からない。 (でも、きっとあたしの方が ) リコは、そっレヴィの胸を両手で押し、彼から己の体を離した。 「ねぇ、ボス」 小さな声で、彼を呼ぶ。 そして、問う。視線は、足下に落としたまま。 「 あたしとサヤちゃん、どっちが好き?」 「は?」 不思議そうなレヴィの声が頭に降ってきた。 思い切ってリコは、視線を上げる。まっすぐ、レヴィのアメジストアイを見つめた。 「 」 レヴィは、僅かに目を瞠った。 自分を見上げる、リコの真剣な目に驚く。 それは、昔、 『ボス。シャオとあたしどっちが好きなの?』 と、ふくれっ面で訊ねてきたあの幼かった頃にはない熱が、今、リコの瞳には宿っている。 台詞はあの時と同じ、けれど、違う瞳。 (な、なんだ?) 何故? その理由は分からぬまま、レヴィはただたじろぐ。 「え。どっちって・・・」 「どっち?」 うろたえるレヴィとは反対に、静かに、しかし、有無を言わせぬ強さでリコが迫る。 困った末にレヴィが返したのは、あの日と同じ答えだった。 「どっちって、どっちもだよ」 「・・・またその答え」 分かっていたけれど、レヴィから自分が望む答えは返ってこない。 リコは思わず視線をレヴィから逸らす。 きっと今は落胆の色を隠しきれないだろうから。 「リコ・・・」 ふいっと視線を逸らしてしまったリコに、レヴィは自分の答えが間違っていたことに気づく。 けれど、あの日と同じ答えを返したのだ。 あの日は、 『はっきりしてよ !』 と頬を膨らませてはいたが、それでもこんな風にがっかりした様子は見せなかった。 あの日と同じ答えなのに、あの日とは違うリコ。 「な、何だよ、不満か? じゃあ 」 「やめてやめてやめて!!! やっぱり聞きたくな い!!」 「何だ、それ」 「って、今、ボス、一人じゃんけんで決めようとしたでしょ!!」 「公平にだな 」 「全ッッッ然、公平じゃない!!」 「す、すみませんでした」 リコの勢いに圧倒され、レヴィはしおらしく謝ってしまっていた。 ここまではいつも通り。けれど、リコはそれ以上レヴィに詰め寄ることはなかった。 「・・・・」 ここで黙り込んでしまうのが、いつものリコらしくない。 (そう言えば・・・) 先日も、こんなことがあった。 店の裏。そこで猫と遊んでいた時。あの時も、いつもとは様子の違うリコが、 『もしあたしが、ココからいなくなったら、どうする?』 真剣な瞳でこんなことを聞いてきた。 そして、小さな頃みたいに、甘えて抱きついてきたその小さな頭を撫でてやった。 「どうした、急に。また寂しくなったのか?」 カラカラと殊更に明るく笑いながら問うてみると、 「うん。寂しい」 静かな声で、そう返された。 「 」 レヴィはまた目を瞠る。 どうしていいものかと悩んだ挙げ句、そっと手を伸ばして、小さな頃そうしてやっていたように、この前そうしたように、リコの頭を撫でる。 「おいおい。どうして寂しいなんてことがあるんだよ。オレはいつだってここにいるし、みんないつだったお前のそばにいるじゃねーか」 けれど、リコから返ってきたのは、 「それでも、寂しいときはあるの。隣に居てくれたって、寂しいの」 そうして自分を見上げてきたリコの瞳は切なげ。そして、その表情がいやに大人びて見えて 。 「・・・・」 何と言ってやればリコが笑顔を取り戻してくれるのか、レヴィにはもう見当も付かない。 だから、ひたすら頭を撫でてやる。 明らかに戸惑っている、けれどひたすらに優しくて温かいレヴィの手の下で、リコは瞳を閉ざす。 雨の中から自分をEDENに救い出してくれた手。 感情を忘れた自分に、諦めることなく温もりを注いでくれた手。 熱くて、くすぐったくて、突き放したくて、でも自分のものだけにしてしまいたい手。 大好きな手。大好きな人。 「あたし 」 口を開いたのは、無意識のことだった。 「ん?」 何だと優しく促す彼の声が、口を噤むタイミングを失わせていた。 ピンク色の唇から零れる言葉を、もう自分では止められない。 「あたしね」 「うん」 開いた瞳でまっすぐにレヴィを見上げて、リコは告げる。 「あたし、ボスのこと 」 告げようとした。が、 「Noおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」 「おわっ! シャオ!?」 突然、バスルームに響き渡ったのは、シャオの大音声。 普段物静かな彼にこんなに大きな声が出せるとは知らなかった。 シャオは飛び上がって驚くレヴィの首根っこをつかむと、 「消えろ!!」 「はァ!?」 いつも店内から猫を放り出しているような仕草で、レヴィをぽいっと廊下に放り出す。 「おい、何だよ急に 」 「店に戻れ!!!」 何をするんだと喚くレヴィに一喝&蹴りを一発。 「何だよ、痛ってぇな」 ぶつぶつ言いながらも、レヴィは渋々店へと足を向ける。自分とリコとシャオまでがここにいるということは、店は無人になっているに違いない。 仕方なく階下への階段を下りていくレヴィの背中を横目で見送りながら、シャオは溜息をつく。 安堵の溜息。 (危なかった! 絶対リコの奴、今レヴィに告るつもりだったろ、コレ) 危機一髪、リコのカミングアウトを阻止したシャオ。 ここで今レヴィに告白をかまされてはたまらない。 (・・・止めたって、どうしようもないけどさ) 今、彼女を止めても、彼女のレヴィへの想いが止まるわけではないことは分かっている。分かっているけど、止められずにはいられなかった。 もしかしたら、あのまま告白していれば、リコには可哀相だが、彼女の恋はすんなりと終わってくれていたかもしれない。 けれど、もしかしたら もしかしたらレヴィがその想いを受け入れていたかもしれない。 可能性は、皆無ではない。 だから、どうしても止めたかった。大人げなくても、格好悪くても。 完全にレヴィの気配が消えてから、ハッと我に返ったのはリコだった。 「ちょ、ちょっと!! 何してくれちゃってるの、シャオ!」 自分でも、今思い返せば何故このタイミング!? と驚くばかりではあるが、それでも一世一代の大告白をかまそうとしていたリコは、闖入者=シャオに目をむく。 頬を真っ赤にして自分を睨んでいるリコに、シャオは小さな声で「すまん」と詫びる。 彼女は、本気だったのだ。本気で、レヴィに告白しようとしていたのに、自分の勝手でそれを止めた。 申し訳ない気持ちは、ある。けれど、後悔はしていない。 (意地悪ィな、俺・・) 彼女がレヴィのことを好きだということはイヤと言うほど分かっている。 けれど、自分だって彼女のことが好きなのだ。 リコがレヴィを想っているように、自分だってリコのことを想っている。 (いや、絶対俺の方が、好きだ) リコがレヴィに恋をするよりもずっと前から、自分はリコのことが好きだったのだ。 この想いの熱さは、苦しさは、切なさは、リコが抱えているものよりも絶対に大きい。 彼女のように、熱くて熱くて焦れったいこの想いを胸の内にとどめておけず、ついついこの唇から零してしまいそうになるくらいには、リコのことが好きだ。 誰にも、渡したくない 。 その想いは不意に溢れる。 「俺、俺、リコのこと 」 「わ ッッッッ!!!」 シャオのカミングアウトを阻止したのは、 「ウォンさん!?」 下でお茶を楽しんでいたはずのウォンだった。 突然、大音声とともにバスルームに突入してきたウォンに、リコが飛び上がる。 そんなリコの背中をぐいぐいと押しながら、 「さあさあさあ、看板娘のリコちゃんがフロアにいなくてどうするの!」 「え? う、うん」 ウォンはリコを追い出すことに成功する。 リコの足音が遠ざかって行くのを聞きながら、 シャオはがっくりと項垂れる。誰から見ても意味の分からないこのタイミングでの大告白を止めてもらって、有り難いような有り難くないような。 止めてくれたのがウォンだということで、有り難くなさのほうが勝ってしまっているようだった。 「 何だよ、ウォン」 これでもかと渋面を作って睨んでくるシャオに、ウォンが大仰に肩を竦めて見せる。 「ちょっと、君らしくないなー。何でこのタイミングで言おうとするの」 やはり問うまでもなく、今まさにシャオがリコに愛の告白をしようとしていたことに、ウォンは気づいていて阻止したらしい。 「・・お前には関係ないだろ」 と彼を突っぱねながらも、 (危ねー。このタイミングはナイよな) と自分でも思う。 思わず熱くなる頬を見られたくなくて、 「店、戻る」 言い残してさっさとその場を後にする。 バツが悪いのを隠すためだろうか、肩を怒らせながら歩いていくシャオの背を見送りながら、ウォンは小さく溜息。そして、 「コマに勝手に動いてもらっちゃ困るんだよね。次のコマは、君じゃあないんだから♪」 ふふふ♪ と実に楽しそうに笑った。 |