31 ☆君にオマジナイ


 カランカラン。


 客の居ないEDENのフロア内。ドアに吊したベルの音が響く。
 ドアを振り返ったのはカウンターに腰を下ろしていたサヤだった。その隣に、先ほどまであったレヴィの姿はない。
 たった今出掛けたところ。
 訪問者とすれ違ったに違いない。
「やあ♪」
 穏やかな笑みと共に現れたのは、お隣のドクター、ウォンだった。
「こんにちは。ウォンさん」
 サヤも笑みを返すと、ウォンは迷うことなく彼女の隣まで歩を進め、カウンター前に腰を下ろした。
「サヤちゃんしかいないの?」
「ええ。今、レヴィも出掛けたところなんです」
「うん。表で会ったよ」
 ウォンがスツールに腰を落ち着けると、代わりにサヤが「お茶でも淹れますね」と立ち上がって 厨房へと足を向けた。
 そんなサヤに「ありがとう」と礼を述べた後、ウォンはサヤに問いかけた。
「レヴィと、何話してたの?」
 するとサヤはくすっと笑って言った。
「恋バナです」
 その答えに、ウォンも笑う。
「レヴィとじゃ話にならないでしょ」
「うん」
 どうぞ、とお茶の注がれたグラスをカウンター越しにウォンの前に置き、サヤは、でも、と付け加えて言った。
「ちょっとは分かってもらえたかな」
「それは大したもんだ!」
「そんなことないですよ」
 凄い! と手を叩くウォンに、そんな大げさな、とサヤが笑う。
 そんなサヤに、ウォンが「いやいや、凄いよ」と、再度繰り返す。
「今までそんな色っぽいことをレヴィに教えてくれる人がいなかったからね。これからも教えてあげてよ」
「でも、レヴィってファン多いのに」
 彼の容姿は多くの人を惹き付ける。現に、EDENを訪れる女性客の大半がレヴィのファンだと言っても過言ではない。
 同様に女の子から好意を寄せられているシャオの告白シーンを目撃したこともあり、 望むと望まざるとに関わらず、レヴィも女性客から愛の告白をされ続けてきたのではないだろうか。
 そんなサヤの想像を、ウォンが首を振って否定する。
「レヴィ、ファンは多いけど、アタックがないんだよ」
 何故? と首を傾げるサヤに、ウォンが茶目っ気たっぷりに笑いながら言った。
「王子様はみんなのモノ協定ができてるからね」
「何ソレ」
 思わず吹き出したサヤに、ウォンも笑う。
「でも、ホントなんだよ。みんながアタックしてくれれば、 レヴィももっと若者らしく青春をエンジョイできてたかもしれないのにね」
 大げさに肩を竦めるウォンの仕草に、サヤは思わず笑ってしまっていた。
 くすくすと笑い続けているサヤを、ウォンが優しい瞳で見つめている。
 そんなウォンの視線に気付いたのか、笑いすぎて目尻に滲んだ涙を指先で拭いながら、 カウンター内から、ウォンの隣へとサヤは位置を変えた。
 そして、小さく溜息を零しながら言った。
「とっくにみんなの特別な人なのに、どうして気付かないんですかね、レヴィは」
 サヤの問いに、「う ん」と唸った後、ウォンは呟くようにして言った。
「・・・気付いていない振りをしてるのかもね、レヴィは」
 その言葉に、サヤは気付く。
「ウォンさんも知ってるんですか?」
 レヴィが特別を作らない 作れない理由を。
「お兄さんのコト?」
「知ってるんですね」
「まあ、今はお兄さん代わりだからね、僕。あの子も、いろいろ大変な目に遭ってるんだよ。 だから、特別を作るのが怖いんだ」
 ウォンはずれた眼鏡を人差し指で押し上げながら、薄く笑って言った。
 きっとレヴィの兄代わりのウォンは、自分が知らされたことよりももっと多くを知っているのだろう。
 表情を曇らせたサヤに気づき、ウォンはにっこり微笑んで見せた。
 君がそんな顔をすることはないんだ、と。
「まあ、こんなご時世、何もない幸せな人生を送ってる人の方が少ないんだろうけど。 こんなFall cityではね」
「・・はい」
 多くを語らないが、このドクターも平穏に生きてきたわけではないのだろうし、 そもそも血の繋がりの一切無いこのEDENの住人たちも、このEDENに来るまでの人生はきっと 辛いことも多かったに違いない。もしかしたら、このEDENに拾われてきてからも、 辛いことは多かったのかも知れない。
 Fall cityに住むのは、そんな人たちばかり。
 押し黙ってしまったサヤに、殊更明るくウォンは言った。
「でもね、サヤちゃん。だからこそ、こんなcityででも、幸せになって欲しいんだ。過去はどうであれ、今から、ね」
「はい」
 ぽんぽん、と励ますように肩を叩かれ、サヤは笑みを戻し、頷く。
 そんな彼女に、ウォンは微笑みを向けたまま言った。
「勿論、サヤちゃんにも、だよ」
「え?」
 驚きに目を瞠っているサヤに、ウォンは繰り返す。
「サヤちゃんも幸せになって欲しいと思っているんだよ、お兄さんは♪」
 言って、茶目っ気たっぷりにウインクをしたウォンに、サヤは微笑みを零しながら、
「ありがとうございます」
と告げる。
 そんな彼女に、ウォンは問うた。
「サヤちゃんの幸せは?」
「私の、幸せ?」
「どうなれば、サヤちゃんは幸せ?」
 それは、難しい問い。
「・・・・」
 何がどうなることが、自分に幸せをもたらしてくれるのか。それは、問われても分からないことだった。
 むしろ、教えて欲しいくらい。
 答えを見つけ出せそうにないサヤの横顔を見遣りながら、ウォンはサヤが淹れてくれたお茶を口にする。
「好きな人に振り向いてもらえたら、幸せ?」
 そっと投げかけられた問いに、サヤは苦笑いを返した。
もう、シャオさんのことは諦めたから」
 ウォンには、自分がシャオに淡い想いを抱いていたことを告げていた。
 もう、彼のことはいいのだと答えたサヤに、ウォンはゆっくりと首を左右に振った。
「違うよ。新しい恋の方」
新しい、恋?」
 きょとんと目を瞠るサヤに、ウォンは「あれ?」と小首を傾げる。
「違う? まだだったかな?」
「・・・・」
 てっきり他に好きな人が出来た頃かな、と思って♪ なんて言って意地悪く笑うウォンに、サヤは口を噤む。
 改めて問われると、どうなのだろうか。
 シャオへの恋が叶わないと気付かされてから、熱を帯び始めていた心は、しゅんと元気をなくしてしまっていた。
 そして今、この胸をときめかせるのは
 チラリと瞼裏まなうらに閃いたのは、キラキラと眩い金。
 それが何の色彩なのか答えを出す前に、ウォンが意地悪な問いを打ち切った。
「では、サヤちゃんにステキなおまじないをしてあげよう♪」
「おまじない??」
 きょとんと首を傾げるサヤに、ウォンは大きく首を縦に振って見せる。
「うん。サヤちゃんのこれからの恋が実るおまじない♪」
 にっこりと笑いながら、ウォンは徐にポケットに手を突っ込み、そこからとあるおまじないグッズを取り出した。
 そんな彼の背中では、ユラユラと黒い尻尾が揺れていることに、サヤは気付かなかった。


 カランカランカラン。


 サヤに“おまじない”を施したウォンを吐き出したドアが、すぐさま再び人の訪問を告げるベルを鳴らした。
 ぼうっとしていたサヤは、その音にはっと我に返り、ドアを振り返る。
 そこには、買い物袋を提げたシャオが立っていた。
「どうした、驚いた顔して」
 両手に提げた荷物を厨房へと運びながら、目を瞬かせているサヤにシャオが笑いながら問う。
「あ、何でもないんです。いつの間にウォンさん帰っちゃったのかと思って」
 シャオが入って来て初めて、サヤは自分の隣からウォンの姿がなくなっていることに気付いた。
 いったいいつの間に出て行ってしまったのだろうか。
 しきりに首を傾げているサヤに、シャオが告げる。
「ウォンなら、俺と入れ違いで出て行ったぞ」
「あ、そうだったの? 私ったら、ぼーっとしてたみたいで」
 でも、どうして気付かなかったのだろうと未だに首を捻っているサヤに、シャオもつられるようにして首を捻った。
「二人だったのか?」
 厨房から声だけで問うと、シャオにも届くように僅かに声を上げてサヤが答えた。
「そう。でも、いつ出て行ったのか気付かなかった・・」
「ふーん」
 彼女がぼうっとしているなんて、珍しい。
 買ってきた食材を厨房の冷蔵庫に移し終えたシャオがフロアに戻ると、サヤは未だに納得のいかない 顔でカウンターに頬杖をついていた。
「それより、ウォンと二人っきりだったんだろ? セクハラされなかったか?」
 ぼうっとしていたことより、そっちの方が気になる。
 と、冗談なのか本気なのか、真顔のままで問うてくるシャオに、サヤはくすくすと笑いながら答える。
「大丈夫です。ウォンさんには、おまじないをしてもらったんです」
「おまじない?」
「はい。幸せになれるおまじない」
 言ってサヤはふんわりと、それこそ幸せそうに微笑んだ。
「そうか」
「はい」
 そうして、部屋に戻りますと断り、階段を上っていくサヤの後ろ姿に、シャオは首を捻る。
 足取りが軽い。ついでに鼻歌まで聞こえてくる。
「・・・いったい何しやがったんだ、ウォンの野郎」
 サヤがご機嫌であることは良い。とても良い。文句は一切ない。
 先日、自分の心ない一言で涙を零していたあの泣き顔を思えば、ああして幸せそうに微笑んでいてほしいと心から思う。
 けれど、それがあの変態ドクターウォンから施されたという、おまじないによるものだと思うと、 ついつい眉間に二筋も三筋も縦皺を刻んでしまう。
 そして、
「おまじない・・」
 自分で勝手に漢字に変換しておいて、シャオはぞくっと悪寒に身を震わせる。
 漢字にすると、本当に怖い。それを施したのがウォンとなると、どうしても “おまじない”よりも“お呪い”の方が適確であるような気がしてしまう。
 そうやってついついウォンが絡むと胸中に不安が渦巻くのは、致し方のないこと。
 幼い頃からウォンからとんでもない可愛がられ方をしたがために、こうして何でもかんでも疑ってかかることが 自分を守ることになるのだと身を持って知ってしまっている。それゆえの疑心。
 未だ素直で幼かったシャオにいたずらを仕掛けては、それによって窮地に陥っていく シャオを見ては、心の底から楽しんでいたウォン。
 疑うなと言う方が無理な話なのだ。
 が、
「・・・考えすぎだ」
 すっかり疑い深くなってしまっている自分に呆れながら、そう己に言い聞かせる。
 疑心を追い払うように、明日の開店準備を始めるシャオだった。







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