30 ☆マリアの微笑み


 本日、cafe EDENは定休日。
 空は快晴。Silvery cityを真上から照らす太陽は橙。休日にしては満点。
 EDENの住人たちも、思い思いに休日を過ごしていた。
 その内の一人、レヴィも昼を過ぎた頃に寝床からのろのろと起き上がり、今はフロアの中。カウンター席に腰を下ろし、何をするでもなく過ごしていた。
 そこへ、カランカランと、店の入口に吊した鐘がドアの開閉を知らせた。が、常には軽やかな音を奏でるはずの鐘が、乱暴すぎるドアの開閉にガラガランと濁った音をフロアに響かせた。
 慌ただしく誰かが帰ってきたらしい。いったい誰だと振り返ると、開いたドアの向こうから凄まじい形相のサヤがフロアへと飛び込んできたところだった。
 息を切らし、肩を大きく上下させながら後ろ手に入口のドアをバタンと乱暴に閉ざしたサヤに、レヴィは面食らう。
「お、お帰り
「はぁ、はぁ、はぁ。た、ただいま」
 買い物から猛ダッシュで帰ってきたらしいサヤが、額に浮かんだ汗を手の甲で拭っている。
「ど、どうしたんだよ。そんなマッハで
 うら若い乙女が猛ダッシュをかましているシーンに遭遇することなど、日常生活の中でそうそうあるものではない。
 何がそうさせるのかとレヴィが問うと、サヤは
「ちょっと、ね」
 苦笑いとともに、曖昧な答えを返してきた。
 その様子に一瞬首を捻ったレヴィだったが、すぐに思い当たる。
「あ、あの男か!?」
 レヴィは渋面を浮かべた。
 レヴィが思い出しのは、サヤが以前務めていた菓子店MARGARETの息子。 サヤのことが大好きで、けれど小気味良いほど見事にフラれてしまった可哀想な男だ。 それだけなら同情に値する。けれど、彼は菓子店の息子であることを笠に、サヤに解雇をちらつかせて交際を迫る同情に値しない男だった。
 偶然会ったのか、待ち伏せされていたのかは分からないが、おそらくアイツに追い回されたに違いない。
 レヴィの思った通り、サヤは頷きはしなかったものの、否定することもなかった。
「大丈夫。まいたから」
 私、結構足早いの、と言って笑って見せたサヤだったが、レヴィは渋面を崩さぬままだった。
「まだ諦めてないのかよ、アイツ。よし、もう一回脅しにいくかな」
 言って早速スツールから立ち上がったレヴィを、サヤが「いいのよ」となだめる。
「もう、ほっといたらいいのよ、あの人は」
「良くねーよ。買い物に出かける度に追い回されてたんじゃたまんねーじゃん」
「まあ、そうだけど。会ったらレヴィの気分が悪くなるわ」
 良いから、と再度サヤからなだめられ、レヴィは浮かした腰をスツールに落ち着けた。 完全に納得したわけではないようだったが、サヤの制止を振り切ってまであの男に釘を刺しに行くつもりはないようだった。
 その代わりに、
「今度出かけるときは、言えよ。ついて行く」
 隣に自分が居れば、あの男も寄っては来ないだろうから、と。
「ありがとう」
 レヴィの言葉にサヤはようやく苦笑をその面から落とし、素直に笑った。
 疲れたー、と手にした荷物をカウンターの上に置き、自分の隣に腰を下ろしたサヤを見遣りながら、レヴィはポツリと呟く。
「・・・分っかんねーなー」
「何が?」
 きょとんと目を瞠るサヤに、レヴィは視線をサヤから外し、カウンターに頬杖をつきながら言った。
「アイツ、サヤのこと、好きなんだろ? なのに何でこんな困らせるようなことするわけ?」
 サヤを好きで好きで仕方がないのだろう。その気持ちはステキだと思う。 彼女から拒まれてもなお、好きでいられる強さも認めてやってもいい。 けれど、その一方的なだけの想いのままにサヤを追いかけたり、ひどい言葉を浴びせたり、そんな気持ちは一つも理解ができない。
 分かんねー、と再度呟くレヴィの横顔を見つめながら、サヤは苦笑混じりに言った。
「うーん。あんなヤツの味方をしてやるわけじゃないんだけど、私は、ちょっと分かるかも」
「マジ??」
「諦められないくらい好きだったら、私も意地悪言ったり、付きまとったり、迷惑かけちゃうかも」
「・・・ふーん。そっか」
 恥ずかしいけどね、と付け加えて笑ったサヤに、レヴィも笑みを返したものの、納得はできなかった。
 サヤは、自分もあの男のように、好きだからこそその人に迷惑をかけてしまうかもしれないと言ったけれど、彼女はそうではなかった。
 サヤはシャオに惹かれていると言った。その想いが叶わなかったことも知っている。
 その状況は、あの男と何ら変わりはないものだ。けれど、彼女はシャオに迷惑をかけなかった。 それは、彼女があの男と違って、分別があるからで。 だから、きっとサヤはどんなに相手のことが好きで好きで仕方がなくて、でもその想いが叶わなかったその時でも、 きっと一人で泣いて、諦めるのだろうと思った。誰にも迷惑をかけることなく。
 そのことは、分かった。
 でも、分からない。
(迷惑をかけてしまうほど、好きで好きでどうしようもない、なんて気持ち、オレには分からないんだよな・・・)
 もしかしたらそんな自分には、あの男に対して文句を言う資格がそもそもないのかもしれない。
 だって自分には、特別な人がいない。
 作りたいとも思えない。
 特別な人を作れば、特別にその分余計に傷付くし、誰かの特別になれば、その所為で余計に傷付く人が生まれる。
 不意に、サヤがレヴィに問いかけた。
 その問いは、まるでレヴィの心中を見透かしたかのようなもので、レヴィは一瞬目を瞠ることになる。
「ねぇ、レヴィは、好きな人いないの?」
え?」
「好きな人」
 どうなの? と問われて、レヴィは迷うことなく首を縦に振って見せた。
「いる」
「え!? ウソ!?」
 その答えはサヤにとって意外なものだったらしく、彼女は驚きに思わずスツールから足を滑らせながらレヴィを仰ぐ。
 サヤのそのリアクションに苦笑しながら、レヴィは続けた。
「オレにだっているって、好きな人くらい。だって、サヤも好きだ」
「え///////」
 アメジストの瞳に正面から見つめられ、「好き」という真っ直ぐな言葉を告げられたサヤは、思わず頬を染めた。が、
「って、も??」
「うん」
 しれっと頷き、レヴィは言った。
「シャオもウォンもリコも、みんな好きだ」
 レヴィのその答えに、サヤは思わずスツールから浮かせてしまっていた腰を下ろしながら、苦笑する。
「レヴィ、それって
 サヤの言葉の先を引き受けたのは、レヴィ自身だった。
「違うんだろ。この好きとは」
 視線をカウンターに落としながら言ったレヴィに、サヤは僅かに驚く。
(なんだ。分かってるんだ)
 リコから向けられている限りなく分かりやすい好意にもてんで気付かず、彼自身恋愛とは全く関係ないところで生きていたので、てっきり、
「恋愛の好きと友情の好きの違いってナニ??」
と、サラッとほざくタイプなのだろうと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
 自分が同居人たちに抱いている“好き”と、サヤが言った“好き”の違いは分かっていたらしい。
 そのことを意外だと感心していると、レヴィが視線をカウンターに落としたまま言った。
「それは分かるんだ。でもなー・・いないんだよな、そういう風に好きに思える、特別な人って」
「・・・そっか」
 どうやらリコやシャオ、そしてきっと自分の恋愛事情に触発されたらしい。サヤが思うに、これまでの彼は、こんなことを考えたこともなかったに違いない。
 真剣に考え込んでしまっているレヴィの様子に、サヤは思わず笑みを零す。 うんうんと唸りながら考え込むレヴィの姿から一生懸命さが滲み出していて、彼には失礼だが、
(可愛いなぁ)
なんて思ってしまうサヤだった。
 そんな彼に、サヤは再度問う。
「ねえ、レヴィ。他には?」
「なに? 好きな人?」
「うん」
 他に好きな人はいないのかと問われ、レヴィは僅かな逡巡の後、一人の名を口にした。
ジェイ」
「・・・誰?」
 今までレヴィの口からも、EDENの住人の口からも聞かされたことのない名前に、サヤが首を傾げる。
 そんな彼女に、レヴィは答えた。その答えに、サヤが再び驚いて目を瞠るだろうことを想像しながら。
「・・・オレの、兄貴」
「え!? お兄さん、居たの??」
 案の定、大きく目を瞠ったサヤに、レヴィは小さく笑いながら頷いて見せた。
「そ。まあ、生きてるか分かんねーけど。ドタバタの中で別れちゃったから」
「知らなかったわ」
 びっくりした、と呟くサヤに、レヴィは笑う。
「オレもここに拾われる前は、メチャクチャなトコに住んでたからな。二人とも珍しい髪色だし、年が離れてたし、二人っきりだったし」
 Gg戦の集結から時間は十分に流れた。それでも未だ荒れたままのFall cityも多い。強い者が、弱い者を力で支配する。 そんな乱暴で、けれどごく単純、簡単なルールで成り立っているcityは、世界中に散らばったまま数多く存在する。
 そんなcityで、このEDENに来るまでの幼少期をレヴィは兄と二人で生きてきた。 周囲には頼る者もない。人種のくくりは無いに等しいFall city内で、けれど群れるには、肌色と髪色とが重要になる。
 Silvery cityでも珍しい彼の髪色。それは、過去に暮らしていたcityでも同じだったらしい。
「どうして、離ればなれになっちゃったの?」
「・・・オレが、助けてって言ったから
 強者に虐げられ、幼いレヴィには怖くて辛いばかりだったcityから逃げ出したくて、兄に助けを求めた。 弟を助けるために、兄はレヴィを連れてcityを飛び出した。
 そして、離ればなれになった。
「あ。あれ以降か・・・」
 何が、と、その先をレヴィは言わなかった。
 それは、サヤに聞かせるための台詞ではなかったらしく、それきり口を噤んでしまった。
 あれから ジェイと別れて以降、特別は作っていない。
 特別だったから、離ればなれになって、死ぬほど怖かった。
 特別だったから、自分のために傷付く兄の姿に、死にたいほど後悔した。
 特別でなんてなければ、こんな思いをしなかったのかもしれない。
(トラウマってんのかなー。けっこう繊細じゃん、オレ)
 ふっと、笑いが零れた。 そうして軽口にしないと、思い出すのも辛いらしい。
 助けてと言って、死ぬほど後悔した。けれど、助けてと言わなければ、今はなかった。 あのcityで腐ったまま生きていたか、あっけなく死んでしまっていたか、そんな未来しかなかったことに比べれば、 今生きているこの世界は幸せで、死ぬほどの後悔も辛うじてその姿を潜めてくれる。
 それでも、傷付いた兄がどうなったのかを思うと、引き裂かれそうに胸が痛む。
「お兄さんの居場所、分からないんだ?」
 黙り込んでしまったレヴィを驚かせないようサヤがそっと問うと、小さくレヴィは頷いた。
「うん。だから、待ってんの、ココで。珍しいだろ、この色」
 そう言ってちょいと指先でつまんだのは、己の金糸の髪。
「探してくれるの、待ってんの」
 珍しい髪色、瞳。その容姿の噂を聞きつけて、兄が自分を探し出してくれるのを待っている、と。
「・・・自分で探しに行かないの?」
 遠慮がちに寄越された問いに、レヴィは一瞬口を噤む。そして、視線を落とし、ポツリと答えた。
怖ェじゃん」
「え?」
「だって、怖ェじゃん。頑張って探し出してさ、お前なんかと二度と会いたくなかったのに、なんて言われたら、最悪じゃん」
 レヴィは自嘲気味に笑って言った。
 そんなレヴィに、サヤは即座に「そんなことない」と、首を左右に振る。
「そんなこと、お兄さんが言うはずないわ」
 ジェイは特別。
 離ればなれになった今でも、それは変わらない。
 だからこそ、怖い。
 特別な人だからこそ、与えられる言葉の影響力は大きい。
 憎まれているのだと言われたら
 そんな風に思うだけで、怖くて仕方がない。だから、会いに行くことはできない。待つことしかできない。 もしも、探し出してくれたのならば、憎まれていないのだという証。
 それが、受け身になる理由。
「大丈夫よ、レヴィ。二人っきりの兄弟なんだから」
 サヤのフォローに、レヴィは一層笑みに自嘲の色を濃くした。
「だってさ、オレが我慢してたら離ればなれにならなかったんだ。どんなに最悪な環境でも、オレが我慢してれば ジェイが傷付くコトなんてなかったんだ。オレが我慢したら良かったんだ。オレなんて助けようとしなければジェイは ・・」
 一気に吐き出したレヴィは、己を落ち着けるためにか、深い溜息を零した。
 正直、自分でも驚いた。
 兄のことを口にしたのが久しぶりだったためか、簡単に平静が壊れた。
 もう薄れていると思っていた、あの日の思い出。 けれど、己の胸を、痛みを伴うほどの激しさでもって掻き乱す後悔の情は、その姿を少しも変えてはいなかったらしい。
 長い年月を経て、ようやく“今には変えられない”と思えるようになった。
 それでも、“今”を得るために発したあの言葉に対する後悔は、やはり死にたくなるほどのもの。
 もう一度あのシーンに返ることができるとしたら、ジェイに言うだろうか。
「助けて」
と、言えるだろうか。
“今”を得るためだとしても もう、言えないかもしれない。
 常には明るい色を宿しているアメジストの美しい瞳を曇らせているレヴィの横顔を痛ましげに見つめながら、サヤは口を開いた。
「お兄さんにとって、レヴィは、特別だったのね」
 優しい声音に、レヴィの瞳がサヤに移る。そして、僅かに笑みが返ってきた。
「・・・オレにとっても、ジェイは特別だよ」
 たった一人の家族。
 間違いなく、彼は特別。
だから、怖い」
 特別な人を失った恐怖を知っているから。
 今度あんな思いをしたら、くじけてしまうかもしれない。今みたいに笑えなくなるかも知れない。
  自信がない。
「特別なんていらない。オレは弱虫だから、もう特別なんていらないし、特別にならなくていいんだ」
 そうして浮かべたレヴィの笑みは、いつも彼が浮かべている快活なもので、その笑みと台詞とのギャップに、サヤは寂しげにレヴィを見つめ返して言った。
「そんなの、寂しいわ。レヴィ」
「寂しくなんてない。オレはみんなのこと好きだし、みんなもオレのこと好きでいてくれる。だから、寂しくないし、良いんだよ」
 わざわざ特別な存在を作って、余計に傷付かなくて良い。
 誰かの特別な存在になって、誰かを余計に傷付けなくて良い。
 みんな同じ好き、これで十分なのだと。
 そう言って笑うレヴィに、それ以上サヤは問いを重ねることはしなかった。
 いつも、何も悩みなんてないのだという顔で、あっけらかんと笑っているレヴィが思いがけず見せた弱い部分は、サヤを驚かせた。
 そして、そんな彼を、愛おしく思う。まるで子供のように頑なに強い愛情を拒む彼に、教えてあげたい、とそう思った。
 辛いことも多いけれど、それでも人を愛するという、ステキな感情を。
(母性本能、かな)
 店を訪れるマダムたちがレヴィに惹かれる理由がきっとコレだろう。常に明るく笑っている少年が不意に垣間見せる弱さが、 「お姉さんが守ってあげるわ」とマダムたちに思わせるのだろう。
 なるほどと一人納得しながら、サヤはそっとレヴィの腕に手を触れさせて言った。
「お兄さん、来てくれたら良いわね」
「おう」
 優しく告げると、レヴィが視線を上げ、笑みを返してくれた。
 そんな彼にサヤも笑みを返し、付け加える。
「そうしたらレヴィも、特別な人を作れるかもね」
 するとレヴィは、僅かに首を捻りながら問うてきた。
「そんなに、誰かを特別に想うって、イイわけ?」
 そんなレヴィに頷いて見せ、サヤはまるで小さな子供に言い聞かせるようにゆっくりと、彼に言った。
「ええ、いいわ。確かにレヴィが言うように、特別だから余計に傷付いたり、傷つけちゃったりすることもあるけど、 それでも、特別な存在が居るだけで守りたくて頑張れるし、傷付けたくなくて優しくなれる。 人を愛するって暖かいことよ。愛されることは、もっと暖かいの。レヴィにも知って欲しいな」

 そう言ってサヤが浮かべた笑みの優しさに、レヴィはそれ以上疑問を口にすることなく、唇を引き結んでいた。
 きっと、そうなのだろう。と、思わせる笑みだった。それは自分と同じ年とは思えないほど穏やかで優しくて、大人びている微笑み。
 母親が子供を思って浮かべる笑みに似ていた。
 その笑みのまま、サヤは続けた。
「私、レヴィのお兄さんに感謝するわ」
「え?」
 いったい何を、と目を丸くするレヴィに、サヤは言った。
「お兄さんがレヴィを助けてくれたおかげて、リコちゃんはここに居場所を見つけられた。私も、レヴィに助けてもらえた」
「・・・・」
 それは、死にたくなるほどの後悔を、和らげてくれる優しい言葉。
「助けて」
 と言ってしまった自分を慰めてくれる言葉。
 命をかけて自分を助けてくれた兄を讃えくれる言葉。
 じんわりと、温かく胸に染みる。
「私はレヴィが今ここに居てくれて嬉しいの。ありがとう、レヴィ。レヴィが嫌がっても、レヴィは私にとってもう特別よ」

 サヤから与えられるのは驚くばかりの台詞。
 自分を拾ってくれた母ですら、こんなに優しい言葉をかけてくれただろうか。
 あの人は、違った。
 目に見える優しさではなく、抱きしめてくれる強すぎる腕の感触や、からかうように小突いてくる手の強さでもって優しさを伝えてくるような人だった。
 あの人とは違ったサヤの優しさに、レヴィはただ驚くばかりだった。
「どう? ちょっとは温かくなった?」
 サヤが自分の心臓のあたりを押さえて問うてきた。
 人に特別に想われることは温かいのだと、彼女は言った。
 そして、彼女にとって自分はすでに特別なのだと告げてくれた。
 そうして、確認しろ、と告げるのだ。
 胸が温かくなったか、否か。
 否の答えを許さない真っ直ぐな瞳で。
「・・・・」
 サヤに、レヴィからの答えは返されなかった。代わりに、アメジストの瞳をまん丸にして自分を見つめ返してくる。
 そんなレヴィの様子が子供っぽくて、サヤは思わず笑いを漏らす。
「何きょとんとしてるの?」
 問われ、レヴィは我に返り、小さく頷いて言った。
「・・あ、うん。温かく、なった」
 歯切れの悪い様子で答え、「でも」と付け加える。
「でも、今までも、温かかったんだ」
 その言葉に、今度はサヤが目を瞠る番だった。
 サヤの優しい言葉に、胸が温かくなったのは事実。しかし、その温かさは、今初めて感じたものではないことにも気付いた。 これまでにも、この胸に温かさが染みることは何度もあった。
 このEDENでの生活には、温かいことがたくさんあったのだ。
 自分を拾ってくれた母。兄弟も同然に育ってきたシャオ。兄のように自分を見守ってくれていたウォン。 雨の中、拾われてきてくれたリコ。新たに家族になってくれたサヤ。
 彼らのいる、このEDENには、暖かい思い出がたくさん詰まっている。
 怖くて今まで気付こうとしなかっただけ、認めようとしなかっただけで、特別なものは既にたくさんあったのだ。
 それを、まるで母親のように優しく気付かせてくれたサヤ。
「サヤは、優しいな」
 思わず漏れたその言葉に、そんなことないわ、とかぶりを振るサヤに、レヴィはその面から憂いの色を追いやって、軽い調子で言葉を紡いだ。
「シャオなんて、この話したときなんて言ったと思う?」
「なんて言ったの??」
「何アホな心配してるんだ。誰だって、お前のニヘランとしたアホ面見たら、たとえ怒ってても、怒りだって何だって即座に失せるっての」
 あれは、いつの頃だったろうか。
 このEDENに拾われてきて、随分と経ったころ。母が病気だと知らされたころだったろうか。
 全てを話した後、シャオから寄越されたのは、そんなぶっきらぼうな言葉だった。
 そして、その後、やはりぶっきらぼうに頭を撫でられた。その掌は予想以上に優しくて、温かかったけれど。
「シャオさんらしいわ」
 ふふふ、とサヤは笑った。
「だろ」
「優しいのね」
 その言葉を、素直に頷いて認めてしまうのは恥ずかしすぎる。代わりに、
「ひねくれてるだろ」
なんて言ってみる。
 それこそ、素直じゃないレヴィにサヤは笑った。
「うん。でも、シャオさんにとっても、レヴィはきっと特別なのよ」
 返された思いがけない言葉に、レヴィは目を瞠る。
 確かに共に母に拾われ、この家でずっと一緒に暮らしてきたが、ただ、それだけだ。
「・・それはないだろ」
 笑いながら言うと、逆にサヤの方に不思議な顔をされた。
「どうして? 特別じゃなくちゃ、血の繋がりもないのに一緒に暮らすなんて出来ないわ」

 そんなものだろうか。
 今まで、お互いが特別な存在かどうかなんて考えたこともなかった。
 シャオの口から「お前は特別だ」なんて気持ち悪い台詞を聞いたことは勿論なかったし、 自分の口から「オレって特別?」なんて付き合いたてのカップルのような問いを発したことも勿論ない。
 思わずそんなシーンを思い浮かべてみて、「うぇ」と顔を顰めるレヴィに、 サヤが問いかけた。
「ねえ、嬉しい?」
 誰かに特別に思われることは嬉しいでしょう? と問いかけてくるサヤに、レヴィはしばしの沈黙の後、
「・・分かんねー」
 と答える。
 本当に分からないのか、それとも、照れているのか。
 そんなレヴィに、更に問いかける。
「でも、イヤじゃないでしょ?」
 嫌か嫌でないか、その二択で問われれば、
「・・・まあ、な」
 決して嫌ではないので、そう答える。
 するとサヤは、ふわりと優しい笑みをレヴィに向けて言った。
「恋をすれば、もっと幸せよ。もっと温かいの」
 そう言って微笑むサヤが本当に幸せそうで、レヴィはそれ以上「分からない」と、水を差すことはできなかった。
「ふーん。そっか」
 辛い恋を経験してもなお、誰かを特別に想うことに温かさを感じることの出来る心を持ったサヤ。
 彼女こそ、幸せになるべきだと、そう思う。
 そして、恋の温かさを知らないレヴィでも、思わず祈らずにはいられなかった。
 彼女を本当に特別に想ってくれる温かい恋が訪れますように。







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