月がSilvery cityを白銀に照らしている。
時刻は、日付を変えてすぐ。 cafe EDENも夜の闇の中で明かりを消し、住民たちもいつも通り眠りについているかと思われたが、本日ばかりはそうではなかった。 1階のフロアに明かりがある。店の入口から一番奥、そこのテーブルのキャンドルに、明かりが灯っていた。 そこに座っているのは、シャオ。 ラフな格好で椅子に腰を下ろし、ユラユラと触れるキャンドルの炎を見つめているその瞳にもう迷いの色はなかった。 最初から、心は決まっている。 揺れはしたものの、分かっている。自分は不器用だから、無理なのだと。リコへの想いを胸に秘めつつ、他の女の子に優しくするなんて器用な真似は、できない。 心は決まったのに、ついつい漏れるのは、 「はあ」 重い溜息。 「ごめん」 と、その答えを返した時、あの少女はどんな顔をするのだろうか。 それを考えると、胸が痛む。 ワッと泣き出してしまうのだろうか。「どうしてダメなの!?」と、必死で縋ってくるのだろうか。 もしもそうして問われたのなら、素直に言おう。 自分には、好きな人がいるのだと。 「そしたら、なんて言われるんだろうな・・・」 素直に、好きな人がいるから君とは付き合えないのだと答えたら、彼女はどんな言葉を口にするのだろうか。 知っていたら告白なんてしなかったのに、と彼女は後悔するのだろうか。 自分がそうだから。 リコがレヴィを好きだと知っているから、告白することができない 。 「・・・違うか」 リコがレヴィに想いを寄せていると知るその前から、愛を口にする勇気なんて、自分にはなかった。 「はぁ」 シャオが再度溜息を零したその時だった、 「おわっ」 フロアに短い叫び声が響く。 声を上げたのはシャオではなく、 「レヴィ」 何の用か、2階から下りてきたレヴィだった。 まさかフロアに人がいるとは思ってもみなかったらしい。キャンドルの頼りない明かりに照らされ、ぼんやりと暗闇に浮かび上がっていたシャオの顔にかなり驚いたらしく、階段を2、3段踏み外しながらフロアへと飛び込んできた。 「ビビった 。何だよ、まだ起きてんのか」 「ああ。お前こそ」 いつもは後ろで一つにくくっている金糸の髪が、今はサラサラと肩先で揺れている。 フロアに飛び込み、大きくたたらを踏んだ所為で乱れて頬にかかった髪を細い指で払っているレヴィに、 お前こそどうしたんだと問うと、 「喉渇いたから下りてきた」 という答えが返ってきた。 「そうか」 「おう」 どうやら飲み物を取りにきたらしい。 その言葉の通り、冷蔵庫へと向かうレヴィの姿が厨房の中に消えていった。 テーブルに頬杖をついてそれを見送ったシャオだったが、レヴィの姿が見えなくなってからも、視線を厨房に向けたままでいた。 彼が、羨ましくて仕方がない。 自分がどうしても手に入れられないものを手にしている男。 (俺はこんなに求めてるのにな・・) 欲しがってもいないのに、知らず手に入れてしまっている彼が、正直なところ、憎らしい。 「せめて、アイツでなければ、まだ良かったんだよ」 思わず、言葉にしてしまっていた本音。リコの思い人が彼でなければ、まだ自分は救われたのではないだろうか、と。 どこの馬の骨とも知れない男ならば、迷わず攫ってしまえていたかもしれない。 自分なんてどう背伸びをしたって敵わないような男であれば、迷うことなくこの想いを諦めることができたかもしれない。 けれど、リコが想うのは、レヴィ。 レヴィとは兄弟も同然に育ってきた。だからこそ、彼の良い所は嫌なほどよく分かっていて、アイツにならリコを任せてもいい、とも思うのだ。しかし、兄弟も同然に育ってきたからこそ、弟分である彼に好きな人を取られてしまうことは、ひどくプライドを傷付けられるものでもあった。 「・・・言ったって、仕方ないんだけどな」 分かっているけれど、ついつい零してしまっていた己の言葉に、シャオは苦笑し、厨房から視線をキャンドルへと戻した。 その唇から再び溜息が零れ落ちていた。 そんなシャオの目の前に、不意にグラスが差し出される。 視線を上げると、目の前にレヴィがいた。 てっきり渇いた喉を潤した後、そのまま部屋に戻るのだろうと思っていたレヴィが、自分の分と、シャオの分のグラスを持ってテーブルにやってきたのだ。 「ん」 目の前に差し出されたグラスを取らずにいると、焦れたように目の前のグラスを突きつけられる。 「ありがとう」 シャオは素直に礼を言ってグラスを受け取った。 そんなシャオの隣に、レヴィが腰を下ろす。 「何だよー。悩み事かー?」 氷の入ったグラスを揺らし、カラカラと軽快な音を楽しみつつ、軽い調子で問うレヴィ。こんな時間に一人フロアで考え込んでいる兄貴分のことが、どうしても気になって立ち去れなかったらしい。 悩みの種にお前も一枚かんでるんだよ、と心の中で毒づきつつも、自分を心配してくれているレヴィの気持ちを無下にすることもできず、彼の問いを無視することはやめたが、答えははぐらかす。 「・・・お子様なお前と違って、考えなきゃならないことが多いんだよ」 「何だよー、それ」 口を尖らせながら、けれど、どうやらシャオが自分に悩みを打ち明ける気のないことを悟ったのか、 レヴィはそれ以上の追及はせず、グラスを傾けて喉を潤した。 そんなレヴィにつられるようにして、シャオもグラスを満たす水に口をつける。 そうして初めて、自分も喉が渇いていたことに気付く。随分長い間、ここで一人、考え込んでいたらしい。 不意に、隣に座るレヴィが気になった。 グラスの水を早くも飲み干し、氷を口の中に放ってはガリガリと食べているレヴィに、シャオは声をかけた。 「・・・お前はさー」 「ん ?」 彼にも、聞いてみたくなった。 「お前だったら、どうする? 報われないって分かっている思いを貫くのと、報われないから諦めて、自分の思いとは別の道を行くの、どっちが正しいと思う?」 自分が欲しいものを手にしている彼の答えを聞いてみたくなったから。 しかし、レヴィから返ってきた答えは、 「分かんねー」 「早っ!」 お前全然考えてねーだろ、と思わず突っ込むシャオに、レヴィは「考えた考えた」と、また一つ氷を口の中に放り込みながら言った。 「でもさ、オレはシャオじゃねーから分かんねーよ」 その答えは、リコが返したものと同じ。 リコならどうするのだと問うたとき、彼女も同じ答えを返してきた。 (やっぱ、レヴィが拾ってきたからか・・・?) 彼女の人格形成に、彼が大きく関わっているのを感じる。それだけ彼が、リコにとって大きな存在なのだと思い知らされる瞬間でもある。 「お前だったら、どうするって聞いてるんだよ」 つい語気が強くなったことにシャオ自身気付いていたが、レヴィの方は気付いているのかいないのか、それまでと何ら変わることなくしれっと答えを寄越した。 「オレだったら、って答えることはできるけどさ、それはお前の答えにはなんねーよ。だから、聞いたって意味ないって」 ガリガリと氷を咀嚼し、口の中で溶かし切ったレヴィは初めて視線をシャオに向けた。 「選ぶのは最後には自分じゃなきゃダメだ。人に選んでもらったら絶対後悔するじゃん」 言って、にかっと笑った。 「・・・そうだな」 彼の言うとおりだった。 たとえばリコが、もしくはレヴィが、彼女の想いに応えるべきだと言ったら? はたまた、自分の想いを貫いて、彼女を拒むべきだと言ったら。 そうして人から与えられた道を選んだそのとき、自分はその答えに満足することは出来るだろうか。どちらの道を選んだとしても、己で考え抜き選びとった答えでなくては、自分は満足出来ないに違いない。後悔してしまうに違いない。 視線をテーブルに落とし考え込んでいると、不意にレヴィが「参考だけど」と小さく前置きをして口を開いた。 「でもまあ、オレだったら、貫くかな」 「・・・・・」 不意に与えられた答えに、シャオはレヴィを真っ直ぐに見つめる。 見つめ返してくるアメジストの双眸に、迷いの色はない。 「自分の思いに素直になってしたいことした方が気持ちイイじゃん。自分に素直になって行動して後悔する方が、自分の気持ち裏切ってあげく後悔するより何倍もイイと思わね−?」 そして、にかっと笑った。 眩しい笑みだった。 「 単純だな」 「うっせー」 「でも、賛成だ」 思わず、シャオも笑っていた。レヴィの笑みにつられてしまったのかもしれない。 難しく考え込んでしまっていたことが馬鹿らしくなってきた。 簡単だった。 そもそも、答えは最初から導き出されていたではないか。ただ、自分に素直になって、その答えを口にすることができなかっただけで。 「だろ♪」 また、レヴィは笑った。 自分の気持ちを殺して行動するよりも、自分の気持ちに素直になって行動した方が、失敗した時に後悔は少ないだろう、と。 そうして彼は自分に素直に生きてきたのだろう。 そんな彼にも、あるのだろうか。 「お前でも、後悔してること、あるのか?」 問うと、レヴィは笑みを僅かに曇らせた。 「 ある。自分がしたいからああしたけど、間違ってたのかも、って今でも思う。でも、ああしてなかったら、“今”はないから、良かったんだとも思う。後悔はしてるけど、“今”には変えられない」 自分の思うとおり、生きてきた。後悔は残るが、もしもあの時、自分の気持ちを殺してしまっていたら“今”はなかっただろう。そう思うと、後悔よりも“今”を生きていることへの喜びの方が勝る。だから、きっと間違っていなかったのだと思う。 いや、思いたい。 完全に笑みを消し手中のグラスへと視線を落としたレヴィの横顔に、シャオは視線を遣る。 普段から何も考えていないようで、けれど、彼なりに後悔を重ねながら生きてきたのだろう。このEDENにやってくるまでの短い間に。 「・・そうか」 「おう。だから、お前も自分で迷いに迷って、んで決めればいいんじゃねーの」 言って、面に再び笑みを戻したレヴィが、溶けて随分と小さくなった氷を、グラスから口の中へと放り込んだ。 つられるようにしてシャオもグラスの中の水を口内へと流し込むと、立ち上がる。 もう、随分と夜は更けている。 「よし、寝よう。悪かったな、付き合わせて」 レヴィの手にあるグラスを取り上げる。 「別にー」 気にするなと手を振るレヴィに笑みを返し、厨房へと足を向ける。 簡単にグラスを洗いフロアへ戻ると、律儀に自分の帰りを待っているレヴィがいた。 待たせたなと彼の肩を叩き、2階へと続く階段に足を向けた。 「ふぁあ」 隣を歩くレヴィが大きな欠伸を零す。 「眠いか」 「ああ。シャオは? 眠れそうか?」 目尻にたまった涙を拭いながら寄越された問いに、シャオは頷いて見せた。 「ああ、おかげさまでな。自分のしたいようにするよ」 「おう」 返された笑みに、シャオも笑みを返す。 (こいつみたいに、すっきり笑いたいもんだな) 明日の夜、レヴィのように後悔はないのだと、後悔しながらもそう言って辛うじてでも良い、笑えていれば、いい。 「おやすみ」 「おやすみ」 cityの夜が、静かに更けていく。 |