27 ☆アナザー ラブ



 空が僅かに闇をまとい始め、幻想的な色にその衣を変えるころ、Silvery cityの中央で人々に憩いの時を提供していたcafe EDENの店頭に、closedの看板がかけられる。
 それから後は、あっという間に太陽は地平線の向こうへと姿を隠し、月に地上を照らす役目を引き渡す。
 cityが夜へと落ちていく。
 EDENの店内からも人の姿が消え、中にいるのは4人の従業員かつ住民のみ。
「ふぅ」
 店の裏口から姿を現したシャオの手には、二つの大きなゴミ袋。
 閉店後の作業中であるため、常につけている膝丈のエプロンは外されていた。
 ドサッと大きな音を立ててゴミ袋を決められた場所へと落とし、両の掌からゴミを払い落としていたシャオの背に、声をかける者があった。
「あのっ、すみません!」
 店の裏に人がいるとは思っていなかったシャオが、突然背中にかけられた少女の声に驚いて振り返る。
 そこにいたのは、小柄な一人の少女だった。
 背丈はシャオの肩にも届かず、首を上げ、大きなブラウンの瞳でシャオを見つめている少女。
 黒色の髪は、肩をいくらか過ぎるくらいの長さで、毛先がふわふわと踊っていた。
「君は・・・」
 名前は知らない。けれど、その姿には見覚えがある。よくEDENに来てくれている少女だった。
 カウンターに座っている客以外とは言葉を交わすことのないシャオだったが、彼女の姿はよく覚えていた。カウンター席から一番遠いテーブル席に友人と、もしくは一人で座り、紅茶を飲んでいく少女だった。
 言葉を交わしたことはないけれども、その姿は覚えていた。
 なぜなら、その小柄な体型と大きなブラウンの瞳、髪色は違うけれど、ふわふわと揺れる髪が、リコによく似ていたから。
「わ、私、ロナと申します。突然すみません
 緊張しているのか大きな瞳を忙しく瞬かせながら、ロナと名乗った少女は早口に言ってペコリと頭を下げた。
「いや、良いけど・・」
 けれど、いったいどうしたんだろうと、僅かに首を傾げる。
 確か、今日も一人で来店してくれていたが、彼女が店を出たのは随分前のことだったように記憶している。
(・・・忘れ物か?)
 しかし、その答えをシャオは自ら撤回することとなる。
「あ、あの・・っ」
 体の前で堅く結んだ己の両手に視線を落としたままのロナが、口を開く。けれど、すぐに閉ざす。
 そして、震える吐息を吐き出す。
「・・・・」
 そんな女の子の姿を、シャオは何度か目の当たりにしたことがあった。
 いったい何故、といつも首を傾げたものだが、自分に対し愛を告げてくれる女の子が、これまでに幾人かいた。 ロナのその姿は、過去のそうした少女たちと全く同じものだったから。
 だから、急かすことなく、彼女の言葉を待つ。
 ギィ・・。
 すぐに戻るつもりだったので、開けたままにしていた裏口のドアが、風に押され軋んだ音を立て、 ロナの背後で頼りなく揺れた。
 その音に背を押されたのか、それとも彼女の心の中でちょうどこのときに決意が固まったのか、 再度息を吐き出した後、ついにロナが口を開いた。
 その瞳は、真っ直ぐにシャオを見つめて、小さな唇が、
「好きです」
 迷いのない言葉を紡ぐ。
 それまで伏せられていた瞳と、震えていた小さな手の頼りなさは、いったいどこに行ってしまったのか。
 その言葉をぶつけてくる少女の瞳は不安に揺れながら、それでも強い。

 シャオは、口をつぐむ。
 少女の口にした“好き”という言葉。
 それは、ずっとずっと、自分が言いたかった言葉。
 でも、言えなかった言葉。
(俺は・・・)
 リコが、好きだ。
 言いたくて、でも言えなくて、でもこの胸に抱え続けている言葉。
 口にするにはどうしても恐怖が拭いきれなくて、口にするには怖くて怖くて堪らない言葉。それを、
「ずっと、シャオさんが好きでした!」
 迷いのない強い瞳で言い募る少女が、今、目の前にいる。

 なんて、強いんだろう。この小さな体のどこに、こんな強さが秘められているのだろうか。
 自分の中からかき集めてもかき集めても、決して“好き”という言葉を押し出す量には 至らないちっぽけな勇気に比べて、彼女はどうだ。
(弱いな、俺は)
 そんな自分が恥ずかしくて、真っ直ぐな彼女の瞳から視線を外す。
 彼女は、黙って自分からの返事を待っていた。
「・・・・」
 それを感じているのに、なかなか言葉が出てこない。
 せめて視線だけは、彼女へと戻す。
 リコに似ている少女。年も、リコと同じくらいだろう。
(この子は、知ってるんだろうか・・?)
 自分には、別に想っている人がいることを。
(いや、知らないんだ)
 きっと、知らないから、言えるのだ。
 己の問いに、そう結論づける。
 自分だって、そうかもしれない。ロナのように、好きな人に、別に思い人がいることさえ知らなければ、 なけなしの勇気を振り絞って、こんな風に想いを伝えることができていたかもしれない。
 今は、知ってしまったから言えないだけ。
 そうして己の弱さを慰めようとしていることに、シャオは気付いているのかいないのか。
(今は、俺のことじゃなくて)
 ロナに答えなくてはならないと、慌てて己の思考を彼女へと切り替えて、
俺・・」
 言葉を紡ぐ。じっと緊張に耐えて己の返事を待っている少女に、答えを返すために。
「俺は
 けれど、言葉が、続かない。
 返す言葉は決まっている。
 だって、自分はリコが好きなのだから。

 それなのに、言葉が出てこない。
 彼女の強い瞳に気圧されてしまったのか。それとも、彼女の気持ちに応えようとしているのか。
(俺が好きなのは、リコだ)
 間違いなく、躊躇うことなく、そう答えることができる。
(好きだけど・・・)
 リコは振り向いてくれない。彼女が好きなのは、自分ではなく、レヴィ。
 叶わない恋。
 結末は、分かっている。
 レヴィを想いながら、リコが自分に応えてくれることはないだろう。 彼女がそういう少女だということは、6年間一緒に暮らしてきたシャオにはよく分かっていたから。
(もし、この子を好きになることができたら・・・)
 リコへの想いを諦めて、このか弱くて、けれど強い少女を愛することができたら、自分は幸せになれるのだろうか。 叶わない想いに縛られて、胸を掻きむしりたくなるような衝動に耐えなくても、よくなるのだろうか。
  流されそうな自分がいる。
 そのことに、シャオは戸惑いを隠せない。
 これまでは、どんなに女の子に強引に迫られても、全くなびくことのなかった気持ちが、 この小さな少女の“好き”というたった一言で、グラグラと大きく揺れている。
(・・弱ってるのか、俺?)
 リコがレヴィを想っているのだと気付いてしまった。 そのことで己の気持ちは弱くなってしまっているのかもしれない。
「俺・・・」
 どうしても、言葉が続かない。
 もう、何を答えたいのかすら、分からなくなってしまった。
 そんなシャオの気持ちに気付いたのか、それとも長すぎる沈黙に耐えかねたのか、ロナが口を開いた。
「明日、同じ時間にここに来ます」
「え?」
 いつの間にか俯けてしまっていた視線をロナに戻すと、彼女は不安に瞳を揺らしたままだったが、 それでも僅かに微笑を浮かべてシャオを見つめていた。 すぐに答えを返すことの出来ないシャオに、気にしないでと、そんな言葉を返しているようだった。
「明日、聞かせてください」
ああ。分かったよ」
 首を縦に振ったシャオに、
「ありがとうございます」
 そう言ってロナは頭を下げた。
 そして、名残惜しげにシャオを見つめた後、踵を返し表通りへとその姿を消していった。
 その小さな背中を見送り、
はあ」
 シャオは溜息を零す。
「ありがとうは、こっちの台詞だな」
 気持ちの整理をつける時間をくれた勇気ある少女に、礼を言わなくてはならないのは、自分の方。
 とりあえずは家に入ろうと、開いたままになっていた裏口のドアへと足を向けたところで、
「あっ、サヤちゃん! 後退後退!」
「え、きゃっ
 ガランガラン!
 何かがド派手にひっくり返る音。
「・・・
 おそらく、裏口に積んでいた缶類だろう。
 雪崩れたそれらを避けて裏口から飛び出してきたのは、
「ご、ごめん、シャオ!」
「ごめんなさい たまたまゴミを捨てようと思ったら
 顔の前で両手を合わせ、即座に詫びたリコと、その言葉の通り片手にゴミ袋を提げたサヤだった。
 おそらく、たまたまゴミ捨てに来たサヤが告白現場に鉢合わせになり立ち往生。 そこへリコがやってきて「ちょっと見てようよ」ということになったのだろう。
 一つ溜息を漏らした後、未だ「ごめんなさい!」と謝っている二人に、
「別にいい」
 と告げ、サヤの手からゴミ袋を引き受け、奥のゴミ捨て場に持って行く。
 そんなシャオの後ろ姿を見つめつつ、サヤがぽつりと呟いた。
「・・・シャオさんって、モテるのね」
「うん。結構告られてるのー」
「ふーん」
 クールな所がイイんだってー、と笑っているリコの隣で、サヤは黙ってシャオの姿を見つめ続けていた。
(クールだけど、優しい所があるから・・・)
 口数は少ない方で、黙って唇を引き結んでいる時には、怒っているのかと不安に思ってしまうけれど、 本当は優しい人なのだということはよく分かっている。
 初めて会ったときも、困っているところを助けてくれた。
 こうして何も言わずにゴミ袋を引き受けてくれるところも、優しい。
(みんなが惹かれる気持ち、分かるなー)
 知らず、サヤの唇から溜息がこぼれ落ちていた。
 その溜息に気付いたのは、リコ。隣に佇むサヤを見遣れば、
「・・・サヤちゃん?」
 驚くほど切ない瞳でシャオを見つめているサヤの姿があった。

 その姿は、リコにも気付かせた。
(サヤちゃんって、もしかして・・・!?)
 シャオのことが好きなのだろうか、と。
 自分のことを驚きの眼差しで見つめているリコに気付き、サヤは慌てて視線をシャオから外した。
「あ。何でもないの
「う、うん」
 切なさを脱ぎ去ったその面に、にっこりと笑みを浮かべたサヤに、リコは「そっか」と相づちを打ったけれど、
(何でもないって目じゃないよ
 というツッコミを諦めることは出来なかった。もちろん、心の中だけにとどめておいたが。
 ゴミを捨て、二人の元に戻ってきたシャオが歩みを止め、口を開いた。
「二人とも、全部見てたんだろ?」
 この二人の少女、特にリコが、
 あ。この雰囲気は・・
 お邪魔しちゃだめよね。お邪魔虫は退散退散
 などと気を遣うはずがない。
 逆に、
 ラッキ♪ こんな生告白シーンなかなかのぞけるモンじゃないってー 見なきゃ損損
 と、喜び勇んでその場に居座ったに違いない。
 案の定、二人は、
「「・・・・はい」」
 シャオには全てお見通しであるらしい。観念して素直に首を縦に振った。
 そんな二人に嘆息した後、シャオは更に問うた。
「二人なら、どうする?」
「え?」
「・・・・」
 瞳を瞬き訊ね返したのは、リコ。
 サヤは、押し黙る。
 二人なら、と問いながらも、シャオの瞳が見つめているのはリコだった。そのことに気付いているのは、サヤだけだったけれど。
「好きな人がいて でも、どうしても振り向いてもらえそうになくて。そんな時、自分を好きと言ってくれる人が現れたら?」
 それは、自分のこと。
 リコのことが大好きで、けれど、そのリコはレヴィのことが好き 。そんな時、もしも可愛い女の子が自分に好意を伝えてくれたら・・・?
 人の答えを奪おうというわけではない。
 ただ、聞いてみたかった。
 大好きなリコならば、いったいどんな答えを返すのか、ただ、聞いてみたかっただけ。
 けれど、リコから返されたのは、実に簡潔なものだった。
「分かんない。だってあたしはシャオじゃないんだもん」
 迷う間もなく返されてしまった。
「そっか」
 シャオは、苦笑する。
 リコから答えが返されず、ほっとしたような、がっかりしたような、複雑な胸中。
  叶わない恋を捨てて、新しい恋の方を取る。
 そんな答えが返ってきたならば、己のちっぽけな勇気を後押ししてくれたかもしれない。けれど、逆の答えだったら・・・?
 考えるのはやめにする。
 そして、別の問いを発してみる。
「じゃあ、もし自分の好きな人に別に好きな人がいるって知ってて、それでもいいからって、好きな人と付き合うことはできるか?」
 リコを想いながらあの少女の想いに応えることが良いことなのか、否か。
 そもそもあの少女はそれを許すのか。
 その問いに口を開いたのは、リコではなくサヤだった。それは答えではなく、
「逆に教えてください。付き合ってくれるのは、同情から? それとも妥協で?」

 真っ直ぐ強い瞳で己を射るサヤの瞳に、シャオは口を噤む。
 彼女の、ロナの想いを拒むことが可哀想だから?
 リコへの想いが叶わないから、彼女に似たロナと付き合う?
(そんなの・・・)
 そんな風に考えてはいなかったけれど、もしもロナにOKの答えを返すということは、そういうことになるのだろうか。
 押し黙り考え込んでしまったシャオに、サヤが告げた。
「私ならそんなの、どっちも願い下げです。そんな気持ちでOKされても嬉しくないから」
 瞳と同じ、強い言葉。
 己の迷いを 弱っている心を見透かし、軽蔑するかのようなサヤの強い言葉に、シャオは苦笑する。
「・・・そうだよな」
 そうして店内へと姿を消していくシャオ。しかし、このときだけはサヤの瞳がその姿を追うことはなかった。
「サヤちゃん、カッコイ
 毅然とシャオに言い放ったサヤに、リコは瞳を輝かせる。
 強い女の姿を目の当たりにして感動するリコに、けれどサヤの方はそうではなかったらしい。
「・・・・・」
 不意に伏せられたサヤの瞳に、切なさが戻ってきていた。
「サヤちゃん?」
 先ほどまでの強気な瞳はどこに行ってしまったのか。
 不思議そうに瞳を瞬くリコの耳に、サヤの小さな囁きが届く。
それでも、いいです。なんて、可愛いこと言えたら、良かったのかな」
 強がりなんて言わず、そして、想いを封じ込めて一人で諦める前に、言えば良かったのだろうか。
 私の他に好きな人がいてもいい。それでもいいから、私の想いに応えて欲しいの。
 そんな風に素直に気持ちを伝えることが出来れば、今は変わっていたのだろうか
 サヤの切ない台詞に、リコは躊躇いながらも、彼女に訊ねていた。
サヤちゃん、もしかしてシャオのこと・・・??」
 その問いを皆まで聞くことなく、サヤはリコの方に顔を向けた。
「やめて、リコちゃん。今はもう、何とも思ってないの」
 その言葉は、本気。けれど、その瞳に宿ったままの切なさも、本物。
「・・・そか」
 納得は出来なかったけれど、リコはそれ以上の追及をやめた。
 これ以上の問いは、サヤを傷つけてしまいそうな気がしたから。
「戻ろっか。そろそろご飯出来てるころよ」
 言って去っていくサヤを見送り、リコは小さく息を吐いた。
「・・サヤちゃんでも、そんな恋、するんだ」
 サヤは、とてもキレイだ。
 自分よりも大人で、しっかりしているし、女の子の自分から見ても非の打ち所がない。そんな彼女でも、あんなに切ない瞳をして、恋を諦めなくてはならない。そんなことがあるのか。
「あたしなら、なおさらムリじゃん・・」
 サヤでも諦めなくてはならない恋があるのならば、こんなちっぽけで幼い自分の恋なんて尚のこと叶わないのでは
 サヤの切ない瞳から伝染したのか、リコの口からも切ない溜息がこぼれ落ちていた。
 






★ back ★  ★ top ★  ★ next ★