24 ☆詐欺にご注意



 サヤへ、僕はイイ人だよ★ という概念を植え付けることに成功したウォンが最後に向かったのは、このEDEN最後の住人であり、EDENの若き経営者でもある青年―シャオの部屋だった。
 この一連の騒動で、密かに、けれど誰よりも傷付いているのではないかとウォンが予想を付けているシャオ。
 その心の傷たるやいかなるものかと、ウキウキ 否、心配しながらウォンはシャオの部屋のドアを小さくノックした。
 誰だと訝ったのだろうか、僅かな間を置いて、
「・・・何だ?」
 低い声がドアの向こうから問うた。
「僕だよ。ちょっといいかな?」
 素直に、ウォンだと名乗る。常日頃彼で遊んでいる自覚のあるウォンは、一瞬、名乗ってしまうとドアを開けてもらえないかもしれないと危ぶみはしたのだが、幸いなことに、ドアは難なく開かれていた。
「・・・何だよ」
 思いっきり不機嫌なシャオの渋面に出迎えられる。
「今、ちょっといいかな?」
 再度そう問うと、シャオはしばしウォンを見つめ逡巡した後、
「くだらないコト言ったら、ソッコーで追い出すからな」
 そう釘をさしてから、ウォンを部屋の中へと招き入れた。
 ありがとうとシャオに礼を述べ、勝手知ったる顔でシャオのベッドへと腰をおろしたウォンは、メガネの奥の瞳でそっとシャオの表情を窺う。
 シャオはイスに腰を下ろすと、「何のようだよ」とうろんげな瞳を向けてきた。その漆黒の瞳は、先程訪ねた二人のように涙に濡れているわけでもなく、ウォンが思った以上にしっかりとしていた。それを認め、意外と驚くよりも、「何だ、凹んでないのか」とガッカリする、人間として最低な感情の方が先にたった。
「いや、大丈夫かな、と思ってね」
「・・・別に、何ともない」
 その台詞が100%本心からのものでないことは、答えを返すまでの間、僅かに伏せられた瞳が物語っている。しかし、そのウソを、
「・・そう」
 ウォンは咎めることなく頷いていた。
 部屋に、沈黙が訪れる。
 その沈黙の間、ウォンはシャオの様子を探り、シャオはシャオで、ウォンが何のためにこの部屋に来たのかを考えているようだった。
 ウォンは、ずれたメガネを右手の人差し指でかけ直し、徐に口を開いた。
「案外、冷静だね」
 あれだけのことがあったのだ。もっと凹んでいたり、怒っていたり、冷静な状態ではないのではと期待 否、心配していた。しかし、シャオは冷静な様子でイスに腰掛けている。怒りをその面に滲ませることも、悲しみに涙を細めることもせず。強いて言うならば、色濃い疲労がシャオの表情を支配している。
 揶揄するでもなく、しごく真面目に寄越されたウォンからの言葉に、シャオは小さな溜息の後、多くを語ることなく、相槌だけで答えた。
「まあ、な」
「・・・怒っていないのかい? レヴィを」
 なかなか自分から全てを語ろうとしないシャオに、そう問いかける。
 その問いに答える前に、再度シャオは溜息を唇から落とした。
「あの時はホントにどうしてやろうかと思ったけど、今はもう怒っていない。アイツはアイツなりに、俺のことを思っての行動だったみたいだしな。結果は素敵に最悪だけどな・・・」
 言って、ははは、と乾いた笑いを洩らすシャオの言葉に、ウォンは眼鏡の奥の瞳を僅かに瞠っていた。
(へぇ。シャオくんも随分大人になったもんだ)
 それを、少し面白くない、と心の内だけで、けれど盛大に舌打ちをかます。
「そう。それを聞いて安心した。レヴィがかなり気にしていたからね」
 レヴィが気にしていたから来たんだよ、と暗ににおわせる台詞を口にするウォン。
 嘘八百。
 ただ自分が、シャオがどれだけ凹み悩んでいるかを確認しにきただけなのだ。その上で、これからEDENで誰をどう転がせば楽しくなるのか検討するために。
 しかし、何事かを考え込んでいるシャオがそれに気付くことはなかった。突然目線を伏せ、黙り込んだシャオだったが、意を決したのか、顔を上げ、ウォンへと視線を遣った。
あのさ、ウォン・・・」
 と、躊躇いがちに、切り出す。
 その言葉に、ウォンは「何だい?」とその先を促す。
「レヴィのやつ、さすがに気付いたよな」
 レヴィが、自分に対するリコの想いに気付いたのかどうか。
 彼が問いたいのは、それ。
 あまりにも分かり切っているので、
「何にだい?」
 と意地悪を言うこともなく、ウォンはシャオへと答えを差し出す。
「う ん。君にとっては、幸いにも、と言うべきなのかな。あの子はまだ気付いていないよ。リコちゃんが自分に恋していることを」
「そうか」
 その答えにシャオは、ほっと、安堵の溜息を洩らしたようだった。
 今回の騒動の原因はレヴィの鈍さにあるものの、そのおかげでリコのレヴィへの想いに、レヴィ自身が気付くことはなかったようだ。
 シャオは、レヴィが自分へのリコの想いを知ってしまうことを恐れていた。
 気付けば、レヴィの中でも何かが変わってしまうかも知れない。それが、恋という名のものに変わってしまうのではないかと、シャオは気が気ではない。
 だが、鈍チン大魔王のレヴィは、幸いにもリコの想いに気付いていないらしい。
 安堵と共に、チクリと胸に走った痛みに、シャオは眉をひそめる。
「俺にとってはラッキーだけど、リコにとっては・・・」
 あんなに泣いていた。
 自分の大好きな人に、別の男を好きになってはどうかと告げられて、リコは声を上げて泣いていた。ああして涙を流すほどに、リコはレヴィに恋しているのだと思い知らされた。
 しかし、レヴィはあんなに強い想いをぶつけられているにも関わらず、気付かない。気付かずに、傷付ける。
(あれじゃあ、リコが可哀想だ・・)
 ほっとする反面、愛する少女が涙を流している姿を思うと、胸が痛む。レヴィに話をつけてやろうかと思うほど、リコが涙を流し傷付く姿はシャオの胸を痛める。しかし、そうすることでリコは幸せになるかも知れないが、自分はどうだ。
 リコの幸せな姿を見て、リコが泣いているよりももっと己の胸は痛むのではないだろうか。
 レヴィが気付いていないことに安堵する気持ちと、気付いていないレヴィに苛立つ気持ち。その相反する二つの思いに表情を曇らせ、 顔を伏せるシャオに、ウォンが思案する様で眼鏡を指で押し上げる。
 幼い頃からよく知っているシャオの葛藤がどのようなものか、ウォンには手に取るように分かっていた。
「・・・君は、どうしたいんだい?」
「は?」
 唐突なウォンの問いに、シャオが訝しげに眉を寄せ、顔を上げる。
 シャオにとっては唐突な問いだったが、ウォンにとっては、そうではない。いつか聞いてやろうと思っていたことだった。
「リコちゃんに想いを告げたいのかい? それとも、このまま待っているつもりかい? リコちゃんの気持ちが自分に向くのを」
俺は、リコが幸せになるなら、それでいい」
 答えになっていない答えを、シャオは返す。
 自分がどうしたいかは、言わない。
 いや、きっと、言えない。
 ウォンが発した問いは、既に自分自身へ何度となく問いかけていたものだった。だが、答えが出たことは一度もない。
 勿論、リコが幸せになればいいと心の底から思っている。それは、一つの答えだ。けれど、彼女が誰と幸せになればいいと祈ればいいのか、そこが分からない。
 ウォンが問うたように、リコへ自分の想いを告げ、レヴィから自分へとリコを向けさせることもできる。もしもリコが自分を想ってくれるようになったなら、全身全霊を持って彼女を愛し、守り、幸せにするだろう。
 しかし、リコが今自分を愛して欲しいと望んでいるのは、自分ではなくレヴィ。レヴィがリコを愛することが、リコにとっては幸せなこと。
 けれど、レヴィは気付かない。
 それならば・・・
 けれど・・・
 そうして、一度は出した答えも、すぐにまた覆され、結局収まるのは、
(リコが幸せなら、俺はどうなってもいい)
 そんな、リコ任せの答え。自分がどうすればいいのか、どうしたいのか、肝心な答えは分からない。
「・・・君は、いいお兄ちゃんだね」
 昔から、レヴィを守り、リコを守り、彼らにとっていいお兄ちゃんであったシャオ。そのポジションから抜け出せないシャオ。リコにとって、お兄ちゃんではなく、別の存在になりたいのに。
「でも、違うでしょ」
 ウォンは、全て分かっている。
「ホントは、お兄ちゃんじゃなくで、別のポジションになりたいんじゃないの?」
・・・」
 見透かされている。
 その通りなので、シャオは何も言い返さない。ただ、黙す。黙した後に、言い訳のように弱々しい声で告げる。
「だけど、リコが望んでいるのは俺じゃない・・」
「だから諦めるの? 諦められるのかい?」

 そしてまた、シャオは黙す。
 そんな彼へと、ウォンは告げる。
「リコちゃんを幸せにしてあげられるのは何もレヴィだけじゃない。君がリコちりゃんのレヴィへの気持ちから攫って、幸せにしてあげることもできるんじゃないのかな」
 ウォンの真剣な瞳が、自分の横顔に注がれていることが分かる。その視線を痛いと感じる。しかし、ウォンから告げられるその言葉も、チクリと胸を突く。
「もしかしたら、その方がリコちゃんにとっては幸せなことなのかもしれないよ」
・・」
 シャオは、答えられない。
 ウォンも、今は無理に答えを引き出そうとは思っていない。だから、それ以上の問いをシャオへ向けることはなかった。
「・・・悪かったね。余計なお世話だったね」
 ポン、とシャオの肩に手を置き、立ち上がる。
 そのまま部屋を去っていくウォンの背を、シャオはチラリと見遣る。物言いたげに口を開いたものの、その背に声がかけられることはなかった。
 シャオの部屋を出たウォンは、後ろ手に扉を閉めるなり、
「ふふふ」
 笑った。
 先程までシャオに見せていた真剣は面持ちはドコヘヤラ。もしかして、仮面だったのですか? そう問いたくなるほどの豹変ぶり。真一文字に引き結んでいた口の端を、ニヤリと意地の悪い形に歪め、笑う。
「ふふふふふ。いい具合に、悩んでるねェ」
 何を言いたかったのかは分からないが、自分のことを天敵とまで呼び邪険にしているにもかかわらず、去り際の背に何かを告げようとしたシャオ。リコへの想いをリコには勿論のこと、レヴィにも、新しくここにやって来たばかりのサヤへも相談することが出来ず、ウォンに語ってしまいそうになるくらい煮詰まっているらしい。
「さァて、これからどうなるのかなァ♪」
 ワクワクワク
 鼻歌でも零しそうなほど晴れやかな顔をして、ウォンはもう一度だけ声に出して笑った。
 
 






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