23 ☆さあ、我を信じよ



 リコの部屋を後にしたウォンが向かった先は、
「サヤちゃん。ちょっといいかい?」
 サヤの部屋だった。
 呼びかける声に僅かの間を経た後、
「どうぞ」
 涙に濡れた鼻声で答えが返され、すぐさま扉が開かれた。
 部屋へと足を踏み入れたウォンは、勧められた椅子に「ありがとう」と腰を落ち着け、今の今まで泣いていたのか、赤く瞳を腫らしたサヤをチラリと見遣った。そして、気遣わしげに眉を寄せ、問う。
「泣いていたのかい?」
 優しい声音でのその問いに、僅かの逡巡の後、
「・・・はい。少し」
 薄弱ではあったが、健気にもその面に笑みを浮かべて見せながら、サヤは答えた。
 そんなサヤに、ウォンは一瞬瞳を伏せ、長い指を顎に当て、何事か考える素振りを示した後、徐に口を開いた。
「違ったらごめんね」
「何ですか?」
「君は、シャオのことが好きだったのかい?」
 ウォンは問うた。
 その問いへの答えは分かっている。密かにずっとEDENを覗き見し、錯綜する恋愛モヨウにほくそ笑んでいたウォンだ。知らないわけがない。それを隠し、先程のやり取りで感づいてしまったのだけれど、といった風を装う。
 そんなウォンの小芝居を、サヤは見破ることができなかった。
「・・・・。はい」
 正直に答えていいものか、否か。一瞬、迷うように瞳が揺れたが、サヤは素直に首を縦に振った。真っ直ぐに見つめてくるウォンの瞳の優しさに促されて。
 勿論、その瞳も彼の小芝居の内であるのだが。
「そうか。それは、辛かったね」
 ウォンからの労りの言葉に、サヤは視線を己の足下へと落とし、ぽつりと呟く。
「・・好き、なのかな?」
 呟き、再び視線をウォンへと戻す。その面には笑みが浮かべられている。しかし、その笑みは、彼女が言葉を重ねる毎に薄くなり、泣き顔へと変わっていくのだが。
「実は、まだそんな程度だったんです。だから、むしろ良かったです。もっともっと好きになっていたら、もっと傷付いてたでしょうから、今で良かったです」
 完全な泣き顔を面に貼り付けてしまうまえに、サヤは無理に笑みの形を作り、ウォンへと向けた。しかし、その瞳に滲んだ涙まで消すことはできなかったらしい。眦から零れ落ちることはなかったが。
 そんな彼女に、瞳を細め、ウォンは優しく言った。
「辛かったら、泣いていいんだよ? 無理に笑わなくていいんだ。笑うのは体にイイって言うけど、無理に笑うのは良くない。泣きたいときは泣くのが一番だ」
 細められた瞳は全てを包み込むかのように優しい。そして、彼の言葉通り、涙を零すことを許す瞳。大人の包容力でもって語りかけてくるウォンの言葉に、サヤは小さく頷いていた。
「はい」
 そして、静かに涙を零す。
 そんな彼女の肩を、驚かせないようにそっとウォンが撫で、サヤを労う。
「辛かったね」
 その言葉に、サヤは再び小さく頷く。
「それなのに、よくレヴィを庇うことができたね。君はとても優しい子だ」
 まるで子供をあやすような口調で、ウォンはサヤを慰める。その慰めに、サヤは首を左右に振った。彼の慰め自体を拒んだわけではない。その慰めの内容を、彼女は否定し首を振って言った。
「そんなこと、ないです。だって、レヴィの気持ちも、よく分かるから」
 サヤのその言葉に、ウォンは僅かに目を瞠る。
 シャオをリコとくっつける為に一肌脱いだレヴィ。サヤのシャオへの仄かな恋心を知っていたにもかかわらず、だ。しかも、それをサヤ本人に知られてしまった。どんなにかサヤが傷付いたかは想像に難くない。
「ヒドイ! 最低!! ボケ! ハゲ!!」
 と、思うさま彼を罵っても許されるはずだ。
 しかし彼女は、レヴィの気持ちも分かるから、と彼を庇う。
(んん〜??)
 一つ、二つ、疑問符がウォンの頭から飛び出していた。
 その疑問符を打ち消したのは、サヤだった。
「本当にレヴィはシャオさんを思ってのことだって分かってるから、いいんです。私を傷付けようとしてたわけじゃないし」
 黙ってサヤが語る言葉を聞き、シャオは彼女を見つめていた。次第にその面から泣き顔が消え、穏やかささえ生まれている様に目をパチクリとさせながら。
「それに、レヴィには助けてもらったり、この家に招いてくれたのもレヴィだし。色々相談に乗ってもらったりしてるから・・・何だか、憎めないんです」
 言って、彼女はうっすらと微笑んだ。
 その瞬間、
(はっは ん)
 きゅぴーん★ ウォンのラブアンテナが反応した。その瞬間、疑問符は霧散していた。
 彼女が、自分が傷付く原因を作ったレヴィを庇い、彼のことを語るその表情に こんなにも穏やかさを纏わせることが出来る理由は一つしかない。
 その答えを導き出した瞬間に、ウォンのテンションは急上昇。
 が、しかし、ここで「やっほほ い!!」と歓喜の雄叫びをあげては彼女を訪ねた目的を果たせない。ここは我慢である。喜びを押し殺し、穏やかな口調をキープしたまま、ウォンは徐に問うた。
「・・・・レヴィのこと、好きなのかい?」
 問うまでもなくコレしかない!!
 ウォンが自信満々に放った問いに、けれどサヤは、
「え? 好き ですけど・・」
 曖昧な返事。
 それへとウォンが食い下がる。
「LOVE? それとも、LIKE?」
 その問いに、サヤの瞳が激しく泳いだ。答えを探し求めるように忙しなく瞬かれた瞳は、ウォンを見つめ返すことなく、足下へと落ちた。
「それは ら、ライクだと・・」
 明瞭さのない答えだった。けれど、
「そっか」
 その答えで、ウォンは満足したようだった。
 満足も満足。大満足だ。彼の心中やいかに、と覗いてみれば、
(キタ !!)
 大音声と共に、ガッツポーズ連発 or 万歳三唱 or リオのカーニバル状態=お祭り騒ぎの真っ最中★
(これは恋だ!! レヴィのヤツ、うまく傷心の乙女心に入り込んだな。もっと攻めればこの子はレヴィにおちる!! どうする? シャオからレヴィに鞍替えさせるか!? いや、待て。ここは重要な分かれ道だ。よく考えるんだ、ウォン!!)
 と、心の中で長い独白をかますウォン。その内容はとんでもないことなのだが、ウォンの仮面は完璧だった。お祭り騒ぎの片鱗は一切その表情から洩れることなく、真剣な面持ちでサヤを見つめ続けていた。
 ウォンが心中でとんでもないことを考えていることなど露知らず。そればかりか、心配そうに瞳を細め、自分を見つめている─ようにサヤには見えてしまっていた─ウォンに、サヤは心の底から感謝したようだった。
「ありがとうございます、ウォンさん。私なんかを心配してくれて」
 このEDENへ来てから間もなく、あまり接点のなかった自分などの話を聞いてくれ、そして、心配してくれてありがとうございます、と。
「いいんだよ。何か辛いことがあればいつでも何でも相談しにおいで」
 と笑顔で請け負ってみせると、
「はい! ありがとうございますっ」
 笑みと共に、明るい声が返ってきた。
 心からの謝意。
 それを穏やかな笑みと共に受け取ったウォンは、
(よし!!)
 心の中でガッツポーズ。
 返された笑みに、ウォンは自分が目的を達成することができたのだということを察したからだ。
 自分は彼女にとって味方であり、何でも話すことの出来るいい人、というポジションを確立することがウォンの目的だった。
 それは勿論、ことの成り行き、状況の変化をつぶさに観察し、効果的な茶々を入れてEDENで繰り広げられるであろう 恋愛バトルを思うさま楽しむため、だった。







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