レヴィの部屋を出て、我が家へと戻るかと思われていたウォンだったが、その足が向かった先は、 レヴィ災害の第一の犠牲者―リコの部屋だった。 扉を軽く叩き、 「リコちゃん。起きてるかい?」 呼びかける。 「ウォンさん?」 程なくして扉が開かれ、突然の訪問者に驚いたように目を瞬かせるリコが顔を覗かせた。 まん丸な瞳は、泣きすぎた所為か、部屋に戻ってからも泣いていたためか、赤く腫れている。 それを見たウォンは、心配そうに表情を曇らせた。 「・・リコちゃん、大丈夫かい?」 「うん、大丈夫」 ウォンの問いに、小さく頷いて見せながら、リコは彼を部屋の中へと招き入れた。 いつもニコニコと明るい笑みを絶やさないリコの顔に、今ばかりはそれがない。真一文字に引き結ばれた唇と、伏せられた瞳。 リコに勧められるがまま、椅子へと腰掛けたウォンは、自分の向かいに腰を下ろしたリコのその様子を見遣り、再び問う。 「怒ってるのかい?」 ウォンの問いに、リコはふるふると首を左右に振って答えた。 「ううん。何か、怒っても無駄っていうか・・・。だって、あのボスだもん。仕方ないか、って感じですよ」 言って、リコは大きな大きな溜息をついた。もしも溜息を見る事ができたのならば、リコの小柄な体のドコに溜められていたのかと目を疑いたくなるほどの 大きさに違いない。 レヴィの無神経さに腹が立ったのは事実。そして、悲しくて泣いた。けれど、ウォンが言っていたように、全てはレヴィの鈍さが引き起こしたこと。彼が鈍いのは重々承知していたし、彼に悪気があったわけではないこともよく分かっている。そんなレヴィに怒っても仕方がない。 再度溜息を洩らした後、リコはテーブルに肘をつき、その上に頬を乗せて愚痴る。 「あ んなにニブくて、お子様なボスに期待しちゃったあたしがバカだったんですよ。もうこの際それでイイです。怒るのもバカバカしいもん」 ぷく〜っと頬を膨らませながら愚痴をこぼしていたリコだったが、不意に「あ」と何か思いついたらしく声を上げた。 「・・でも、よりにもよって何でシャオさんとつき合え、なんて言い始めたんだろう、ボス」 リコのその言葉に、ウォンが目を丸くする。 「え? 何でって 」 「何でですか??」 可愛らしく小首を傾げたリコに、ウォンは苦笑を浮かべる。 (さすがレヴィが拾って来た子だ) リコを育てたのはレヴィよりもシャオの方だったのだが、リコがいつもくっついていたのはやはり自分を拾ってくれたレヴィだった。 彼の厄介な性質を受け継いでしまったのか、そもそもそういった素質があったのか。 この子もまた、鈍い! 類は友を呼ぶとも言うし、後者の方が正解なのかも知れない。 「 リコちゃんもなかなかだね」 思わず呟いたウォンに、 「え??」 リコは再びきょとんと首を傾げる。 そんなリコに、苦笑を浮かべたままウォンは言った。 「リコちゃんとレヴィは似たもの同士なんだね」 その言葉に、リコはガタンと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり猛然と抗議する。 「な、何言ってるんですかっ! 似てないですよ!! あたしはあんなに鈍くないし、何でもかんでも拾ってくるお子様でもないし、つまみ食いも一日一回までって決めてるし。ボスなんて厨房に行くたびなんですよっ!? それに誰彼構わず笑顔振りまいて優しくしちゃって。自覚がないだけに始末に負えないし!」 「う、うん」 リコの勢いに押され、取りあえず頷くウォンの前で、リコは絶叫し頭を抱える。 「あああああああッ!! そう考えると、あたし、ボスのドコが好きなんだろ・・!?」 悶絶するリコに、ウォンは優しく微笑みかける。そして、宥めるように彼女の肩を叩いた。 「リコちゃん。人を好きになるのに、理由なんていらないんだよ。それが恋ってものなんだからね」 その言葉に、リコはようやく頭を抱えていた腕をおろし、ついでに椅子へも腰を下ろした。どうやら落ち着いたらしい。 「うん、そうだよね。理由なんてどうでもいい。とにかくあたしはボスが好き」 「うん」 「・・・でも、もうバレちゃったよね」 さすがに先程のやり取りで究極にニブいレヴィにも自分の想いが知られてしまったのだろうと項垂れたリコに、 (まあ、今までも周囲には十分にバレバレだったんだけどね) と心の中でだけ呟く。そして、僅かな逡巡の後、苦笑と共に口を開く。彼女へと真実を知らせるために。 「それがね、幸いにも と言っていいのか、残念ながらと言うべきなのか分からないけど、レヴィはまだ気付いていないらしいんだよ」 その言葉が終わるやいなや、リコは何を思ったか勢いよく部屋の窓を開け、身を大いに乗り出し、深夜にもかかわらず絶叫をかました。 「捕まえて!! これはもう犯罪の域よ! 誰かあの男を捕まえて ッッッ!!」 silvery cityにリコの絶叫がこだまする。 バレていなかったことへの安堵よりも、あれだけのコトが起こったにもかかわらず、それでも自分の気持ちに気付いてくれないレヴィのニブさへの怒りの方が先に湧き出てきて、どうにも抑えきれなかったらしい。 「お、落ち着いて落ち着いて」 絶叫をかますリコに、慌てて彼女を背後から羽交い締めにし部屋の中へと引き戻したウォンは、隣家の窓が開く前に、ピシャリと窓を閉ざし、ついでにカーテンまで閉ざした。 静まりかえったcityに大絶叫をかましたことで多少なりともすっきりしたのか、リコは己が蹴倒した椅子を起こし、大人しくそこに腰を下ろした。 彼女にならってウォンも椅子へと腰を落ち着け、近隣からの苦情の声が聞こえていない事を確認し安堵してから、彼はリコへと問うた。 「で、どうするんだい? リコちゃん」 「・・・どうする、って?」 「告白は、しないのかい?」 「・・・・」 途端にリコは表情を凍り付かせた。 そのことに聡いウォンが気付かないはずはなかった。彼女が何故自分が発した問いに固まったのかも、彼は分かっていた。しかし、更に問う。 「きっと、言わなければレヴィは一生気付かないよ?」 「うん。分かってる。でも 」 「でも?」 珍しく言葉を濁したリコに、ウォンが優しく答えを促す。すると、リコは僅かの逡巡の後、きっぱりと答えを口にした。 「 告白は、しない」 「どうして?」 「怖いの。あたしはボスに拾われてここにやって来たでしょ? 拾ってもらって、EDENっていう居場所をもらえたの。でも、告白して拒まれたらあたしはここには居られなくなっちゃう」 言って唇を噛みしめたリコに、ウォンは僅かに目を瞠る。まさか、EDENに居られなくなるのではと、 そこまで深刻に考え込んでいるとは思っていなかったのだ。驚きを飲み込みながらずれたメガネをかけ直したウォンは、リコの瞳を真っ直ぐに見つめ、優しい声音で彼女へと告げる。 「リコちゃん。レヴィがリコちゃんの思いを受け入れられないからって、君を追い出したりなんてしないよ」 「うん。それは分かってるの」 しかし、リコの表情ははれない。 「・・でも、あたしは居られない。雨の中、捨てられたあたしをボスが拾ってくれたから、居場所を与えてくれたから、あたしは生きていられるの。それくらいボスは大きな存在なの。そのボスに拒まれたら、あたしはもうここには居られない」 震える声でそう告げたリコは、両の掌に顔を埋めてしまった。 その手の向こうで、涙が頬を濡らしているのか否か、ウォンには明確には分からない。見えない。けれど、きっと答えはYES。小刻みに震える肩が、彼女の涙の冷たさをウォンへと知らせる。 「・・・・」 声もなく涙を流しているリコを痛ましげな瞳で見つめながら、ウォンは再びメガネのズレを直す。いや、ズレを直す事が目的ではない。それは、彼が思案に暮れる際のクセだった。 (これは、無理だろうな) 答えはすぐに導き出す事が出来た。 リコがレヴィへと告白するか否かの答え、だ。 ウォンが思っていた以上に、リコのレヴィへの想いは大きい。しかもその想いは、 恋という甘酸っぱいものだけで成り立っているわけではないようだった。 リコは過去の事を何も語らないが、あの日の記憶 雨の日に捨てられた記憶、冷たい雨の中、差し伸べられたレヴィの温かな手と笑顔、そして与えられたEDENという温かな場所、それが彼女が今生きている理由になっているのだ。 愛しい人から捨てられた自分を必要とし、手を差し伸べてくれたレヴィ―その人からの拒絶は、何よりも怖ろしい。淡い恋心を拒まれただけでも、全てを否定されたかのように絶望するのではないかと、リコは怯えているようだった。それほどまでに、レヴィの存在は彼女の中で大きなもの。 (うん。その方が、イイかな) リコがレヴィに想いを打ち明ける事は難しいだろうという結論を出したウォンは、不意にニヤリと不吉な笑みを零した。 幸いにもじっと俯いていたリコが、その笑みに気付く事はなかったが。 (今はまだ面白くないからね) 更に笑みを濃くしたウォンは、「うんうん」と頷きつつ心の中で己に言い聞かせる。 そう、今リコに告白をされてしまっては面白くない。何も面白くない! レヴィが「NO」と返してあっさりfin.ウォンとしては、それでは面白くない。リコが傷付くだけで終わってしまう。ウォンの好物は、シャオいぢめであって、可愛い女の子を泣かせるような趣味はない。シャオいぢめも十分に良い趣味とは言えないのだが。 己の楽しみのみを追求し思案を巡らせたウォンは、笑みを瞬時に消し、 「そうだね、今はまだ告白しない方がいいだろうね」 大まじめな顔で、リコへとそう告げた。その瞳は、リコを労るように優しげなものだった。 その瞳をリコは信じた。否、騙された。 「・・・うん」 ウォンが自分のために真剣に考えてくれていると信じているリコは、そんな彼へ感謝の意を口にする代わりに、弱々しく微笑んで頷いて見せる。 そんな健気なリコの様子に、ウォンもさすがに己の私利私欲はこの際頭の隅へとおいやり、真剣に彼女を励まそうと口を開いた。 「そう気落ちする事はないよ、リコちゃん。今日のことで、レヴィも色々と考えるようになるだろうし、今は恋に興味のないレヴィでも、いつか急に恋に落ちるかも知れない。君がそうだったように、ね」 その言葉に、弾かれたようにウォンを見たリコは、 「ボスが、恋・・?」 ポツリと洩らし、途端に表情を不安げに曇らせた。 その不安が何なのか、ウォンには分かっていた。だから、リコへ贈るべき言葉はすぐに唇から零れ出た。 「ずっと側に居て、自分を思ってくれている女の子の大切さに気付いてくれるかもしれないよ、リコちゃん」 そう言って微笑み、肩を優しく叩いてくれたウォンに、リコはようやく表情の曇りを払う。 ウォンの言葉の通り、レヴィが自分に恋をしてくれる保証などない。それは分かっている。 けれど、いつでも自分のくだらない悩みを真剣に聞いてくれ、そして励ましてくれていた ウォンの優しい言葉に、心が晴れた。 ようやくリコはいつも通りの笑みをその面に浮かべた。ニッコリと明るい、ヒマワリの花を思わせる笑みだった。 「ありがとう、ウォンさん。そうなったら、いいな」 そして、最後にもう一筋だけ、涙を流した。 |