18 ☆涙は女の武器なのよ



 これでもかと凹みに凹みまくっているシャオと、「ふんふんふ〜ん♪」と鼻歌が零れるほど上機嫌のリコ、それを怪訝な顔で見つめているレヴィとサヤ、そして、そんな4人をニヤニヤとほくそ笑みながら見つめているウォンによって繰り広げられた奇妙な晩餐はそのまま終わりを告げ、厨房ではシャオとサヤがその後かたづけに勤しんでいた。
 相変わらずシャオのテンションは激しく低い。
 それに見かねて、ついにサヤがシャオに問いかけた。
「ど、どうかしたんですか?」
「・・・いや、別に
「とてもそうは見えませんよ」
「・・・・」
 さっくりと否定されたシャオは口を閉ざす。とても、先程のリコとのやりとりを口にすることは出来そうにない。サヤに、自分がリコに恋していることを知られてしまうし、何より、あの出来事を自らの口で伝えることシャオにはできなかった。
(・・・・辛すぎるだろ、アレは)
 恋しているリコ自身の口から、自分ではない他の男のことが好きだと言われてしまった時の衝撃は凄まじいものだった。「貴方は眼中にないんです」と宣告されたも同然のカミングアウトだった。
 黙り込んだシャオの横顔を見つめていたサヤだったが、僅かな逡巡の後、再び彼に問うた。
「リコちゃんのことですか?」
「!?」
 サヤの問いに、シャオは弾かれたように彼女を振り仰いだ。
 何故知っているんだと問うてくるシャオの表情に、サヤは己の予想が当たっていたことを悟る。そして、
「やっぱり」
 サヤは、苦い笑みを零した。
「・・・好きなんですよね、リコちゃんのこと」
 そして、問う。
 ここ、EDENに来たその日から、分かっていたことだった。彼が、寡黙で真面目なシャオに淡い恋心を抱いていた自分にではなく、リコという愛らしい一人の少女に恋をしているということは、分かっていた。
 何故なら、彼の瞳を見れば簡単に分かってしまうことだった。彼の視線の先には、いつだってリコがいたのだから。
 驚きに見開かれた瞳を、シャオは細め、しばしの沈黙の後、彼は、
「・・・・・ああ」
 短く答え、素直に頷いて見せた。
 その瞬間だった、

 サヤは、知らぬ間に口を開いていた。その唇からシャオへと零れそうになったのは、
「私じゃあ、ダメですか?」
 そんなセリフ。
 しかし、彼女はそのセリフが唇をついて出るその直前に、きつく唇を閉ざしていた。
  言えない。
 邪魔をするものは、一体何なのだろうか。彼に拒絶されたその時を思い湧き上がる恐怖心がそうさせるのだろうか。
 当然、シャオがサヤの思いに気付くこともない。 もしもこの時に彼がサヤの気持ちに気付いていれば、自分がリコから受けた辛い告白を、彼女へとしてしまうことはなかったのだろうから。
「・・・リコのヤツ、レヴィのコトが好きなんだってさ」
「そうですか・・」
 ぽつりと零したシャオに、サヤは瞳を伏せ、静かに相槌を返す。もう、
「私じゃあ、ダメですか?」
 そんな熱いセリフが湧き上がってくることはなかった。
「俺はさ、ずっとずっと前からリコのコト好きだったんだけどな・・・」
 視線を手元の皿に落とし、シャオは静かな声で語る。
「言っておけば良かったのかな。リコがレヴィのコトを好きになる前に」
「・・・・」
「バカだなァ、俺。頑張れよ、なんて言っちゃってさ」
 ハハ、と乾いた笑いを洩らしながら、シャオは片手で己の顔を覆ってしまった。その面に浮かぶのは、悔しさに潜められた眉と、己の男気のなさへの自嘲の笑み。
 そんなシャオへと、サヤは僅かに微笑んで言った。
「・・・優しいんですね、シャオさんは」
「いや、臆病者なだけだ」
 サヤの言葉に、シャオは彼女へと視線を遣り、やはり自嘲気味な笑みを浮かべたまま応えた。
 そんなシャオへと、サヤは笑みを濃くして告げる。
「いいえ、優しいですよ。いつかリコちゃんが、その優しさに気付いてくれればいいですね」
 そんなセリフを、サヤは告げてしまっていた。
 自分が好きな人が自分ではない他の人へと抱いている恋心を応援し、慰め、そして後悔しているというシャオに、サヤは同じリアクションを返してしまっていた。
 もう、諦めてしまえばいいじゃない。
 私でいいじゃない。
 そんなセリフが再び胸の内に湧きあがってきたが、それが、ついぞ唇から零れ落ちてくることはなかった。
ありがとう、サヤ。サヤこそ、優しい子だよ」
 一瞬驚いたように目を瞠ったシャオだったが、すぐにその面に笑みを浮かべた。その笑みは、先程までの己を自嘲するものでも、リコを思って切なさに染まったものでもなく、サヤへと向けられた穏やかなもの。
 そんな彼へと返されるサヤの笑みは、

 とても切ないものだった。




 家々の電気が消えていき、Silvery cityが夜の闇にどっぷりと浸っていく。
 EDENの扉も固く閉ざされ、先程まで厨房についていた明かりも落とされる。厨房を出たシャオとサヤが、「おやすみなさい」を告げたのを最後に、EDENの中はしんと静まり返っていた。
 リコの部屋の電気はとうに消えている。やがてシャオの部屋の電気も消え、次いでレヴィの部屋の電気が落とされようかとしていた、ちょうどその時だった。音の消えていたEDENの中に、コンコン、と扉のノックされる音が響いた。
 それは眠っている隣室のシャオを起こさないよう、控えめなものだったのだが、さすがにその部屋の中にいたレヴィは気付いてドアへと視線を遣った。
 こんな時間に誰だろうと首を捻りつつ、
「う い」
 こちらは隣室など何のその、常と変わらぬ声量で返事を返しつつ、レヴィはドアを押し開いた。そして、そこに立っている意外な人物に驚く。更に、その人物の瞳から涙が溢れ出しているのを見て、思わずその場から数歩後ろへと飛び退いてしまっていた。
「え? え!? ど、どうしたんだよっ!!?」
 そこに立っているのは、顔を俯け、肩を震わせているサヤだった。ぽろぽろと零れ落ちる涙が、床に落ちて砕けていく。
「お、おい。どうしたんだよ、サヤ。ってか、取りあえず入るか?」
 見開いたアメジストアイをぱちぱちと瞬きつつ、レヴィはサヤを部屋の中へと招き入れ、ドアを閉ざした。
 部屋へと入ったものの、立ち尽くしたまま肩を震わせているサヤに、レヴィは忙しなく 瞬きを続けるしかない。リコ以外の女の子の泣き顔など見たことのないレヴィにとって、こうした状況下での最も適切なリアクションの取り方が分からないようだった。
 頭を掻いたり、首を捻ったりと、これでもかとあたふたとしているレヴィに気付いたのか、それともひとしきり泣いて気持ちが落ち着いてきたのか、サヤが震えると息と共に大きな溜息を吐き出し、両の掌で涙を拭った。
 それをみたレヴィが、再度同じ問いを口にした。
「ど、どうかしたのか? サヤ」
 その問いに、今度は嗚咽ではなく言葉でサヤは返す。それはまだレヴィの答えではなかったけれど。
「ちょっと・・・・話聞いてもらってもいい?」
「おう、いいぞいいぞ」
 涙声で訴えるサヤに、レヴィはコクコクと大きく首を縦に振ってみせると、「聞く準備は万端だ」と言わんばかりにベッドにどっかり腰を下ろし、ベッドの脇に置いてあるイスを叩いて、サヤをそこへと導く。
「ありがとう」
 導かれるままイスに腰を下ろしたサヤへと、レヴィはそっとティッシュペーパーを渡した。
 それを受け取ったサヤが、掌では拭いきれなかった涙を拭いているのを何とはなしに見つめながら、レヴィは徐に口を開いた。
「・・・何か、あったのか? って、なかったら泣いてないよな。何でも言っていいからな?」
 優しく促されたサヤは、口を開いたのだが、
「あ、あのね・・・っ」
 再び、嗚咽がサヤの口を支配してしまった。
 再び泣き出してしまったサヤに驚きつつ、しかしレヴィは何も言わなかった。彼女の涙が止まるのを、レヴィは黙って待つことにしたようだった。部屋の中に響くサヤの嗚咽を聞きながら、レヴィはそっと伸ばした腕で彼女の背をポンポンと叩いて宥める。それが功を奏したのか、サヤの嗚咽は次第におさまっていった。
「あのね、レヴィ」
「ああ。何だ?」
 努めて優しく問い返すと、サヤは大きな溜息の後、その面に自嘲気味な笑みを乗せながら言った。
「私、ふられちゃったの」
 そのセリフに、レヴィは目を瞠る。予想だにしていないセリフだった所為だ。
「・・・・・そっか」
 誰に? という疑問がすぐに沸いてきた。しかし、今は聞かない方がいいのだろうと、レヴィは相槌を打ったきり、口を閉ざし彼女が語るのに任せた。
「ちょっとね、憧れてる人が、いたんだけど・・その人本人の口から、別の人が好きだって聞かされちゃった」
「そっか」
 レヴィには、返事を返すことしか出来ない。それ以上の、彼女を慰めることの出来る気の利いたセリフなど思いつきもしない。そもそも、恋に破れたことも、ましてや恋をしたこともない彼には、サヤの傷を計り知るすべもなかったのだから、それも仕方のないことだったのだろう。
 恋を知らないのは事実である。しかし、それでもサヤが深く傷付いていることは分かっている。気の利いた言葉は言えないが、何もしないでいるには忍びない。
 再び手を伸ばしたレヴィは、俯けられたサヤの頭を、そっと撫でた。
 その感触に驚いたように顔を上げレヴィを見たサヤだったが、その手を振り払うことはしなかった。遠慮がちに頭を撫でていたレヴィの手に、「ありがとう」と、サヤは笑みを返した。
 しかし、再び視線を落としたサヤは、浮かべた笑みを切ないものに変えてしまった。
「・・ちょっと、好きだったのにな 。告白してもないのに、ふられちゃったよ」
 切ない笑みは、自分を嘲笑うものへと変わっていった。そして、再びサヤの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「・・・サヤ」
 三度泣き出してしまったサヤに、レヴィは眉を寄せる。それは苛立ちではなく、サヤの悲しみを思い憐れむものだった。
 どうしたら彼女が泣きやんでくれるのか分からない。
 困ったようにレヴィは視線を漂わる。どんなに部屋の中を見渡しても、今彼女の涙を止めてくれるものは見つからない。そうして視線は再び肩を震わせているサヤへと戻る。
 そのまましばし黙していたレヴィだったが、不意に彼は手を伸ばす。
 躊躇いがちに、レヴィはサヤの体をそっと抱き締めていた。そうさせたのは、この家に来たばかりの頃の思い出。泣いてばかりいた自分を抱き締めてくれた『お母さん』の温もり、そしてその温もりがいつでも自分の涙を止めてくれていたという記憶だった。
 そして、やはり『お母さん』がそうしてくれていたように、レヴィはサヤの背を優しく撫でる。
「・・・よしよし」
 女の子の脆さ、そして繊細さに、初めて触れたような気がした。







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