夜はあっという間に更けていく。だが、しかし、真夜中と呼ぶにはまだ早すぎる時間、夕食兼サヤの歓迎パーティーは終わりを迎えた。特にゲームをするでもなく、夕食を食べ、デザートに舌鼓し、思いつくがままに世間話を楽しんだだけの歓迎パーティーだったが、それでも十分に楽しいものだった。 後かたづけは主催であるシャオたちに任せ、サヤは帰路についていた。その隣には、レヴィの姿がある。 「遅い時間に女の子一人では危ないでしょ」 という、ウォンの気の利いた一言によって、レヴィがサヤを家まで送り届ける任務についたのだった。 だが、何故、レヴィなのか。 それは簡単だ。 リコも同様に年若い乙女なので、勿論、除外。ウォンは「信用がおけない!」とシャオが却下。ではシャオはと言うと、「俺が行ったら片付け誰がやるんだよ。レヴィに任せてたら日が明けるだろ」という手厳しいツッコミによって、レヴィに白羽の矢が立ったのだった。 ああは言ったものの、シャオの本音は、 「俺が行ったら、家にリコとレヴィの二人っきりじゃないか! 断固阻止!! 阻 ォ止!! 逆にレヴィがいなくなれば俺とリコだけ。ウォンはモチロン追っ払う!! っしゃ!」 という腹黒いものだったのだが、レヴィはそんなシャオの魂胆に気付くことなく、サヤを伴ってEDENを出たのだった。 日はすっかり暮れ、近所の家々からも明かりが消え始めている。 空を見上げれば、霞がかった雲の向こうに、ぼんやりと月が見える。 目を凝らしてみるのだが、星の姿を見つけ出すことはできなかった。 頼りない月明かりと、所々に立っている街灯の明かりを頼りに、 二人は歩いていく。その道中もやはり、 他愛のない会話を二人は交わす。 店のオカシナ常連客の話。リコの失敗話。シャオの真面目っぷり。 レヴィが語っては、サヤが笑う。 どちらかというと自分から会話を持ちかけることを苦手としているサヤにとって、次から次へと楽しそうに語ってくれるレヴィの性格は嬉しかった。 今日、お試しで出したケーキが評判だったという話に至ると、レヴィは思い出したように「あ」と声を上げ、サヤに向き直って言った。 「今日はケーキ、ごちそうさま! やっぱ上手いんだな〜」 感心したように言うレヴィに、サヤは照れくさそうに笑う。 「いえ、こちらこそ夕食をご一緒させていただいて、ありがとうございました!」 「・・・・」 ペコリと大きく頭を下げたサヤが顔を上げると、 何故か口を閉ざしているレヴィがいた。口を真一文字に引き結び、 何か気に食わないことでもあったのか、眉間に皺を寄せている。 「あ、あのっ、私、何か!?」 失礼なことを言ってしまっただろうかと狼狽えるサヤに、レヴィは突然自分を指差して言った。 「オレ、18」 「・・え?」 レヴィの言葉の意味を捉えかね、サヤは問い返してしまう。 きょとんとしているサヤに、レヴィは己を指差したまま、言った。 「オレは18歳。サヤは?」 「私も一緒ですけど?」 ぴっと、自分に向けられた指を見つめつつ、サヤは返す。 あまりにも唐突に始まった年齢の話題についていけず、サヤがしきりに首を捻っていると、レヴィが両手を腰に当てて言い放つ。その台詞で、ようやくサヤは彼の不機嫌な表情の理由を察することができるのだった。 「じゃあ、敬語禁止! オレのことも、レヴィさん、じゃなくて、レヴィな!」 「 ・・」 どうやら彼は同年代のサヤから敬語を使われていることが嫌だったらしい。さん付けも、何だかよそよそしい感じがして気持ち悪い。 「はい。今から、な。スタート!」 サヤの返事も聞かずに勝手に新ルールを開始するレヴィに 、サヤは驚きつつも、何だかその子供らしい言動に笑いながら答えていた。 「はい。分かりました」 「ブー!」 「あ」 いきなり敬語をやめろというのも難しい話だが、厳しいジャッジマンがいることだし、どうやら頑張って新ルールに慣れなくてはならないらしい。顔の前で腕を交差させ、バッテンマークを作っているレヴィに、再度笑いを洩らしてから、サヤは訂正した。 「うん。分かった。レヴィ」 「よし!」 敬語ナシ、さん付けも解除したサヤに、レヴィは満足そうに笑った。それにつられて、サヤも笑った。 二人の足音と、笑い声だけが響く、何だか温かい夜だった。 ひとしきり笑い合うと、すぐにまたレヴィは別の話題をサヤに問うてきた。 「なあなあ、前の店辞めたのって、ホントにセクハラ?」 「・・聞いてたの?」 食事の時にウォンがズバリ言い当てた事だったのだが、食事を黙々と進めていた彼はてっきり聞いていないものと思っていたサヤは僅かに目を瞠り問い返す。 「チラチラっと。で、ホントなわけ?」 「セクハラ・・とまでは行かないけど、お店のバカ息子が付き合えってしつこかったのよ」 苦笑と共に答えたサヤに、レヴィは盛大に顔を顰めた。 「うわ 、そいつサイテー」 「でしょ? 最後には、付き合わなきゃ店辞めさせるぞ、よ」 「救いようがねーなァ」 「ホントにね。あんなカス男と付き合うくらいなら死んだ方がマシかも」 さらっと返されたサヤのその台詞を反芻し、一瞬の後レヴィは爆笑した。大人しい顔をして堂々と毒を吐くそのギャップはなかなかに面白い。そして、自分の気持ちを思いっきり言葉にするその潔さは好ましかった。 腹を抱えて大笑いしたレヴィは、何故そんなにも自分が笑っているのかが分からないのだろう、きょとんと目を瞬いているサヤに視線を戻した。そのアメジストの瞳には、笑いすぎたためだろう、涙すら浮かんでいた。それが、アメジストのきらめきを嫌が応にも増す。 「見かけによらず、なかなか言うんだなァ、サヤは」 そう言って笑顔を零したレヴィに、一瞬サヤは見とれる。 闇夜においてもキラキラと輝く金糸が如くの髪と、美しいアメジストアイ。 そして、彼の豪快さと大いにギャップのある線の細い整った容貌に きゅん となってしまうのは、 年頃の少女としては仕方のない反応だった。 そんな笑顔の効力を全く持って自覚せずに振りまくレヴィだからこそ、その計画的でない自然な美しさに女は弱かった。 サヤが、僅かに火照る頬を慌てて両手で挟み隠していると、突然レヴィが足を止めた。そして、サヤの肩を叩く。 「・・・・もしかして、アレ? サイテー男って」 その声に、レヴィが指し示す先に視線を遣ったサヤは、 「あ」 途端に表情を強張らせる。頬の熱は、一瞬にして冷めた。 サヤの家の前に、一人の男が立っていたのだ。 ひょろひょろと身長ばかり高い痩せた男。服は上等なものを身につけていたが 、体が細すぎるせいか、服に着られている印象ばかりを受ける。不機嫌そうにつり下がった唇と、逆に細く吊り上がった瞳。 男は常には細い瞳を大きく見開き、サヤと、そしてその隣にいるレヴィ とを見つめていた。表情には、醜い憤怒の色を塗りたくって。 歩みを止めたサヤとレヴィの代わりに、男がズカズカと大股で近寄ってくる。思わず後ずさったサヤに、男が低い声で彼女の名前を呼んだ。 「サヤ」 「・・・お、お久しぶりです」 「そいつ、誰?」 挨拶を返す事もなく、男はサヤの隣に立っているレヴィを指差して問うてきた。しかし、その視線はじっとサヤに注がれている。 その所為で彼は気付かなかった。初対面の男にいきなり指をさされ、僅かに眉を潜めたレヴィの様子に。 「・・この人は、関係ないでしょ?」 何と答えればいいものか迷った末、そんな答えを男に返す。新しい勤め先の従業員だと言えば、何処の店だと詰問され、答えればEDENに迷惑がかかるかもしれないと考えたのだ。 幸いにも、それ以上男がサヤの答えに言及することはなかった。しかし、男は二人の行く手を遮るように立ち尽くしたまま、再び問いを発した。今度はその視線をレヴィに向けながら。 「じゃ、ちょっとアンタ、外してくれよ」 その不遜な態度に一瞬頬を引きつらせたものの、 口中に生まれた文句は何とか噛み殺した。男から、 席を外してくれと言われたのが、その言葉に従い、 サヤと男とを二人きりにしていいのかは甚だ疑わしい。 彼が非常に根性のねじ曲がった男だということはサヤからも聞いている。レヴィは、答えをサヤに託すように、彼女に視線を遣った。 「・・・サヤ」 サヤに視線を遣る前に、サヤは既に自分へと視線を注いでいた。その瞳の中にある不安の色。サヤの瞳は「どうか行かないで」と、必死に訴えかけてきていた。その瞳に、レヴィは男に対する答えを決める。 答えは勿論、NO。 サヤから男へと視線を戻したレヴィは、小さく息を吐いた。この場で自分がどうすべきか、決めたのだ。そしてレヴィは、真っ直ぐに男を見据え、言い放った。男が激怒するだろうと言うことは分かっていたのだが。 「サヤに何の話? アンタもうサヤにふられたんだろ」 「うるせーよ!」 案の定、男は声を荒げた。その大音声の所為だろう、近所の家の明かりが一つ灯った。それを横目に見つつ、レヴィは更に告げた。その声量は小さく、そして低く。 「サヤにはもう何も話すことないみだいだぜ? 夜も遅いし、帰 」 その言葉を遮り、男は近所迷惑を顧みぬ大声で叫んだ。そして、 「オレにはあるんだよ! 来い、サヤ!!」 「痛いッ」 レヴィが止める間もなく、サヤの腕を捕らえていた。 「サヤ!」 加減を知らぬ男の手に絡め取られ、サヤは小さく悲鳴を上げると同時に、レヴィの手がサヤから男をむしりとっていた。 「いてッ! 何すんだ!!」 「サヤに触んじゃねーよ」 いきなり払われた腕を撫でつつ、体中を震わせながら怒鳴った男に 、レヴィは堂々と言い放っていた。まるでサヤが自分のモノであるかのようなその台詞に、サヤは驚いて思わず頬を染め、男も一瞬固まった。その後男は、その面に怒りを刻む。 そんな男にたじろぐことなく真っ直ぐに視線を向けながら、レヴィは言った。 「もうサヤに近付くなよな」 声を荒げることもなく、拳を振りかざすこともなく、 ただひたすら真っ直ぐに瞳を見つめ言葉を紡ぐレヴィの落ち着き払った様子に、男は自分がなめられていると感じたのだろう。ついに激昂し、拳を振り上げ、殴りかかってきた。 「きゃあ! レヴィ!!」 青ざめて叫ぶサヤを、己の後ろへと避難させた後、レヴィは拳を大きく振り上げ、殴りかかって来た男の腕を避けた。余りにも大振りなアクションは、実に避けやすい。 ぶんっ! と、レヴィに命中することなく振り下ろされた拳の反動で前のめりになり、 「おわっ」 と、情けない声を上げながら一人で体のバランスを崩している男に、レヴィは、 「よっと♪」 そっと脇から足をかけた。 すると男は、気持ちが良いくらい見事に地面に倒れ伏してしまった。むしろ、ここまで簡単にこけられてしまっては、あっけなくもある。 (やっぱすげー弱ェ・・) 安心した、というよりも拍子抜けしてレヴィは盛大な溜息を洩らした。 それを聞いたのだろう。 「この野郎・・っ!」 バカにされたと思った男が体を起こそうとしたその瞬間、 「ぐっ!」 男は再びその体を地面に縫いつけられていた。すかさず伸ばされたレヴィの足に背中を踏みつけられた所為で。 男はバタバタと醜くもがいているが、レヴィの足を払いのけることは出来ないらしい。 何だか弱い者イジメをしているようで、レヴィは気分が悪くなる。もっと果敢に殴 りかかってきたのならば応戦し殴り倒してしまうことも出来るだろうが 、こんなヘタレ男を殴り倒しても、逆に自分の方が悪者のようで良い気持ちがしない。 (あとちょ〜っと脅しときゃ大丈夫か) この男に拳は必要ない。少し脅しておけばこの度胸のない臆病者の男は戦意喪失するに違いない。 そう判断したレヴィは、背中を踏みつけていた足をどかし、 彼が体を起こす前に、上から彼の首を掴み、やはり地面に縫いつけた。 そして、その顔を覗き込む。 「 !」 いきなり自分の前に現れたレヴィの、しかも先程までの冷静な様子とは全く違った、殺気だった表情に、男は大きく息を呑む。 勿論、彼を脅すための演技なのだが。 一気に怯えた瞳をした男に、レヴィは笑いそうになるのだが、それを堪えるために眉間に皺を寄せた。それがレヴィの美貌に凄絶さを加えたのだろう、男が更に怯えたのが分かった。 そんな男を見つつ、レヴィは低く、ドスのきいた声で告げる。 「サヤに、二度と近付くんじゃねェぞ」 ついでに、彼の首を掴んでいる手に、少し力を込めると、男はうんうんと必死で首を縦に振った。 男の粘りのなさに半ば呆れつつ、レヴィは男の体を解放した。案の定 、男は体を起こしたものの、殴りかかってくることも、醜い雑言を はきかけてくることもなかった。完全に、KO★ 惚けたように地面に座り込んでいる男を見て、己の勝利を確信したレヴィは 、踵を返す。そして、立ち尽くしているサヤの手を取り、歩き始めた。 「行こう、サヤ」 「え? え??」 いきなり手を取られたサヤが、きょとんと目を瞬く。 レヴィに手を取られた事にも驚いたのだが、彼が自分たちが今来た道をまた戻り始 めた事に驚いていた。 一体何処へ向かうのだろうと目を瞬いているサヤに、レヴィは答えた。 「あんな男が近所にいたんじゃ恐いだろ。うちに住めよ」 「・・え?」 あまりにも突然の申し出に、サヤは茫然と問い返す。 そんな彼女に、レヴィは笑い返しながら答えた。 「部屋も空いてるしさ。荷物は明日にでもウォンの車で運べばいいし」 「でも 」 申し訳がないからと首を縦に振ろうとしないサヤを見て、レヴィは小さく溜息をつき、歩みを止めた。 「・・レヴィ?」 快く申し出を受けない自分に、彼が怒ってしまったのだろうかと不安に表情を曇らせたサヤに、レヴィは彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、そして言い放った。 「もう、オレが決めたんだから、決まり! 今日からサヤはEDENに住むんだよ。シャオにはオレが言っとくから、な?」 「 」 あまりにも強引なレヴィの言葉に、ただ茫然と彼を見つめ返すしかないサヤ。しかし、レヴィは己の言葉を撤回することも、フォローすることもなく、彼女の手を再び取ってEDENへの道を歩き始めてしまった。仕方なく、その後にサヤも続く。 (・・・あそこに住むコトに、なっちゃったんだ) 自分はイエスもノーも答えていないはずなのだが、今更ノーと答えても彼は聞き届けてくれないだろう。 レヴィは、サヤがあの男の近所である家を出てEDENに来ることが最も良い選択なのだと確信し、サヤのためにEDENに来るようにと申し出てくれたのだ。しかし、遠慮が邪魔をしてすぐにはイエスと決められないでいるサヤの為に、強引にではあったが背を押してくれたのだ。そして、サヤには最初からノーと答える気がなかったのだから、彼の強引さも嫌だとは感じなかった。 むしろ、心地良い。 サヤは小さく笑った。不意に、シャオの言葉を思い出したのだ。 『あいつは何でもかんでも拾うんだ』 リコを拾い、そして、今、 「私も、レヴィに拾われちゃったね」 サヤは、笑いながら言った。攫われたと言えなくもないけど、と付け加えながら。 その言葉に、レヴィは笑った。どうやらサヤは、自分が捨てられている物を何でもかんでも 拾ってくるのだという事、そして、雨の中リコを拾ってEDENに 連れてきた事を知っているのだと察したレヴィは、ニッと笑ってから言った。 「じゃ、サヤもリコみたいにボスって呼ぶか? オレが拾ったから」 その言葉に、サヤは笑う。 「レヴィがお望みなら」 「あはは。ヤだよ!」 サヤの答えに、レヴィも笑った。 店の女の子全員―と言っても二人だけなのだが―に、ボスと呼ばせていては、一体自分が彼女らに何を強制しているのかと、ご主人様ゴッコかと、客から人格を疑われてしまいそうだ。 「変態じゃんかよ、オレ」 そう言って大仰に肩を竦めて見せたレヴィに、サヤは笑った。 レヴィ―第一印象はドロボウ、だった。そんな彼とうまくやっていけるのか、甚だ不安に感じていた昨日までの自分に、笑いが零れてくる。それらは全て杞憂だったのだ、と。 夜のcityに響く二人の笑声は、次第に闇に溶け、消えていく。 サヤの不安も、宵闇の中、完全にその姿を消え去っていったのだった。 |