時刻は午後6時過ぎ。 日が暮れ始め、外は夕闇に包まれていく。cityには人の姿もまばらになり、cafeEDENでもリコ、サヤ、シャオ以外で店内に残っているのは、男女のカップル客のみとなっていた。 彼らが今日、最後の客になるだろう。と予想を立てたシャオは、カウンターの前に並んで立っていたリコとサヤに小声で告げた。 「よし、あの客が帰ったら閉めるぞ」 「え!? そんなアバウトな!」 「イエッサー☆」 営業時間は8時までのはずなのにと驚くサヤを尻目に、リコは了解と元気良く返事を返す。そして、目をぱちくりとさせているサヤの見守る前で、シャオとリコはあろうことか、 「早く帰れ」 「家でイチャつけ」 と心の中で念じ始めたのだった。 それが功を奏したのか否か、それは誰にも分からなかったが、徐に席を立ったカップル客は会計を済ませ、 「ありがとうございました 」 軽やかなリコの声に見送られてEDENを去って行った。 カラン。 入り口の扉にかけられたベルが、店内に涼やかな音を響かせ扉が閉ざされたことを知らせた瞬間に、 「よし、今だ!!」 珍しく熱のこもったシャオの号令によって、closedの看板を持ったリコが走る。そしてすぐさま扉の外にその小さな看板をかけ、バタンと勢いよく扉を閉ざした。 EDEN、閉店。 「お疲れ様でした !」 「お、おい、リコ!」 言うなり、シャオが止めるのも聞かずリコは二階へと駆け上がって行ってしまった。何処に行くのかは聞くまでもない。シャオもサヤも想像はついている。 風邪によってダウンしている愛しの君、レヴィのところだろう。 ダカダカダカダカ・・・と、今日一日の疲れを感じさせない元気の良いリコの足音が完全に消えた所で、サヤはチラリと隣に立つシャオへと視線を遣った。 リコを引き止めようと伸ばされた腕もそのままに、シャオは立ち尽くしていた。その表情には呆れとも疲れともどちらともとれる表情が張り付いていた。 「お、お疲れ様でした」 声をかけるべきかそっとしておくべきか迷った末に、サヤは遠慮がちにそう声をかけた。 すぐにシャオの顔から疲れの色が消え、いつものクールな印象に戻る。視線はすぐにサヤへと向けられた。 「お疲れ様。どうだった?」 短い質問だったが、それが初めてEDENで勤務した事への感想を求めてのものだということを察するのは難しくない。 サヤは少し考えた後、その問いに答えた。 「常連のお客様が多くて・・・温かい雰囲気で楽しかったです」 「そうか。良かった」 サヤの答えに、シャオは僅かに微笑む。サヤの満面の笑みが、彼女の言葉が真実であることを伝えてくれたからだった。 「それに若い女性客が多いので、ケーキは受けるでしょうね。お土産用のクッキーなんかを売り出してもいいかも」 「そうだな。俺もなるべく手伝うようにする。いけるか?」 シャオにもコーヒー等、飲み物を入れ、軽食を作るという仕事があり、スウィーツはほぼサヤ一人に任せきりになってしまうだろうが大丈夫かと問う。 心配そうなシャオに反して、サヤは笑みを浮かべて答えた。その瞳には、キラキラと前向きで明るい光があった。 「はい! いろいろ作ってみたいケーキがあったんです。前の店では自分のオリジナルなんて作らせてもらえなかったから・・・張り切って作ります!」 「ああ。ありがとう」 サヤの前向きさを改めて感じたシャオは、笑みを返す。 彼女を雇って正解だったと心の底から思った。 「///////」 その思いは彼の笑みにも現れていたのだろう、今までに見せたことがないくらいはっきりと優しい笑みを向けられたサヤは、僅かに頬を赤く染める。確かに、胸が高鳴るのを感じて、サヤは更に頬を染めた。 しかし、シャオがそのことに気付くことはなかった。 「じゃあ、明日から試験的に店で出していこう。よろしく頼む」 「はい!」 「コーヒーでも出すよ」 「あ、ありがとうございます」 シャオに促されるままにカウンターに腰を下ろしたサヤは、黙したままコーヒーを淹れててくれているシャオを見つめる。寡黙な彼から会話がもたらされることはないだろう。彼との沈黙も心地良いものではあったが、それよりも彼の低く穏やかな、夜の凪を思わせる声をもっと聞きたかった。 サヤは徐に口を開く。 「あの、シャオさんもここに住んでるんですか?」 「ああ」 そこで会話はストップしてしまう。 けれどサヤは諦めなかった。次なる質問をすぐさま頭の中で用意したものの、口にすることに躊躇を覚え開きかけた唇を閉ざした。 しかし、しばしの逡巡の後、サヤは思いきって問うことにし、口を開いた。 「あの、失礼な質問かもしれませんが、シャオさんとリコさんと、レヴィさんの関係を聞いてもいいですか?」 遠慮がちにもたらされたサヤの問いに、けれどシャオは何ら気にした風もなく快く請け負って見せた。 「ああ。関係って言っても、俺達はみんな他人同士だ。でも、家族でもある。俺は三歳の頃、このEDENの前の経営者である母に拾われた孤児だ。レヴィも母に拾われた」 「リコちゃんも?」 「いや、リコは母が死んでから、レヴィが拾ってきた」 「拾ってきたって」 まるで犬や猫でも拾ってきたかのようなシャオの口ぶりに、思わずサヤは笑いを洩らしてしまっていた。 そんなサヤに、シャオも淡く笑い返す。 「あいつは何でもかんでも拾うんだ」 「だから、あんなに二人とも仲が良いんですね」 サヤは何の気なしに返した感想だったのだが、途端にシャオの表情が曇った。ちょうどシャオから渡されたコーヒーに口を付けていたサヤは、その事に気付かなかったけれど。 「・・・・それだけじゃ、ないんだろうけどな」 「え?」 切なさを含んだその台詞に、ようやくサヤはシャオの様子がおかしいことに気付く。その理由までは分からず、ただ首を傾げるしかなかった。 「ここに来た時は、11歳だったリコも、もう16歳だ。恋だって、するよな・・・」 声だけにではなく、その面にまで切なさを浮かべたシャオに、サヤは悟った。 「 」 彼は、リコのことが好きなのだということを。 その瞬間、サヤの胸にチクリと小さな痛みが走る。その痛みの理由を、サヤは知っている。 まだ出会って約一日。とても短い時間だが、自分を前の店のバカ息子から助けてくれた、寡黙でクール、けれど驚くほどに穏やかな笑みを浮かべることの出来るシャオのことを、きっとサヤは好きになり始めていたのだ。 しかし、その恋が報われないのだといきなり知らされてしまった。 (・・・失恋、かな) いや、未だ恋と呼べるほどこの胸の高鳴りは大きくはなかったのかもしれない。 だが、胸に痛みがよぎったのも事実。 恋とまでは呼べなくとも、この胸に生まれ育っていたのは、いつかは恋となり愛となるはずだったものだったのだろう。 「「はぁ・・・」」 サヤとそしてシャオの口から、切ない溜息が零れた。 翌日。 昼を過ぎ、おやつ時を迎えたcafeEDENは、若い女性や近所の奥様方で埋まっていた。 カウンター内には、密かに女性客からの熱い視線を集めているシャオの姿がある。 その奥の厨房では、試作品のケーキを小さく切り分け皿に盛っているサヤがいた。ホールの方はと言うと、トレイに幾つものカップを乗せサカサカと元気良く歩き回るリコと、同じく注文の品を運んでは女性客から「ありがとうございますぅ〜」とハート型になった瞳を向けられているレヴィの姿があった。 昨日部屋をこっそりと抜けだしウォンのところで貰ってきた薬が効いたのだろう。風邪はすっかり治ったようだった。 今日は、試作品のケーキを小さく切り、それをコーヒー・紅茶を注文してくれた客にサービスで提供していた。今後ケーキを始めますよというアピールと共に、客の反応を見る為だった。 評判は上々。 自分がケーキを作ったわけではないのだが、それでも顔を綻ばせながらケーキを口へと運んでいる女性たちを見ていると嬉しい気持ちになる。 レヴィ自身も僅かに口許を綻ばせながら、店内を忙しく歩き回っていると、 「レヴィくーん」 馴染みの奥様に引き止められた。忙しい時間帯ではあるものの、レヴィは嫌な顔一つせず、にこやかに応じる。 そのことに嫌な顔をしたのはカウンター内で「さっさと戻ってきて運べよ」と眉間に皺を寄せているシャオと、「あのオバサン、また私のボスにちょっかいかけて 」と唇を尖らせているリコだった。 「ケーキ始めるの?」 「はい。そうなんスよ」 「あら、いいわねェ。とっても美味しいし」 「ありがとうございます」 必殺秒殺、営業スマイル マダム、ノックアウト!! たちまち彼女はぽぽぽっと頬を染める。ついでにその周りでレヴィと彼女の話を窺っていた女性客もドキンと胸を高鳴らせた。 しかし、超ニブチンなレヴィは、 自分が女性客のハートをゲットしてしまっていることなど知らない。 もしかしたら、気取ったところなど一切なく無意識であるからこそ、 奥様は母性本能をくすぐられ、王子様に憧れる若い女性たちはハートを 虜にされてしまうのかもしれいない。 頬を盛大に染めた奥様はレヴィの手を取って言った。 「私、毎日でも来ちゃう」 「お、お待ちしています」 さすがに手を握られてはレヴィも驚く。しかし、振り払うわけにもいかず、レヴィは少し困ったように笑って答えた。 その初々しさにまたもや奥様、 ぽわわ〜ん しかし、そこへついに介入した者がいた。 「ボス!!」 「え!? リコ!?」 I love ボス!! のリコだった。 強引にその場から離脱させられたレヴィは一体どうしたんだと目を瞠る。 「おい、何だよ、お客様の前だろ」 その叱咤は尤もなものだったが、 「だって・・・」 反論しようとして、モゴモゴとリコは口ごもる。 「何だ?」 だって、ボスが好きなんだもん。 そんな事は口が裂けても言えない。しばしの逡巡の後、 「あ、あの、コレ、運んで」 そう言ってリコが指差したのは、フルーツやアイスクリームがふんだんに盛られた大きなパフェ。 いくらリコが小柄であるとは言え、運べないほど重量のあるものでもないことは 明らか。当然レヴィは盛大に顔をしかめた。 「はァ? これくらいお前が運べばいいだろ」 「 」 当然と言えば当然なレヴィの反論に、リコはしゅんと項垂れる。 「・・・ま、いいけど」 あまりにもあからさまに凹んでしまったリコを見て、レヴィはパフェを手に取った。そんなに酷い事を言ってしまっただろうかと考えてみるのだが、これくらいいつものやりとりではなかっただろうか。 首を捻りつつ、レヴィはパフェを運んでいった。 相変わらずリコはしゅんとしている。 そんなリコを、カウンターからシャオが見つめていた。けれどその視線にリコが気付くことはない。リコの瞳は、じっとレヴィを追っていたから。 そのことに気付いたシャオは、リコから視線を外す。大きな瞳でレヴィを必死に追うリコの姿など、見ていたくなかった。 視線を手元へと落としたその時だった。 「シャオ、サンドイッチきゅうり抜きで」 今、聞きたくない声が降りかかってきた。オーダーを取ってきたレヴィだ。しかし、いくら恋敵であるとは言え、シカトをするほどシャオも子供ではない。視線を彼へと向けることは出来なかったが、それでも答えを返す事はできた。どうにも口調がとげとげしくなってしまうこと気付きながら。 「・・・分かった」 「あと、オレにお茶くれ」 「自分でやれ」 「?」 何故かキツイ物言いをしたシャオに、レヴィは目を瞠る。何かヘマをしてしまっただろうかと己の行動を振り返ってみるのだが、何もしていない。 いや、こっそりとサンドイッチ用のハムを二、三枚ペロリとやってしまったが、 (・・・・・それか?) いつもそれくらいのつまみ食いはしているし、彼もそのことは知っているだろう。 (シャオ、頭が硬くなったな 。まだ若いのに) と、レヴィなりにそう結論づけていると、リコがそのやりとりを見ていたらしく、駆け寄って来た。 「ボス、あたしが淹れてあげるから 」 「リコ、これ運んでくれ」 「でも 」 「早く」 「・・・はい」 リコの言葉をことごとく遮ったのはやはり冷たい口調のままのシャオ。仕方なくリコはシャオから渡されたコーヒーとケーキを受け取り、カウンターから離れて行った。 後に残されたレヴィに、更にシャオは言った。 「自分でやれ」 「・・・何で怒ってんの? シャオ」 「怒ってない」 (・・・怒ってるじゃんかよ) 明らかに怒っているのだが、それ以上レヴィが問うことはなかった。今彼にどうしたのかと訊ねても彼は「怒ってない」の一点張りで何も言ってくれないだろう。長年の付き合いでそのことを知っているレヴィは大人しく口を閉ざし、彼に言われた通り自ら喉の渇きを癒そうと厨房へと向かって歩き始めた。 厨房では、サヤがこそっとカウンターを覗いている。いや、カウンター内に立っているシャオの様子を窺っている。 「・・・また」 溜息交じりにサヤは洩らす。 いつ見ても、シャオはリコを見つめていた。そして、切なげな溜息と共にその視線を無理矢理引きはがし手元へと落とすのだ。 (・・私に入る隙なんてないのよね) 改めて、己の淡い恋が報われないのだということを思い知らされ、サヤは厨房の奥へと戻るのだった。 そこへやって来たのは、グラスを片手に持ったレヴィだった。 「お疲れ 」 「あ。お、お疲れ様です」 昨日の散々な初対面の後、レヴィとろくにコミュニケーションを取っていないサヤは、僅かに顔を強張らせる。未だに彼への印象は悪いままだった。 だが、レヴィはと言うと、もう昨日の事など忘れてしまっているのだろうか。サヤに全く気を遣うことなく、冷蔵庫から取りだしたお茶を汲み、ゴクゴクと飲んでいる。そのままぐびぐびとグラスの一杯のお茶を一気に飲み干した後、レヴィは流しにグラスを置きながら生クリームを作っていたサヤへと声をかけた。 「なあ、シャオのヤツ、どうしてイライラしてるのか知らねー?」 「え?」 レヴィの問いに、サヤは目を瞠る。 あんなにあからさまであるにも関わらず、 彼はどうやらリコが自分に恋していることを知らないらしい。 そして、そんなリコに恋心を抱いているシャオが、彼に対してヤキモチを焼いているのだということにも 全くもって気付いていないのだ。 これはリコもシャオも苦労するだろうと同情しつつ、サヤは左右に首を振った。 「さ、さあ」 分からない、と。 ここで自分が伝えるべきことではないと、サヤは知らない振りをした。 レヴィはサヤのその答えを素直に受け取り、「そっか」と頷き、首を捻った。 「オレ、何かしたかな 」 いくら考えても分からない。 しばし「う ん」と唸っていたレヴィだったが、 「ま、いっか」 一人で悩んでいても仕方がない。前向きなのか呑気なのか、レヴィはすぐに諦め踵を返した。 どうやらホールに戻る気になったらしい。 そのことを察したサヤはほっと安堵する。まだ彼と二人きりの空間は居心地が悪い。ドロボウとして初対面で出会った彼への恐い、という印象が拭えない。 サヤが小さな溜息を零した時だった。 「あ」 厨房を出ようとしていたレヴィが、不意に立ち止まったのだ。 「そうだ。サヤ」 「はい?」 まだ何かあるのだろうかと一度は抜いた力を再び肩へと込める。しかし、レヴィが次に告げた言葉は、一気にサヤの緊張を取り払うものだった。 「ケーキの評判、すっげイイぞ」 「 」 ニカッと快活に笑ったレヴィに、サヤは目を瞠る。そして、 「そう。良かった」 驚きの醒めぬままではあったが、サヤは辛うじてそう答え、僅かに微笑みを返した。 そんなサヤに更に微笑みで返したレヴィは、ヒラヒラと手を振って、今度こそ厨房から姿を消した。 その姿が消えても尚、サヤは彼が去っていた入り口を見つめていた。 「・・・ビックリしたぁ」 思わず呟きが口をついて出た。 彼が笑みを浮かべたその瞬間に、レヴィに対するドロボウのイメージは消えた。 恐い人ではない。 この辺りでは滅多に見かけることのない眩しい金糸の髪と、その中に埋もれた、やはり見たことのない アメジストのような瞳。彼の笑顔はとても綺麗で、けれど年相応の少年らしいはつらつとした輝きを溢れさせてもいる。それはとても魅力的で、女性客やリコが彼に恋心を抱いてしまうのも理解できた。 仕事の手を止め、ぼんやりと考えていると、 「サヤ、ガトーショコラ、出してくれ」 「あ、はい!」 シャオの声に我に返る。 今はおやつ時のピーク。もう少し、仕事に専念しなくてはならない。考え事も、今は脇に置いておこう。 |