時刻は午後二時を過ぎたところ。昼のピークを過ぎ、店内は客もまばら。 カウンターの前では、いつでもお客様の声に応えられるようお行儀良く立っているリコと、その隣ではEDEN初勤務で少し緊張気味のサヤがいた。本来ならばもう一人そこにいるはずのレヴィの姿はない。風邪によってノックダウン。ベッドにinだ。 シャオはというと、カウンターから厨房の方へと引っ込み、小さな鍋で粥を作っている真っ最中だった。言わずもがな、病人レヴィの昼食だ。いくら恋敵とはいえ、「昼食抜き! ひぇっひぇっひぇ」などという嫌がらせをするほどシャオも子供ではなかった。 「あ、それ、ボスの?」 「あ、ああ」 ひょいと厨房を覗いたリコが、何か作っているシャオの後ろ姿に問いかける。その問いに答えたシャオの顔に、「見つかったか」と書いてあることに、リコは気付かなかった。 シャオはなるべくリコには見つかりたくなかったのだ。何故なら、 「じゃあ、あたし持って行く♪」 とリコが言い出すことを察していたからだった。 案の定喜々として立候補を表明し、厨房へと軽やかに駆け込んできたリコに、シャオが慌ててそれを制しようとしたのだが、 「あ、いや。俺が」 「え ! あたしが行くよぅ!」 盛大に頬を膨らませるリコに、一瞬諦めかけたシャオだったが、名案を思いつく。そして、シャオは遠慮がちに厨房へと視線を送っているサヤを見つけ、彼女を呼んだ。 「そ、そうだ。サヤ!」 「はい?」 「まだレヴィに会ってもいないしな。良い機会だし、レヴィに飯を持っていってくれないか?」 「はい。分かりました」 リコとは違い、素直に首を縦に振ったサヤに、シャオは内心ガッツポーズをかます。 どうしたってリコとレヴィを会わせたくなかったらしい。 風邪を引き、おそらく弱気になっているレヴィ。そこにリコ登場で粥を食わせ、そして励ましてい る内、レヴィの心の中にぽっと淡い想いが沸き起こり (なんてコトになってたまるかよ!!) なかなかにシャオも乙女チックな妄想をする人間らしい。 が、シャオがそんなことを考えていることなど露知らず、 渋々リコもサヤへとその役目を譲るようだった。 「ちぇ。仕方ないな 」 それでもやはり快く、とはいかない面持ちのリコを横目に見ながら、シャオはリコが「やっぱり行きたい!!」と言い出す前に、サヤへと向き直って言った。 「じゃあ、これ、悪いけど先に剥いてやってくれないか? 粥はもう少し時間かかりそうだからな。腹減らしてるだろうし」 「分かりました」 シャオから差し出された果物ナイフとリンゴ一つを受け取ったサヤは、微笑みと共に頷いて見せた。 「部屋はリコの部屋の向かいだ。・・・分かるか?」 「はい。行って来ます」 「悪いな。頼んだ」 そう言って僅かに微笑んだシャオに、サヤの胸が一瞬ドキ★と高鳴る。 常にはあまり笑顔を見せず、カウンターに入っている時でさえ、客が話しかけようが何だろうが表情を変えず淡々と接していたシャオだったが、こうして時折見せる笑顔が一瞬彼を幼く見せる。それがサヤの母性本能をくすぐったのかもしれない。 シャオとリコとに送り出されたサヤは、ナイフとリンゴを抱え二階へと階段を上がっていく。先程、制服に着替える際にリコの部屋を使わせてもらったのだが、その向かいがレヴィの部屋らしい。その所在はすぐに分かった。 リコの真向かいではなかったが、向かいと思しき場所にドアがあるのを見て、 サヤはその前に立つ。 「ふぅ」 一度、深呼吸。 レヴィという人物について、サヤは何も聞かされていない。 ホールを担当しているということしか知らないサヤにとって、 初対面のレヴィがどんな人なのだろうかと期待と共に不安が湧き上がってくる。 「よーし」 リコやシャオと一緒に暮らしている人のようだから、悪い人ではないだろうと自分の中でそう結論づけ、サヤは思いきってドアへと手を伸ばし、 コンコン。 「・・・・・・・・あれ?」 ノックをしてみたのだが、返事はない。 部屋を間違えたのだろうかと廊下を見渡してみるのだが、リコの部屋の向かいと表現できる部屋はそこしかない。 コンコン。 「あの、レヴィさん?」 再度ノック。ついでに名前も呼んでみる。 やはり、返事はない。 もしかしたら眠っているのかも知れない。そうとなれば起こしてしまうのも失礼かも知れない。出直すべきか否か迷ったサヤだったが、「腹減らしてるだろうし」とシャオも言っていたのだから、起こして食べてもらった方がいいのかもしれない。 しばしの逡巡の後、サヤはドアを開ける決意を固めたようだった。 「あ、開けますよ?」 遠慮がちに告げた後、サヤはゆっくりと部屋のドアを開いた。 「あれ?」 部屋の中が想像以上に明るいことにサヤは驚く。てっきり眠っているのだからカーテンも閉めているのだろうと思っていたのだが、その予想に反して窓は全開、カーテンも勿論引かれていなかった。その窓からは大きな木の枝が伸びている様が見えた。 その窓辺にはベッドが置かれてある。視線をそちらへと移しサヤは気付く。やはり、レヴィは眠っているようだった。窓から入り込んでくる日光が眩しいのだろう、布団に潜って眠っている所為で、その姿は片鱗も窺えない。 サヤはベッドの脇まで寄ってみるが、レヴィが目覚める気配はない。 「レヴィさん。ご飯、持ってきましたよ」 声をかけてみても、うんともすんとも返事はない。これは声をかけたくらいでは起きてくれなさそうだと察したサヤは、少し可哀想かとも思ったのだが、揺すり起こすことにする。 ナイフとリンゴを持っていた所為で塞がっていた両手を解放するために、サヤは右手に持っていたナイフを左手のリンゴの上へとやる。そして、自由になった右手でレヴィの肩を揺すろうと手を伸ばした。 「レヴィさん、あの 」 その瞬間だった。 「あッ」 リンゴの上にのせるようにして持っていたナイフが、体を屈めた拍子に、 「 !!!」 真っ逆さま、ストンと落ちていったのだ。 サヤの口から声にならない悲鳴があがる。 ナイフは迷うことなく落下し、布団がレヴィをすっぽり覆っている所為でその部位はあきらかではなかったが、おそらく彼の頭部と思しき膨らみへと垂直に突き刺さって止まったのだ。 「 や、殺っちゃった!!?」 しばし茫然と立ち尽くした後、サヤはようやく口を開く。その瞳はすでに涙目である。 「どッ、どうしよ 殺っちゃった! 怒られるよね!? 怒られるってレベルじゃなく、もしかして敵討ちされちゃう!? 逆に殺られちゃう!? ど しよう!!」 サヤの混乱はマックスだ。そして、しばしそのまま混乱の渦の中に思考を置いていたサヤだったが、そうしたカオスの中、彼女は一つの結論を導き出したようだった。勿論、カオスの中に落ちていた答えなので、その答えもまたオカシイものではあったのだが。 「 や・・・・殺り返せばいいのよ。そうよ、もう一人殺してるんだもの。今更一人や二人・・・ケケケケケケ」 彼女の混乱はまだ続いているようだった。 凶悪な笑いを唇から零しつつ、同様にその清楚で可憐であるはずの顔も 凶悪なものに変わっている。唇の片端だけを吊り上げて笑っているという表現がもっとも相応しいだろうか。そして、まだまだ涙のひかない瞳は、レヴィの頭部に突き立てられたナイフへと向けられている。 サヤがそのナイフを抜くべきか否か迷っていたその時だった。 ガサッ! 突然、窓の外で風に揺られていた枝が、明らかに風が起こしたのではない音をレヴィの部屋へと響かせたのだ。 「誰!?」 その物音に、サヤは弾かれたように視線を窓の外へと遣る。す ると、窓の側に立っている木の枝に一人の少年の姿があった。 おそらく木を登ってきたのだろう、窓へと伸びた太い枝に腕をかけ、今 まさにその枝へと体を持ち上げんとしている格好で固まっている少年。 その瞳はサヤの凶悪な顔からベッドへと突き立てられたナイフへと移されていき、 最後に再びサヤへと帰ってきた。 太陽の光に輝く金色の髪に、アメジストが如く美しい紫色の瞳。 サヤは知らなかったが、もう皆様もご存知の彼、だ。イコールこの部屋の主。 そして、彼女が殺してしまったと思い込んでいたその人、レヴィだった。 んがしかし、サヤにそれが分かるはずもない。サヤの彼への認識は、窓へと伸びた太い木の枝を昇り、レヴィの部屋へと侵入しようとしている怪しい男に他ならなかった。自分が今、ナイフを凝視し、「ケケケケケ」とあんたこそ怪しいよ!! と言われること必死な形相をしていたという事実は棚に上げている。 棚に上げたとしてもレヴィからは隠せない。 レヴィからすれば、自分がシャオやリコが来ても脱走しているとバレないよう、 毛布を丸めて布団を被せておいたその布団へ、しかも頭部めがけてナイフを突き立て、それを見てケケケと唇の端を吊り上げている見知らぬ女がいるのだ。その光景は驚愕に値する。 二人は一瞬の沈黙の後、同時に叫んでいた。 「殺し屋 !!!」 「ドロボ !!!」 その叫びが店内に充満した所で、レヴィの部屋へシャオとリコが飛び込んできた。 「ど、どうした!?」 「何かあったの!!?」 勢い込んでドアを開け放ったものの、そこで繰り広げられていた光景にシャオとリコはポカンとする。 二人の前で繰り広げられていたのは、鼻息も荒くナイフを構えているサヤと、窓の外の枝で、まるで警戒した猫が背中の毛を逆立てているかのような様子で部屋の中のサヤを威嚇しているレヴィの姿があった。 「ど、どうしたの? 二人とも」 いったい何故二人がバトっているのかが分からない。きょとんと瞳を瞬かせ訊ねたリコに、答えは同時に返された。 「ドロボウです!」 「殺し屋だ!」 レヴィを指差しドロボウだと叫ぶサヤに、シャオが首を傾げながら答える。 「いや。レヴィだよ、コイツが」 「レヴィさんは私がさっき殺しました!」 「は?」 シャオは盛大に眉を潜め、ついでに窓の外でフーッ! と猫をしているレヴィを指差す。「え? ここにいるじゃん?」と伝えたいらしいが、それを遮ったのは、リコとそしてレヴィだった。 「ボスを殺したですって!? 許さな い!!」 「てめェ! よくもオレを殺しやがったな!!」 「生きてるだろーが、お前は」 まったくもってお馬鹿なリコとレヴィを叱咤してから、シャオはヒラリと布団をめくって見せる。そこには細長く丸められた毛布があった。レヴィが誰か来た際に、自分が部屋を抜け出していることを悟らせないための偽装工作だった。 それを見て、サヤは自分が勘違いしていたことに気付いたようだった。 「ご、ごめんなさい! 私、早とちりしちゃって!」 本当にとんでもない早とちりだ。 それを笑って許したのは、 「いいよいいよ。気にすんな」 未だ窓の外の枝に腰掛け悠長に微笑んでいるレヴィ。 そんなお気楽野郎に制裁を加えるのはやはりシャオの役目だった。ズカズカと大股で窓辺によると、 「お前がゴメンナサイだ!!」 有無を言わせずレヴィを部屋へと引っ張り込んだ。 「そうですよ、ボス。ま〜た窓から抜け出して! どうせウォンさんとダベってたんでしょ」 「お前が大人しく寝てればこんなことにはならなかったんだ」 「ゴメンナサイ」 リコとシャオとに責められ、レヴィは大人しく謝ると、二人に押し込められるがままベッドへと潜り込んだ。 が、 「ちょっと待て、シャオ! 大人しく寝てたらオレ死んでたんじゃねーの!?」 「・・・」 「ねえ、おい! ムシすんなよ、ハゲ!!」 「眠れ、お前は永遠に」 「ひで !」 レヴィを黙らせたシャオは、サヤへと向き直り未だその手に握られてあったナイフを手にとって机の上に置いてから言った。 「というワケで、お互い第一印象は素敵に最悪だろうと思うが、自己紹介は済んだな」 「おお・・」 「はい・・」 「じゃ、下りるぞ、リコ」 (んな殺生な ッ!!) という二つの心の声はシャオには届かなかったのだろう。 たとえ届いていたとしても、このまま全員が二階にいてはお客様を放置することになってしまう。 勿論、そんなコトが許されるはずもなく、シャオはさっさと立ち上がった。 「は い」 部屋を出て行ったシャオに続いて、リコも行ってしまう。そうなると部屋の中は、 「・・・・・」 「・・・・・」 見事なまでの重い沈黙が下りた。重い。重すぎる。レヴィもサヤも微動だに出来ず、虚空を見つめるしかなかった。 そうして呼吸することさえも躊躇われる頃になってようやくそこへ助け船が導入されることになった。 「お粥到着 」 両手にお粥の入った皿を持ったリコがやって来たのだ。 一瞬にして部屋の空気が変わり、レヴィもサヤも安堵の溜息を洩らしていた。 そんなことなど露知らず、リコは持ってきた粥をスプーンにすくい、 それにふぅふぅと息を吹きかけている。どうやらこのまま食べさせてから行く気らしい。 「じゃ、あとは頼むね、サヤちゃん」と展開しなかった物語に、心の底から安堵し感謝するサヤだった。 「はい、ボス。あ ん」 「ヤだよ、気持ち悪ィな」 「うりゃ!」 「イデっ!!」 「あ ん」 優しく差し出されたその手には、いい香りを漂わせた粥の乗ったスプーン。 もう片方の手は、先程レヴィの腹部を強襲した際、作られた握り拳がまだ残っている。 残っているどころではなく、今すぐにでも再度レヴィを強襲できるよう振りかざされている。 これはもはや恐喝。 「はい、ボス あ んして」 「・・・・あ ん」 リコの脅しに負け、レヴィは素直に口を開いた。 口に飛び込んできた粥は、少し熱かったものの味は絶品 「うん。美味い!」 顔を綻ばせるレヴィに、 「良かった」 自分が作ったわけではないのだが、それでもリコはレヴィの笑みを見て満面の笑みを浮かべた。 そんなリコの幸せそうな表情を見たサヤは察する。 (・・・レヴィさんのこと好きなんだ、リコちゃん) そして、サヤはその瞬間に席を立っていた。 「じゃあ、ここはリコちゃんに任せるね」 お邪魔虫は退散。 「うん」 サヤが気を利かせてくれたことなど知らず、リコは普通に手を振って彼女を見送った。 トン、トンとリズム良く階段を下りていく。その途中、溜息がサヤの唇から零れ落ちていった。その溜息の理由とは、 (レヴィさんと仲良くやっていけるかな・・) それが、今この店での唯一の不安だった。 シャオはクールに振る舞ってはいるが新人の自分のよく気を遣ってくれる優しい人だったし、リコはとても人懐っこく仲良くしてくれている。シャオから頼まれていた、EDENで出すスウィーツも頭の中では決まった。きっとうまくいくだろう。 「レヴィさんだけだなぁ」 きっと彼も悪い人ではないのだろうが、何せあのご対面では仕方がない。 第一印象の大切さを知ったサヤだった。 「あれ? リコは?」 ホールへと戻ったサヤを迎えたのは、不思議そうな顔をしたシャオだった。リコが戻ってきたと思っていたのに現れたのがサヤだったことに驚いたらしい。そんなシャオに、サヤは上を指差してみせる。 「レヴィさんの所に」 その瞬間、シャオの表情が凍り付いたのを、サヤは見逃さなかった。しかし、サヤがその理由を問う前に、シャオはサヤから顔を背けてしまっていた。 「じゃあ、サヤ。コレ、12番・・・・あそこのテーブルに頼む」 「・・はい」 シャオの凍り付いた表情の理由が気にならないと言えば嘘になる。むしろ、知りたい。けれど、今更話を蒸し返して訊ねるのもおかしいだろう。 それでも、サヤはシャオが気になって仕方がない。 シャオに頼まれたコーヒーをテーブルに運び、再びカウンター近くへと戻ってきたサヤは、チラリと視線をシャオへと向ける。するとそこには、しきりに二階を気にしているシャオの姿があった。 |