ウォンの家を出たシャオはふと歩みを止めた。そして、ウォンの家を振り返る。 「・・・・アイツ、絶対に面白がってる」 先程は彼が自分を気遣ってくれていると一瞬感謝してしまったのだが、 冷静になって考えてみるとあれも本心ではないはずだとシャオは思ったのだ。 ああやって、さも心配しておりますオーラを出しながら、 心の中でほくそ笑んでいるのがヤツなのだ。危うく「ウォンにも良い所があるじゃないか」と騙されるところだった。 「アイツめ・・・」 と、どうしようもない歯痒さや悔しさをウォンにぶつけつつ、シャオは歩いていく。その歩みは止まることなく、戻るべき店の前をも通り越してしまう。レヴィには夕方には帰ると言っておいたのだが、まだ帰ることは出来そうになり。 今、店に帰っても、まともにリコやレヴィの顔を見ることは出来そうになかったから。 『 レヴィに取られてもいいのかい?』 不意に蘇ってきたのは、ウォンの言葉だった。 「 いいわけないじゃないか」 答えは簡単に出てくる。 当然、リコをレヴィに取られたくはない。出来ることなら、自分がリコを幸せにしてやりたいのだ。しかし、リコの心はレヴィにある。今のところ唯一の救いは、レヴィがリコのことを妹としてしか見ていないということだった。 だが、これからもそうとは限らない。突然リコがレヴィのことを意識し始めたように、いつレヴィもリコのことを恋愛対象として捉える日が来るかは分からない。もしかしたら、こうして自分が店を離れ、二人で『EDEN』を切り盛りしているこの瞬間にも 「バカバカしい・・」 シャオは吐き捨てるように言い、己の妄想を断ち切る。 リコを思う気持ちばかりが大きくなっていく。突っ走っていく。その早さに、体がついていかない。まだ何をすればいいのかが全く分からない。気持ちに、置いていかれてしまう。そのことを嫌がっている所為だろうか、何処を目指しているわけでもない足だけが、いやに早く歩を進めている。歩いても歩いても、何も解決などしないと分かっているのに。 『どうするんだい?』 ウォンの問いが蘇る。 答えは、 「 俺がききたいよ・・」 出せないからこうして歩いているのだ。苦しい気持ちを、悔しい気持ちを、苛立つ気持ちを紛らわせようと歩いているのだ。 それでも離れてくれないもどかしさに、シャオが唇を噛みしめたその時だった。 「もう! いい加減にして下さい!!」 シャオの意識を現実に呼び戻したのは、若い女の怒鳴り声だった。 いったい何事だろうかと視線を向けると、すぐさま可愛らしい看板が目に入った。今日は既に閉店しているのだろう、closedの小さな看板が入り口に下げられているが、そこはシャオもよく知るお菓子屋『MARGARET』だった。辺りに漂ってくる甘いお菓子の香りに相応しくない争いが、店内で繰り広げられているようだった。 「何でだよ!」 「理由は昨日言った通りです!」 見れば非常に細い、もやしっ子という名前が超絶ピッタリな男が、一人の少女に何事かを食い下がっているようだった。それを困ったように、けれどきっぱりと制しようとしているのは、スラリと背の高い遠目にも見目の良い少女だった。 それは、昨日リコに水をかけた少女−サヤだった。 無論、シャオはそのことを知らないのだが。 肩の辺りで切りそろえられた髪と、白い肌。切れ長の瞳はやはり黒。楚々とした雰囲気の少女だったが、その口調から芯の強さが窺える。 「だから、私はあなたとお付き合いする気はありません」 そうきっぱりと口にしたサヤに、ヒョロリとした男がみじめに食い下がっている様を、シャオは何とはなしに眺めていた。 (・・・見苦しいな。男なら潔く引けばいいのに) そこまで考えてシャオは自分だったら、と思う。 もしも愛しい少女に拒まれているあの男が自分だったら、どうするだろう。今己が言ったように、潔く引き下がることができるだろうか、それともあの男のように惨めでもいい、それでも「頼むから!」と言って食い下がるだろうか。 「 」 答えは、分からない。 シャオは自分とリコの姿を彼女らに重ねつつ、その様子を見つめていた。 するとサヤが店を出てきた。勿論、男も執拗に彼女のあとを追い店を出てくる。 見れば男は、尖った顎と吊り上がり気味の目をした、非常に我が儘そうだった。サヤがつき合えないと拒むのも一理あるとシャオが見つめていると、店の前でサヤを引き止め、今度はそこで男は彼女に縋り付き始めた。夕方になり、閑散としつつはあるが、通行人がいないわけではない。それでも男は無様にも言葉を紡ぎ続ける。 「何でだよ、サヤ! 何で俺じゃ駄目なんだよ」 「だから、私、貴方とは合わないと思うんです」 「そんなの付き合ってみなきゃ分かんねーだろ!」 「分かります!」 見事なまでにふられているのだが、男は引き下がらない。ここまでくると、男の方が哀れに思えてくる。しかし、その同情が彼には不要であることをシャオは後に知るのだった。 「いいから俺とつき合えよ!」 「嫌です! もう、離してください!」 執拗に腕を握り続ける男の手から逃れようと、サヤが腕を大きく振るが、男はそれを許さない。そして、男は堂々と言った。 「やめたいのか!?」 「・・・え?」 「店を追い出されたいのかって聞いてるんだよ」 その言葉に、それを聞いていたシャオは盛大に眉をひそめる。どうやら男が『MARGARET』の経営者か何かで、少女が従業員という立場らしい。その立場、権力を振りかざす男に、シャオは怒りを覚える。一発殴って来てもいいだろうかと考え始めたその時だった。少女が冷たい瞳を男に浴びせ、そして言い放った。 「あなたってつくづくサイテーね」 その言葉は全くもってその通りだった。しかし、 「何だとォ!?」 逆上した男が、サヤに向かって手を振り上げていた。 その瞬間、シャオは駆け出していた。勿論、少女を守るために。あわよくば、この根性の曲がりきった男を殴れればいいとさえ思った。そうすれば、少女を助けることも出来るし、自分の中のイライラも解消できるだろう。 「やめろ!」 突然、サヤと自分との間に割って入って来た見知らぬ人間に、男は驚いたようだった。受け止められた腕をすぐに引き、それ以上襲いかかってくることはしない。少女に手を挙げることは出来ても、自分より体格の良いシャオに刃向かうことは出来ないようだった。 その事を察したシャオは、更に眉根の皺を濃く刻む。 「好きな子に手を挙げるなんて、最低だな、アンタ」 蔑んだ瞳で男を見下ろし言い放つと、男は即座に言い返してきた。 「うるさい!! 邪魔者はすっこんでろよ!」 そう言ってシャオの体を押しのけた男は、 「来い!!」 「ちょっと、やめてください!!」 嫌がるサヤの腕を再び捕らえ、店の中に引き戻そうと歩き始める。 しかし、それをシャオは許さなかった。無言で男の腕を掴み引き止める。 「おい、離せよ! お前は関係ねーんだから、邪魔すんなよ! 離せ!!」 ぎゃあぎゃあと喚き立てる男の醜態に、シャオは閉口する。そして、しばしの沈黙の後、シャオは口を開いた。そこから零れたのは、いつもよりも低く下げられた、ドスのきいた声だった。 「 お前こそ彼女の手を離せ」 低い声音に驚きシャオを見つめた男は、その瞳に鋭い光が宿っているのを見て取り、途端に固まる。 そんな男に、シャオは重ねて言った。 「離せって言ってるのが聞こえないのか」 次の瞬間、男がパッとサヤの腕を解放していた。 男の根性のなさに嘆息しつつ、シャオも男の腕を解放する。すると男は脱兎の如く踵を返し店へと向かう。そして、店のドアを閉める瞬間に、 「覚えてろ!!」 お決まりの捨て台詞を口にし、店内へと消えていった。 「 ・・・王道を行くヤツだなァ」 我が儘で卑怯で根性がない上に個性までないのかと、半ば呆れつつシャオは男を見送る。もう彼をサンドバッグ代わりにする気さえ起こらなかった。殴ってしまえば、その拳から彼のウジウジ菌―シャオ命名―がうつってしまいそうな気すらする。「覚えてろ」と言われたのだが、ここはもう一瞬にして彼のことは忘れてしまおうと、シャオはすぐさま立ち尽くしている少女に視線を遣る。 「大丈夫か?」 「え!? あ、は、はい!」 醜男から自分を救ってくれた超クールガイを、「ぽ /////」と見つめてしまっていたサヤは、ハッと我に返り頬を赤く染める。ミーハーな女だと思われはしないかと心配に思ったが、どうやら彼は気にしていないようだった。逆に、申し訳なさそうに彼は口を開いた。 「つい口を挟んでしまったけど・・・・余計なお世話だったかな?」 「いえ! 助かりました。本当にありがとうございます」 丁寧に頭を下げたサヤに、けれどシャオは申し訳なさそうな顔をしたままだった。 「でも、やめさせるって聞こえたけど・・・」 自分がこうして首をつっこんだばかりに、彼女が本当に店を辞めさせられてしまうのではないかと、今更になって心配になったのだ。深く考えもせずに行動してしまった自分を情けなく思いながら問う。 しかしサヤはきっぱりと首を横に振って見せた。 「いいんです。こんな店、私の方から辞めてやります」 大人しげな見た目とは違い、サバサバとしている少女にシャオは少し驚く。 「せいせいしました。それに、お菓子屋なんて、ここ一軒ってわけじゃないですし」 そう言って、サヤは笑った。本当にせいせいした笑みだった。 明日からどうしようと嘆く様子もなく、ニコニコとしている肝の据わったサヤに、シャオは思わず笑みを洩らす。見た目とのギャップには驚いたが、不快ではない。むしろ好印象。 そして、シャオは迷うことなく口を開いていた。 「俺の店に来ないか?」 「え?」 唐突なシャオの誘いに、サヤがきょとんと目を瞠る。 そんな彼女の反応に、自分の言葉が足りなかったことを悟ったシャオは、すぐに言葉を付け加える。 「俺、喫茶店をしてるんだ。それで、ちょうどケーキとかクッキーとか、デザートもメニューに加えたいと思ってて・・・それで、君に働いてもらえないかと思って・・」 口下手なシャオなりに懸命に言葉を紡ぐ。唐突な申し出に彼女が嫌な顔をするのではと、ドキドキしつつ答えを待っていたが、その心配は杞憂に終わった。 「いいんですか!?」 瞳を輝かせ、すぐさまサヤがそう問い返してきたのだ。 どうやら「OK」らしいと、シャオはほっと胸を撫で下ろす。 店を辞めさせられてしまった彼女を放っておくことはできなかったし、お菓子をメニューに加えたいと思っていたのも事実だ。そして、お菓子作りの知識が自分にはなく、専門の人間を雇わなくてはならないとも思っていた。具体的な時期までは決めていなかったが、せっかくこうして明るく前向きな少女に出会ったのだ。今でもいいではないかとそう思った。 「ああ。頼むよ」 そうして僅かに笑みを向けて見せると、 「 はい! よろしくお願いします!!」 言って、サヤはその何倍もの笑みを返してきた。 その満面の笑みは、恋に疲れたシャオの心を癒してくれるようだった。 |