「はぁ 」 リコと同じく切ない溜息を吐く青年がいた。齢20、もう少しで21の誕生日を迎えるEDENの若き経営者シャオだ。 突然EDENを出た彼は今、お隣、ウォンの家の前に佇んでいた。何をするわけでもなく、ただ玄関を前に佇んでいる。いったいどれほどの時間そうしていたのだろうか。不意に彼は回れ右をした。だが、そのまま一歩を踏み出すことなくまた立ち止まってしまう。 「・・・・」 そして再び回れ右をしたかと思うと玄関を見つめる。んがしかし再び回れ右をした。 人の家の前でくるくるくるくるしている彼は、端から見れば完璧に変態だった。 別段、彼は変態でも頭がおかしいわけでもない。とにかく迷いに迷いまくっているのだ。 「 行くべきか、否か・・・!」 思わず天を仰いでしまうほど、本当に真剣に悩んでいるのだ。 ウォンに用事があった。言わずもがな、リコのこと。ウォンならばきっと今朝リコに何があったのかを知っているはずだから。 しかし、 「行きたくない!」 これが本音である。 ぶっちゃけて言ってしまえば、シャオはウォンのことがあまり好きではないのだ。かと言って、大嫌いというわけでもない。まあ、どちらかと言えば嫌いの部類に入るだろうが。とにかく、彼とは関わり合いになりたくないのだ。 シャオとウォンの付き合いは長い。それこそ、母≠ノEDENへと連れてこられてからの付き合いになる。シャオが3歳、ウォンが10歳の時からなので、17年になるだろうか。その17年間の付き合いを思い返してみても、良い思い出がない。一つもない! 断言できてしまう。 7つ上のお兄ちゃんだからと純粋に彼を頼り、彼の言うことに従っていた時期もある。しかし、気付いてしまった。コイツの言うことを聞いていては、ろくなコトにならない!! ということに。むしろ大変なことになる。自らの助言によって幼い少年が苦況に立たされていくのを見て、アノ野郎は非常に楽しそうに笑っていやがったのだ。絶対にコイツとはもう関わり合いになるまいと硬く心に誓った。あれは6つの夏だったろうか。それでもウォンは、新たにEDENにやってきたレヴィやリコを使ってはシャオで遊んできたのだが。 「嫌なんだが 」 そう、だから嫌なのだが、 「・・・どうするかな」 リコに何があったのか、どうしても知りたいのだ。その理由がどんなに自分を傷付 けるものだとしても、知りたいのだ。その為にはおそらくリコの良き相談者ウォンにその旨をお願い申し上げなければならないのだ。あの野郎に頭を下げなくてはならないばかりか、もしかしたらリコのことを好きだということさえも嫌に勘の鋭い彼に気付かれてしまうかも知れないというリスクまで冒さなくてはならない。 「 ・・何だってウォンなんだよ」 ウォンの家を背に、ついつい毒突くシャオ。 何故かレヴィも、そしてリコもウォンによく懐いていた。確かに二人からしてみれば10以上も年の離れた彼はとても大人で頼りになる存在ではあったのだろう。だが、あのウォンだ。人で遊ぶことが大好きな性格ひん曲がりウォンをどうしてあそこまで信頼できるのか、シャオはひたすら首を傾げる限りだが、理由は簡単だ。ウォンは、シャオ以外にはとても良いお兄さんとして振る舞ったからだった。 「あ 、どうするかな・・・」 ウォンの家に背を向け、更にシャオは悩み続ける。しかし、彼に訊く以外に方法がないことは分かっている。 そして、長い長い葛藤を越え、シャオはついにくるりとウォンの家へと振り返った。その目の前に、 「やあ♪」 「うわッッ!!」 ウォンがいた。 「お前ッ! い、い、いッ 」 いつからそこにいたのだろうか。全く気配を感じなかった。 「久しぶり。シャオくん」 驚きまくるシャオを満足そうに見つめ、ウォンはヒラヒラ手を振っている。その顔には満面の笑みが飾られている。 それを見た瞬間、シャオはせっかくの決意を潔く捨てていた。 「 じゃあ」 と言って、回れ右。この何を考えていているのか全く分からない笑顔が何よりも苦手だった。 くるりと背を向け歩き出したシャオに、ウォンが声をかけた。 「まあまあまあ、訊きたいこと、あるんじゃないのかな?」 「・・・・」 ピタリとシャオの足が止まる。 (図星か) とウォンが唇の端を吊り上げてニヤリと不気味に笑ったが、幸いにも背を向けているシャオに見られることもなかった。そして、何食わぬ顔でウォンは言葉を繋げて言った。 「例えば・・・リコちゃんのこととか?」 「・・・・」 ぴくりとシャオの肩が動いた。 非常に分かりやすい素直なシャオの反応に、ウォンは満足げに小さく笑った。本当なら大声で笑いたい所だが、今そうしてしまうと彼の機嫌を損ねてしまうので堪える。 「ここじゃ何だし、入りなよ」 そう言って穏やかに促すと、頑なに背を向け続けていたシャオが溜息交じりに振り返った。 「・・・じゃあ、少しだけ」 「どうぞどうぞ」 ニコニコと迎え入れてくれるウォンに、シャオは警戒心を抱かずにはいられない。しかし、観念する気持ちも心の中にはある。彼は既に自分がリコのことで訪ねてきたのだということを見通しているようだった。何もかも分かっているのだろう、この医者は。 家に一歩足を踏み入れると、薬の匂いが鼻をついた。その匂いを懐かしいと感じるのは、この家に来ることが本当に久しぶりだったからだろう。確か、2年前に彼の父親が亡くなった時以来だろうか。それ以来ウォンの家には入っていなかった。それでも彼はことあるごとにEDENを訪れていたので、彼自身には何ら懐かしさなど感じなかったけれど。 導かれるまま奥の部屋まで行き、ウォンはイスに、シャオは勧められるがまま診療台へと腰を下ろした。一見すると普通の医者と患者だ。 「で、どうしたんだい? 君が僕を訪ねてくるなんて珍しいじゃないか」 そう言ってニコリと愛想良く笑ったウォンに、けれどシャオは仏頂面のままだった。 「白々しいな。知ってるんだろ」 その言葉にウォンは「まあね」と肩を竦めて言った。 「今朝の、リコちゃんのことだね?」 「そうだ」 神妙な面持ちで頷き、迷った末、シャオは正直に全てを打ち明ける決意を固め口を開いた。 「アイツは腹が痛いから、なんて言ってたけど・・・違う。アイツ、昨日からおかしくて。アンタなら分かるんじゃないかと思って 」 「君も、もう分かってるんじゃないのかい?」 ウォンのその言葉に、シャオは閉口する。 昨日からリコの様子がどこかおかしいその理由を知っているのではないかと。 「 」 勿論、知っていた。何故なら、 「君はずっとリコちゃんのこと見てたんだからね」 やはり、この医者は何もかもを知っているようだった。それならばいっそ気が楽だ。シャオは思いきって訊ねる。 「・・・リコは、レヴィのこと・・・」 言葉は、そこで途切れてしまった。言葉にするには、少々胸が痛みすぎた。 そんなシャオの言葉に、ウォンは僅かな逡巡の後、 「・・・そうだよ」 小さな声で答えを寄越した。 「 」 分かっていたこととはいえ、やはりその事実はずしりと重くのしかかってきた。一気に肩が重くなったような感覚。今は、その重さに耐えるだけで精一杯。 言葉も出せないシャオに、再度ウォンは告げた。 「好きなんだそうだよ」 それはシャオにトドメを刺す為の言葉ではなかった。その理由に、ウォンは項垂れたシャオを労るように目を細めていたから。 そんなウォンの気遣いはシャオにも伝わっていた。だから、これ以上黙っているわけにもいかない。 「 ・・そうか」 小さな声で、そう答えた。それだけで精一杯だったのだ。 口を開けば更に言葉は出てきそうだったけれど、出したくはない。 ( どうして・・どうして俺じゃなくてレヴィなんだ!?) 出てくるのはそんな醜い言葉ばかりだったから。だから、口中に止めておく。 しかし、 (ずっと一緒にいたのに、一体何が違ったんだ? 何が良かったんだ? ・・・・顔か!? やっぱ顔か!!? それとも髪の色か!? やっぱり金髪の美形の方が好みなのか!!?) 唇を割って出てくることはないものの、胸の中に生まれてくる醜い感情は絶えない。次から次へと溢れ出る。何て女々しいんだとシャオは自嘲気味に笑ったけれど、それでも止まりそうにない。 (どうして俺じゃなくてレヴィなんだ !) こんなにもリコのことが好きだったのだと、今、知る。こんなにも激しい感情を秘めていたのだ。 唇を噛みしめ俯いたままでいるシャオに、ウォンがそっと口を開いて問う。 「どうするんだい?」 その問いは、ただただ嫉妬の情を噛みしめ続けているだけだったシャオを救い出してはくれたが、 「別に・・どうも・・・」 答えが簡単に出せるようなものでもなかった。 もごもごと語尾を消してしまったシャオに、ウォンが更に問う。 「好きなんだよね? リコちゃんのこと」 「 」 ウォンはその沈黙を肯定と受け取る。 「そうだよね? ずっとずっと前から」 「・・・・・」 やはり彼は知っていたのだ。 そして、自分に向けられる問いの全てが、「このままでいいのかい?」そう問うてきていることをシャオは知っていた。けれど、自分がどうすればいいのか、どうしたいのかが分からない。 ついにウォンは言った。 「 レヴィに取られてもいいのかい?」 その言葉は、シャオの胸をズンと重く突いた。 何故だろう、「嫌だ」と素直に口にすることは出来なかった。そして口から出てきたのは、 「・・・余計なお世話だ」 そんな無愛想な答え。ここまできて見栄など張らず、「だったらどうすればいい?」と彼に訊ねてみれば良かったのかも知れない。しかし、失恋したばかりのシャオには、そんな冷静な判断はできなかった。 そのままシャオは立ち上がり、踵を返す。 「何かあったらまたおいでよ」 別れも告げず去っていくシャオを、ウォンは黙って見送る。 遠ざかっていくシャオの背中が、いつもより小さく見える。ひどく落胆しているのだろうと、ウォンは気の毒そうに溜息を洩らした。 以前からシャオがリコのことをとても大切に想っていることは知っていた。付き合いの長いウォンにはすぐに、リコが彼にとって特別な少女になるのだろうということは分かった。シャオの想いが、恋という名に変わっていく様も間近で見てきたのだ。そして、リコへの想いが恋だとようやく気付いた瞬間、リコの心がレヴィにあるのだと分かってしまった彼の心の痛みは推し量るに忍びない。 再度ウォンは溜息をつく。が、次の瞬間、 「 さあ、シャオくんはどう出るのかな♪」 先程までの切なげな眼差しはドコへヤラ。ウォンは非常に楽しそうに笑った。 |