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７ ☆教えてドクター☆ |
今日もSilvery cityに朝が訪れる。
いつも通り、なかなか起きてこない同居人たちの名を呼んだ後、少し寝不足気味のシャオはキッチンで朝食の準備を始めた。しかし、作業の手はなかなか進まない。度々欠伸によって手が止まってしまう。
（眠い・・）
目を擦ってみても、欠伸は止まらないし、眠気は消えてくれない。
昨夜、眠れなかったのだ。胸の中でじりじりと焦げていくリコへの想いと、そんなリコがレヴィを見つめている時の女の顔。
彼女がレヴィに恋をしていることは一目瞭然だった。
ずっとずっと、リコに焦がれていたのに、気付いてもらえなかった。 それどころか、彼女がレヴィに恋してしまったことに気付いてしまった。
（
最低だ）そうして、シャオはなかなか眠りにつくことができなかったのだ。
シャオが苦い気持ちを必死で噛み殺し朝食を作っていると、トントンと軽やかに二階から下りてきたのはリコだった。
「おはよ、シャオ！」
「おはよう、リコ」
花が咲きこぼれるような笑みと共に朝の挨拶を交わす。その瞬間、胸の中にあった苦いものは消え去っていた。そのことに驚きを覚えつつも、シャオはそれを表情に出すことはしない。いつもの無表情で朝食を作り続けるシャオの隣に、リコが並んだ。どうやら朝食作りを手伝ってくれるらしい。
「・・・ありがとう、リコ」
「当然だよ♪」
そう言って再び笑みが向けられる。
上背のある自分を真上に見上げるようにして微笑むリコの姿は愛らしい。この笑みを、ずっと独占していたいと真剣に思ってしまう。
二人きりの時間。
ささやかな幸せ。
このまま時が止まればいい。そんな乙女チックな願いを唱えたくなるくらいに、今この時間はシャオにとって幸せなものだった。
（俺は・・・リコが
）本当に好きなのだと思い知らされる。彼女が自分ではない男に惹かれていると知った今でも。否、知ってしまったからだろうか、更に更に愛しく感じるのだ。
しかし、
「そろそろ出来るね。あたし、ボスを起こしてくる」
「あ、俺が
」「いいの。行きたいの」
リコは、行ってしまう。止めても、留まってくれない。シャオも、リコの驚くほど鮮やかな笑みの前にあっては、それ以上彼女を止めることは出来なかった。彼女の笑みを曇らせたくなかったのだ。しかし、その笑みがレヴィを思って零れているものだと思うと、それも複雑だ。いつもよりその笑みが輝いているのは、きっと愛しい少年のことを思っているからだろうか。
「
」思わずシャオは顔を顰める。そして、マスタードに手を伸ばし掴む。
「・・・・」
しかし、離す。レヴィのホットドッグにマスタードを奮発してやろうかと思ったのだが。
「ガキか、俺は」
大人げないとやめておく。そんなシャオの口許から、苦い笑みが零れる。そして、それは嘲笑へと変わる。
この嫌な気持ちは嫉妬だ。そのことを、シャオは知っている。それがとても醜い感情だということも分かっている。それでも止められない。
「はぁ」
零れ落ちる溜息はとても重かった。
シャオの重たい溜息とは対照的に、軽やかな足取りでレヴィの部屋の前までやって来たのはリコだ。そして、これまた、
コンコン。
と、軽やかな音を立てて扉を叩く。
「ボス
。朝ですよ ！」呼びかけてみても、返事はない。やはり声をかけただけではダメかと肩を竦め、リコはドアノブに手をかけた。そして、深呼吸。昨日みたいな息苦しさはない。やはり昨日はどこか体調が悪かっただけなのかもしれない。そんなことを思いつつ、リコはドアを開いた。
「ボス
！ ご飯出来ましたよ ッ！」ずかずかとレヴィの枕元まで歩いて行き、大音声でそう告げる。いつもならば「うるせーなー」とでも言いたげに眉をひそめるレヴィだったが、今日の反応はそれとは違った。
「
・・・って！」「・・え？」
突然、何かを叫んだレヴィにリコは目を瞠る。彼の肩を揺すろうと伸ばした腕も、そのまま止まってしまう。
（寝言、かな？）
それ以上レヴィが何か言う気配がないことに気付いたリコは腕を更に伸ばし、自分に背を向けるようにして眠っているレヴィの肩を引き、こちらに向かせた。その時だった。
「待って・・・！」
今度は、はっきりとレヴィの言葉を聞き取ることが出来た。そして、
「え？」
伸ばした手をレヴィにきつく掴まれる。気付かぬ間に起き出していたのだろうかとレヴィの顔を窺ってみるが、やはり瞳は閉じられたままだ。だが、レヴィの腕はしっかりとリコの手を握っている。そして、彼の表情は、
「
」見たこともないような顔をしていた。
「イヤだ・・待って・・ッ！」
いったい誰を引き止めているのだろう。レヴィのその台詞は、涙に濡れた懇願。
「
なに？ この寝言？」腕を握られたまま、リコはレヴィの表情をじっと見つめていた。
とても苦しそうな顔。そして、その表情は、まるで今にも泣き出しそうにも見えて
。痛いくらいに握られた手が、熱い。
いったいどんな夢を見ているんだろう。誰を引き止めているんだろう。
（
本当の、お母さん？）彼も雨の日に捨てられ、『母』に拾われたのだと聞いている。どうして、誰に捨てられたのかは知らない。けれど、その時の夢でも見ているのだろうかとリコは想像する。そして、涙する。
（
知らない・・ボスのこんな顔、あたしは知らない）知らされていない。
五年間も一緒に暮らしているのに、自分はレヴィのことを何にも知らないのだということをリコは気付かされる。それと同時に思うのは、
（
知りたい！）全て。
レヴィの
全てを知りたい。「リコ？」
リコの意識を現実に引き戻したのは、レヴィの声だった。
寝起きで掠れた声が、ぼんやりと自分を呼んで初めて、リコは自分が何をしようとしていたのか知る。
「
ッ！」目の間に、レヴィの瞳があった。ゆっくりと瞬くその瞳は、 美しい紫水晶。いや、アメジストよりも、 もっともっと澄んでいる。輝いている。綺麗な色をしている。
驚くほど近くに、アメジストがある。
そして、レヴィの吐息がリコの唇をくすぐる。「////////
」（あ、あたし・・・ッ！）
そうして、リコは気付く。
それは、自然な行為だった。自分がそうしていることに何の違和感も抱かぬ程、彼に口付けようとしたその行為は、自分にとっては本当に自然なものだったのだ。
何故なら、それは、
（あたし、ボスのこと
）その答えを遮ったのは、レヴィの声だった。
「おい、リコ？」
「
っ！！」リコは慌てて体を起こす。一瞬にして、頬が染まったのが分かった。自分が、眠っているレヴィに口付けようとしたその事実が、リコの頬を染めていく。
（ボス、気付いたかな）
レヴィは何も言わない。何も言わず、ゆっくりと体を起こし心配そうに自分を見つめている。
「どうしたんだ？ リコ。顔が赤いぞ」
レヴィの腕が、伸びてくる。熱を帯びた頬に触れる。
「
！」しかし、その腕からリコは逃げてしまっていた。触れられたら、どうなってしまうのかが分からなかったから。この熱が引くのか、それとも、更に熱く赤くなっていくのか。
「リコ？」
どうしたんだと首を傾げるレヴィ。
耳に心地の良い爽やかな声。その声が、自分の名前を紡ぐ。その度、胸の鼓動が大きくなる。早くなる。苦しくなっていく。
「・・・リコ？」
どうしたんだと再度問う若草色の声から、リコは逃げ出していた。
「リコ！？」
大好きな声が自分を呼んでいる。けれど、リコは振り返らなかった。聞こえなかったのだ。胸の鼓動が大きすぎて何も聞こえなかった。カウンター内に立ち、リコとレヴィが下りてくるのを待っていたシャオの声すらも聞こえなかった。鼓動が煩すぎる。
そのまま、リコの足は止まることなく家を飛び出し、隣の家へと飛び込んでいた。
そこはいつもと変わらず独特な薬品の匂いが充満していた。そして、その家の中には清潔な白衣を身につけ、机に向かっている若い医師の姿がある。
その見慣れた後ろ姿を見つめるなり、リコは叫んだ。
「ウォンさ
ん！！」キンキン声で医師の名前を呼ぶと、ウォンと呼ばれた青年はくるりとイスごと回転し、部屋の入り口に佇んでいる見慣れた少女の姿を映す。突然、超音波が如く声を張り上げ侵入してきたリコに別段驚いた様子もなく、ウォンはニコニコ笑い、軽く片手を上げて彼女を迎え入れた。
「やぁ、リコちゃん。朝早くから元気だね」
言ってウォンはニコリと人のいい笑みをその面に浮かべる。
黒い髪に黒い瞳。ついでに黒縁の眼鏡をかけた彼は、明らかにアジアンな顔立ちをしている。眼鏡の奥の瞳は常に笑っており、その所為か彼の周囲を穏やかな雰囲気が包み込んでいる。歳は２０の後半から３０くらいだろうか。そんな彼は、リコにとっては兄のような父のような存在だった。
そしてそれはレヴィにとっても同様で、まだ『母』が生きており、同時にウォンの父親も存命だった頃から親しく交流を重ねており、ウォンによくお守りをしてもらった記憶もある。
しかし、隣人の内、シャオだけは別だ。シャオにとって、まるで仮面でも貼り付けているのではないかと疑いたくなるほど常に笑っており、本心が見えないウォンは、どうにも信用できない人種に分類されているらしく、シャオだけがウォンを毛嫌いしていた。天敵と見なしていると言っても過言ではないかも知れない。
だが、そんなシャオとは違って、何かあるとすぐ助けを求め駆け込んでくるリコに、ウォンの方は慣れているらしい。
「まあ、座りなよ」
慣れた手つきでぽんぽんと診察台を叩き、彼女を座らせると、
「で、何があったんだい？」
とすぐさま問うてきた。
「ウォンさん！ あたし・・・あたし、おかしいんです！！」
と堂々と言い放ったリコに、
「知ってるよ。何を今更
」と変わらず穏やかな笑みで、サラリとひどい台詞を返してきた。しかし、リコの方も今まで数々の奇行でウォンを困らせてきたのでそこは否定しなかったが、
「そういう意味じゃないんです
っ！！」と、ウォンの襟首を両手で掴み、ぐわんぐわんと前後にシェイクを始めた。これはますます「あたしはおかしくありません！」とは言えない行動だ。
「うわっ！ わっ、わっ！ ちょっと、リコちゃん！」
突然脳みそシェイクの刑に処されてしまったウォンが弱々しいながらも抗議の声を上げるが、リコは止まらない。
「昨日から何か変なんですよ
！ いやに胸がドキドキして、苦しくなるんですぅ！！」「わ、分かったから！ ちょ、ちょっと離してくれないか！？」
と、ウォンの必死の訴えに、ようやくリコが気付く。
「あ、ごめんなさい
」ようやくリコの手から解放されたウォンは激しくずれた眼鏡をかけ直し、乱れに乱れた白衣を整えてから席を立つ。そして、リコのカルテを持ち出したウォンは鉛筆を片手にイスに腰を下ろし、一つ咳をしてからリコに向き直った。
「それで？ 胸がドキドキするって？」
「そうなんです！ 急にドキドキし始めて」
リコの言葉を聞きながら、何事かをカルテに書き込みつつ、すっかり医者の顔をした―笑顔はそのままだが―ウォンがリコに問いを発した。
「何か運動は？」
「してません。ボスをみてると、ドキドキするんです」
「
」リコのその言葉にカルテの上を走っていたペンがピタリと止まる。ついでにウォンの笑みも固まった。
その事に気付かず、リコは俯きがちに言葉を続ける。
「ドキドキして、息苦しくなってきて、何か・・・顔が赤くなっちゃって」
そこまでやって来て、ようやくウォンの表情が動く。穏やかなままで固まっていた口許が大きく吊り上がり、文字で表すとするならば「ニヤリ」が最も相応しいであろう笑みに変わる。しかし、その笑みは一瞬だった。リコに気付かれる前に悪魔の笑みは消える。
「あと、何だかボスが、キレイっていうか・・凄く、格好良く見えるんです
」頬を赤らめながらそう言ったリコに、ウォンは大仰に目をひん剥いた。
「な、何だって！？ レヴィが格好良く！！？ それは目がイカれてるね」
「えぇ！？ そうなんですか！！？」
素直なのかバカなのか、医者であるウォンに目がイカれていると言われたリコはビックリして自分の目を触る。腐っているのかどうか確かめているらしい。
そんなお馬鹿なリコを見て密かに笑いつつ、ウォンはリコの手を取って自分の方を向かせる。
「じゃあ、リコちゃん。僕を見てごらん」
「はい」
言われた通り、リコはじ
っと穴が開くほどウォンの顔を見つめる。「どうだい？ 僕が格好良く見えるかい？」
その問いにリコの返答はきっぱりと、
「全ッッ然です！！」
だった。しかも即答で、だ。
一瞬、穏やかな笑みの奥で瞳が冷たく光ったが、それを消したウォンは溜息交じりに口を開いた。
「やっぱり目がイカれてるね。この僕が格好良く見えず、よりにもよってあのレヴィが格好良く見えるなんて」
そう言って再び机のカルテに向かったウォンの背中に向けられたのは、思わず診療台から腰を浮かせたリコの激しい叱咤だった。
「イカれてません！！ ボスはホントにカッコイイんです！！」
カルテからリコに視線を遣ると、彼女は頬を赤く染めながら鋭い瞳で自分を睨みつけていた。レヴィを貶されて腹を立てたようだった。
その様子に、ウォンは満足げな笑みを浮かべた。そして、再びカルテに何事かを書き込みながらリコに向かって言葉を紡ぎ始めた。
「大変だね。これは」
「え！？ あたし、そんなに重い病気なんですか！？」
ウォンの言葉に、一瞬にしてリコの顔が不安に包まれる。
「重いよ〜、これは。何たって、薬がないんだからね」
「そんな・・！ ウォンさん！ あたし、何て病気なの！？」
泣きそうに顔を歪めながら問いつめるリコに、ウォンはニコリと笑みを見せ、もったいぶりつつ口を開いた。
「君はね・・・」
「はい！」
「ズバリ
恋煩いさ！！！」堂々と言い放ち、ウォンは力強くカルテに『恋煩い』と書き込んだ。
一方、リコはというと。
「
は？」ただでさえ大きな瞳を、これでもかと大きく見開き問い返してきた。
そんなリコに、ウォンは可笑しそうに笑いながら言い聞かせるようにゆっくりと彼女に言葉を紡いで聞かせた。
「君は恋をしているんだよ」
「こ・・・恋？？」
「そう。君はレヴィに恋をしてしまったんだよ」
「
あたしが、恋？ ボスに？」茫然と呟き、リコは興奮のあまり立ち上がっていた腰を診療台に力無く落としてしまった。
その様子から、これが彼女の初恋であることを知り、ウォンはますます楽しそうに笑みを浮かべた。そして、「恋？ 恋って？？ 故意？ 鯉？ 鯉でしょ？」ぶつぶつとわけの分からないことを呟いているリコの肩をポンと叩いて言った。その表情はいやに明るい。
「良かったじゃないか、リコちゃん」
「・・え？」
「この前言ってたでしょう？ 女の子らしくなりたいって」
「・・・言ったけど？」
確かに一昨日あたり、レヴィに「ちっとは女らしくしろよお前はああああああああああああ！！」と、いくら起こしても起きないレヴィに業を煮やしたリコが遠慮なく首を絞めてレヴィを起こした日の昼間、急いでいたからと注文の品が乗った盆を首を刎ね飛ばすような勢いでレヴィに投げ渡し、本気でそう怒られウォンの元を訪れた時、「女らしくなりたい！」と絶叫した覚えがある。
しかし、それとこれとがどう関係しているのか分からないリコが首を捻っていると、ウォンは穏やかな笑みで言った。
「女の子はね、恋をするとキレイになるんだよ」
その台詞に、リコは思わず頬を赤らめる。改めて自分がリコのことを好きなのだという事実を思い出したのだろう。しかし、その表情が曇るのには時間はかからなかった。
「で、でも、ボスに恋って・・・絶対に無理だよ。報われないよ」
「どうしてだい？」
「だってボス、あたしのこと女だと思ってないもん。何とも思ってないもん！」
言ってじわりと瞳に涙を滲ませたリコに、ウォンは小さく溜息を洩らす。先程まであんなに元気に喚いたり人の胸ぐらを掴み上げていた少女が、恋をしていると知った途端にこうだ。こんなにもか弱い女の子に変わってしまう。その様子は面白くもあり、理解しがたいものでもあった。けれどウォンはそんなリコを突き放したりはしない。
「ねえ、リコちゃん。レヴィがリコちゃんのこと何とも思っていないわけがないよ」
その言葉に、リコは弾かれたように顔を上げ、ウォンを見つめる。そんな彼女の瞳をまっすぐに見つめ返し、ウォンは彼女を励ますための言葉を口にする。
「何とも思っていない人を家に置くわけがないよ。少なくとも、どんな形にせよ君のことを好きなんだよ」
自分を励まそうとしてくれているウォンの気持ちは分かっていた。しかしリコはその言葉に否定的な言葉を返してしまう。
「でも、その好きは、あたしの欲しい好きじゃないよ・・・」
初めてかかってしまった恋という名の病気は、自分をひどく臆病にさせてしまっているようだった。
そんなリコを、ウォンは諦めることなく励まし続けた。
「今はね。でも、これからもずっとそうだとは限らないよ」
根気強いウォンの励ましに、リコの心が揺れる。優しい言葉はリコの臆病さを少しだが和らげる。
「君がレヴィのことをずっと愛し続けていれば、いつかレヴィも君を好きになってくれるかもしれない」
「ホント！？」
恋心は複雑で、けれど単純。リコの表情が、パッと明るくなる。
「本当さ。だから、頑張ってごらん」
穏やかなウォンの笑みが、リコの背を押したようだった。
「
はい！ あたし、頑張ります！！」そしてリコは満面の笑みでそう宣言したかと思うと、現れた時と同様に、猛ダッシュでウォンの家から飛び出していった。
一瞬にして消え去ったリコの背にヒラヒラと手を振りながら、ウォンはくすりと笑った。そして、
「
楽しくなってきたなぁ」ウォンが浮かべた笑みの後ろで、黒い尖った尻尾が揺れていた。