『EDEN』。 臙脂色の看板を掲げたその喫茶店内では、実に和やかな時間が流れていた。 多くのテーブルは無人のままで、二、三のテーブルにだけ、毎朝朝食の為にやってくる馴染みの客がいた。 その多くが、シャオとレヴィの母≠ェ『EDEN』を仕切っていた頃から通ってくれている人たちだった。 そうした昔からの常連客は多い。 シャオとレヴィは幼い頃から、危なっかしい手つきではありつつも、よく手伝いをしており、 そんな二人を可愛がってくれる客も多かった。 時折、明らかにカタギでないことバレバレな人が来ることもあり、 その度に「お母さんって何者!?」と二人してドキドキしていたものだった。 そしてついに「もしかしたら人身売買に手を染めていて、まさに自分たちがその商品なのでは!?」と 被害妄想を全開にし、二人して逃げ出したこともあったが即行で母≠ノ捕まった。 そして、「何バカなこと言ってんの」と大笑いされたこともあった。 馴染みの客を見る度に、そんな思い出が蘇る。優しく朗らかだった母≠フことを思い出す。 そして、かつては母≠フ場所だったカウンター内が、今ではシャオの居場所に代わっていた。母≠ェそうしていたようにシャオもまた、客が少ないこの時間帯には、こうしてカウンター内のイスに腰を下ろしていた。 レヴィはと言うと、大胆にもテーブル席に腰を下ろし、客と他愛のない話をしているようだった。 彼もシャオと同じ白のカッターシャツに臙脂色のネクタイ、黒のズボン、同じく黒のベストを身に纏い、長い金髪を後ろで一つに束ねている。お仕事スタイルだ。だが、今現在の店の雰囲気は仕事中とは言い難いほどに和やかなものだった。 それは毎日『EDEN』で繰り返される、朝の光景だった。ただ一つ、その空間の中に明るく笑い声がバカに大きいリコという少女がいないということを除けばの話だが。 やはりそのことに違和感を抱いた客の一人が、同じテーブルに腰を下ろしているレヴィに声をかけた。 「おいおい、レヴィ。そう言えば、リコちゃんはどうしたんだい?」 そんな客の言葉に最初に反応したのは、カウンターにいるシャオだった。だが、視線をチラリとそちらに向けただけで、答えを返そうとはしなかった。 「さ〜あ? どっか行ったみたいっスよ」 こうした客とのお喋りは専らレヴィの仕事だった。客とはいえ、他人と軽快なトークをすることを苦手とするシャオとは逆に、レヴィは人懐こい性格をしており、何の苦もなく客と親しくなる妙技を持っていた。それは勿論女性客に対しても―否。レヴィの容姿も手伝ってか、男性客よりも更にと言った方がいいだろう―有効であり、 「あたしはレヴィ君に会えればそれでいいんだけどね」 「同じく」 という客も多い。 しかしレヴィ自身、自分の容姿と愛想の良さがどれほど女性に対して影響力を持っているのかを自覚しておらず、黄色い悲鳴が上がるのを不思議そうにきょとんとして見ているのが現状だった。 「そこがまたいいのよ」 というおばちゃんも多い。 言ってしまえば、レヴィは見た目は繊細だが人の視線から好意を嗅ぎ取れるほど敏感ではない質だった。傍から見れば「バレバレっスよ、お嬢さん」と見ている方が赤くなってしまいそうなほどあからさまに好き好きオーラをだしていても気付かないところから見ると、彼はかなり鈍い人種のようだった。 「リコちゃんだけお休みなのかい?」 「いや、違うんスけど。急に飛び出しちゃって」 言いつつレヴィは、いなくなる直前にリコにかまされた超音波攻撃を思い出し、少々苦い顔をする。 「もしかして、家出かい?」 「駆け落ちだったりして」 「まっさかー」 言って笑う客達に、レヴィも笑い返した。その時だった。 カランカランカラ ン・・・ 店のドアにかけてあった大きな鈴が音を鳴らし、ドアが開かれる。お客様かと慌てて立ち上がったレヴィとシャオだったが、 「いらっしゃいませって、リコ?」 そこからおずおずと顔を覗かせたのは今まさに噂をしていたリコだった。 だがリコは何故かなかなか店に入ってこようとしない。 「どうしたんだよ、リコ。早く入れよ」 言ってレヴィが手招くと、リコはコクンと小さく頷いた後、思い切りドアを押し開き、ぴょんと店の中に飛び込んできた。そうしてリコが全身を見せて初めて、シャオは彼女がなかなか店に入りたがらなかった理由を悟った。 そこにはいつもとは違い、大人っぽい服を着たリコが、もじもじと忙しなく手を動かしながら皆の反応を待っていた。 「/////////」 ぽ 。 そんな擬音が大音量で店の中に響き渡りそうな具合で、シャオはリコの大人っぽいその姿に思いっきり見惚れている。 「リコちゃん、どうしたんだい? 今日はやけに大人っぽい服だね」 「可愛いよ」 「そんな服も似合うね」 馴染みの客達に「可愛い」「可愛い」と褒められ、リコは盛大に頬を染めながら照れくさそうに笑う。 「あ、ありがとう。あの・・貰ったの」 その言葉に問い返したのはレヴィだった。 「貰った? 誰に?」 道を普通に歩いていて服を貰う機会は少ない。少ないというかむしろない。オレはまだない。とレヴィが不思議がっているのを見て、リコは付け加える。 「『Margaret』ってお菓子屋さんの子に貰ったの」 「?」 お菓子屋さんで服を貰える機会はない。道ばたを歩いているよりも更にない。道ばたでなら、素っ裸で歩いていればPOLICEか若しくは見かねたおじいさんあたりが服を恵んでくれそうだが、お菓子屋さんはない。 レヴィがまたおかしなことを考え唸っていることに気付いたリコは、更に説明を加えた。 「あのね、家の前歩いてたら水かけられちゃって。お詫びにって」 「へぇ〜。朝から災難だったな〜」 そこでようやくレヴィは合点がいったようだった。すっきりしたような顔でそうかと手を打ち、水をかけられたと言ったリコを軽く労う。 そんなレヴィに、トコトコと歩み寄っていったリコは頭半個分は背の高い彼を見上げて問うた。 「ねえねえ、ボス。似合う?」 軽い調子で彼女はそう訊ねたが、その内心はドキドキワクワク・・否、 ドキドキバクバクと激しく胸を高鳴らせていた。そうして期待のこもった眼差しでレヴィの答えを待っていると、リコに返ってきたのは、 「おお。似合ってるよ」 という、いつになく率直な言葉だった。こんな時、いつもならわざと嘘を言ったりする質のレヴィに素直に頷いてもらえたことがリコは嬉しかった。 「ほ、ホント!?」 花が咲きこぼれんばかりの笑みで再度訊ね返したリコだったが、今度は、 「うっそ ♪」 と返されてしまった。しかしそれが彼のいつもの調子なのだと知っているので、特に傷付くこともない。こういう時には、唇を尖らせて拗ねてみせれば彼の方が折れてくれることも知っている。 「あ、ひっどい!」 いつも通り拗ねて見せたリコに、レヴィは軽やかに笑い、若草色の爽やかな声+女の子ならば誰もが「きゅん」としてしまうこと間違いなしの笑みで、 「冗談だって。けっこう似合ってんじゃん」 そして、ポンポンとリコの頭を撫でていった。 「/////////」 これまた、ぽ〜という擬音語が見えてしまうほど頬を赤く染め、瞳をとろんとさせたリコに、 「よく似合ってるよ、リコちゃん」 「少し大人っぽいけど、可愛いよ」 「今度プレゼントしてあげるよ」 という、お客達の賛辞なんて聞こえちゃいない。馬耳東風。馬の耳に念仏。 ここが20世紀以上も昔であった場合か、もしくはそうしたKOTOWAZAが未だ息づいている社会であったならば、そう言ってレヴィはリコをからかっただろう。そしてすぐさま「なぜ馬なんだ?」という疑問を彼ならば抱き「なんで馬ばっかり話聞いてないヤツの総称みたいに使われてんの? バカっていう時にも出されてて可哀想じゃんか。馬ってそんなに人の話きかない動物なわけ? つまるところ大バカなわけ? え? ホントにバカな上話しも聞かないやつなの? ・・ちょっと今度話しかけてみようかな」と、「お前の方がバカだろ?」とシャオがたまらずにつっこんでしまうほど脱線してしまうのだろうが。まあ、今のこの時代にKOTOWAZAは馴染んでいないし、それ以前にレヴィは自分の一言でリコが夢見心地になっているということには気付いていないので全く心配することもない。 客達からの賛辞を完全に無視し尽くしながら、リコは立ち尽くしていた。 そんな彼女の頭の中に響いているのは、若草色の爽やかな声で、 『似合ってんじゃねーか。可愛いぞ』 エンドレスリピートだ。ちょっぴり余分な語句も窺えますが。 ついでに彼女が脳裏に思い浮かべた絵をご覧に入れますと、白馬に乗ったレヴィが金色の髪をなびかせ、バラを一輪片手に携えつつ、美しいアメジストの瞳を優しく細めながら白い歯をキラリと輝かせつつ微笑んでいる。ついでに言うと、背景はいやにキラキラと輝き、色とりどりの花がちりばめられていたりする。THE★白馬の王子様!! いつの時代も女の子が憧れるのはこれだ。これが定番らしい。乙女の心理は不変なり!! と、逞しく激しく想像―妄想と言っちゃった方がいいだろう―を膨らませているリコを、切ない瞳で見つめている男がいた。 シャオだ。 「 」 いつまでもレヴィを追っているリコのブラウンの愛らしい瞳を、シャオは懸命に追っていた。いつかその視線が自分に移ることはないのだろうか。僅かな期待を込めて見つめていたが、彼女の瞳はレヴィに吸い付いて離れない。 リコに自分を見て欲しい。 「リコ!」 「!? え、あ、なぁに? シャオ」 つい。 シャオはリコを呼んでいた。その突然の大声に、呼ばれたリコだけでなくレヴィも、客達も驚いてシャオに視線を向ける。 「え、あ・・。服、着替えてこいよ。汚れたらいけないからな」 しまったと思っても、もう遅い。シャオは幾つもの視線から逃げるように瞳を伏せ、慌ててリコにそう言った。 その言葉に、すぐにリコは頷いてくれた。 「そうだね。行って来ます」 「ああ」 客達に軽く会釈をしてリコがカウンターに入り、その奥にある階段へと姿を消す。すぐさま店内にいつものざわめきが戻ってきた。誰も、シャオが突然大声を出したことなどもう気にしていないようだ。そのことを確認して、シャオはほっと安堵の溜息を洩らした。 そして、軽い足取りで二階へと昇っていくリコの後ろ姿を無言で見送る。 リコが見えなくなると、今度は視線をレヴィへと向ける。再び客達とお喋りに興じ始めたレヴィの横顔を凝視する。 「 」 気付いてしまった。いや、気付かない方がオカシイのだ。 リコのレヴィを見つめるあの視線。 (リコは レヴィのことが好きなんだ) 無愛想ではあるが、周囲の雰囲気に敏感であるシャオは、気付いていた。気付きたくはなかったのだが。 己の瞳に剣呑な光が宿る前に、シャオはレヴィから目を逸らした。 |